6 すぐそばにいる異端者
翠嶺高等学校本校舎4階第二大教室、1年生の夏期講習初日の一番最初の授業はこの大教室で行われる。
基本校則が緩い翠嶺だが、夏期講習だけは全生徒強制参加だ。だからか夏期講習に乗り気な生徒はそこまでおらず、グチグチ言いながら生徒達は次々と教室に入ってくる。
「はーだる!朝早くじゃないけどさーまっ昼間の一番暑いときに学校来るのダルすぎ!」
「え分かるー!!まじあつーい!」
「帰りさーコンビニでアイス買わん?」
「え天才じゃーん!」
8月の暑さと夏期講習の怠さで賢い彼らの脳みそはショートを起こしているのか、一段と会話の中の語彙力が壊滅的になっている。
指定の座席に始業時間10分前には座っていた大和は、机にノート一式を揃えた上で筆記用具も筆箱から出した準備万端の状態でスマホをいじっていた。
そんな大和の様子を斜め後ろの席からじっと釘付けになったように見ていたのは彼の護衛を続けるねおん。
机の上に勉強道具を広げるのも忘れて、彼の周りを注意深く探り続けている。
「ちょ、ねおんどしたん?前ばっか見てぇー私らを見ろよぉ!」
「見てよ〜」
「え、あ、ごめんごめん!あーなんて言うか、前に先生の残像が見えてた。」
「残像は残った像でしょうが!まだ先生来てないって!」
「んも〜ねおん暑くて頭溶けちゃったん?」
「ほーら、茶を飲め茶を!」
あははと笑う友人達の声を尻目にペットボトルのキャップを空けて先程購入したお茶を口に注ぐ。
冷たいお茶が喉を通って行く感覚が心地よく、少し心が落ち着いてくる。
「てかねおんシャーペンとかも出してないじゃん、ほらほら出した出した!」
「ね〜ねおん今日まじでどしたの?……お家で何かあった?」
「あー!う、うんちょっとね!お母さんの体調は、もう大丈夫だから…あんがと、杏、寧々」
「……そっか、あ、テキストも出してない!ちょ、私らやるから!休んでな!飲め飲め!」
「杏ぅ〜わたし手ぇ届かん〜」
「伸びろ!」
「無茶な〜」
“お母さん”というのは、ねおんがお泊りから抜け出す時に着いた嘘である。そもそも彼女は母親とは暮らしてはいない。
なにせ自分自身は異端者で、異端者まみれのシェアハウスに住んでいるだなんて口が裂けても言うことが出来ない事実だ。まともな学生生活を送る上でこうした嘘は必要不可欠な要素になってしまう。
友人に嘘を重ねている現状にこれ以外に方法がないことが分かっていても心苦しくなってきた。
「よし!出し終わったぜい!」
「危な〜ギリだよ。」
「ごめん、ありがとね。」
「いいんよいいんよ!」
キーンコーンカーンコーン
「あ、ほら先生来た!前向いてー!」
「っあー、始まるか…夏期講習!」
「気合いいれてこ〜」
始業時間のチャイムが鳴り、各々友人達と話し合っていた生徒達がまばらに前を向きだす。
「はー、はい!皆さんこんにちはー!えー、ね、夏期講習初日の授業、始めますよ!」
始業ギリギリの時間に教室に飛び込んできた先生は、早口で始業を宣言する。4時限目が始まった。
◇◇◇
キーンコーンカーンコーン
「っっはー!!おーわったーい!」
「マジおつ〜!」
「つ…疲れた……」
5時限目の授業終了のチャイムが鳴り響き、四方八方から高校生達の歓喜の声が湧き上がる。
次から次へと学生達はこの地獄から速くおさらばしたいと言わんばかりに足早に教室を立ち去る。
大和は授業が終わる少し前から帰り支度をしていたようで、既に教室から居なくなっていた。
だが5時限目が始まる前にねおんは尖に連絡をつけておいたため、もう護衛の任務は終わりだ。後は生徒会の仕事をするのみだ。
「ねおん今日生徒会の仕事あるんやっけ?」
「えぇ〜まじぃ?」
「これがマジなんだよな。」
「なんでそんな堂々としてるん…?」
「えぇ~ん……」
訝しげな表情の杏に悲しげな表情のねね。
生徒会の仕事は異端者関係なく自分で選んだ仕事だから苦ではなくとも、友達と帰れないのは辛さが少しあるのも事実だ。
「ごめんてぇ、寧々…明日の夏期講習終わったらどっか寄ろ?」
「わかったよぉ…」
「え!はい!じゃあ私さ!気になってるお店あるんよね!えちょ、こっから一駅で行けるんだけどさ……」
「お、これわたしもインストで見た〜」
嬉しそうに薄灰色の長いストレートヘアが揺れるのが見える。
こうした些細な会話が、ねおんは好きで好きで仕方がなかった。
◇◇◇
「じゃーまた明日ね!」
「遅くまで根詰めないんだよ〜」
「ありがと!じゃねー!!」
「ばいばーーい!!」
「ばぁ~い」
ぶんぶん右手を上で振る杏と両手をふりふりする寧々に見送られ、ねおんは生徒会室へと向かう。
今日の生徒会の仕事は夏休み明けの翠嶺高校の文化祭『翡翠祭』に使う備品の確認作業とそれに伴う書類仕事だ。一応期限は今週末だが、早めに終わらせた方がいいと思い至り、さっさと終わらせることに決めたのだ。
生徒会の庶務は基本雑用係であるため、そこそこに仕事が多いが、その分やりごたえがあるとねおんは誇っている。
生徒会室の扉を開けると、そこには先客が1人いた。
「あ、小野間さん。」
「お、逢墨君じゃん。やっほー」
先客は同じく生徒会所属、書記の1年生火燈逢墨だった。ねおんとは数少ない同じ学年の生徒会役員であるためか、中々に親交が深い間柄だ。
左手の書類を机に置いてから黒い癖っ毛を右手で軽くいじり、澄んだ紫色の瞳をねおんのほうに向ける。
「どう文化祭のしおりできた?」
「いやさー、まだ何クラスか紹介文と説明に載せるイラストを提出してくれてなくて作れないんだよね…早く帰りたいのに…」
「あー、え、どのクラス?何年?」
問いを投げかけながらねおんは逢墨の隣の椅子に座る。隣に美少女が座ってきたことを慣れたことなのか意にも介さず、学年とクラスが記された書類を見せながら説明する。
「あー、んと…?1年E組と1年F組と2年A組と2年D組だね。」
「うっわ2年も?」
「うん……」
「えー、2年には催促行きたくないな…」
「先輩方に頼もうと思って。副会長はD組だし、小籔先輩はA組だから頼めば催促してくれると思うんだ。」
「それ採用!え、ちょっと先輩に連絡とるわ!」
「ありがとー。」
逢墨は速やかにしおりの内容を纏める。ねおんはスマホで先輩方へとメールを送ると、ふとあることを思い出して逢墨へ問いかける。
「あすみんてさー。」
「あすみん!?」
「あだ名。」
「え、恥ずい辞めて。」
「わかった辞める。」
「素直な君に産まれてきてくれてありがとう。」
「逢墨君てC組だよね?」
「うんそうだよ?」
いじっていたスマホから目を離して机に置く。
机に肘をついて少しばかり真面目な顔を作って逢墨を見つめる。
「逢墨君のクラスの…橋船大和君って……どんな人なの?」
「え!?」
ガタンと大きな音を立てて逢墨が立ち上がる。
少し遅れて椅子がゴンと床に落ちる鈍い音がする。
「あっやべ。」
逢墨は焦った様子で椅子を急いで起こしてから、ねおんにすたすたと詰め寄った。
「おっ、小野間さん!あの人と喋ったの!?」
「えっ。いや。」
「どんな事喋るのあの人!?なんなのあの人!?」
「あ、いやいやいや、喋ったりとかはしてないんだけど……」
「…あ、そうなの?」
勢いをなくした逢墨は、すんとして椅子に座り直す。
「えっ…と、その…橋船…さん?の事…なんで知りたいの…?」
「……えー、とね。」
(まっずい!聞く理由考えてなかった!)
口から言葉にもならない息を軽く漏らしながら言い訳を思索する。
そんな様子を見て、何を思ったか逢墨はやれやれと言いたげな顔で諭すかのように手ぶりを交えて語りかける。
「…小野間さん。多分ですけど、彼とあなただと住む世界が違うと思います。」
「……ん?」
「…まあ、夏ですもんね…一夏の恋とかも言いますけどね……」
「ちょ待て。」
やかましく感じるほどにぶんぶんと激しく振っていた逢墨の右腕を中々の握力でわし掴みにする。
「そういうのじゃないから。」
「ぇえ?」
「そういうのじゃないから!」
腕を掴む手に更に力を込めるとみぢみぢと肉が悲鳴を上げる。それと同時に逢墨もやっと痛くなったのか悲鳴を上げる。
「ちょ!いだだだだだ!ま、誤解でした誤解でした!!誤解しました!!すいません!!」
「分かりゃいいのよ!」
ぱっと笑顔になったねおんは腕から手を離す。
逢墨は掴まれていた腕をすりすりと慈しむかのように撫で回す。
「ぶっ、無事だ……肉がへこんだままだし、真っ赤っ赤になってる…怖……乙女の馬鹿力怖…」
「……その程度ですんで良かったね。」
「あんまりですよ!力強すぎじゃないですかね小野間さぁん!」
異端者だからね。とは流石に言えなかったので、適当に誤魔化した。
「…もう下手なこと言わないので…話しますよ…橋船さんのこと…」
「洗いざらい吐け。」
「うっす!」
どんと机に手を叩きつけると逢墨は反射的に肩をビクつかせる。どうやら先程まで友人関係だったこの2人の力関係は、ものの数分で変わってしまったようだ。
哀れ。一夏の友情ということだったのだろうか。
「橋船大和さんは…俺と同じクラスです。でも話したことは1回もありません。」
「おんなじクラスなのに?」
「…と言うか、俺のクラスで橋船さんとまともに話したことがある人は…そっすね…俺の友達の隆二位です。逆に隆二が話しかけた時以外に彼が話してるのをロクに見たことないです。」
「あー、あの青緑のツンツンした頭の。」
「それです。」
当時の事を思い出しているのか、少し視線を下げて考え直してからまた話し始める。
「あいつは…俺には勿体ないくらい、明るくていい奴なんすよ。」
「んまーそうだね。」
「否定してほしいです小野間さん。」
「続き。」
「あ…はい。」
「…だからなんでしょうかね。入学してすぐ教室で孤立してた彼に話しかけたんですよ。あいつ。」
「孤立?」
「ほら、入学してすぐってまだつるむ奴とか決まりきってないし…そういうの良くあると思ったんですよ……でも、彼は事情が違ったみたいで…」
ほんのり悔しさを滲ませた表情を押し隠すこともなく語り続ける。
「…迷惑がられちゃって…話したくなかったらしいんです、誰とも。」
「誰とも話したくない、ねぇ…」
「実際、隆二が話しかけても最初以外返事もしなくって…回りで見てた人もそんな態度とらなくてもってドン引きしちゃって…結構隆二の方は話題をあれこれ変えたりしたんですけどね。あいつ多趣味なんで…でもなんのアクションもなくって…隆二はそのまま怒って話すの止めちゃうし…それっきり誰も話しかけなくなって、気がつけばもう8月ですよ。」
(ははーん、こりゃ厄介だな。)
ねおんは手を口元でもて遊び考え込む。
(…異端者に心酔したユニークな個性の少年って輪廻さん言ってたけど、そんな軽い言葉で済ませて良いもんじゃないな…カウンセリングとか受けさせたほうがいいんじゃないかなあ…)
「…あの人、顔はイケメンだとかで女子には暫くキャーキャーされてましたけど、最近はそれも無くなって……」
「そー……なんだ、ありがとう。もういいよ。」
「え、これだけでいいんすか?」
「てかこれ以上なんも分かんないんでしょ?」
「それもそうですけど……」
ド正論をかまされた逢墨はふいと横を向いてしまった。そのままねおんは椅子から立ち上がって扉の前に向かってそのまま開ける。
(異端者が同じ学校にいるって識ったら、彼びっくりして死んじゃわないかな?こんな近くに異端者がいるのにも驚くだろうけどさ…)
「えちょ、小野間さん!?」
「ちょっと用事思い出しちゃった。」
「ええ…?」
「仕事は今週末までっしょ?それまでには終わらせるから!んじゃまた明日ー!」
「あー!帰るんなら、ついでにこのプリント捨ててきてくださいよー!」
「生徒会室ごみ箱あるっしょ!捨てなよ!」
「さっきごみ袋出しちゃってまだ代わりのやつないんですよ!下にごみ収集所あるじゃないですか!帰るんなら通り道のはずでしょ!そこに捨ててきてくださいよ!1枚だけだから!」
「ごめんパスー!!」
そのまま、ねおんは足早に生徒会室を出ていってしまった。
教室の前の窓際にはスマホを見ながらツンツンに尖った髪の毛をいじる男子生徒が1名立っていた。
「あ!ねおんさん!こんちは!」
「あ、隆二君、こんちは。」
先程話題に上がった棚倉隆二その人であった。
ぱっと灰色の瞳を輝かせて元気に挨拶をしてくる。
「逢墨のやつまだ仕事っすか?」
「うん、頑張ってるよ。」
「はー、早く終わんねーかな!俺あいつに安いスーパー教えて貰うから一緒に帰るんすよ今日!早く帰らねーと夜ご飯の時間に間に合わないんすよ…」
「えー何お使い?」
「ん、夜ご飯のおかず足んないらしくて母さんに頼まれたんすよ〜逢墨のやつ一人暮らしじゃないですか?だから一緒に買い出し行こうって約束したんですよー。」
「…あーそれでか。」
そういえば今日やたらと早く帰りたがっていたのを思い出して勝手に納得する。
ねおんは先程の会話を振り返って、少しばかり意地悪が過ぎてしまったなと申し訳無さの気持ちが湧いてきた。
明日あったらちょっと優しくしてやろう。あ、明日は寧々と杏と放課後デートだった。明後日だわ。
「…まあ、もうちょいすりゃ終わると思うから大丈夫だよ。」
「あ、まじすか!?良かったー!」
「じゃああたし帰るから、またねー!」
「さいならー!」
「はいさいならー!」
凄まじい勢いで腕を振るって手を振る隆二に手を振り返して帰る。
(……そういえば)
廊下を進んで階段を降りながら、ふと懸念点を思い出す。
(逢墨君の腕、結構マジのパワーで掴んじゃったけど折れてないよね……?動かしてたし、大丈夫だよね…)
◇◇◇
「はー、わざわざこれ1枚捨てるのにごみ収集所寄るのかよ…」
1人生徒会室に取り残された逢墨は、ボヤきながら不要になった1枚のプリントを左手でつまんでぺらぺらと動かす。
「てか、右腕マジ痛いな…本当にへこんでるじゃん…力強……」
ぶんぶんと右腕を振って折れていないことを確認すると、ホッとしたのかため息を漏らす。
「……もうこれ捨てに行くのも面倒くさいな…多分もう隆二来てるよな…もういいや、」
椅子から立ち上がり、生徒会室の隅にあるロッカーへ向かう。
所々錆びたロッカーを開けると、中には箒2本とチリトリ1個。さらに底にはバケツが置かれており、中には炭のような細かな粒がいくつか落ちている。
「あ、そういえばこれ出すの忘れてたな…次出そう…」
ぽつぽつと独り言を呟きながらロッカーの中のチリトリを右手で掴む。
そのまま持ってきたチリトリを机の上に置き、左手で真上にプリントを吊るす。
「燃やしちゃお。」
シュボッ
右手の中心から黒い炎が控えめに噴き上がり、プリントを覆って黒焦げにしていく。
じわじわと焦げるプリントは下から塵になってチリトリの上に落ちていく。
「小野間さん本当に力強かったなあ…あれ普通の人がやられてたら腕ホントに折れちゃうよなあ…」
手の近くまで炭になったプリントから手を離してチリトリの上に落とす。
紙は燃え尽きて黒く縮み上がる。
「俺が異端者じゃなかったら終わってたよ。」




