33 気をつけるべき点
お母様が静かに尋ねられる。
「ひっかかる、というのは?」
「簡単に言うと、気づいてないんだよ」
ジョン兄様は少し肩をすくめた。
「他のやつは“あ、今この人、相手によって態度変えてるな”って引くところで、リチャードだけは“具合が悪いんだな”“心細いんだな”って真に受ける」
私は目を伏せた。ありそうだ、と思ってしまった。
思ってしまうのが、また少しつらい。
「それにね」
ジョン兄様は続けた。
「エミリー嬢が弱って見えるタイミング、だいたいリチャードが別のことに気を向けそうな時なんだってさ」
私はそこで、はっきり息をのんだ。
キャサリン姉様も、今度は表情を変えられた。
お母様は何も言わなかったけれど、カップを置く手つきが少しだけ止まる。
「本当かどうか、僕はその場を見たわけじゃないよ」
ジョン兄様はちゃんとそう断った。
「でも、別の口から似たようなのを二回聞いた。だからさすがに、ただの悪口ではない気がする」
私は、自分でも知らないうちに背筋を伸ばしていた。
弱って見えるタイミング。それがもし本当なら、あまりにも嫌だった。
嫌で、でも、鏡越しに見たあの変わり方を思い出すと、完全には否定できない。
「……ジョン」
お母様が、低く呼ばれる。
「え?」
「よく話してくれたわ」
その言い方には、珍しく労わるような響きがあった。
ジョン兄様は少しだけ気まずそうな顔をする。
「いや、まあ……聞いといたほうがいいと思って」
「ええ」
お母様は頷かれた。
「その点は、気をつけましょう」
私はその言葉を聞いて、顔を上げた。
お母様の目は、もう迷っていなかった。
「どういう意味ですの?」
私が尋ねると、お母様はまっすぐ答えられた。
「エミリー様が、本当にいつどんな時に不調を訴えるのか。その訴えが誰に向いている時に強く出るのか。そこを、こちらは冷静に見ておくべきだという意味よ」
キャサリン姉様も、すぐに理解されたようだった。
「なるほど」
そう言ってから、姉様は小さく息をつかれる。
「病弱かどうかと、それを人の引き留めに使っているかどうかは、別ですものね」
「ええ」
お母様は静かに頷かれた。
「病弱であること自体を疑う必要はないわ。けれど、それが都合のよい時にだけ前へ出てくるのだとしたら、話は別になる」
私は、その言葉をひどくはっきり受け取った。
疑うのではない。
でも、見ておく。
そこが大事なのだ。
その時、扉のところで軽いノックがして、今度はハロルド兄様が入ってきた。
「まだ続いていたか」
「ちょうど良かったわ」
キャサリン姉様がそうおっしゃる。
事情を聞いたハロルド兄様は、驚くより先に考える顔をした。それから、ジョン兄様へ「誰からだ」とだけ尋ねる。
兄様が名前を二つ挙げると、ハロルド兄様は短く頷いた。
「なら、話の端だけではないな」
「僕もそう思う」
ジョン兄様の返事は珍しく軽くなかった。
ハロルド兄様は私のほうを見た。
「イブリン」
「はい」
「向こうがもしまた、体調だの不安定だのを理由に何か言ってきても、お前はもうそれに引きずられなくていい」
私はその声を、まっすぐ聞いた。
「……はい」
「むしろ、そういう時こそ一歩引いて見ろ。誰が、何のために、その言葉を持ち出しているのかを」
その言い方はいかにもハロルド兄様らしかった。
感情をなだめるというより、見る位置を教えてくれる。
「こちらが先に可哀想だと思い込むと、話をずらされる」
お母様がそのあとを継がれた。
「もう、そこへは戻らないようにしましょう」
可哀想だと思い込むと、話をずらされる。
私はその言葉を胸の中で繰り返した。
たしかにその通りだった。私はずっと、そこへ引き戻されてきたのだ。
病弱だから。気分の波があるから。心細がるから。
そう言われるたびに、私の約束や気持ちのほうが、後ろへ押しやられてきた。
「よし」
ジョン兄様がそこで言った。
「じゃあ今後は、“エミリー嬢が具合悪いらしい”って聞いたら、まず一回そのまま信じないことにしよう」
「言い方」
キャサリン姉様がたしなめられる。
「でも、意味はそういうことでしょう?」
ジョン兄様は少しも引かなかった。
ハロルド兄様も、それ自体は否定しなかった。
「疑うというより、鵜呑みにしない、だな」
「そうね」
お母様が言われる。
「そのほうが正確だわ」
私は、そのやりとりを聞きながら、ようやく少し息がしやすくなるのを感じた。
今までは、相手が具合が悪いと聞くたび、それだけでこちらが一歩退くのが当然みたいになっていた。
けれど、もうそうではない。まず見る。状況を聞く。誰が言っているのかを考える。そこからでいいのだ。
「イブリン」
キャサリン姉様が私を呼ばれる。
「あなたも、その点だけは忘れないで」
「はい」
「エミリー様が弱って見えることと、あなたが譲らなければならないことは、もう結びついていないのよ」
私は頷いた。
その言葉は、いまの私に必要な形で胸へ届いた。
外での評判。鏡越しの違和感。お母様が聞いてきた話。
ジョン兄様が拾ってきた、タイミングの妙な噂。
全部が少しずつつながって、ようやく、私が今後どこに気をつければいいのかが見えてくる。
その夜、居間を出る時には、昼間よりもずっと足元が落ち着いていた。
嫌なものは嫌なままだった。
でも、ただ気味が悪いだけではなくなっていた。
気をつけるべき点が、ちゃんと分かったからだ。




