31 見る人は見ている
「そうなのでしょうね」
お母様の返事には、ため息に近いものが混じっていた。
「それで何とか回っているうちは、深く考えずにいられたのでしょう。息子には余計なことを知らせず、従妹には居場所を与え、婚約者には理解を求める。それで全部、丸くおさまると思っていたのだと思うわ」
私はその言葉を聞いて、少しだけ肩を落とした。
丸くおさまる。
その丸さのために、どれだけ私が黙る側へ押しやられていたのか、あちらはたぶん本気では数えていない。
「お母様」
「なあに」
「外では……もう、何か言われているのでしょうか。リチャード様と、エミリー様のこと」
尋ねながら、自分でも答えを知りたくない気持ちが少しあった。
けれどお母様は、曖昧に濁したりなさらなかった。
「露骨ではないわ」
そう前置きしてから、続けられる。
「でも、“従妹にたいそうお優しいのね”という言い方は、もう何人かがなさっているそうよ」
私は、そっと息を吐いた。
それは悪口ではない。けれど、ただの賞賛でもない。
社交の場でそういう言い方が出る時、そこにはたいてい、少しの引っかかりが混じっている。
「婚約者のいる方に向かって言うには、微妙な物言いでしょう?」
お母様は静かに言われた。
「つまり、見る人は見ているのよ」
私はその言葉を胸の中で繰り返した。
見る人は見ている。
ならば、私は何もおかしなことで傷ついていたわけではない。勝手に嫉妬していたわけでも、狭量だったわけでもない。
そう思うと、少しだけ救われるような、逆にますます冷めていくような、両方の気持ちがあった。
「……お母様は、どうお感じになりましたか」
その問いに、お母様はしばらく黙っておられた。
そして、はっきりと言われる。
「こんなものを“仕方のない身内の事情”として家に置き、そのうえ息子の婚約まで巻き込みながら、まともに扱えていない家なのだ、と」
私は顔を上げた。
お母様の目は静かだった。けれど、そこに迷いはなかった。
「イブリン。あの方がどれだけ病弱であろうと、どれだけ気分に波があろうと、それは本来、グランヴィル家が自分たちの内側で引き受けるべきことよ」
「ええ」
「それをしないで、外では取り繕い、息子には深く知らせず、婚約者へだけ理解を求める。そういうやり方は、やはり危ういわ」
私は頷いた。
危うい。
その言葉は、もう何度も聞いているのに、そのたびに違う重さで胸へ落ちてくる。
お母様はそこで少し表情をゆるめられた。
「でも、ひとつ良かったこともあるのよ」
「良かったこと、ですか」
「ええ。わたくしが何か探りを入れた、と露骨に思われるような聞き方をしなくても、向こうから自然に出てくる程度には、皆さま薄く違和感をお持ちだったの」
私はその言葉に、少しだけ目を見開いた。
「それは……」
「つまり、無理に作った疑いではないということよ」
お母様はやわらかく言われる。
「あなたが見たことも、キャサリンが見たことも、社交の場で何となく囁かれていることと、どこかでつながっているのだと思うわ」
その時、胸の内の靄が、また少し晴れた気がした。
全部がひとつにつながるわけではない。
けれど、ばらばらだった違和感が、少しずつ同じ形を取り始めている。
「お父様にも、お話しなさいますか」
「ええ、あとで」
お母様はカップを受け皿へ戻された。
「ハロルドにも、ジョンにもね。あの子たち、今日は妙に張り切りそうだもの」
その言い方が少しだけおかしくて、私はほんのわずか笑った。
お母様もそれを見て、やっと表情をやわらげられる。
「ただし、あなたは今夜これ以上考えすぎないこと」
「そうできればよろしいのですけれど」
「できなくても、少しは休みなさい」
私は素直に頷いた。
お母様が立ち上がって部屋を出て行かれたあとも、私はしばらくその場に座っていた。
窓の外はもう夕方の色で、庭の端の木々が少し黒く見える。
手元の紅茶は少し冷めていたけれど、今度はちゃんと味が分かった。
外では、もう見えているのだ。
リチャードが従妹に甘く、グランヴィル夫人がそれを上手に包み、でも何か妙だと感じる人は感じている。
ならば私は、もう自分の目を疑わなくてよいのかもしれない。
そう思った時、ひどく静かな安堵が胸の奥へ落ちていった。




