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病弱な従妹に思いやりがない」? 婚約者様、それが私に何の関係が?  作者: さんけい


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30/37

30 お母様の耳

 その二日後の午後、私は自室で手紙箱の中身を少しずつ整理していた。

 整理、といっても、読み返していたわけではない。むしろ逆だ。

 目に入るたび、まだ気持ちがざらつく文面は別にし、あとで処分してよいものと残しておくものとを分けていただけだった。

 こういう作業は無心になれそうでいて、案外そうでもない。

 似たような紙の感触に触れているうち、思い出したくもない短い文が頭の隅へ戻ってくるからだ。

 その時、扉が控えめに叩かれた。


「イブリン、少しよろしいかしら」


 お母様だった。


「はい」


 入っていらしたお母様は、外出着のままだった。

 帽子はもう外していらしたけれど、外套の肩にはまだ外の空気が少し残っているように見える。昼の訪問から戻られたばかりなのだろう。

 私は手紙箱の蓋を閉じた。

 お母様はそれをご覧になって、何も言わず、小さく頷かれた。

 片づけようとしていたことを、咎めも慰めもしない、その頷き方がありがたかった。


「少し、お茶にしない?」

「ええ」


 応接ではなく、家族だけが使う小さな居間へ移る。

 メイドが紅茶を置いて下がると、お母様はすぐには話を切り出されなかった。まず私のカップに湯気の立つ紅茶を注ぎ、ご自分のほうにも少しだけ注いで、それからようやく息をつかれる。


「今日、ふたつほど訪問が重なったの」


 その言い方で、私はすぐに察した。

 何か聞いてこられたのだ。

 しかも、おそらく私に関わることを。


「無理をなさらなくても」

「無理はしていないわ」


 お母様はやわらかく言われた。


「ただ、少し耳に入れておいたほうがよいと思っただけ」


 私はカップを持ち上げかけて、また受け皿へ戻した。

 いま口をつけると、たぶん味がよく分からない。


「エミリー様のこと、ですか」

「ええ」


 お母様はまっすぐ私をご覧になる。


「あなたを怯えさせたいわけではないのよ。ただ、外からどう見えているかは、知っておいて損はないわ」


 私は頷いた。

 お母様は、言葉を選ぶように少し間を置かれた。


「思っていたより、あの方は外へ出ていらっしゃるようね」


 その一言で、胸の内にまたあの日の鏡がよみがえった。

 ボンド街の店先。包み。欲しいものを見ている時の、あのはっきりした目。


「やはり、そうでしたのね」

「ええ。しかも、ただの散歩ではないの」


 お母様は続けられた。


「具合が良い日には、店もご訪問も案外こなしていらっしゃる。とくに、気に入った場所や、気に入った相手のいる席には」


 私はそこで、ほんの少しだけ息を止めた。

 気に入った場所や、気に入った相手。

 その言い方は控えめなのに、含んでいるものは十分だった。


「ある方がね、以前、小さな音楽の集まりでご一緒になったそうなの。最初はたいそうおとなしくて、ひどく儚げに見えたそうよ。でも、しばらくして話題が自分の興味から外れた途端、見るからに気分を悪くなさったように見せて、別室で休むことになったのですって」


 私は何も言わなかった。

 お母様の声は静かだった。

 静かだからこそ、その話の不気味さがよく分かる。


「ところが、その別室へ、あとから気の合う若い方がいらしたら、すっかり元気におしゃべりしていらしたそうなの」


 私は思わず顔を上げた。

 お母様はわずかに眉を寄せる。


「もちろん、その場にいた方も、最初は見間違いかと思ったそうよ。けれど、似たようなことが一度ではなかったらしいの」


 それを聞いた時、私の中で何かがさらに静まった。

 見間違いではなかった。

 あの日、鏡越しに見たものは、私と姉様だけがたまたま感じた違和感ではないのだ。


「ほかにも、年上のご婦人にはとてもおとなしいのに、若い男性がいる席では急に甘えたような声になる、とおっしゃる方がいたわ」


 お母様はそこで紅茶に口をつけられた。


「ただ、その言い方にも少し棘があったから、半分ほどに聞いておいたけれど」

「でも、お母様は、それだけではないと思われたのですね」


 私がそう言うと、お母様は頷かれた。


「ええ。似た種類の話が、別々の口から出る時は、少し気をつけて考えるべきでしょう」


 私は膝の上で指先を重ねた。

 外の人たちは、そこまではっきり断じないのだろう。

 病弱そうな親族を悪しざまに言うのは、品がよくない。まして本家筋の娘ともなれば、なおさらだ。

 だから皆、何となく首を傾げるだけで済ませてきたのかもしれない。


「グランヴィル夫人は?」


 気づけば、そう尋ねていた。

 お母様は、少しだけ疲れたような目をされた。


「それも聞いたわ。あの方は、たいへんお上手らしいの」


 お上手。

 それは褒め言葉ではなかった。


「何かあっても、すぐにきれいに収めてしまうのですって。エミリー様が少し場を白けさせても、“このところ気分の波があるものですから”と、やさしく笑って済ませる。欲しいものをはっきりおっしゃっても、“あの子は子どもの頃から好みがはっきりしておりますの”と、品のよい話に変えてしまう」


 私は目を伏せた。

 容易に想像がつく。

 あの柔らかな声で、場のほつれをするすると撫でつけてしまうのだろう。

 その場では、それで済んだように見える。でも、見ている人の中には、きっと薄く残るものもある。


「つまり」


 私はゆっくり言った。


「ずっと、その場その場で取り繕ってきたのですね」

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