28 きょうだいだけの話①
その夜、両親が先に席を立ったあとも、私たち四人だけは居間に残っていた。
暖炉の火は少し落ち着いていて、部屋の中には食後のゆるんだ空気がある。
けれど、だからといって本当にのんびりしているわけではなかった。
むしろ両親がいなくなったことで、ようやく言いやすくなることのほうが多いのだと、私はよく知っている。
キャサリン姉様はソファの端へゆったり座り、ハロルド兄様は暖炉のそばで片手を炉棚についていた。
ジョン兄様はというと、長椅子の背へ肘をかけるような行儀の悪い座り方をしていて、姉様に「あなた、それお父様の前ではなさらないでちょうだい」と早々に言われていた。
「今いないからいいだろ」
「そういうことを言うから駄目なのよ」
そんなやりとりがあって、私は少しだけ気持ちがゆるんだ。
やっぱり兄妹だけだと、空気が違う。
しばらくは誰も本題を口にしなかった。
ジョン兄様が果物皿から葡萄をつまみ、姉様がそれを見て「食べ方が雑」と言い、ハロルド兄様が「お前たちは少し静かにできないのか」と呆れる。そのくらいの軽さが、今の私にはちょうどよかった。
でも、先に切り出したのはやっぱりジョン兄様だった。
「で」
葡萄を飲み込んでから、兄様は言った。
「もう遠慮なく言っていい?」
キャサリン姉様が肩をすくめる。
「今さら遠慮していたの?」
「してたよ、一応は」
「一応ね」
私は思わず口元をゆるめた。
ジョン兄様は私のほうを見た。
「イブリン、先に言っとくけど、僕はかなり腹立ってるからね」
「……知っております」
「いや、今日の鏡の話を聞く前から腹は立ってたんだけど、今はちょっと種類が違う」
そう言って、兄様は背もたれから身を起こした。
「リチャードはさ、ただ鈍いだけの馬鹿かと思ってたんだよ。顔が良くて、育ちが良くて、でも婚約者より目の前の“かわいそうな誰か”を優先しちゃって、それを美談だと思ってる類の」
「だいたい合ってるわね」
キャサリン姉様が涼しい顔で言う。
「でしょ? でも、そこへあの従妹まで乗っかると、話が変わるんだよ」
ジョン兄様はそこで少し顔をしかめた。
「だって、本人の中ではあれ、たぶん全部筋が通ってるんだろ。具合が悪い自分を優先してもらうのは当然、元気な婚約者は待てる、欲しいものがあれば今見たほうがいい、みたいな」
私は黙って聞いていた。
兄様の言い方は少し乱暴だけれど、乱暴だからこそ、そこにある気味の悪さがよく分かる。
「それがさ」
ジョン兄様は続けた。
「下手に意地悪でもないのが嫌なんだよね。“婚約者なんかどうでもいいわ”って顔ならまだ分かりやすいのに、そうじゃない。たぶん本人は本気で、“具合が悪い人のほうが大事でしょう?”くらいにしか思ってない」
「ええ」
私がそう言うと、自分でも驚くほど声は落ち着いていた。
「私も、そこが少し怖かったのです」
ハロルド兄様がそこで口を開いた。
「怖い、でいい」
短い言い方だった。
「世の中には、悪意がはっきり見える相手ばかりじゃない。自分の理屈に曇りがないぶん、かえって厄介な人間もいる」
私は兄様を見た。
ハロルド兄様はいつものように静かな顔をしていたけれど、その目は冷たかった。
「しかも、グランヴィル家はそれを自分たちで扱えていない」
「そこなんだよねえ」
キャサリン姉様も、小さく息をつかれる。
「エミリー様が妙な方、で終わるならまだしも、その方を家に抱えて、息子に絡ませて、婚約者へだけ理解を求めるって、どういうつもりなのかしら」
「どうもこうも、何となく回ると思ってたんだろ」
ジョン兄様があっさり言った。
「リチャードは言えば従うし、エミリーは適当に甘やかしとけば静かになる日もあるし、婚約者は賢い娘だから波立てないし、みたいな」
私はその言葉に、何とも言えない気持ちになった。
悔しいのか、情けないのか、自分でも少し分からない。
でも、たぶんその見立ては大きく外れていなかったのだろう。
キャサリン姉様が私を見る。
「腹が立つでしょう?」
「……ええ」
私は正直に頷いた。
「でも、それ以上に、何だか疲れますわ」
「分かる」
姉様の返事はすぐだった。
「怒る相手がひとりなら楽なのよ。でも今回は、リチャード様は鈍いし、お母様は丸め込めると思っていらっしゃるし、お父様はたぶん何でもあとから整えればよいと思っているし、エミリー様はあの調子でしょう」
そこまで言って、姉様は小さく眉を寄せる。
「全員、違う方向からこちらを疲れさせるの」
「それだ」
ジョン兄様が指を鳴らしかけて、姉様に睨まれてやめた。
「ほんと、それ。ひとりの大悪党がいるほうがまだ楽だよ。今回は全員がじわじわ嫌なんだ」
ハロルド兄様は、その言い方に否定も肯定もしなかった。
ただ、少し考えるように言う。
「グランヴィル夫人がいちばん始末が悪いかもしれんな」
私は少し驚いて、兄様を見た。
「リチャード様ではなくて?」
「リチャードは、まだ浅いだけだ。いや、その“浅いだけ”で婚約者を何度も傷つけた時点で十分ひどいが」
兄様はそこで言葉を切った。
「だが、親は違う。あの夫人は、何が起きているかを息子よりは見ている。それでいて、きちんと片づけるより、“少し待てば収まる”ほうへ持っていこうとした」
私は、応接間で向かい合った時のグランヴィル夫人の顔を思い出した。
やわらかくて、穏やかで、でも最後まで私の嫌さそのものには触れなかった顔。
「たしかに……そうかもしれません」
「父親も似たようなものだろう」
ハロルド兄様は続けた。
「家の中の面倒ごとを若い息子へ背負わせない、などと言えば聞こえはいい。だが結局、そのしわ寄せがどこへ行ったかといえば、お前だ」
その言葉は、ひどく静かだった。




