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病弱な従妹に思いやりがない」? 婚約者様、それが私に何の関係が?  作者: さんけい


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20/22

20 もう十分ですわ

「リチャード様からも、ですか」

「もちろんだ」


 お父様の声には少しも揺るぎがなかった。


「本人がまだ分かっていないなら、なおさらこちらがはっきり線――」


 そこでお父様は一瞬だけ言いよどみ、言葉を変えられた。


「――けじめを示さねばならん」


 私はその言い換えに、ほんの少しだけ気持ちがやわらいだ。

 お父様の口から出ると、そういう言葉も妙に重みがある。

 キャサリン姉様が、椅子の背に軽くもたれながら言う。


「でも、あちらはまだ押してくるかもしれませんわね」

「来るだろう」


 ハロルド兄様が先に答えた。


「母親が出てだめなら、今度は父親か、そうでなければ本人だ」

「本人のほうがありそう」


 ジョン兄様が言う。


「“誤解を解きたい”とか何とか言って」


 その言い方があまりにもありそうで、私は口元をこわばらせた。

 たしかに、そう言いそうだった。

 自分ではきちんと説明したつもりで、それでも足りなかったのなら、もう一度話せばよいと考えそうな人だ。

 けれど私は、もうあの人と何かを“解きほぐす”気にはなれなかった。

 結び目があるなら、それはずっと前から向こうが作ってきたもので、今さら私ひとりの手ではどうにもならない。


「会いたくありません」


 気づけば、私はそう言っていた。

 お父様もお母様も、驚かなかった。


「会わせん」


 お父様は短く言った。


「少なくとも、この件が片づくまで、お前は向こうと顔を合わせる必要はない」


 それを聞いた時、背のあたりに入っていたこわばりがほどけるのを感じた。

 会わなくていい。

 その当たり前のことが、こんなにありがたく聞こえるとは思わなかった。

 お母様が私のほうへ身を寄せる。


「イブリン。ここまで来てもなお、相手の事情を慮りすぎなくていいのよ」

「……はい」

「あなたはもう十分に考えたわ」


 そう言われて、私は小さく頷いた。

 十分。

 ほんとうに、そうなのだと思う。

 少し前までの私は、まだどこかで“自分が狭量なのではないか”と考えていた。

 病弱な従妹がいて、婚約者がそちらを気にかけるのは当然なのではないか、と。

 けれど、話がここまで来てみれば、あれはただの善意だけではなかった。

 家の都合も、親の見通しの甘さも、面倒ごとを曖昧に押し込めるやり方も、全部まとめて私の上に流れてきていたのだ。

 私はその流れを、ずっと受け止めていただけだった。


「先方は、わたくしを“賢い娘”だとおっしゃったのですよね」


 ふと、応接間での言葉を思い出して私は言った。

 お母様が少しだけ眉を寄せる。


「ええ」

「賢いなら、これくらいは飲み込めるだろう、という意味で」

 口にすると、妙な苦さがあった。


 でも、今はその苦さを避ける気になれない。

 キャサリン姉様が、低い声で言う。


「賢い娘、ねえ。便利な娘、の言い換えでしょうね」


 私は姉様を見た。

 姉様は笑っていなかった。


「家の事情を察して、余計なことを言わず、黙って座りのいい場所へ戻ってくれる娘。あちらが欲しかったのは、たぶんそういう相手よ」


 その言葉は残酷なくらいまっすぐだった。

 でも、もう否定できなかった。

 お父様が机から手を離す。


「ならばなおさら、この縁はここで終わりだ」


 その口調は落ち着いていたけれど、言葉はまるで動かなかった。

 私はその言葉を聞きながら、胸の内が静かになっていくのを感じた。

 悲しさが消えたわけではない。長く婚約者だった人とのことだもの、まるで何もなかったみたいにはなれない。

 でも、もう戻りたくはない。

 その気持ちだけは、むしろ前より鮮明になっていた。


「お父様」

「何だ」

「もし、向こうからまた何か届いても、私には見せなくてかまいません」


 言ったあとで、自分でも少し驚いた。

 けれど、それは衝動ではなかった。

 何かを怖がって目をそらしたいのでもない。ただ、もう同じ種類の言葉を何度も受け取る必要がないと思ったのだ。

 少し待てば、落ち着けば、分かってくれるはずだ――そういうふうにこちらの気持ちを軽く扱う文面は、もう十分読んだ。

 お父様は少しだけ私を見つめてから、頷いた。


「分かった。必要なことだけ、こちらで伝える」


 その返事が、ひどく頼もしかった。

 ジョン兄様が窓のほうを見やって言う。


「これで向こうがまだ来るなら、ほんとにもう家ぐるみだね」

「もう十分そうだろう」


 ハロルド兄様の言葉に、私は小さく息をついた。

 ええ、本当に。

 今になってみれば、リチャードひとりだけがおかしかったのではない。母親も父親も、それぞれ別の顔をしながら、結局は同じところへ私を押し戻そうとしていた。

 静かで、上品で、表向きは穏やかなまま。

 そのやり方のほうが、かえって性質が悪い。

 書斎を出る頃には、外の空はもう少しだけ明るくなっていた。薄曇りの向こうから、遅い午後の光がにじむように庭へ落ちている。

 廊下へ出たところで、私はふと立ち止まった。


「イブリン?」


 お母様に呼ばれて、私は振り返る。


「いえ……何だか、ようやく終わりのほうへ進んでいる気がして」


 そう言うと、キャサリン姉様が少しだけ笑った。


「ええ。ちゃんと進んでいるわ」


 その言葉を聞いて、私はようやく肩の力を抜いた。

 終わりに向かっている。

 そのことが寂しくないわけではない。けれど、ずるずる同じ場所へ引き戻されるより、ずっとましだった。


 ――もう十分ですわ。


 心の中でそう呟いた時、その言葉は前よりも静かで、前よりも確かだった。



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