表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
病弱な従妹に思いやりがない」? 婚約者様、それが私に何の関係が?  作者: さんけい


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
11/21

11 わざわざ言うほどのことではない

(リチャード視点)


 イブリンの家から戻った時、僕は思っていた以上に疲れていた。

 怒鳴られたわけではない。

 殴り合いになったわけでもない。

 けれど、あの家の応接間で向けられた空気は、そういう分かりやすい荒れ方より、ずっと堪えた。

 ハロルドの冷えた顔も、ジョンの露骨に不機嫌そうな目も、まだ頭の隅に残っている。

 それより何より、イブリンの声が離れなかった。


 ――婚約者様、それ、私に何の関係がございますの?


 あんなふうに言われるとは思わなかった。

 屋敷へ入ると、母がまだ起きていた。

 いつもの居間で、夜用の薄いショールを肩に掛け、書き物をしていたらしい。僕の顔を見るなり、羽根ペンを置く。


「お帰りなさい。ずいぶん遅かったのね」

「イブリンのところへ寄ってきたんだ」


 僕がそう言うと、母はすぐに事情を察したようだった。


「ちゃんと説明したのね。それで?」


 それで、と聞かれても、答えに少し詰まる。

 ちゃんと説明したつもりだった。

 エミリーが熱を出したことも、心細がっていたことも、その場を外せなかった理由も。こちらとしては誠意を見せたつもりだったのだ。

 なのに、うまくいかなかった。


「……思ったより、気を悪くしていたみたいだ」

「まあ」


 母は驚いたというより、少し面倒そうな顔をした。


「イブリン嬢が?」

「兄たちも出てきて、ひどく責められたよ。まるで僕がよほどのことをしたみたいに」


 母はショールの端を整えながら、ふう、と息をついた。


「今日はたまたま虫の居所が悪かったのかもしれないわね。約束が駄目になったのですもの、不機嫌にもなるでしょう」


 その言い方に、僕は少しだけ気が楽になった。

 やはりそうなのだ。イブリンだって、たまたま機嫌を損ねただけかもしれない。あんなふうに冷たく返されたのも、今日のところは腹が立っていたからで――。


「でも、あれは少し……」


 言いかけたところで、父も居間へ入ってきた。

 寝る前の酒でも飲むつもりだったらしいが、僕を見ると立ち止まった。


「何だ、まだ起きていたのか」

「イブリン嬢のところへ行っていたそうですわ」


 母が答えると、父は少しだけ眉を上げた。


「今夜に限っては、行かぬほうがよかったのではないか」

「いや、手紙だけでは済ませたくなかったんだ」

「気持ちは分かる」


 父はそう言って椅子へ腰を下ろした。


「だが、女はそういう時、説明そのものより、約束を反故にされたことのほうを強く覚えているものだ。しばらく置けば落ち着く」


 しばらく置けば落ち着く。

 その言葉も、僕にはもっともらしく聞こえた。

 実際、今日は感情が先に立ってしまったのだろう。時間が経てば、イブリンもきっと分かってくれる。そう考えたほうが自然だった。

 けれど、どうにも引っかかるものがある。


「でも、ハロルドたちの様子は妙だった」

「妙?」

「僕が妹を軽く見ているみたいな言い方をしたんだ」


 父も母も、その時すぐには何も言わなかった。

 その沈黙が、少しだけ気になった。

 母が先に口を開く。


「兄というものは、妹のことになると大げさになりがちよ」


 やわらかく言われたものの、それで完全に納得できたわけではなかった。

 今日の応接間にいた兄たちの顔は、“大げさ”で済むようなものには見えなかったからだ。

 僕は少しためらってから、前から何となく気になっていたことを口にした。


「……そもそも、エミリーがうちに長くいるのは、どうしてなんだ」


 母の指先が、わずかに止まった。


「どうして、とは?」

「具合の悪い時だけ預かるなら分かる。でも、もうずいぶん前からだろう。イブリンも、今日の口ぶりだと事情をよく知らないみたいだった」


 母は一度、父のほうを見た。

 それがごく短い視線だったからこそ、かえって僕は目についた。


「本家のほうも、いろいろ落ち着かないのよ」


 そう言ってから、母は言葉を選ぶように続けた。


「兄君のご縁談もありますしね。家の中があまり騒がしいのはよろしくないでしょう」

「むこうの兄君の?」


 思わず聞き返した僕に、母はすぐに微笑んだ。


「あなたが気に病むようなことではないわ。向こうにも向こうの事情があるというだけ。エミリーをこちらで落ち着かせておけるなら、そのほうが丸く収まるでしょう」


 その言い方は穏やかだったけれど、妙に話を閉じる響きがあった。


「それ、僕は知らなくてよかったのか」


 ついそう言うと、今度は父が口を挟んだ。


「わざわざお前に背負わせるほどのことではない」


 あっさりした声だった。


「本家筋の内輪の話まで、いちいち若い者へ聞かせる必要はない。お前はお前で、目の前のことを見ていればよい」


 わざわざ聞かせる必要はない。

 その言葉に、僕は何となく黙った。

 たしかに、今まで深く考えずにいたのも事実だ。エミリーがこちらにいるならいるで、そういうものなのだろうと思っていた。

 母が立ち上がり、僕の肩に軽く手を置く。


「今夜はもう休みなさい。明日にでも花でも届ければよろしいわ。イブリン嬢だって、ずっと怒っているような方ではないでしょう」


 その口調は、ほとんどこれで済む、と決めているみたいだった。

 僕はすぐに頷けなかった。

 けれど結局、その晩の僕は、それ以上問いただすことをしなかった。

 両親がそう言うのなら、やはり大ごとではないのかもしれない。

 廊下へ出ると、エミリーの部屋のほうから、かすかに物音がした。

 まだ起きているのだろうか、と一瞬思ったが、そのまま自室へ向かった。

 明日、花を送ろう。

 きちんと詫びれば、きっと落ち着く。

 そう自分に言い聞かせながら歩いていたのに、胸の底には、何か小さくざらつくものが残ったままだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ