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病弱な従妹に思いやりがない」? 婚約者様、それが私に何の関係が?  作者: さんけい


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10/23

10 向こうから望んだご縁でしたのに

 先に息をついたのはキャサリン姉様だった。


「そこまで露骨に考えていたかは分からないけれど、少なくとも()()()()()()()()()()だとは見ていたでしょうね」


 私はうつむいた。

 責められた気はしない。でも、その見方を否定しきれない自分が少しだけ苦かった。

 たしかに私は、ずいぶん長いあいだ我慢していたのだ。

 言えば角が立つ。黙れば済む。

 そうやって、毎回ひとりで気持ちを収めてきた。

 けれど、それが相手にとって「この娘は飲み込む」と映っていたなら、やりきれない。


「イブリン」


 お母様が穏やかな声で呼んだ。


「今、そう思うのは自然なことよ。でも、あなたが我慢したこと自体が悪かったわけではないの。悪いのは、その我慢に甘えて、当然みたいに振る舞った側です」


 私は頷いた。

 目の奥が少し熱くなったけれど、泣くほどではなかった。ただ、固く結ばれていたものが少しほどけた時のような、じんわりした感じがあった。

 ハロルド兄様が、ようやく腕を解く。


「それに、今日のあいつを見ていてはっきりしたよ」


 兄様の声は低い。


「事情があるから仕方ない、で全部済むと思っている。妹の予定を潰し続けたことも、その場で詫びれば帳消しになる程度にしか考えていない」


 私は顔を上げかけて、すぐに視線を落とした。

 兄様の言っていることは、その通りだったからだ。

 今日のリチャードには、追いつめられた人の切実さがなかった。

 困った顔はしていたけれど、それは私を傷つけたことへの困り方ではなく、自分が責められて居心地が悪い、という類のものに見えた。

 ジョン兄様が言う。


「しかも、イブリンの前で“冷たい”だろ。よくもまあ言えたよね」

「ええ、本当に」


 キャサリン姉様が、にっこりもせずに同意した。

 姉様がああいう顔で静かに怒っている時は、たいていかなり本気だ。


「病弱な従妹を案じる優しい僕、のつもりだったのかもしれないけれど、その優しさのツケをいつもイブリンに払わせていたら意味がないわ」


 私はその言い方に、少しだけ驚いた。

 けれどすぐに、妙に腑に落ちた。まさしくそうだったからだ。

 リチャードがエミリーに向けていたものが本当に優しさだったとしても、そのたびにこちらの予定や気持ちが踏みにじられてよい理由にはならない。しかも彼は、そのことをろくに数えてもいなかった。

 お父様が椅子の背にもたれ、静かに言った。


「明日、先方へ書状を送る。口頭でごまかされぬよう、こちらの意向ははっきり残しておく」

「お父様」


 私は思わず呼びかけた。


「何だ」

「……ありがとうございます」


 それしか言えなかった。

 お父様は少しだけ表情をやわらげる。


「礼を言うことではない。娘を守るのは当然だ」


 その“当然”が、今夜はひどくありがたかった。

 これまで私は、家のことを考えれば、こういう不満を表へ出すべきではないと思っていた。自分の気持ちより、穏便に済むことのほうが大事だと。

 けれど、家族は違った。

 穏便に済ませるために私が黙ることを、当然とは思わなかった。

 そのことが、胸の中にあたたかく残る。


「ただ」


 お父様が続ける。


「向こうも、すんなり引き下がらんかもしれん」


 私は小さく息をのんだ。

 そこは、私も考えていた。

 リチャード本人はもちろん、あちらの家にしてみれば、この婚約は事業上でも都合のよい話だったはずだ。加えて本家筋との面倒な兼ね合いまで抱えているのなら、簡単に手放したくはないだろう。


「でも、もう覆りませんわね」


 私がそう言うと、お父様は私を見た。


「覆らん。お前が望まない以上はな」


 その言葉を聞いた途端、心の底にあった最後の揺れが、すっと静まった。

 私はこの婚約を終わらせたい。

 さっきまでそれは、自分の中だけで固めた気持ちだった。けれど今は、家族の前で共有されたものになっている。

 それだけで、重さが違った。

 暖炉の火がまた小さく鳴る。

 もう夜もだいぶ深いのだろう。窓硝子には室内の明るさばかりが映って、外は黒く沈んでいた。

 キャサリン姉様が立ち上がる。


「今日はもう休みましょう。イブリン、今夜は考えすぎなくていいわよ」

「そうしたいところですけれど」

「できなくても、横にはなりなさい」


 その口調が姉らしくて、私はやっと少しだけ笑った。

 皆もそれを見て、ほんのわずかに空気をゆるめた。

 けれど部屋を出る時、私はひとつだけ思った。


 ――向こうから望んだご縁でしたのに。


 こちらを選んでおきながら、大事にするところまでは考えていなかったのだとしたら、それはもう、縁そのものに誠意がなかったということなのかもしれない。


 廊下へ出ると、夜の静けさが屋敷の中へも薄く入り込んでいた。

 私は手すりにそっと指を置きながら、ゆっくり二階へ上がった。

 足取りは重くない。軽いとも言えないけれど、少なくとも、昨日までの私とは少し違っていた。

 もう黙って飲み込む側へは戻らない。

 そんな思いが、静かに、けれど確かに胸の奥へ落ちていった。

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