第9話 本腰を入れるとき。
4月11日、僕は月曜日の憂鬱さを感じることもなく、ただ彼女のことで頭がいっぱいだった。
だが、あれから四日が経過しても、彼女が従来の人格に戻る兆しは見られなかった。あまりにもローペースが過ぎて、僕はどうも何かが引っ掛かっていた。
ふと、僕はこんな仮説を立てた。過去に彼女は、「心の内側にある何かが許してくれない」と語っていた。
もし、この《《何か》》の正体が、過去の虐めに対する脅威ではない、別の要素が関与しているとすれば、彼女が従来の人格を取り戻せないことにも合点がいった。
ひとまずはこの憶測が事実だとしても、これから先は彼女が僕にどれだけ内情をさらけ出すかに尽きる話で、僕はこれから、彼女と密に関わっていくことが必須事項だと理解していた。
『……そろそろ本腰を入れる頃か。』
そう思った僕は、今日の彼女にこう投げ掛けた。
「……唐突で申し訳ないんだけどさ。愛花梨、どこか行きたい場所はないか?」
「本当に唐突だね……。それはデートのお誘い?」
「あぁ、そうだ、これは実質デートの誘いだ。」
「ふぇ……?」
僕がそう断言してしまったことで、彼女は目を丸くして、顔色も微妙に赤みを帯びた。やがて、彼女は僕と目線を逸らすことにより、こう言葉を発してくれた。
「……その都度、私に聞いてみるといいよ。当日の私が、いまの私な保証はないから。」
彼女の意見もごもっともだった。だが、これには打開策というものが存在していた。
「なら、今の愛花梨はどこに行きたいんだ?」
「うーん。ずっと家か塾にいたから、特にどこも思い付かないかな……。」
「……そうか、そうだよな。ごめn……。」
「あ……でも、一箇所だけあるよ。」
彼女は僕の言葉を遮ってそう言った。
「ど、どこだ?」
「……必死だね。」
「それなりに必死だよ。」
「……大沼公園に行きたいかもしれない。朝に人気の少ない大沼公園で、静寂の中で大沼団子を頬張るの。私はそれで満足すると思うよ。」
「凄い具体的だな……。」
「でも……いいでしょ?」
「そうだな。近い距離にあるのは、函館市民の特権だしな。」
「……もし、私とデートする機会があったら、そのときは私を楽しませてね。」
今日、彼女は自己肯定の類の発言をした。久しく自己評価を上げる言動を耳にしていなかった僕は、ほんの少し懐かしさを覚えた。
「愛花梨、お前って基本、土曜と日曜に用事はあるか?」
「基本はないよ。ただ、今週末は精神科への通院があるけどね……。」
「じゃあ、来週の土曜に今の人格が当たったら教えてくれ。お前を連れ出すから。」
「……そう、分かった。」
彼女は僕を恋人と認めていないのに、デートの誘いには賛同してくれた。僕はこの一週間が正念場だと理解していた。
ただ、彼女とのデートは、何もこれが初めてではなかった。
――――2018年3月、僕らはまた公の場でダンスを披露する機会を得た。寒さは多少和らいだ程度で、前日もそれなりに雪が降った。
ここ函館では、冬場に数ヶ月にわたって花火大会が行われる。僕らはそんな花火大会の会場に近い『ペリー広場』という場所でダンスを披露することになった。
そこでは相応の規模の祭りが行われており、たくさんの屋台が軒を連ね、寒さを蹴散らすほどの活気に満ちていた。その熱気のせいか、寒さで強張っていた身体が少しだけ解けてくれた。
披露が終わり整列して礼をすると、過去最高の拍手喝采が送られ、僕の心は達成感で埋め尽くされていた。
やはり、彼女は僕の横に立って手を繋いでこようとした。今回の整列に特に順番はなかったが、会場の規模に気圧された僕は若干もじもじしてしまい、繋がれたその手を自分のポケットに隠した。
すると彼女は僕のポケットを眺めながら、いたずらっぽく笑った。
「今日もまだ寒いね。」
「……どうして外で踊るんだろ。」
「不特定多数の人が見てくれるからね。」
「それはそうとして……今日も手を繋ぐ必要はあるの⋯⋯?」
「でも、私たちが恋人同士なら、手を繋いでいてもおかしくないよね?」
「そうなのかな……。」
「うん!」
場所を気にすることなく、僕の隣で凛と立って手を繋ぐ彼女の振る舞いは、以前感じた『しとやかさ』を覆すものだった。
だが、彼女が他の女子より一段と大人びていることには変わりなく、僕の彼女への好意が揺らぐことはなかった。
その後、僕らはダウンを着て親から小遣いを受け取り、二人でこの祭りを楽しむことにした。これはちょっとしたデートだったが、僕は彼女の可愛さと祭りの賑わいに圧倒されて、半ば浮き足立っていた。
その調子で彼女や屋台の方を余所見していると、目の前にある段差に気付かなかった僕は、足を引っ掛けて頭から転倒してしまった。
「だ、大丈夫⁉」
彼女は衝撃音に反応して振り返り、僕に駆け寄った。
「……す、少しつまずいただけだよ。」
「それで血なんて出ないでしょ!」
彼女はうつ伏せになった僕の身体を、必死に起こそうとした。やがて自力で起き上がろうとしたものの、膝に青たんと切り傷ができており、立ち上がるや否や、激痛が身体中を走った。
その様子を見た彼女は、すぐさま自分の肩に僕の腕をのせ、歩行を介助し始めた。僕は何度も「大丈夫」と言ったが、彼女は「大丈夫じゃない」と譲らず、最後には会場の救護所まで支えてもらったのだった。
怪我の治療中も、彼女は心配そうに傷口を見つめていた。切り傷に消毒液が塗られると、彼女は自分のことのように顔を引きつらせて、痛みを分かち合ってくれた。
治療が終わると、彼女は僕と視線を合わせて安堵の息をついた。その後、彼女はふくれっ面をして僕の顔を覗き込んできた。
「前を向いてって言ったのに……。私との約束、破っちゃったね。」
彼女は諭すような口調でそう言った。文字通り《《前を向いて歩く》》という約束をしていたわけではなかったが、ひとまず、僕は彼女に謝罪した。
「ごめん……。頭がボーッとしちゃってた。」
「でも、大怪我じゃなくてよかったよ。」
「……アカリちゃん。助けてくれてありがとう。」
「私も助けられてよかった。」
彼女は僕を助けた。それもただ大人を呼ぶのではなく、自分の力で僕を支えきったのだった。――――
昼食の時間になり、今日は水島と垰野の行動によって、彼女は女子一行の輪に入れてもらうことができた。それにしても、二人は彼女の扱い方が上手いのだ。
「愛花梨、笑顔不足してるわよ?」
「愛花梨ちゃん! 口角を上げるときはね、自分の予想の倍は上げるといいよ! ほら、こうして……。」
この流れで彼女がぎこちない笑顔を見せると、周囲の女子はその無骨さに、思わず失笑してしまった。無論、大量爆笑兵器の垰野も笑ってしまったので、この輪の中で笑いが途切れるには時間を要した。
彼女の表情を見る限りだと、この空間を嫌っているような雰囲気はなかった。なんとか周りに同調しようと、懸命に努力しているように見えた。
そして翌日も、そのまた翌日も、彼女の人格が切り替わっても、机と椅子が消されることは決してなかった。
更に四日が経過した、4月15日の金曜日には、こんな展開まで生まれた。この日は「頑固」な彼女の日だったのだが、ある女子が周囲に向けてこう呟いたときのこと……。
「私、華のJKの内に彼氏欲しいなぁ……。」
その呟きに対して、彼女が次のような鋭い回答をした。
「何も難しいことは無いでしょ……。さっさと男子をとっ捕まえて付き合えばいいの。」
彼女の斜め上の回答に、その女子は危うく飯を喉に詰まらせかけた。
「そ……それが難しいんでしょ!?」
「所詮、華の高校生活なんて、受験生になるまでの二年間しかないのよ?ここで怯んでいたら、向上心のない馬鹿で終わりよ? ……その自覚はあるのかしら。」
これでもし会話が途切れた場合、それこそ彼女の地位は下がる一方だが、この場を紡いでくれたのが水島だ。
「流石、愛花梨の経験談はひと味も違うわね。」
「へ……?」
自然と身についた立ち回りかは知らないが、水島は僕と彼女の交際関係という、クラスでの暗黙の了解を巧みに用いて、彼女の価値を下げるどころか向上させたのだ。こればかりは僕に真似できない《《策士》》だった。
そして、垰野は彼女の困惑に乗じてすかさずこう追随するのだ。
「折角だし……愛花梨ちゃんにその向上心ってのを教えてもらおっか!」
「そ、それは……。」
彼女は目尻を下げて満更でもない顔をしていた。自身を話の主題に置いてもらえることは、自身の価値を証明することにも通じていた。
今日の彼女は人一倍、自己中心的な思考を有しているので、彼女の性にあった待遇を受けられたのだった。
ただ、それでも彼女は、僕との交際関係を安易に否定しなかった。そうなると、女子一行は更に彼女を追及していくわけで、彼女が孤立する瞬間はどこにも生じていなかった。
現状、彼女の社交性は四つの人格とも、半人前程度になりつつあった。僕は二人に向かって手を合わせて、ありがたく拝んでおいた。
結果的に、4月12日に「根暗」な彼女、4月13日に「不思議ちゃん」な彼女、4月15日に先の「頑固」な彼女が現れたことで、全員にデートの申し込みをすることができた。
12日以降の人格には、僕にデートの申し込みをされ、何らかの回答をした過去があるものの、自分自身が回答をしていないという違和感に見舞われていた。
その度に、僕が彼女らに説明していくことで、納得と理解を促していった。
……するとここで、ある事実が判明した。この残り三人の彼女もまた、大沼公園を訪れて、団子を食べたいと宣言したのだ。
『四つの人格はそれぞれ感受性こそ違っても、価値観は元の人格に引っ張られているのかもしれない。』
なにはともあれ、僕は少しだけ手間が省けたので心に余裕が生まれた。僕は今日から早速、彼女との実質デートに向けて、相応の準備に取り掛かるのだった。




