第7話 事実と解釈
この発言は、クラスの男女問わずに拡散されてしまっていた。少なくとも、昼食の時間に、戸山が小声でこう尋ねてくるほどには周知されていた。
「倉持さんの彼氏が陽太だって噂、なんかもう周知の事実みたいになっているけど……本当に付き合っていないんだよな?」
「これでもし、僕が愛花梨の本物の彼氏だったらどうするんだ?」
「そのときは素直に応援するけど……。」
「なら言っておくが、一度は彼女から縁を切られたけど、昨日また縁が復活したんだよ。まぁ、これが恋人かどうかは知らないけどな。」
「……いや普通、その気がなかったら、一度切った縁を修繕するわけないだろ。」
「そうか?」
「お前が倉持さんとの恋人関係を否定するなら、俺が倉持さんにナンパしてもいいってことだよな?」
「ダメだダメだ。女性は星の数ほどいるらしいんだから、お前は他に素敵な人を見つければいい。」
戸山の理屈は間違っていなかった。彼女と僕が恋人関係だと確定できないなら、誰だって彼女に色恋を仕掛ける権利はあった。
「なぁ、陽太。お前は倉持さんのどこに惚れたんだ?」
「正義感が強くて素直なところ、あと楽観的で未来志向で向上心の塊なところ、あとはそうだな……。」
「……よく理解したよ。陽太は倉持さんの恋人というより、第二の母親だな。」
「どうしてそうなる……。」
だが、戸山の第二の母親という表現は非常に的確であり、彼女の傍で成長を見届けたいという僕の願望にも沿っていた。
僕は戸山に何か見透かされている気がして、若干の恥じらいを感じた。
……しかし、戸山はここで唐突に与太話を区切って、ここから彼女が直面する課題に目を向けた。
「……陽太は『ワケあり美人』って言い回し、知ってるか?」
「愛花梨を蔑視するための悪趣味な呼び方だな。たしかに、一昨日の一件があった以上、この言葉が浸透するのも無理はないけど。」
「蔑視じゃないよ。単純にみんな倉持さんと関わりたいけど、関わりづらいからこう言うんだ。俺も倉持さんは顔立ちはいいと思うけど、かなり気性が荒いように感じるから、少しだけ危機感を抱いてるよ。」
「別にそれは否定しないけど……。」
「……このままの調子だと下手すれば、お前と水島さんだけが頼りになるかもしれない。それは、本当に倉持さんの望む青春なのか?」
僕はあまりよく分かっていなかった。未来をどうにかすることよりも、実際には今をどうにかするための工夫が必要だった。
「でも……性格はどうにかなるもんでもないしなぁ。」
「まぁ、そこは実質彼氏さんの腕の見せ所だな。」
「余計なお世話だ。まぁ、自分なりに善処してみるけど……。貴重な意見をありがとう。」
「少しは風向きが変わればいいんだけどな。」
他の女子との仲が深まるには、それぞれの人格に社会性と社交性を身に着けさせる必要があった。
もっとも、彼女の元の人格さえあればどうにかなる問題だが、そのためには彼女を襲う脅威を取り除く必要があり、僕の力ではすぐに達成できなかった。
だからこそ、僕は彼女の今の人格を育むことを優先することにした。
今日の水島は珍しく彼女ではなく、例の女性グループと食事していた。
いまさっき、彼女は「調べ物がある」とか言って、水島にその女性グループとの食事を促していた。水島は美味しく楽しく過ごしているようだったが、たまにこちらと目が合った。
水島が彼女のことを気にかけている所作は、至る所で散見された。僕がこうして思案しているように、水島にも何らかの策があるのだろう。恩人に対する恩が並大抵のものではないと、僕は知っていた。
『また、水島と二人で話をしてみようか……。』
戸山が購買に行ったので、僕は後ろを振り向いて彼女にこう告げた。
「愛花梨、愛花梨がこのクラスで一番可愛いと思う子は誰だ?」
「……顔で人の優劣を図るのはどうなの。」
「か、顔というかさ……ほ、ほら、動作とか表情とか色々あるじゃん……。」
彼女は僕と目を合わせて、微かに口元を綻ばせだ。
「……あそこにかたまっている女子の中に、ポニテの子がいるでしょ。」
「あぁ、今朝、愛花梨に謝罪してきた子だな。」
彼女が指していた女子とは、さっき彼女に謝罪をした美夏という女子のことだった。入学初日からどうにかして、彼女と関わろうとしてきた女子だが、彼女の二つの人格を前に尽く敗退していた。
「あの子、いつもケラケラ笑ってるの。周囲の目に憚られないで、楽しそうに笑ってる……。」
「たしかに、良くも悪くも人間くさい子だな。」
「……多分、あの子は他の誰よりも自分を大切にしているんだよ。自分の感情を重んじている。だから、私はあの子を尊敬しているの。」
「そうか。」
教室に貼られた名簿を見ると、その女子の名は『垰野美夏』というそうで、茶髪でポニーテールの髪をした一般的な女子高生だった。
だが、垰野は他の女子高生にない、いくつかの独特な個性を有しており、「たおの」と読む苗字はさることながら、笑い方が少々特殊過ぎた。
彼女は垰野がケラケラ笑うと言ったが、よく観察していると、それ以上に引き笑いをしており、ときたま手を叩いて大笑いすることもあった。恐らく、垰野は自己を美化させることよりも、自己を貫き通すことに重きを置いているのだと考えた。
その朗らかさが他の女子に好感を生んでいるようで、あの場で笑顔の連鎖反応が絶えることは稀だった。
垰野を見ていると、まるで昔日の彼女を落とし込んで、少し誇張したような態度をしていると思った。彼女が繋がりを感じずにはいられないのも納得がいった。
僕はふと、彼女が垰野と良好な関係を築けれさえすれば、また向上心を身につけ、脅威を打ち払えるのではないかと思った。
垰野には確実に人を動かす力があった。その力の源である向上心が、彼女のアカリを引き出す鍵になると踏んでいた。
そして放課後、僕は垰野にこう尋ねた。
「……垰野さん、このあと時間ある?」
「垰野さんって……私?」
「垰野なんて珍しい苗字、この学校にそうそういないでしょ……。」
「まぁね。いいよ、分かった。」
そう言って垰野は、僕に満面の笑顔を見せつけてきた。これを無条件に誰にでも振りまいているので、垰野はそれなりにモテる女子の部類に入っていた。
僕と垰野は教室で全員が退室したことを確認して、向かい合って席に座った。
「私に用があるってことは、ズバリ、愛花梨ちゃんのことかな?」
「ご明答だ。」
「……それでどうなの。二人は本当に付き合っているの?」
「小学生の頃に付き合っていて、高校に入学したら愛花梨に縁を切られて、でも昨日また復縁したみたいで……。」
「ど、どゆこと?」
僕は少々しくじった。このままだと彼女の価値を下げる方に舵を切ってしまうので、咄嗟に僕は話を切り上げた。
「そ、それはともかく、垰野は愛花梨のことをどう思う?」
「一言で言うのは難しいよね。なんだか愛花梨ちゃん、毎日性格が変わるみたいで、どう接したらいいのか分からないし。」
「……つまり、垰野は愛花梨のことを嫌ってはいないんだな?」
「え、そうだけど?」
垰野に速攻で回答されたことで、僕は目をかっ開いた。この速度で回答するのということは、百パーセント嫌っていないことの表れだった。
「あんな酷な対応をされてもか?」
「場をわきまえないで急に話し掛けたのは私が悪いし、化粧したのも私が悪いから。」
「それはそうかもしれないけど……。」
「……ただ、私が思うに、愛花梨ちゃんって不器用だよね。正義感とこだわりが異常に強くて、空回りしちゃうの。」
「まさしくその通りだな。」
「でもね、私はそんな不器用な子、わりと好きなの!」
「そうなのか?」
「だって、愛くるしいんだもん!」
「……そういうことか。」
「え?」
垰野が彼女を毛嫌いしない理由がやっと分かった。垰野は彼女の性格を人格の解離ではなく、不器用な一つの性格として認識しているのだ。そんな彼女の性格に興味関心があるが故に、彼女と何度も接触を試みたということだ。
ここで僕が多重人格云々を語ってもアレなので、そのまま話を続けることにした。
「僕から一つ、頼みがあるんだ。」
「愛花梨ちゃんとお友達になってほしいってことだよね?」
「よく分かったな……。」
「分かったんじゃない。言われたの、薫ちゃんにも同じ言葉を。」
僕が出しゃばる必要はなかったようで、水島は同じことを垰野に懇願していた。
「……愛花梨も垰野にすごく興味があるみたいだから、是非仲良くなってほしい。愛花梨の内面を明るくしてやってほしいんだ。」
「なんか、すごく他力本願だね。」
「女の友情はひと味もふた味も違うんだよ。」
「ふーん。ま、心配ご無用だよ!諦めるつもりは毛頭ないから!」
「それは頼もしいな、助かるよ。」
僕は垰野の熱意に胸を撫で下ろした。
「……最後にもう一回聞くけど、二人は結局のところ、どういう関係なの?」
「へ?」
「友達? 親友? それとも……恋人?」
「友達ではありそうな気がする。あとは僕にも分からないよ。」
「自分のために努力してくれる異性なんだよ? それはもう普通に彼氏じゃないの。」
「じゃあ、一番の大親友ということにしといてくれ。」
「……僕くん、変なところにプライドがあるんだね。」
「いや、僕のことを僕くんって言うな。」
垰野はケラケラと笑って、ごめんごめんと言ってきた。
「……まぁ、本音を言えば、僕くんみたいな人が近くにいたら、自然と世界は明るくなっていくと思うんだけどね。」
「そうであってほしいんだけどな……。」
「私には愛花梨ちゃんへの愛、しっかり伝わっているから、愛花梨ちゃんに伝わってないわけがないよ。」
垰野にそう言われた僕は赤面した。第三者から愛の存在を指摘されたことに、羞恥心を感じたからだ。その光景を見るや否や、垰野は僕にウザったらしい笑顔を見せつけてきた。
「なーに、照れてんの?」
「そう言われると余計に……。」
「ごめんね、ちょっとからかいすぎたよ。したって、これで安心して寝られるね!」
「あ、あぁ、ありがとうな。」
僕は今日、久しぶりに熟睡できそうな予感がした。彼女の生活に大きな進展が見られたことが、僕に束の間のゆとりを与えてくれたのだ。
彼女への心配はそれなりに薄れて、明るい未来に目星がついていた。
……そう。この「束の間」の就寝の間は。




