第33話 生と死
10月7日金曜日、誕生日の一日前を迎えた。10月に入ると彼女は諦めたのか、自虐を語るような真似はしなくなった。
僕は毎度同じように八幡坂で待っていると、毎度同じように市電から降り立つ彼女の姿を捉えた。
「おはよう、愛花梨。」
「おはよう。あと、お誕生日前日、おめでとう。」
「ありがとうな。まぁ、十六歳だからって何か変わるわけじゃないんだけどさ。」
「少年法の適用外になっちゃうね。」
「別に何の罪も侵さないからな……。」
僕が教室に入ると、真っ先に戸山が反応して、すぐさま顔を綻ばせた。
「おぉ、陽太! 誕生日おめでとう!」
「ありがとう、佑樹。これで僕も晴れて十六歳だ。」
「それで……これ、粗品なんだけどさ。」
そう言った戸山は、御丁寧に包み紙を纏った箱を手渡してきた。
中に入っていたのは僕の名前が印字されたハンカチと、二本のシャーペンだった。戸山の真面目な性格が諸に反映されており、僕は「大切にする」と言って、ありがたく頂戴した。
すると、今度は垰野と水島が大量のお菓子を抱えてやってきた。
「卒業パーティー開くには早すぎる気がするんだけど。」
「違うよ!」 「そんなわけないでしょ……。」
二人は僕に「誕生日おめでとう」と言い、手持ちのお菓子を全て渡してきた。
「僕……二人に何かしたっけ?」
「愛花梨の面倒をみてくれているからよ。」
「日頃からの感謝の気持ちです!」
「まぁ、そういうことなら……。」
僕は他の男子が羨む視線に気付いていた。このときは、再会してすぐの彼女が言っていた「僕の青春を壊す」という言葉が、完全なるホラと化していた。
10月8日土曜日、待ちに待った僕の誕生日がやってきた。今日の僕は昼過ぎから夕方までの短い間を彼女と過ごし、夜になって家族と過ごすことにしていた。
夏休みぶりに彼女の自宅を訪れると、玄関先にはワンピース姿の彼女が現れた。白タイツに茶色を基調としたワンピースを着飾る彼女に、僕の肌身は目新しさを感じ取っていた。
「陽太、お誕生日おめでとう。待っていたよ。」
「ありがとう、愛花梨。ワンピースなんて珍しい格好だな。」
「似合っていたらいいんだけど……。」
「むしろ、ワンピースの方が合わせに来ている感じがするな。」
「……お世辞はいいから。」
「じゃあ、お邪魔します。」
ただ、珍しいのはワンピースだけではなかった。彼女の後ろ髪を見ると、そこには解かしきれていない寝癖があった。僕はこれを勝手に彼女の人間臭い一面だと思い込み、安易に納得してしまった。
「これ、私からの誕生日プレゼント。」
「ありがとうな。か、かなり重量があるな。いま開けてもいいか?」
「もちろんだよ。」
「これは……日記帳か。それにしても、すごく分厚いな。」
「三年分かけるから。高校時代は網羅できると思うよ。」
「とても嬉しいんだけど、どうして日記帳にしてくれたんだ……?」
「辛いときとか、苦しいときは文字に起こしてみるといいよ。私達が今日まで生きてこられたのも、日記のおかげなところがあるから。」
「命の恩人ってわけか。」
「人じゃないけどね。」
彼女は肩の荷が下りたようで、次第に緊張が解けていった。
「……間に合ってよかった。」
「そんなに頑張って探してくれたのか?」
「うん。今日が特別だって知っていたから。」
「来年もあるんだから、そんな無理しなくてもよかったのに。」
「そう……だね。でも、初めてだったから。」
彼女は僕に笑顔をみせつけた。だが、どこか言葉を詰まらせて、流暢に会話できない様子だった。
『僕の誕生日にそこまで真剣になるのか……?』
それから少しして、僕が「小腹空いてきた」と言ったところ、彼女は冷蔵庫からケーキを取り出してきた。僕らは美味しくケーキを頬張って、最後には久しくやっていなかった《《あーん》》をしてもらえた。半年近い期間を費やし、努力して彼女達に近付いた成果だった。
食べ終えてからしばらくの間は、与太話に花を咲かせていた。だが、やはり彼女の調子はどうも本調子とはかけ離れていた。
「どうしたんだ、愛花梨……。」
「え……?」
「なんか、少し顔引きつってるぞ。」
「ちょっと、緊張していたのかも……。あ、それなら、いまから気分転換に八幡坂に行かない? 紅葉がちょうど色づいている頃だから。」
「唐突だけど……たしかにいいな。行こう。」
よく考えてみれば、彼女の服装は紅葉のそれをイメージしたもので、恐らく初めから八幡坂に行くつもりだった。
「色味、いまの時期っぽくていいな。」
「……反応が遅い。」
「そ、それは本当にごめん。」
僕らはそのまま家を出て、八幡坂の頂上へと向かった。橙色とこげ茶色のコントラストが美しい紅葉は多くの人を惹きつけるようで、僕の視界には眼福を味わう観覧客の姿が入った。
「いつもは通り過ぎちゃうけど、こうやってじっくり見るのもいいな。」
「そうだね。それに、好きな人と二人きりで見ているから、もっと綺麗に映るよ。」
「また、見に来よう。10月の終わりまで紅葉が残っているところもあるしな。」
僕がそう言うと、彼女は坂の平坦なところで立ち止まり、どういうわけか僕らの間には通夜のような空気が流れた。
「……ねぇ、陽太。陽太は私が死んじゃったらどうする?」
「た、誕生日に変な話すんなよ。」
「ごめんね。でも、急に話題ふるのはお互い様だよ。」
「否定はできないけどさ……。」
「それに、いつどこで交通事故に遭うかも分からないし、心不全でコロッと死んじゃうかもしれないでしょ。もしそうなったとき、陽太、私に悪いからって他の人を愛せなさそうだから心配なの。」
「……ケースバイケースだろ。」
「だから、初めに言っておくけど、私に構わないで他の人を愛してほしいの。絶対に一人で抱え込んじゃだめだからね?」
「分かったけど、本当にどうしちゃったんだよ……。」
「どうもしてないよ。《《もしも》》のことを考えただけだから。」
日暮れも近かったので、僕は彼女を家まで送り届けた。きっと、明日の僕なら、「この時間をもっと噛みしめろ」と言っていた。
「急に連れ出しちゃってごめんね。」
「いや、すごく楽しかった。誘ってくれてありがとうな。」
「本当にいい思い出になったよ。絶対に忘れられないね……。」
「あぁ。じゃあ、また明後日学校でな。」
「……また、会おうね。」
そう言った彼女は、瞳を一等星のように煌めかせ、扉の向こう側へと姿を消していった。僕はこの並々ならぬ哀愁を、どう処理していいか分からなかった。
もしこのとき、僕が輝きの正体を暴けていたなら、彼女に感謝の一言ぐらいは残せたかもしれなかったが、僕の鈍感はそれを許してはくれなかった。
———これは、僕の一生の悔恨となった。———




