第30話 花火の可憐
7月13日水曜日、僕は彼女に断って、朝早く学校にやってきていた。
「ちょっといいか?」
「北山くんがこの時間に来るときは、大体私に用があるのよね。」
「……悪いな水島。」
「それで、戸山くんと美夏の話かしら?」
「まぁ、流石に知っているよな。」
「最初に言っておくけど、協力はするわ。」
「なんか、含みのある言い方だな……。」
「……北山くんは、この恋がどれぐらいの確率で実ると思う?」
僕は唐突な振りに口ごもった。だが、この時点で僕と水島の間には暗黙の了解があり、僕はそれに従って言葉を続けた。
「……でも、あいつの初恋をどうにかしてやりたいんだ。」
「分かっているわよ。だから、私もできることはやるわ。」
「ありがとうな……。」
「それで、愛花梨の調子はどう?」
「調子……か。」
僕はまだ、水島にアカリから愛花梨に心変わりしたことを伝えておらず、約束を破った事実に指先が震えていた。
「その様子だと、まだ、回復の兆しは見えそうにないのね。」
「まぁ、ぼちぼちどうにかなるだろ。」
「そうだといいんだけど……。」
『……これで全員が味方になった。あとは計画通りにいけば。』
昼休みになって、僕は女子グループの動向を確認していた。僕が水島の策略に期待していると、水島は僕に視線を送り、輪の会話をスキーの話題へと誘導していった。
「あっちの女子、スキーの話題してるっぽいな。」
「話し掛けに行ったらどうだ? スキーは佑樹の専売特許だろ?」
「でも、ダル絡みは嫌われるよな……。」
「あぁ……もう、じれったい奴だな。」
次の瞬間、僕はなんとか指摘されない程度の声量で「やっぱスキーって大変なんだな」と言った。間もなくして、戸山の顔は赤色灯を焚いたように赤くなり、僕に一言「馬鹿」と言った。だが、僕はしてやったりだった。
「あ、そういえば、戸山くんってスキーすごいんだよね⁉」
「た、垰野さん……。そ、そうだけど。」
僕らと女子グループの距離は教室の半分ぐらい離れていたが、垰野は僕と同じ声量でそう言った。すると、水島が戸山を手招きして、戸山は女子グループの輪に入り、息を整えてスキー事情を語り出すのだった。
僕は戸山の姿に思わず顔が綻んだ。戸山と垰野との接点を創り出したことで、僕は天狗になっていた。
放課後、僕は人が捌けたのを見計らって、垰野にこう尋ねた。
「垰野さん、ちょっといいか?」
「いいよ、暇だし!」
「……垰野さんは戸山云々の話って。」
「もちろん、隅から隅まで全部知っているよ。」
「そうか。あ、ところで7月30日なんだけどさ……。」
「花火大会のこと? なら、もう愛花梨ちゃんにオーケーしといたよ!」
「い、いいのか?」
「だって、青春だよ青春! 謳歌しないでどうすんの?」
「なんか、愛花梨みたいなこと言うんだな。」
「え、そうなの? やっぱり、私と愛花梨ちゃんって相性いいんだ!」
「……ごめんな。変なことに巻き込んじゃって。」
「恋することは別に変なことじゃないよ。だから、ちょっと困ってるんだけどね。」
勘の鋭い垰野なら、恐らく僕の胸の内も全て見透かしていた。それを知った上での参加だと受け取った僕は、心置きなく二人を近付けることにした。
それからというもの、戸山は垰野と会話を重ねていき、他人からすれば気の置けない友人に見える程度の間柄になっていった。
休み時間にもなれば、二人はスキーや雪の話題で盛り上がり、他の男子から冷ややかな目線を配られるまでになった。
「……二人、すごい仲良くなってる。」
「愛花梨にもそう見えるか?」
「……なんか、美夏ちゃんも楽しそう。私、あんな美夏ちゃん見たことない。」
『もしかしたら、戸山は垰野さんと本当に付き合えるかも知れない……。』
僕は二人の関係性に胸を躍らせた。ただ、それと同時に、彼女との久しぶりのデートに胸を膨らませてもいた。
そうして、7月30日土曜日。花火大会当日を迎えた。
まず、戸山以外の僕ら四人が函館駅で待ち合わせをした。17時前には全員集合して、僕は垰野に頭を下げた。
「今日、実は戸山も花火に来るんだ……。黙っててごめん。」
「え? 知っていて来ているから大丈夫だよ?」
「え、ど、どこで?」
「戸山くんと学校で話してなかったかな?」
「聞いていたのか……。」
「二人とも声が大きいからね!」
やがて戸山がやってくると、彼は頭の中を雪にして、しばらく垰野の顔だけを見つめていた。
「よ、陽太。ど、どういうアレだ?」
「たまたま出会したんだよ。とやかく言わずに行くぞ。」
「……は、え、あ、ちょ!」
戸山の困惑には目もくれず、僕らは一路、花火大会の会場付近に向かった。
函館駅から一筋に延びる観客の列が、大会の大きさを物語っていた。僕がこの大会にかける思いも一入で、一つの色恋が発展するさまをこの目で確かめたかった。
道中、僕らは五人で明るい話題をしていた。すると、話題が途切れた途端、僕は戸山に「話がある」と耳打ちされたので、僕らは女性陣の一歩後ろを歩くことにした。そこで、戸山は僕にこう囁いた。
「……俺、今日、垰野さんに告白しようと思う。」
僕にとって戸山の一言は寝耳に水だった。
「ま、まだ時期尚早じゃないか? これからもっと仲を深めていく時期だろ……。」
「早く区切りをつけたいんだ。このままじゃ、スキーも勉強もままならないから。」
「そうは言っても……初恋だぞ?」
「……俺には初恋と同じぐらい大事なものがあるんだ。」
「分かった。陰ながら応援しているよ。」
「陽太に漢を見せてやるからな。」
戸山は鼻息を荒くして、そう言い切った。僕はこの場が初恋の逆効果になる可能性を感じ、身の毛がよだった。
花火の打ち上げにはまだ時間があったので、僕らは屋台に立ち寄ることにした。
「ここはなんでも揃っているわね。」
「あ、これ、塩ラーメンの屋台だって! なんか、なまら函館らしいね!」
「陽太はなに食うんだ?」
「適当に買って愛花梨とシェアするよ。」
「……それは、俺へのあてつけか?」
戸山がそう言い出したので、今度は僕が彼にこう耳打ちした。
「佑樹だって、食べ切れないって言って食ってもらえばいいだろ?」
「だ、誰に?」
「《《誰かさん》》にだよ。」
「ちょっ、おま……。」
結局、戸山は垰野と食事を分け合うことはせず、一人でとぼとぼと屋台飯にありつくのだった。そんな戸山の後ろ姿を、垰野はまじまじと見つめていた。
『この調子で告白なんてできんのか……?』
屋台飯で各々が腹ごしらえをした後、僕らが向かった先は青函連絡船の記念館だった。往年の船舶がそのまま記念館に利用されているもので、花火大会の今日は夜間にも開放されていた。
のんびりしている間に、もうじき一発目が打ち上ろうとしていたので、僕らは小走りで甲板に向かい、辛うじて20時の開始に間に合うのだった。
「すっごく綺麗ね。」
「なまら綺麗!」
「やっぱりデカいよなぁ、陽太。」
「……なんでそこで僕に振るんだよ。」
僕らは花火の煌々しさに見惚れて、みんなして首を痛めていた。
ただ、彼女はどうもそうではなかった。僕が気が付いた頃には、彼女にいつもの笑顔がなく、眉を下げて物寂しい雰囲気を醸していた。
「愛花梨、体調でも悪いのか?」
「べ、別になんでもないですよ。」
だが、目は口ほどに物を言っていた。彼女の視線の先は上空の花火ではなく、正面にある公園の緑地帯だった。
「なんでもないなら、その引きつったような顔はどう説明するんだ。」
「ちょっとだけ……本当にちょっとだけ、音が大きいかなってだけですから。」
「そりゃあ、目の前の公園で打ち上がっているからな。」
「……ごめんなさい。私、花火の音とか光が苦手みたいです。」
「それならそれでいいんだ。船内に戻って飲み物でも買いに行こう。」
僕らは他の三人に「少しだけ甲板から離れる」と言い、船内で休むことにした。
今回、僕は戸山と垰野の動向に注目し過ぎて、彼女の姿を見失っていた。そして、僕は二人三脚だと言わんばかりに彼女を連れ出して、好きでもないことをさせてしまっていた。
「……ごめん。愛花梨のこと、見れてなくて。」
「単に自然と触れ合っている方が性に合うだけで、陽太くんに非はないです。」
「これからはもっと、ちゃんと愛花梨のこと見るから……本当にごめん。」
「そ、そんなに謝らないでくださいよ。分かりました、分かりましたから。」
彼女はアカリと《《別人》》にも関わらず、僕はどこか彼女をアカリと同一視していた。今日になってもまだ完全には浮気し切れていなかった。
『アカリのことで心苦しく思っているのは僕が弱いからだ。愛花梨の幸せを想うなら、切るしかないんだよ……。』
少しして僕らは甲板に戻り、花火大会が終盤に差し掛かった。そのタイミングで、それまで花火に熱中していた戸山が行動を起こした。
「た、垰野さん……。」
「どうしたの?」
「あとで話したいことがあるんだ。」
「込み入ってないなら、いま話ちゃってもいいんだよ?」
「いや……それは。」
「もう、分かったよ。あとでじっくり聞くからね!」
「あ、ありがとう。」
やがて花火大会が終わり船を降りると、戸山と垰野は白々しく「トイレに行く」と言ってその場を離れていった。
「今日、告白しちゃうんでしょうか。」
「……あの様子だと、そうっぽいわね。」
「あいつにもあいつなりの事情があるんだよ。」
僕らは今後の学校生活を円滑に進めるという大義名分を元に、満場一致で二人の後を追っていった。二人は御丁寧にトイレがある方を回って、最後にはクルーズターミナルの裏手で立ち止まった。連絡船に程近く人通りはあるものの、完全に死角になっており、これに僕ら三人は、暗黙の了解をするのだった。
「戸山くん、話ってなに?」
「垰野さん、俺さ……その、あの。」
「大丈夫、大丈夫。焦らなくても私は逃げないからさ。」
戸山は明後日の方を向いて一呼吸つくと、吐き出すようにこう言った。
――俺、垰野さんのことが好きなんだ!――
戸山の無垢で一途な心は、遂に一つの形をつくった。
「そう言われたの、実は初めてなんだよね。」
「そうなのか……?」
「いままでは断ってきていたから。」
僕ら三人は二人の死角で固唾を呑んで見守っていた。横を通り過ぎる観客からは、明らかに不審者を見る目が向けられたものの、そう長くは続かなかった。
「でも……ごめんね。私は戸山くんと付き合えない。」
「あぁ、やっぱりそうだよな……。」
「か、勘違いしないでよ! それは戸山くんだから付き合えないんじゃなくて、私は高校時代に彼氏を作らないって決めてるからなの。」
「俺はそんなことも知らないで、ごめん。」
「……逆にそれをどうやって知るの。」
お祭り会場は一瞬にしてお通夜の式場に切り替わってしまった。だが、戸山の後ろ髪は引かれていない様子で、垰野の目を見て微笑んでいた。
「戸山くん。まずはさ、友達としてやっていこうよ。それでもし、卒業の時も私のことが好きだったら、そのときはまた考えるからさ。」
「いいのか……?」
「いいよ。」
「……ありがとうな。」
「じゃあ、また新学期もよろしくね、佑樹くん。」
「あ、あぁ、よろしくな!」
帰り道、僕は垰野と二人で会話していた。辺りは未だに花火の余韻に照らされて、賑やかな雰囲気が残されていた。
「ねぇ、僕くん。」
「その呼び方にも慣れたもんだよ……。」
「なしていまの高校生って、みんな恋愛したがるんだと思う?」
「そうだな……。やっぱり、ステータスじゃないか? 彼氏がいる、彼女がいるっていう。きっと、漫画のような青春を送りたい欲があるんだと思う。」
「……私にもよく分からないんだけどね、佑樹くんからはそんな雰囲気が感じられなかったの。」
「佑樹はよくも悪くも純粋だからな。」
「これからどうするか、じっくり考えてみるよ。」
「まぁ……恋敵が出てこなきゃな。」
「ど、どういうこと?」
戸山の初恋はまだ終わろうとしていなかった。そんな卒業まで確約された初恋を余所目に、僕もまた二度目の初恋に挑む意思を持った。
彼女にとことん浮気することが、幸せを信じてやまなかった……。




