第27話 私=私
喫茶し終えた僕らは次の行程まで多少余裕があったので、八幡坂の中腹を軽く散歩をしてから市電に乗ることにした。
なにも僕は単なるお散歩をしたいわけではなかった。
「愛花梨は自然が好きなんだよな……?」
「そこそこかしらね。」
「そうか……。そこんところはみんな一緒で助かるよ。」
「そうね。分裂元が一緒だとそうなるわよ。」
「そうだよな。」
そこそこの程度は推し量れないものの、やはり彼女もまた人一倍自然を好む性格であった。彼女の回答は、デートが次の行程に移ることを容易にしてくれた。
領事館から東に歩みを進めていくと、それなりの敷地を有する広場が見えてきた。彼女に散歩を持ち掛けた意図はここに存在した。
ペリー広場。大体四年前にアカリと舞った思い出の場所で、アカリを呼び覚ますには最高の場所だった。
だが、愛する人に感化されても過去の自我を導けない以上、これも無駄骨を折ることになることは想定していた。それでも、僕は彼女をこの場に連れてきたかった。どうにかして甘酸っぱい初恋の思い出を掘り起こしてもらいたかったのだ。僕が広場の入り口で立ち止まると、彼女はこう尋ねてきた。
「……ペリー広場に何か用でもあるの?」
「いや。ただ、四年前に二人で一緒にここで踊ったから……懐かしくて。」
「ごめん……。一緒に踊った云々が何も思い出せないの。」
「そっか……。まぁ、それが普通だな。」
僕は負け試合に挑んで早々に惨敗した。僕が初恋相手で重要人物だと認知できても、思い出の束はまとめて葬られてしまっていた。きっと、四つの人格に包み隠されているだけなのだろうが、僕は彼女の素直な反応にいたぶられていた。
「どんな感じだったの……?」
僕が戦慄していると、その様子が顔に映し出されていたのか。彼女はそう呟いた。
「四年前の三月にここで踊ったんだよ。公衆の面前で堂々とな。当日は肌寒かったけど人の視線は温かかったよ。」
「そうじゃなくて……。」
「こ、ここまで言わせておいて違うのか……?」
「……私のことよ。」
「あ、あぁ……そっちか。でも、言っていいのか……?」
「今日は私の誕生日なのよ。彼女のお願いぐらい聞き入れなさいよ。」
「……アカリは凄く積極的な子だったよ。僕の手を無理矢理繋いできたことはあったけど、僕が怪我をしたときには介抱してくれた。行動が小学生離れしていて、誰よりも大人びていた。本当に……大好きだった。」
「……そう。」
「い、いや、なんでもない。と、とにかく、ここにはそれだけの価値があるんだよ。」
僕は眼前の彼女を必然的に下げるような言動をしでかした。彼女が自責の念に駆られて行程に支障が出ることを恐れた僕は、とっさに話を終結させた。
しかし、彼女の反応は僕の予想とは全く異なっていた。僕が話を彼女は繋ぎ忘れていた僕の手を握りしめて、彼女らしくない自然な笑顔をこちらに覗かせたのだ。
「ど、どうしたんだよ……!?」
「これがいいんでしょ?」
「いや……無理をさせるつもりは。」
「大丈夫よ。『私』は紛れもない『私』だから。」
「……それならいいんだけど。」
彼女は突如としてアカリの演技に挑んだ。僕は彼女の奇想天外な光景に、開いた口が塞がらずにいた。
そんな僕の表情を見た彼女は、身体を丸めてケラケラ笑った。未知の笑い声が広場に轟くと、僕はそっと彼女の顔を見つめた。やはり彼女はアカリではなく、愛花梨だった。
『誰もそんななんか求めていないんだ……。』
それから、僕らは坂を下りて最寄りの電停から函館駅に向かった。前回のデートとは違い若干の距離と予算があったので、贅沢に特急に乗車して森駅に向かった。
いかめしで有名な森駅ではあるものの、函館市内でも買えないことは無いので、今日は一旦素通りすることにし、足早に鹿部方面の普通列車へと乗り換えた。
鹿部駅に着いてバスに揺られること三十分、遂に目的地に辿り着いた。長い道のりではあったが、彼女は疲れた様子も見せず、かえって興奮気味にこう言った。
「ここ、私が一度は来てみたかった場所なのよ。」
「一度じゃなくて何回でも来ればいいんだよ。今の愛花梨なら一人でどこへでもいけるから。」
「……寂しいから一人じゃ来ないわよ。」
「そこはやけに正直だな……。」
「だって、嘘つきになりたくないもの。」
やってきたここは、『しかべ間欠泉公園』だった。簡単に言うと、温泉が噴水のように噴き出す間欠泉で有名な場所で、この稀有な自然現象に彼女も幾らか興味を持つのではないかと期待していた。
だが、そろそろ胃が脳に空腹を訴えるようになったので、僕は彼女に対して先に昼飯を食べることを望んだ。彼女も時間相応に腹の虫が鳴いていたようで、二言返事で了承してくれた。
地熱由来の蒸気で蒸し窯に入れた食材を蒸すことができるそうで、僕らはいくつか材料を購入し蒸し窯へと持って行った。蒸した食材は豚こまと野菜、帆立、そして卵で、どれも原産地は北海道だった。
「……牡蠣は置いてないのね。」
「そりゃあそうだろ……夏だし。」
「夏は牡蠣がないの……?」
「『花見過ぎたら牡蠣食うな』って言うだろ。」
「……なにそれ。」
彼女は牡蠣の旬を知らなかった。道民で知らないというのは中々だが、それだけ高価な食材と触れ合う機会が少なかったのだろう。事実、彼女がアカリから私生活を受け継いでも、倹約家であることは持続していたのだ。
まずまず、彼女は蒸し料理にそこまで興味を示さなかった。地熱なんてそれこそ自然の恵みをふんだんに用いているのだが、生憎、彼女は視覚的に感じられる雄大な自然だけが好みだった。
ただ、材料を蒸し始めるタイミングになって、僕にこんなことを呟いてきた。
「卵って、ここに書いてある半熟までの時間と完熟までの時間の中間をとったら、半完熟になるのかしらね。」
「半完熟なんて聞いたことないな……。でも、それいいな。」
「私はいいと思うけど。」
彼女の要望に無闇矢鱈に逆らう真似は避けたかったので、僕はその半完熟を目指してタイマーに目を凝らした。些細な幸福でも逃さまいと必死な僕を、彼女はじっと見つめて傍観者と化していた。
だが、他人本位であるこの行動は、果たして誰に対する『愛』なのか。今まではアカリへの愛だとしか考えようがなかったが、これは「頑固」な彼女が自らの意思で要望したものだった。つまり、僕は「頑固」な彼女への愛によって突き動かされているとも言えるのではないか……。
僕は愛の所在が不明確になってしまった。それは、僕の『四つの彼女への愛がアカリにも伝わる』という仮定が間違っていたことを示唆していた。
『……僕は彼女達をどこまで愛してもいいのかな。』
他の食材はもちろんのこと、卵は彼女の仰せの通り、半完熟の状態に仕上げた。彼女は蒸したての卵の殻をむいて割り、黄身の完成度に目を見開いた。
あまりにも完成度が高かったことで、僕の真剣度合いが必要以上に伝播してしまい、彼女は笑い顔を消してしまった。
「なんでそんな暗い顔するんだ……?」
「……ごめん。変なこと言っちゃって。」
「謝るぐらいなら感謝してくれないか。タイマーに集中しすぎたせいで、目がガビガビなんだよ……。」
「ありがとう……私のために。」
「愛花梨が幸せなら、それでいいんだよ。」
「そう……なのかしらね。」
「……何か気に食わなかったか?」
「いいえ、なんでもないわ。ありがとう、陽太。」
若干の硫黄が香る食材は、潮風とともに美味しく頂けた。北海道に住んでいる恩恵を完璧に享受できていた。
次に僕らは公園の敷地内に足を踏み入れることにした。公園に進入して間欠泉の方に向かうと、僕の期待は無事に彼女の歓喜へと変貌するのだった。
「見て陽太! お湯が噴出しているわよ!」
「丁度いいタイミングだったな。」
「もっと近くまで行きましょ! 早くしないと終わっちゃうわ!」
「大丈夫だよ。十分に一回湧き上がるから。」
「……そうなの。凄いわね。」
僕が無知なだけで、彼女の頑固さは積極性と表裏一体だった。興奮状態にある彼女は、なにを言っても聞いてくれないと踏んだ僕は、小走りする彼女と並走しながら間欠泉に近づいていった。
彼女は屈託のない笑みと、間欠泉への熱中が止まらない様子だった。そして、彼女が僕をそっちのけで一目散に向かう様子は、まるでアカリと対照的だった。
僕らは園内にある地熱由来の足湯を堪能することにし、間欠泉が噴き上がる様子を時間の許す限り眺めていた。ぎこちない笑顔は、なおも健在だった。
足湯で落ち着く彼女は、何回か噴き上がった後、不意にこんなことを言った。
「……神秘的よね、自然って。」
「もはや神秘の塊だな。」
「函館近辺の自然は、これで一通り総なめしたかしら。」
「いや、まだまだ山ほどある。自然だけにな。」
「……どういうこと?」
「気にしないで受け流してくれ……。まぁ、また行けばいいさ。どこにでも。」
「どこにでも……。そうね。」
彼女はそう復唱すると口をつぐんだ。今度の彼女は素の感情を露にしていた。噴き上がってもいない間欠泉の方を見つめて、うんともすんとも言わなくなった。
彼女の顔色は足湯で火照った赤みを帯びており、一方の表情はさっきの卵のように、笑顔と真顔の丁度間に位置していた。彼女は明らか自然に現を抜かしているわけではなかった。
もう一度、間欠泉が噴き上がると、彼女は僕にこう問い掛けた。
「私達、あと何回デートできるのかしらね……。」
「何回でも行けるだろ。愛花梨が行きたいと思う内はな。」
「……ありがとう、陽太。でも、無理しなくていいのよ。」
「え……?」
彼女はこちらに笑顔で謝意を伝えてきた。無論、偽造された笑顔で、僕が切望するはずもない雑な表情をしていた。
僕は彼女を記憶の中のアカリと照らし合わせてしまった。僕に彼女達の自我を殺してまで、アカリを追い求める気概はなかった。
アカリに回復の見込みがないのなら、早急に初恋を断ち切るべきだという発想も芽生えてしまった。これは、入学式から今日に至るまでの僕の行動が、僕によって否定された決定的な瞬間だった。それだけ、僕は彼女達に好意を持ち始めていたのだ。
僕は最終判断を迫られていた。アカリの回復を粘るのか、彼女達と暮らすのか、アカリを断念して去るのか。デートでかつ足湯で思案する内容ではなかった。
だが、次期に僕らは再会して三ヵ月を迎えようとしていたが、それは、僕と彼女達の出会いから三ヵ月でもあった。彼女達の僕に対する情は、並大抵のものではなくなっており、その逆も然りだった。彼女が一途に眼前を眺めているのをいいことに、僕はこの場で僕は『彼女のため』の決断をすることにした。
揺れ動いていた心情は、次こそ頑ななものとなった。そう決心をすると、決まって十分おきの間欠泉が轟音を轟かせるのだった。
その後も赤レンガ倉庫や青函連絡船の記念館に足を運び、気が付いた頃には既に夕刻を迎えていた。ケーキなりプレゼントなりの進呈は明日でも可能だったので、僕は彼女に当日まで待っているように言い、了承を得た後、そのまま解散した。
僕は明日が、彼女達にとって最後の誕生日にならないことを切に願った。もう、いまを生きる彼女と新たな色恋に励めばいいのではないかと、そんな持論が僕の思考を占有していくのだった。




