第20話 家庭=孤独
僕は緑茶を一口含んだ後、次のように主張した。
「……孤独でいると、自分の愚痴をこぼす先がないから、一人で多くの感情を抱えることになるんだよ。」
「それがなんだと言うんですか……。」
「……愛花梨は、人格を切り替えることで、その重荷を解消しているんだよ。だから、お前が障害を完治したいと思っていても、目の前の孤独がそれを許してくれないんだ。」
「なにを……言っているんですか……?」
「つまり、お前から孤独が消えない限り、倉持愛花梨は永遠に人格が五分割されたままなんだよ……。」
「クラスでお友達と話していても、こうして陽太くんとお話していても……ですか?」
「あぁ、そんなんじゃ何も変わらない……。」
彼女は口をつぐんだ。僕は強固な理屈の通った主張をしたため、彼女に二の句は継がせなかった。彼女自身も自分を省みて、未だに孤独であると悟っているようだった。
少しして、彼女は僕に屈託のある笑みを浮かべた。そして、こんな悲観的な物言いをしてきた。
「……私は孤独なのかもしれません。ですが陽太くんに無理なら、私はどうやっても孤独を拭えないじゃないですか……。」
「いいや、そうでもない。僕は絶対に、愛花梨の孤独を打ち消してみせる。」
「どうやってですか……?」
「簡単だよ。小学生の僕らになくて、今の僕らにはあるものを使えばいいんだ……。」
僕は彼女にその方針を説明した。彼女は僕の時間を浪費するからと、負い目を感じている様子だったが、最後には無事に承諾してもらえた。彼女が散々消極的だったわけは知れなかったが、来週から実践に取りかかろうという約束に漕ぎつけた。
「……これで話も一段落ついたし、僕はそろそろ帰ろうかな。」
「分かりました。玄関までお見送りします。」
「明日は休みだから、しっかり身体を休ませるんだよ。」
「もちろんです、ありがとうございまs……。」
彼女はそう言って立ち上がると、身体が左右によろめき、ベッドの方に戻っていった。そして、最後には意識を喪失して、ベッドに倒れ込んでしまった。
「あ、愛花梨……⁉ ど、どうしたんだ⁉」
僕は何が起きたか分からず、数秒の間、唇を紫にして彼女の顔を見つめていた。
やがて状況を把握した僕は、彼女の首に手を当てて脈の有無を確かめた。だが、彼女は至って正常な脈拍をしており、それ以前に彼女の呼吸音が僕の耳に届いていたのだ。僕は彼女が貧血でも引き起こしたのかと思ったが、それはすぐさま見当違いだと気付いた。
僕は部屋の壁掛け時計に目を向けた。時刻は23時57分を指していた。今は日付が変わる直前、すなわち、彼女の人格が切り替わる前後の時間帯だった。
0時を過ぎると、彼女は少しずつ瞼を開いて僕の方を見つめた。
「……驚いた?」
「一瞬、心臓が飛び出そうになったよ……。」
「それはごめんね。どうしても、軽く意識を喪っちゃうの。いつも日付が変わる前後は、布団で横たわる習慣があるんだけど……今日は仕方なかったね。」
「僕こそ、悪かったよ……。」
「いいんだよ。……たった今、人格が切り替わったから。」
「……最近、あんまり会っていなかったな。」
「そうだね。でも昨日の私、少しお転婆だったでしょ?」
「かなりお転婆だったな。」
「……昨日は付き合ってくれてありがとう。すごく疲れたけど、すごく楽しかった。」
「期待に応えられてよかったよ。」
僕は彼女の別人格が、彼女に憑依する瞬間を目の当たりにした。演技では成し得ない、口調から視線、態度や仕草の変化が顕著に現れていた。これが多重人格者の日常だった。
「……私には、義理の姉がいるの。」
彼女はベッドに座り直して、思い出したかのようにそう呟いた。
「ぎ、義理の姉って……愛花梨、お前、お姉さんがいるのか?」
「歳の差は一歳だけどね。私の父は、母の二番目の旦那さんで、お姉ちゃんのお父さんは、母の最初の旦那さんなの。」
「……二人は異父姉妹なのか。」
「そういうことになるね。」
僕はその義姉の存在が、彼女の日常にどう干渉しているのか気になった。そして、日曜日になったことも忘れ、彼女にこんな質問を投げ掛けた。
「その……お姉さんはどんな人だ?」
「温厚で人情味溢れる、私の尊敬する人だよ。私が一人暮らしを始めたとき、頻繁に家を訪ねてきては、私に家事から何まで教えてくれたの。今使っているキッチン道具とか家具も、全部お姉ちゃんに選んでもらったものを使い続けているから。」
「……もしかして、柔軟剤もか?」
「そ、そうだけど……え?」
「た、単なる勘だから気にするな。」
「……お姉ちゃんの知恵があったから、私はこうして生きれているんだと思う。」
「その……お姉さんとは暮らせないのか?」
「私の別人格が、お姉ちゃんを突き放しちゃったの……。関係修復は、もう絶望的かな。」
「そうか……。」
「……また、会いたいんだけどね。」
そう言うと、彼女はスマホを立ち上げて、一枚の写真をこちらに提示してきた。
「これ、四年前の私とお姉ちゃん……。」
写真の上には、馴染み深い小学六年の彼女と、髪艶のよい一人の少女が突っ立っていた。二人とも満面の笑みを浮かべており、僕はこの二人が、いずれ絶縁状態に陥ることを想起すると徐々に鳥肌が立ってきた。
『……待てよ。この少女、たしかどこかで。』
だが、僕はこの少女に既視感があった。背丈が彼女よりもやや低くて、黒髪ロングで髪艶がある。そんな女性を僕は知っていた。
「……お姉さん、名前はなんて言うんだ?」
「藤乃美海……だったと思います。」
僕の問いは、結果的に必要な問いだった。確信までは一歩届かないが、ほとんど確信を掠めていた。日常に潜んでいた違和感が、結びついたような気がした。今日、僕の脳内は、今にも破裂しそうなほどの情報過多に見舞われたのだった。




