第18話 私って幸せ者ですね!
「……愛花梨、そろそろ移動しようか。」
「え、も、もうですか……?」
「これからこの日本海を一望できる、展望台にでも行こうと思ってな。」
「それなら……分かりました。」
僕は辛うじて堪えた。それは、水島からの信任や僕の初心が働きかけた結果で、いずれ彼女をアカリに戻すなら、下手な感動を押し付けて未来に期待をさせることは控えたかった。
『……これはあくまで、彼女を想ったが故の正当な行動だ。間違っちゃいない。』
僕は自分にそう唱え続け、展望台へと傾斜を登っていった。
「なんか、思ったより急な坂だな。」
「えぇ。なんだか、青森の内部を探検しているみたいで面白いですね!」
「た、たしかにな。」
彼女は僕に、こんな余裕綽々とした言葉を放ちながら、いつも通りの軽快な足取りで、急坂を攻略していった。この調子だと、夜には疲労困憊で倒れてしまわないか。頭の傍らでそう思いつつ、僕らは展望台に辿り着いた。
海側を望むと、左手にはレプリカのような小型の灯台がこちらを覗いており、僕は人気の少なさも相まって、まるで異空間に飛ばされたかのような感触を覚えた。
しかし、そんな不気味さを感じていたのは、僕ただ一人のようだった。
海辺の方に目をやると、大迫力の日本海が波を立てて激しく主張しており、彼女は、そちらに釘付けだった。再び感動し出した彼女は、僕にこんなことを述べた。
「これこそ、『海は広いな大きいな』ですね!」
「月が登るし日が沈む……か。懐かしいな。」
「たしか、小学生の頃に歌っていた記憶があります。歌詞が指している海がどこかは知りませんが、本当に海に忠実な歌詞ですね。」
「たしかにそうだな。」
15時の日本海は、秋田方面から御天道様の光を受けて、煌々と輝いていた。こ同じように彼女の長髪も日光に照らされて、神々しい雰囲気が彼女を纏った。
そして、彼女の顔を覗くと、太陽が照らさなくとも満面の笑みで陽だまりを形成していた。
四年前、ダンス教室に通っていた頃の僕らは、小学校はおろか、生活区域も異なっており、日常生活は完全に隔絶されていた。たまに会っていたからこそ、恋心が冷めることはなかったものの、当時の僕は、彼女の日常を何も知らなかったのだ。
その過去を踏まえ、いま二人で見知らぬ土地を踏んでいることに、僕の胸は鼓動を速めた。あの頃と比べて、より成熟した恋仲だって構築されていた。
『愛花梨がアカリじゃなくったって、なにも不満はないじゃないか……。』
青森方面の列車の時刻が近付き、僕らは展望台から駅の方に戻った。これより先、僕らは弘前城を見て回る予定だったが、彼女はこれで帰宅しても、お釣りが出そうな位には、大満足していた。
しかし、それと同時に、彼女は相当な疲労感を覚えていた。その根拠として、彼女は車内で僕にこう呟いた。
「もう、このまま、函館に帰ってしまってもいいんですよ?」
「いや……まだ旅行は続くんだけどな。愛花梨、少し疲れたんだろ?」
「……多少は。」
「弘前まで一時間以上乗るんだし、少し電車で寝ていくんだな。」
「そうですね……。では、お言葉に甘えたいと思います。」
彼女の甘えは、僕の言葉だけに留まらなかった。窓側に座っているにも関わらず、彼女は僕の左肩に頭をすり寄せた。今日もまた、彼女は柑橘系の柔軟剤に包み込まれていた。
程なくして、彼女は眠りについたようで、次第に一定の間隔で、呼吸音が聞こえてくるようになった。
彼女は僕を信頼しきっていた。願わくは、僕もその信頼には報いたかった。だが、僕はそれに報うことが、彼女の人生や僕の人生に、利益をもたらすとは微塵も考えていなかった。言葉を荒くすれば、裏切ることこそが、僕の信念だと知っていた。
だが、彼女の健気な寝顔を見ると、安易に刀を突き付けられそうにもなかった。アカリが復活しないことで、彼女達に情が乗り移りそうになっていた僕は、現実から逃避して忘れることを願い、夢の世界に飛び込んだ。
目が覚めた頃には、電車は既に終点に到着しており、僕らはおはようと言う暇もなく、慌てて弘前行きの電車に乗り換えた。
そして、弘前駅からバスに乗り弘前城に着くと、新緑の城公園が出迎えてくれた。千畳敷との兼ね合いで、城内の入場時間には間に合わなかったものの、城郭とお濠だけで、荘厳な雰囲気は十分に伝わってきた。
「……桜の時期に来ないなんて、なんだか私達、ツウですね。」
天守閣の方まで歩いていくと、彼女はそんなことを言ってきた。
「まぁ、桜は八幡坂で見ればいいんだよ。あれに勝る桜並木なんて、どこにも無いんだから。」
「色々なところを敵に回しますね……。」
「でも、本音を言うと?」
「それは、八幡坂が一番ですけど……。」
「そういうことだ。」
ただし、弘前城はたとえ桜が無くとも、現存する貴重な天守閣の一つを有している。函館から車で二時間の距離に、松前城跡があるのだが、天守閣のない城跡だ。そのためかは知らないが、歴史に明るくない僕でも弘前城の格別さは認知していた。
すると、彼女はなぜか一言も口にしなくなっていた。一応、城内を見回していたが、朝の船内のような、好奇心旺盛な見方はしていなかった。城巡りが性に合わなかったのか……。気になった僕は、彼女にこう問い掛けた。
「あれ、そんなに惹かれなかったか?」
「いえ……ただ、ちょっと身体が重くて。」
「じゃあ、もう移動するか。」
「いいんですか……?」
「いいんだよ。」
彼女の免疫が下がって、何らかの病気に見舞われるのは避けたかった。そのため僕は、すぐに城を引き返して、最終目的地の浅虫温泉に向かうことを決めた。
僕はあくまでも、「彼女のため」という大義名分を背負っていた。彼女にデートを、『疲労が蓄積する行事だ』と認識されては、今後の行動に支障が出てしまうという本音を差し置いて……。
僕らは弘前駅に戻り、青森駅を経由して浅虫温泉駅に向かった。一時間程度の所要時間で、時刻は間もなく、18時を迎えようとしていた。
「……この後、どうしましょうか?」
「温泉地だし、折角だから、日帰り入浴を利用しようと思っているよ。そこは浴室内から、日の入りが見れるんだ。」
「えぇ。たしかに、私もそれがメインだとは思うんですけど……。」
彼女の含みのある言い方を以て、僕はようやっとあることに気が付いた。彼女は僕と違い、月に一度、公衆浴場を利用できない日程が現れる。下手をすれば、今日が当該日の可能性があったのだ。
僕は最悪の事態を確認するべく、彼女に回りくどくこう尋ねた。
「あ、あれ……今日、大丈夫な日だったか……?」
「このタイミングで聞くのは、かなり遅い気もしますけど……。」
「本当にごめん……。」
「大丈夫ですよ。今日は普通の日ですから。」
「それならよかった……。」
「その……話の続きなんですけど、私、異常なまでにお腹が空いてしまったんです。都合がつくなら、温泉の前に、何か食べたいと思いまして……。」
「あぁ、そういうことだったのか……。日の入りまで一時間近くあるから、近くで飲食店探そうか」
「……すみません、ありがとうございます。」
「《《ありがとう》》だけでいいんだけどなぁ……。」
僕らは駅からそう遠くない海鮮丼屋で夕食を取ることにした。幸い、時期と時間帯の兼ね合いで、待ち時間無しで入店することが出来た。
青森の海鮮と言えば、マグロかホタテだろう。旬ではないので冷凍物になるそうだが、それでも、マグロ丼の写真が壁の商品一覧にデカデカと貼られていた。僕らはそのマグロを含んだ三千円近い海鮮丼を頼むことにした。今まで大して金を浪費していなかったので、ここは大金を叩いておいた。
注目から十数分が経って、写真通りの海鮮丼が運ばれてきた。海鮮丼は函館でも食べられないことはないが、函館駅前の丼物屋は外国人向けの価格帯になっており、中々手が出せない。この値段でこの質は、青森の郊外ならではだった。
見た目も味わいも一級品で、二人して美味しい美味しいと言いながら食べ進めていった。中学時代の僕が妄想していた彼女との日常風景が、今ここで『部分的』に現実と化していた。
海鮮丼を一口、また一口と食べ進めていると、彼女は誰かに指示されたかのように、こんなことを言い出した。
「……こんなに美味しいものと、高校時代に恋人と共感し合えるなんて。私って幸せ者ですね。」
「別に高校時代じゃなくても良くないか……?」
「アオハルですよ? ア・オ・ハ・ル。」
「青春か……。何歳になっても、楽しいことを楽しいと、嬉しいことを嬉しいって分かち合えたら素敵だと思うんだけどな……。」
「陽太くんは《《二度》》と戻らない青い時期を、もっと大切にするべきです……。」
「……そうなのかもな。」
僕は彼女の言葉に、胸をきつく締め付けられてしまった。僕は彼女救済のために、目の前の彼女を最後まで幸せにすることが叶わなかったためだ。それが僕の選んだ道であり、今更後戻りなんてできなかった。だが、こうして人格を露わにされてしまった以上、心がとても窮屈になり、単に彼女達のことを一人の女性として応じてしまいそうになった。
ここで、僕は人格を消し殺すということは、実は人殺しと同義なのかもしれないと思案するようになった。それでも、僕には確固たる意志があった。彼女との再会に変えられるものは存在しなかった。ここはどうにか堪らえようと、そう己に訴えかけるしかなかった。
夕食を食べ終えた僕らは、件の日帰り入浴施設で一風呂を浴び、浴槽の中から日の入りを見届けた。泉質も海の景色も申し分なく、とても贅沢な体験をした。
彼女も僕と殆ど同じ、日の入りの光景を見ているはずで、これは電話越しで同じ月を見ている情景と似ていた。だが、ここでは空気感までをも共有できており、湯気がそのことを真に主張していた。そして入浴の甲斐もあり、一日の疲れは半減するのだった。
「湯質、どうでした?」
「最高だったな……。まぁ、湯の川温泉も負けてはいないと思うけど。」
「また地元贔屓ですか……。」
「それだけ僕は、函館を愛しているんだよ。」
「……それは、いい心がけですね。」
僕らは浅虫温泉から新青森駅に戻り、新幹線に乗り込んだ。新幹線は夜が更けてしまったせいか、青函トンネルの案内を省いてしまった。
それでも新幹線の速度は凄まじく、少し頭を空にしていただけで、もう終点に辿り着いてしまった。そして、21時半頃には函館市街まで戻ってきた。




