第15話 有識者のはなし
5月28日土曜日、昼前。僕と彼女は待ち合わせをして、彼女の通院に付き添おうとしていた。
彼女は大体月に一度、心療内科を訪れては現状を医者に伝えていた。普段から一人で通院しているそうなので、僕が付き添う理由は皆無だった。しかし、僕は本業の人間に彼女の病状を尋ねたく、彼女に懇願して同行を許された。
そうして、函館駅前で合流すると、彼女は間髪入れず僕にこうぼやいてきた。
「スマホで私の症状なんて、簡単に調べられるのにねぇ……。」
「まぁ、百聞は一見にしかずだからな。」
「……女医さんでも凝視する気?」
「いや……そこは気にしなくていいんだよ。」
僕らは函館駅を朝市方面に抜けて、裏路地に突入した先に一件、小規模な医院が佇んでいた。
予約済みだったので早々に順番が回り、診察室の扉を二回叩いて進入すると、そこには白衣を身に纏った女医が座っていた。
「こんにちは、甲斐さん。」
「こんにち……ん?」
僕と視線が合うと、医者は状況を把握するために、数秒間静止した。やがて医者は動作を再開させて、僕の素性を知るなり、いつも通りのカウンセリングが始まった。
二人は甲斐さん、愛花梨ちゃんと呼び合う仲で、きっと二年前から信頼関係を構築していったのだろう。彼女の笑顔は僕と他数人にしか見せない、心安い表情でいた。
そして僕が驚いたことがある。彼女は薬物療法を用いていないのだ。過去に用いた歴はあるかもしれないが、効果がいま一つだったのだろう。
彼女と医者は終始和やかな雰囲気で、会話を繰り広げていった。たまに僕の話題も会話の中に混ぜ込められて、僕も疎外されることなく十五分の診察を終えたのだった。
彼女が立ち上がる頃合いを見計らい、僕は医者に少々無理のある要望を告げることにした。
「あ、あの……。」
「うん?どうしたの?」
「ちょっとだけ……お話を伺う時間を設けて頂くことはできませんか?」
「そうねぇ……。一応、次の患者さんの診察まで、あと十分あるけど……。作業しながらでもいいなら、質問に答えられるわよ。」
「あ、ありがとうございます!」
「シーッ。」
「あっ……。」
彼女に本音を吐露するのも恥じらいが付き纏うので、待合室で待機してもらい、僕はDIDについて、専門家の話を伺うことにした。
「ひとまず、何から聞きたい?」
「……治療法、愛花梨の治療法が知りたいです。」
「そう、分かった。」
医者はそう仰ると一旦話を区切り、頭の中で情報をまとめられたのか、また話を再開された。
「治療法は主に二つね。人格を統合させる方法と、多重人格を共存させる方法よ。今は愛花梨ちゃんの意向に沿って、後者の統合させる方針を取っているわ。」
「でも……先生。」
「ん?」
「彼女は元の人格がまだ存在して、他の人格がそれを包み隠している……的な事を言ってましたが。」
「私にも言っていたわ。もちろん、一つの可能性に過ぎないけど、他の四つの人格が消滅すれば、元の人格が復活することはあり得るわね。」
専門家が彼女復活の可能性を認めた。僕は生半可ではない、確実性に富んだ一縷の希望が見出だせて、内心感動していたのだ。
だが、その感動は一瞬にして消え失せてしまうのだった。
僕は調子に乗って、こんな願望を口にした。
「……僕はまた、元の彼女と会いたいです。」
「その気持ちは痛いほど分かるわ。……でもね、たとえあなたがそうだとしても、私は愛花梨ちゃんが元の人格を復活させることには大反対なの。」
「それは……どうしてですか?」
「愛花梨ちゃんを操っている四人格は、自身が虐められたという「情報」しか知らない。事実を知っているのは……恐らく、元の一人格だけかもしれないのよ。」
「……虐めのトラウマが、再燃する可能性があるんですか?」
「ご明答ね。でも、愛花梨ちゃんの統合人格なら、過去のトラウマを覆い隠したまま、元の人格のような生き方が可能になるわ。」
「……僕なら、彼女とそのトラウマを乗り越えられます。そんな自負があります。」
「元の人格のような生き様の愛花梨ちゃん……じゃ駄目かな?」
「元の人格のようなって……。」
僕はこの医者の言い方に息を呑んだ。虐めの過去を僕が払拭できる保障は何処にもない。だが、僕は彼女が似非の人格に支配されることに、尋常ではない抵抗があった。
僕は明らかに不貞腐れていた。その一方で、医者はこちらに笑顔を見せつけながら、こう言い放つのだった。
「……でも、あなたの愛花梨ちゃんへの愛は、その行動から嫌でも伝わっているから大丈夫よ。」
「それは……光栄ですけど。」
「そういえばあなた、お名前は?」
「北山陽太です……。」
「じゃあ陽太くん、あなたは愛花梨ちゃんを裏切らないで、生活の孤独を埋めてあげるのよ。」
「生活の孤独って……?」
「あ、ごめんね……。もう次の診察の時間になっちゃったみたい。」
「……そうですか。本日はお時間割いて頂いて、どうもありがとうございました。」
本音を言えば、僕は心の中のわだかまりが、まだ完全に解消されておらず、この場を離れたくなかった。
すると、僕の心情が顔に浮かび上がっていたのか、医者は僕のデコを軽くタッチした後、こう言った。
「また来なさい。待っているから。」
僕は一礼をして、診察室を後にした。待合室に戻ると、彼女の隣で腰を下ろす。そして同時に、こんな一言を添えておいた。
「……待っていてくれてありがとう。」
「私のこと、分かったかしら?」
「なんとなく……ってところだな。」
「それなら来た甲斐があったわね。」
「甲斐さんと会った甲斐……か。」
「なにか言ったかしら……?」
その晩のこと、僕は布団に包まり、どうにかして「従来の人格的な何か」を受け入れられないか、身体と相談していた。だが、やはりアカリとは相違しか残らなかった。
――――2017年12月某日。
「……アカリちゃんは本当に僕のことが好きなの?」
「大好きのほうがよかったかな?」
「どうして僕のことが大好きなの?」
「……初めて私を好きになってくれた人だから。それだけだよ。」
この日、彼女は僕に、ずっとしまい込んでいた本音を伝えてくれた。自分を好いてくれる相手だからといって簡単に恋に落ちるものなのか、僕は不思議で仕方なかった。それでも、当時はまだ《《恋愛》》という言葉の定義が自分の中で定まっていなかったので、彼女の理屈も難なく受け入れた。
「僕もアカリちゃんのことが好きだ。だって、僕を初めて好きになってくれた人だから……。」
「ありがとう。」
最初は彼女のことを意識していなかったが、好きの意味合いを知った僕は、次第に彼女に心惹かれるようになっていた。そんな彼女に好かれているという事実は、何物にも代え難い幸福だった。
ただ、僕は同時に自身の頼りなさを感じてしまい、彼女の前で弱気な一面を見せてしまうこともあった。
「……無理に僕を好きにならなくてもいいんだよ。カッコいい男の子は、アカリちゃんの周りにもいるでしょ?」
「陽太くん……自分を卑下しちゃダメだよ。私が好きと言ったら好きなんだから。下を向くんじゃなくて、私と一緒に前を向こうよ。」
「上じゃないの……?」
「上を向いたら転んじゃうでしょ?」
「……分かった。これからは前を向くよ。」
彼女は人生を達観したような考え方をしていた。これがきっかけで、以降の僕は自分を肯定できるようになり、彼女を恩師だと思うようになったのだ……。―――
『愛花梨にアカリが戻って、一時的に虐めの過去が襲いかかっても、十分にお釣りが返ってくる。僕のアカリは、それだけ魅力的な女性だ。彼女達はいずれ消える存在なんだから、いちいち気を遣う必要なんてない。僕は彼女達よりも、アカリを優先するべきだ。』
僕はそんな狂気じみた発想を創り出した。そして、五分の一の彼女を救済するべく、残りの五分の四の彼女を生贄に捧げることが、僕の指針となっていった。




