第14話 歯には歯を、噂には噂を。
5月24日火曜日、体育祭休み明け。僕の身勝手な善意のツケが、早々に舞い込んでくることになった。
僕は今日、彼女と八幡坂の手前で待ち合わせをしていた。彼女が他人に話し掛けられても酷だと思ったからだ。そしていざ、僕らは八幡坂の登頂に掛かった。
……すると、僕は登り始めてすぐにある不快感を覚えた。後ろにいる学生集団が、何やら小言を言っているのだ。
明瞭には聞き取れなかったものの、少なからず彼女を偏った見方で捉えているような発言はしていた。ただ、彼女がクラスで暴動という言葉はしっかり耳に入った。
どうやら、彼女の噂は歪曲に歪曲を重ねられているようだった。そうでもしなければ、ここまで腐った噂話に花は咲かない。僕はこのままだと両耳が腐ると思い、彼女にこんな提案することにした。
「愛花梨、ちょっと大股で歩かないか?」
「陽太くん、変な提案をされますね……。」
「名案だって言ってくれ。脚筋を鍛えるんだよ。体育祭で思い知らされたからな……。」
「……分かりました。どっちの方がより大股できるでしょうか。」
「実際にやってみるか。」
何気ない会話で後方集団を突き放す。私的にこれは本当の名案だと感じた。今日の彼女であれば、奇想天外なことへの抵抗が薄いはずで、僕の提案を拒絶する見込みは薄いと推測していた。
速度が向上したことで前方の集団やカップルも跳ね除けて、気兼ねなく校門まで辿り着いた。
彼女は平生と同じ態度をしていおり、僕はベイエリアの一件で、彼女がある程度タフな人間だと理解していたので、彼女が息を切らしていない姿に二度見することはなかった。
「こういうのも悪くないですね。」
「悪くはないよな。ただ……八幡坂でやるもんじゃないな。もう、脚がパンパンだよ。」
「もっと脚腰を鍛えないといけませんね。」
「……ごもっともだな。」
ただ、学校内はもっと悲惨だった。一年四クラスという性質上、噂が伝播する速度は異常なまでに早く、僕らが廊下を通り過ぎる度に、恐らくは一年からの視線を浴びる。
借り人競走のその後を知りたい層がいるのもたしかだが、僕はそれとは別の、蔑視に近い視線を感じていた。教室に入るとそこは文字通り安全地帯だった。下手な刺激を受けずに済むこの区域は、完全にオアシスだった。
水島と垰野、また他の女子一行も彼女を囲んだ。
「愛花梨ちゃん! 一昨日の借り人競走、本当、よく誇示していたね!」
「ちょっと美夏……別に愛花梨にそんな意図は無いでしょ。」
「い、いえ、誇示できていたのならよかったです!」
彼女は実際、誇らしげな立ち振る舞いをした。満足気な彼女の様子は、あの変な噂に翻弄されていないという何よりの証だった。
5月25日水曜日、今日も彼女は昨日と同じ人格で、周りの輩も昨日と同じく彼女を侮蔑するような態度を示していた。僕はこれが一過性で済む話ではないと断じた。
『僕はあの噂を潰さなければならない。彼女の耳に入るか、彼女が認識する前に……』
僕はそうして、自分の蒔いた種の回収に挑むことにした。しかし、僕は一人では無力だと悟っていたので、救いの手を差し伸べてもらうことにした。
僕は教室に入ると、女子一行の元に向かい、そして例の二人に対してこう言った。
「水島、垰野、ちょっと後で話したいことがあるんだけど……。」
「……なんとなく分かったわよ。また昼休みね。」
「分かったよ! 私も聞くよ!」
「……ありがとう。」
そして昼休みの時間になり、僕ら三人は人気の少ないサブの階段へと向かい、段差に腰掛けて語り合うことにした。
「それで、話があるんでしょ?」
「あぁ。愛花梨に関する変な噂を知らないか?」
「ワケありなんとか、クラスで暴動、クラスメイトへの虐め……しか知らないわよ。」
「そんな歪んでいってるのか……。」
「私がいけないんだよ……。私があの日、化粧なんかしてきちゃったから……。」
「それはそうだな。異論はない。」
「僕くんシビアだね……。」
「でも、それが愛花梨を生贄にした男の台詞かしらね?」
水島は借り人の件を微妙に根に持っているようで、僕はそこそこ厳しい言葉を掛けられてしまった。
「あれは……本当にどうしようもなかったんだよ。」
「あれって、結局何が起こってたのかな?」
「北山くん……いや、愛花梨が『好きな人』のお題を引いた男の子の身代わりになったのよ。」
僕は垰野からも、痛烈な一言が投げ掛けられることを覚悟した。しかし、垰野はその口調とは裏腹に、この場の誰よりも大人な対応をした。
「したって……前々から噂は広まっていたし、丁度話ができてよかったんじゃないかな?」
「それは……そうね。」
「そんなお人好しの僕君だから、愛花梨ちゃんが惚れた節はあるよね!」
「もう、分かったわよ……。愛花梨も嫌がってはいなかったし、今回は見逃すわ。」
「あ、ありがとうな。それで、その噂をどうやったら解消できるか、博識のあるお二方に相談したまでのことで。」
僕は他クラスにツテというものが無かった。あったとしても、生徒会の二年と三年という有様なので、僕は対処法に行き詰まっていた。
「私の方針は一つよ。私達が他クラスとの縁を築いて、噂を全面否定することね。」
僕の問いに水島が答えた。かなりの力技を提示してきた。
「……まぁ、気の遠くなる作業だな。」
「こればかりは、地道にやるしかないわよ。噂を握り潰すだけの意思が必要だと思うもの。」
案の一つも出していない僕が思う立場ではないが、この水島の案は全く現実的ではなかった。
例年より少ないとはいえ、それでも一学年の生徒は百数人いるため、自クラス以外の八十人、一人一人に噂の虚偽を激白していたら日が暮れてしまうのだ。そして莫大な時間を要する中で、また別の噂が生徒の心に浸透することもあり得た。
「……どうしたもんかなぁ。」
「歯には歯を、噂には噂を……そうだ。」
僕らが悩みに悩む中、垰野はふと何かを思いついたかのごとく、同害復讐の原則を呟いた。そして、水島の案に付随してこんな提案をするのだった。
「私達が噂をばら撒けばいいんだよ!」
「……ど、どういうことかしら?」
「いま流れている噂って、初出不明だよね。それでもみんな、噂を鵜呑みにしているしょや?」
「そうだな。」
「だからね、私達が学校中に愛花梨ちゃんの噂をばら撒いたら、それも一気に広まっちゃうと思うの!」
僕はその案に強く共感した。最近の高校生は流行りを逃さまいと必死で、根も葉もない噂にも噛みつく。
一見すると厄介な要素ではあるが、これを上手く扱えれば、噂を信憑性のある噂で上書きできる可能性があり、垰野の理屈は、たしかに「噂」の本質を突いていた。
「でも、ばら撒くったって……どうやって?」
「私、一応吹部だし、一年生も十数人いるからそこから広まればなんとかなるよ!」
素直に考えれば、その発想に行き着くだろうが、その発想には決定的な弱点があった。
「既に他のクラスの奴には、お前と愛花梨との仲が知れ渡っているよ。主に化粧事件と化粧事件と化粧事件のせいでな。」
「それは……別にいいじゃん!」
「そしたら、第三者からすれば、お前が愛花梨を守るために躍起になっているように見える。噂の信憑性は一瞬にして消え去って、ただのホラ話に変貌するだろうな。」
「ちょっと北山くん、それは流石に……。」
「傷付けたなら、後で誠心誠意土下座するけど。でも、こればかりはどうしても失敗したくないんだよ……。」
「えぇ……私もよ。」
「……そうだね。」
僕がそう心情を告げた途端に、授業開始前のチャイムが鳴り響いた。一旦、僕ら三人は撤収して、各々別案を考えることにした。
振り返ってみれば、僕の真剣度合いが作用したのか、二人は対案も出さず批判する僕にため息の一つもつかなかった。二人は僕よりも精神的に成熟していたのだった。
僕は神妙な面持ちで教室に進入し、神妙な面持ちのまま席に座り込んだ。
「どうしたんですか……? そんなに深刻そうな顔をして……。」
「ちょっとな……頭を酷使していたんだよ。」
「……お二人もそうみたいですね。」
お二方のうち、水島は首を傾けたまま目を瞑っており、一方の垰野は腕を組んで、白一辺倒の天井を見上げていた。
「無理はしないで……くださいね。死なれると悲しいですから……。」
「それもそうだな。ありがとう、愛花梨。」
僕は垰野の案を破棄したくなかった。本当に名案だと信じてやまなかった。僕は授業を右から左に聞き流して、あの案を現実に昇華させるべく、ひたすらに頭の回転率を上げていった。
そして、頭をふかしている内に、僕は次のような極論に辿り着くことができた。
『僕らが周知してしまうと、噂の塗り替えは意味を成さなくなる。でも、逆に考えれば、彼女と密接な関わりのない人間が放った噂なら、一切の問題がない。事実、今拡散されている噂も、関わりのない人間が好き勝手言った結果生まれた産物だ。』
僕は『噂は信憑性のないところで信憑性を増す』という皮肉に気付くや否や、放課後、即座に行動を開始するのだった。
二日後、5月27日金曜日のこと、他クラスの生徒による彼女の噂話、陰口は遂に根絶に成功した。噂の真実を知っている人間が、彼女の根も葉もない噂に見向きしなくなったのだ。その姿勢も集団心理により伝播して、やがて彼女は注目の的から外されていった。
その光景を見た水島と垰野は、何が起きているのか分からず、赤羅様に困惑していた。
―――僕のしたことは至って単純だった。
まず、僕は一直線に生徒会室へと向かった。そこで、俺が会長だと言わんばかりに仰け反っていた三須先輩に、こんな質問を投げ掛けた。
「……三須先輩。」
「おう、どうした?」
「噂話をばら撒くのに、効果的な人物を知りませんか……?」
「悪いが俺はな、悪名を轟かせることには加担しない主義なんだ。」
「いえ、実はその逆で……噂で虚偽の噂を消したいんですよ。」
「ほう、正面突破を企むとは。陽太も中々脳筋な男に育ってきたな!」
「これって正面突破なんでしょうか。」
「細かいことは気にするな! それで本題の人物に関してはだな、俺……と言いたいのは山々だが、手っ取り早いのはスキー部員だと思うぞ。」
「スキー部……ですか?」
「あぁ、スキー部だ! 陽太の知り合いのスキー部員に頼んでみるのが、一番合理的だと思うぞ!」
「あ、ありがとうございます!」
まさに、この『スキー部』というのが鍵だった。この学校の生徒は、その多くがスキー部に在籍している。
その理由は最近の元高スキー部が、インターハイ出場が不文律となっている点にあり、推薦もその一端で行われている。
部員が多いということは、他クラスの間で噂の回る速度も桁違いだということを意味していた。僕は急ぎ、部員探しに出ることを試みた。
水島の提示した案のように、合理性を忘却しては、僕と近い間柄の人間に、手当たり次第、部活動を尋ねようと考えた。
折れる骨が何本あっても足りない状況下で、僕は必死にもがこうとした。だが、ありがたいことにその手間も丸々省けることになった。
「……戸山、お前、部活動何部だっけ?」
「陽太、急にどうしたんだよ。もはや恐怖すら感じるぞ。」
「悪いが割と切実な問題なんだ……頼むよ。」
「スキー部だよ。スキー。というか俺、そもそもがスキー部推薦だからな。」
「それってマジか?」
「マジだけど?」
いつもの昼食の時間に、戸山がスキー部員だと判明した。そうだと分かるや否や、僕は彼に頭を下げて切実な要望をした。彼女の尊厳を守るために、彼女の実態をそれとなく部員に伝達してほしいと伝え、戸山はそれにこう返答してきた。
「陽太はもう、元高の有名人だからなぁ。無理難題も生まれるわな。」
「変なことを言うな。」
「まぁ、分かったよ。友情の証とやらを、とくとご覧あれって話だ。」
「いいのか……?」
「一応、俺ら友達でいいんだよな?それなら、俺は友達の望みを叶えてやりたいんだけどさ。」
「本当に……頼んだからな。」
「任せろって!」
結果は、『任せて大正解』というものだった。裏表のない実直な彼の性が、噂というか事実の信憑性を飛躍的に向上させたようだ。
戸山いわく、「倉持さんは実際に虐めをしていない」だったり、「倉持さんはクラスのムードメーカー」など、一部誇張も交えて印象操作を行ったのだとか。彼は明らかに僕らの聖人だった。
もちろん、戸山の計らいも作用したのだが、それ以上に決定的な事柄があった。
僕が借り人競走で救い出したあの男子が、実はスキー部の一員だったのだ。彼は僕の名前を一方的に認知していたので、僕の周囲に変な噂が流れていると知るなり、僕が彼の矜持を守ったのだと、いち早く周知してくれていた。これが最大の効果を生んで、噂は瞬く間に風化していくのだった。―――
僕は噂がなんと脆く、なんと周知が素早いものなのかと、他力本願しかしなかった分際にも関わらず、鼻高らかに嘲笑した。
そして最後には、友達は多いに越したことはないのだと、そう諭されることになった。今日を以て、僕が撒いた種とそれ以前の種も全て回収し切った。
『これでやっと、彼女への献身が再開できる……。』




