第13話 華の体育祭
ゴールデンウィークと定期考査、そして答案返却と解き直しという課題に追われながら、元町高校では確実に体育祭準備が進められていた。
体育の授業も出場種目の練習に移行して、学校全体が賑やかで活発な雰囲気を演じていた。僕は青春の晴れ舞台がここにあると、そう感知できた。
5月20日金曜日、体育祭前日を迎えた。僕は正真正銘生徒会員なので、その初めての大仕事のとして、設営準備に携わることになった。
―――この間、何度か生徒会室を訪問して、体育祭のありとあらゆる段階を説明してもらった。設営から片付け、緊急時対応などまでが明記された書類をみて、僕はこれを二人で回そうとしていたことに驚愕した。
彼女にも、生徒会への入会を伝達しておいた。伝達の後、彼女は僕にこんな反応を示してきた。
「……好きなことをやったらいいと思う。」
彼女は僕の自主性を尊重して称賛もしてくれた。彼女から信任に近い何かを得た僕は、生徒会のタスクに益々やる気がみなぎってきた。―――
僕は放課後、海風に殴られて錆びついた体育館やポールを横目に、一路グラウンドに向かった。
正直、設営や片付けが面倒なのは確かだが、結局は誰かがやらなければならない仕事で、これで彼女がより一層楽しめるのなら、むしろ働かなくては大損だとも思った。
基本的にここの体育祭は、僅かな生徒会関係者、若手の先生方、有志の生徒の協力によって辛うじて挙行されている。
その中で、一際機敏に動いている人間が映った。三須先輩だ。生徒会長の威厳でもあるのか、二人で持つような大きい音響設備を単独で素早く運び、誰よりも効率的に設営している。僕はそんな三須先輩に近付いて、挨拶をしてきた。
「こんにちは。」
「おぉ、陽太、お疲れ様!今日も頼んだぞ!」
「はい! それにしても、随分お早いですね。」
「暇すぎてホームルーム抜け出してきたんだ!」
「それ大丈夫なんですか?」
「ん? 何かあっても耐えればいいからな!」
「そ、そうですか……。」
僕は三須先輩がこういう性質を持った人間だということを、完全に失念していた。三須先輩は自己中心的とはまた毛色の違う、人一倍の向上心を抱えている。
このような場ではその行動力が遺憾無く発揮され、誰もそれを否定することはない。
僕ら二人は同じ作業をすることにした。その方が対話がしやすく、より効率的だと考えたのだ。
制服が汚れるわけにもいかないので、ここでは皆体操服姿になるのだが、隣で作業する先輩の服は、やけにタイトだ。これは服が小さいと言うより、先輩の体つきの問題だろう。僕が密かに先輩の腕を凝視していると、服越しから筋肉が浮かび上がっていることに気が付いた。
「先輩。」
「ん? どうした?」
「先輩、すごく筋肉質な身体されてません?」
「まぁ、一応これでも、毎日筋トレに一時間は費やすようにしているからな!」
「凄いです。よく続ける気になれますね。」
「……人を守るためには、これぐらいないとな!」
「人を守る?」
「いや……ひとまず筋肉があるに越したことはないからな!陽太はもう少し鍛えても、罰が当たらないと思うぞ!」
「そうですね。」
僕も彼女が暴漢にでも襲われたとき、グーパンの一発も込められないのは、あまりにも非力だった。僕はこれを潮時にして筋トレを始動してみようと、薄っすらそう考えた。
それからは加瀬先輩が参戦しつつ、約一時間黙々と作業を続けて、あとは当日に搬出する貴重品だけという形にまで持っていった。加瀬先輩はグラウンドの全体図をじっくり観察して、僕らにこう告げるのだった。
「……折角こうして三人が集っても、この一員で過ごす体育祭はこの一度きりなんですよね。」
「なんだか……寂しいですね。」
「まぁ、俺と美海は嫌でも会うし、これからも俺は生徒会に居座っているがな!」
「三須先輩が関わる一大行事は、これと文化祭だけですもんね。」
「……悲しいこと言うなよ。」
「す、すみません。」
「だからこそ、絶対に成功させて、華々しく散るんだよ!」
「散る必要性は議論の余地がありますけど……そうですね。僕も誠心誠意頑張ります。」
「私も陽太くん以上に努力しますから!」
「おぅ、頼んだぞ!」
いま一つ、気が付いたことがある。僕は自分が意識していないところで、新たな居場所が提供されていたのだ。
この空間からは明らかに、家庭的情味が伝わってくる。先輩方が交際されていることも相まって、行ったこともないホームステイの光景が脳裏を掠った。
どうやら僕は運に身を任せた結果、大当たりを引けてしまったようで、段々と学校生活に彩りが添えられていった。
5月21日土曜日、遂に体育祭当日を迎えた。青空の半分を雲が覆い尽くしている空模様で、その雲の一つが丁度いい塩梅で太陽を包んでいた。
直射日光も避けられて、快晴よりむしろ体育祭日和といった様子だった。
元高には体育祭の開始一時間半前には着いていたが、既にグラウンド上にはあの人達の姿があった。
「おはよう、陽太!」
「おはようございます、陽太くん!」
「お二方とも、おはようございます。今日はよろしくお願いします!」
「あぁ、よろしくな!」
「私もやるときはやりますから、期待していて下さいね!」
朝の準備も、昨日の僕らが殆ど済ませておいたお陰で一瞬で終わり、あとは開幕式までの間、非常に余裕が生まれた。
僕は本部で椅子に腰掛け、草木の香りに「鼻鼓」することにした。潮の香りが鼻を突いて若干の苦しさをも感じるが、これもまた乙なものだと思った。
そうして数十分を浪費していると、僕の隣に誰かが着席してきた。そしてその隣人は、僕にこう話し掛けてくるのだった。
「……おはよう、陽太。」
「ん、あ、愛花梨! お、おはよう!」
「昨日は……その、よく眠れた……?」
「そりゃもう爆睡だったよ。体育祭の設営していて肩凝っちゃったし、寝てなんとか持ち直したよ。」
「そう……。頑張ろうね、今日……。」
「そうだな、頑張るしかないな。」
体育祭当日の彼女は、「根暗」な彼女だった。借り人で万一のことがあれば、僕が率先して彼女を引っ張りだすしかないし、それ以外の場面でも彼女を鼓舞することが大切だろう。
『……彼女にいい想いをさせてあげたい。』
その想いは強まる一方で、僕はそのままの調子で開幕式を迎えることになった。
無論、開幕宣言は生徒会長である三須先輩の仕事で、仮設の壇上に上がった先輩の立ち姿から、筋肉質な体型が嫌でも伝わってきた。この風貌を見て、もう少し女性陣が好意を持ってもいいように思うのだが、本人からそんな話を聞かない。
ただ、その方が彼女たる加瀬先輩も、他の女子に変な気を使わずに済むので好都合だった。
そして時刻は9時を迎え、体育祭は無事に開幕した。僕は出場種目うち二つが午前中に開催されるため、それらで好成績を残すべく全力疾走し、生徒会の仕事にも参加しては、主に彼女の応援に徹することにした。
その結果、昼食休みの時間になると、疲労が限界値を優に超えてしまっていた。
そして借り人競走という魔の時間も刻一刻と近付き、僕はストレスフルで狂い死にそうになった。
「なぁ、陽太……お前本当に大丈夫か? 目、充血しているぞ?」
「目は充血するもんだろ。」
「いや違うだろ……。飯食わないと、午後死ぬぞ?取り敢えずこっち来いよ。」
戸山が温情によって、男子数人の輪に僕を入れようとしてくれるのだが、僕は飯が疲労と緊張で一切喉を通らないので、代わりにその横で寝そべっておいた。
地面は全く綺麗ではないものの、体操服もそれなりに汚いので無効化され、僕はしばし安息の一時を送った。
午後、初っ端から借り人競走の招集がかかる。僕は緊張で、胃から虚無を吐き出しそうになる。
僕がここまで執拗に借り人にフォーカスする所以は、もちろん彼女の立場にある。悪目立ちさせたくないというのは変わらないが、今日の彼女は分が悪く、「根暗」な人格を有している。
グラウンドを走り回る事態になれば、彼女にとって公開処刑でしかない。これでまた引きこももりに逆行したら、彼女の努力も僕の努力も全てが水の泡だ。
午後の部が開幕して早々に、僕は他クラスの生徒と整列させられた。とは言っても、一学年は僅かに四クラスであり、注目度は異常なまでに高い。グラウンドの広大さに反して、圧迫感が募る。僕は緊張を解す意味合いで、神と仏とイエスに対して、色恋のお題を避けるよう懇願した。
借り人の開始を告げる銃声が響くと、僕は他の三人と歩幅を合わせて、前方の箱を目掛けて猪突猛進した。
箱は十二箱。一人に三択から選ばせるようだった。僕は直感で左端の箱を取り、そしていざ、裏面に書かれた借り人のお題を確認した。
――眼鏡をかけた人――
僕は命からがら救われた。何もかも杞憂だったのだ。無事に救いの手が差し伸べられたことで、僕は軽快な足取りで生徒の座る区域に向かおうとした。
……ただ、僕が箱を持ち上げてから、隣でずっと硬直している男子がおり、あまりにも微動だにしないもので、僕は彼が気掛かりだった。そのため、僕は現状を忘れて彼にこう尋ねるのだった。
「どうしたんだよ。早く行こう。みんな待っているからさ。」
「……俺は行きたくない。」
「へ?」
「俺には無理なんだ……。」
僕は彼の獲得した箱のお題を見る。そこには、「恋している相手」の文字列があった。結局、恋愛系統のお題は採用されたようだ。
彼は華奢な身体に円縁の眼鏡を掛けた、一般的な高校生といった容姿をしている。
表立って何かをする人間には見えないが、クラスで疎外されるような類の人格にも見えない。
「……このお題は普通だろ?」
「俺、急に選ばれたんだよ。だから、そんなの知らないんだ……。」
そう言い放つと、彼はその場でうずくまってしまった。その光景を見てか、外野が僕らに向けて騒ぎ立てる。
僕の脳裏には様々な考えが浮かび、最終的に実践可能な対処法が、僅かに一つだけだということを納得させられた。
「……僕と箱を交換しよう。」
「え……?」
僕は強制的に彼の箱を奪っては、僕の箱と交換させた。そして彼の動向に目を向けることもせず、僕はクラスメイトの居る空間へと突っ走り、他のクラスメイトを掻き分けて、中程に座っていた彼女の手を掴んだ。
「ごめん。でも、付いてきてくれるか……?」
「……分かった。」
僕らはグラウンドの端から端へと向かう。彼女は僕としっかりと手を結んでいる。彼女の覚悟していたと言わんばかりの即決な姿勢に、僕は彼氏としてあるまじき蛮行をしたと恥じ入った。だが、その感覚も次第に薄れていくこととなった。一気に緊張が張り詰めてきたのだ。
油断させておいてこの羞恥になるとは、僕の脊髄と脳の予測は相反していたようで彼女をも視界に入らなくなってきた。ただ、外野は依然として騒ぎに騒いでおり、みんな僕らの背中を押す存在だった。そして、僕らは何ら問題なく、ゴールテープを切ることができた。
僕らはゴールすると、三須先輩と教師数名の拍手喝采に歓迎された。まるで映画のメインキャストのような待遇で、周囲を笑顔で包み込んでいった。
「……あのとき、陽太があの子を救ったって解釈でいいんだよね。」
「まぁな……。あの子の青春が壊れることに耐えられなかったんだ。それに、相応の事情があったから……。」
その後、僕は一呼吸置いて、彼女に深く頭を下げた。
「本当にごめん。無理矢理連れ出して、人の目に触れるようなことをさせて……。」
「……借り人競走で連れられる前提だったし、別にいいよ、気にしないで。」
あのとき、僕の空想は無数の広がりをみせていた。このお題が彼を不登校にさせる未来が、まざまざと浮かんできた。僕が彼を救う指針は、あの決め打ちをする以外に立ちようがなかった。こればかりは、本当にやむを得なかったのだ。
帰り道、僕はクラスの知らない輩から散々声を掛けられた。実情を知らない人間には、ワケあり美人を連れ出した猛者だという称号すら受けた。
そんなワケあり美人こと彼女は、水島と垰野の元で最大級の肯定を受けた。他の女子も皆、彼女を賛美するようなスタンスでいた。
だが、他クラスからの視線は対照的で雪のように冷え切っていた。話を盗み聞く限りだと「僕はワケあり美人を本性も知らないで好いている」や「面食い男だ」と誤認されているようだった。
ワケあり美人という名称が、無知な所にも広まっていて、僕の行動がもたらした弊害は、もはや単なる噂で収拾する程度を超えてしまっていた。
その後、体育祭は2時間ほど続いたが、僕が例の彼と対面することはなかった。
会おうと思えば会えたかもしれないが、僕が彼に気を遣わせる筋合いはどこにもないので、彼の存在を頭の片隅に置くことすらも止めにした。
そして、時刻は16時を過ぎ、元高の体育祭は閉幕の時を迎えた。僕の行動に対する審判は、明日以降に委ねられることになった。




