第11話 一大行事の前準備
4月25日月曜日、僕がいつも通り電停から学校に向かっている最中、眼前に見覚えのある風采の人が見えた。
僕は小走りをしてその人に近付き、横に並んで顔を覗かせてもらった。
「あ、愛花梨、お、おはよう。」
「おはよう、陽太。それで息を荒くしてどうしたの?」
「目の前を彼女が歩いているのに、放っておくこともないだろ?」
「そう。それは賢明な判断ね。」
彼女はアカリではなかった。いまでも、彼女は棘のある口調で会話を続けるが、当初は口すらも聞いてもらえなかったので、大分心を許してくれるようになっていた。
『……それにしても、彼女は一昨日のデートをどう思っているのか。今の態度は、その一件を踏まえてのものなのだろうか。』
「な、なぁ、一昨日のデートのことなんだけどさ……。」
「内容を覚えているかどうか聞きたいわけ?」
「内容というか、実感というか……。」
「一昨日はたしか……Bの人格だったわね。」
彼女の言うBの人格とは、恐らく「現実主義的」な人格を指していた。
ただ、彼女は当日、自身がBの人格だった確信を得るために、一度鞄を開いて日記帳を取り出した。僕が横目で内容を見ると、そこには当日の人格と出来事、抱いた諸感情などが細かく明記されていた。
そのうち、僕が身体を乗り上げて見入ってしまうと、彼女がいきなり日記帳を閉めてこう言った。
「プライバシーを侵害するとか最低ね。」
「ご、ごめん、つい気になっちゃって……。」
「まぁ、Bは奇天烈な行動を取らない性格だし、悪くはなかったんじゃないの?」
「それは……そう。」
「でも、お生憎様。私には当日の出来事と、猛烈な睡魔に襲われたことしか記憶にないから。」
「楽しかったか……?」
「……楽しくなかったと言ったら嘘になるわね。」
「なら、いいんだ。」
「……ありがとう。」
彼女は視線を逸らしてそう言った。デートの記憶は十二分に残されていた。
『そうだ。何か大きな出来事があれば、他の人格にも記憶が共有されるんだ……。』
僕は一昨日、予期せず盛大な賭けをしていたと知り背筋が凍った。
一度クラスに行ってしまえば、彼女は僕がいなくとも孤立することはなく、今日も水島と垰野が彼女と言の葉を交わしていた。
彼女も二人に多少は笑顔で接するようになり、大分クラスにも馴染んできた。僕は彼女に従来の人生観が回帰した気がして、それが本当に嬉しかった。
ここ、元町高校では、5月の下旬に一大行事の体育祭が開催される。僕らのクラスでも、本格的に出場種目の話し合いが始まった。まずは担任が黒板に種目を書き連ねていく。
競走や玉入れ、綱引きなどの安牌な種目が催されるようで、僕はこの中の三種目をテキトーに選択しようとした。
……だがその中に一枠分だけ、嫌な予感しかしない種目が記された。
他でもない「借り人競走」だ。箱のお題に沿って人を連れ出すというシンプルな種目だが、誰もこの種目に手を挙げる素振りは見せない。
理由もまた単純明快で、奇想天外なお題を引く危険性を孕んでいるからだ。その代表例が「好きな人」だろう。
学校の掲示板に去年の体育祭の写真が貼られており、そこには借り人でそのお題が出されて翻弄される、先輩の背中が写っていた。噂によると、相手方にはきっぱりと断れたそうだ。
この公開告白は青春の醍醐味でもあるが、今の学生はどうも尖ったことを嫌うようで、異常なまでに保守的な性格をしている。
加えて生徒会の実態を知らない僕ら一年生は、彼らがどこまで攻めるのか不明瞭だ。
……ここで、僕の言った嫌な予感が現実味を帯びるのだ。クラスメイトの大半は、僕らが恋人関係であると確信している。
そうなれば必然的に、僕が彼女を借りれば万事解決だという発想に至る。とどのつまり、僕は消去法で絶対的に召集させられることになるだろう。
戸山は僕に棒読みで白々しくこう言ってくる。もちろん、彼女には聞こえないよう小声で。
「借り人競走、このクラスは誰がやることになるのかなぁ。」
「……なんだ。それは僕への当てつけか?」
「まさかそんなわけ。ただ、このクラスに妻帯者は一人しかいないからな。」
「まだ結婚してねぇよ。」
「……やっぱりお前と倉持さん、付き合ってはいるんじゃないのか?」
「いやまぁ、最近色々あってだな……、なんか縁が復活したっぽい。」
「それなら尚更、適任じゃないか?」
「恋人同士がやっても面白くないだろ……。」
「何はともあれ、倉持さん本人に直接聞いてみるんだな。俺は期待しているぞ。」
「いらぬ期待をするなよ……。」
僕は後ろを振り向いて彼女と視線を合わせる。彼女も借り人の存在を認知していたようで、僕に先立ってこう話し掛けてきた。
「……私達がやるしかないわよ。」
「え……?」
「他の子にやらせて、もし変なお題でも引いたら、学級崩壊待ったなしでしょ?」
「でも……、他のクラスに知れ渡らないか?」
「なにが?」
「その……僕らの関係が。」
僕が小声でそう呟くと、彼女は赤羅様に目を細めて、まるで僕を蔑むかのようにこう言った。
「あぁ、呆れた。そんなことで一々怯む人間と付き合っていたなんて。」
「……そうじゃなくて、愛花梨がどう思っているかが知りたいんだよ。」
「別にいいじゃない。私達の交際なんて、今更否定した方が怪しまれるだけよ。きっと、もう風の噂で他のクラスにも周知されてるわ。」
「いいんだな……?」
「いいのよ。」
彼女が快諾したので、僕は先に普通種目の欄に自分の名前を記入し、そして最後まで残されていた一枠にも、名前を書き入れた。
この英断にクラスメイトは歓声を上げ、僕が水島と垰野に視線を向けると、水島は頷いて、垰野はグーサインを提示してきた。
僕がもう一度後ろを振り向いても、彼女はこれといった反応をしなかった。当日まで別段、気にすることもないということだろう。
僕もそれに追随して、借り人を楽観的に見ておくことにした。必ずしも奇妙なお題に遭遇することはないので、変に不安を煽ることもないと思ったのだ。
いつも通り昼休みの時間になって、僕が弁当箱を開けていると、彼女がトイレに立ち入った隙を見て、水島と垰野が僕に話し掛けてきた。
「一昨日、愛花梨とデートしたんでしょ?」
「なんか進展あった⁉」
「まず、なんで僕らがデートしたことを知っているんだよ。」
「内気だった愛花梨が、急に一昨日、大沼公園に行ったのよ? 私には、愛花梨が一人で行く気になるとは思えないの。」
「いやなんでその大沼公園のくだりも知っているんだ……?」
「この写真よ。」
水島は僕に一枚の写真を見せた。そこには銀皿にチキンの乗ったカレーが写っており、一昨日、彼女が食べていたカレーと同じ商品だった。
「これ、愛花梨が私に送ってきたの。あと、大沼公園に行ってきたって文と一緒に。」
「……たしかに、一昨日愛花梨を誘って大沼公園に行ってきた。」
「それで手応えはどうだった!?」
「なんとか交際関係を認めてもらったよ。二人には感謝しかないな。ありがとう。」
「おめでたいけど、それって他の四人とも交際したことになるのかしら?」
「お、おい水島! それは……。」
「ん? 愛花梨の多重人格のことなら、もう美夏には話しているわよ?」
「え、あ、そうか。」
僕は彼女の価値を維持するために、彼女の評判を損なう事実は隠し持っていた。
だが、ここまで彼女の私生活に関わっていく相手なら、僕は秘密を暴露しても差し支えなかっただろう。
現に彼女の秘密を知っている垰野は、それでも自分の立場を揺るがすことはしない。垰野の聖人さをもっと信用すべきだったと、僕はそう恥じた。
「僕くん、私にずっと黙っていたんだね。」
「いやまぁ、本当に申し訳ない気持ちは山々なんだけどさ。そろそろ本名で呼んでくれたりしないかな……?」
「大丈夫! 絶対に呼んであげないから!」
「えぇ……。」
垰野は僕に意地悪を仕掛けてきた。からかいという奴だろう。しかしその発言の後、垰野は僕に対する眼差しを和らげて、こう問うのだった。
「でも……それって、愛花梨ちゃんのプライバシーを守るためだったんだよね?」
「ま、まぁそうだけど。」
「んーじゃあ私に黙った罰として、しっかり体育祭でかましてね!」
「許してはもらえないのか。」
そんな話をしているうちに、彼女がトイレから戻ってきた。僕ら三人の図を見て、彼女は困惑した様子でこう尋ねてきた。
「面白い組み合わせだけど……なに? 密談でもしていたの?」
「い、色々諸々あったのよ……。」
「そう! 諸々諸々あったの!」
「垰野さん、誤解させるようなこと言わないで!」
「ふーん。仲良しなのね。まぁいいわ。」
彼女は若干機嫌を悪くして、女子一行の元へと向かっていった。別に僕は鼻を伸ばしていなかったはずだが、位置関係的に彼女を嫉妬させてしまったようだ。
そんな彼女の後ろ姿を見た僕ら三人は、互いを見つめて合って苦笑するのだった。




