迷宮救助は、勇者の勘より地図が早い
置き去りにされた翌朝、ノアは町の詰所で水袋を数えていた。
「救助隊に入れてほしい?」
迷宮組合の受付長は、机の向こうで眉をひそめる。
「お前、昨日まで勇者パーティーの荷物持ちだった子だろう。戦えるのか」
「戦えません」
ノアは正直に答えた。
その代わり、背負い袋からぼろぼろの地図を広げる。昨日、勇者カイルに投げ捨てられ、角が泥で汚れた地図だ。
「でも、どこで休めるか、どの水場がまだ生きているか、どの通路を通ると魔物の巡回とぶつからないかは分かります」
受付長の横で、救助隊の男たちが鼻で笑った。
「地図なんて古い。勇者様の勘のほうが早いだろ」
「その勇者様が、帰還予定を半日過ぎています」
ノアの声は小さかった。けれど、詰所の空気はそこで止まった。
昨夜、カイルたちは近道だと言って第七坑道へ入った。ノアが「そこは雨季の地下水で道が変わる」と止めた場所だ。カイルは笑い、地図の一部を破り捨てた。
地図係はいらない。
荷物持ちは黙ってろ。
その言葉が、まだ胸の奥に刺さっている。
けれど今、迷宮の中にいるのは、ノアを置き去りにした人たちだけではない。荷運びの見習い、雇われ治癒師、臨時の案内人。誰かの兄で、誰かの娘で、誰かの今日の仕事だった。
「水袋を六つ、担架を二つ。薬草は乾いたものではなく、湿布にできるものを。松明は多すぎると空気が悪くなります。三本ずつ、交代で」
「待て待て。お前が指揮する気か?」
「違います。迷宮が指示しています」
ノアは地図に指を置いた。
昨日は閉じていた細い線が、今朝は青くにじんでいる。地図魔法は道を勝手に作る力ではない。歩いた場所、聞いた水音、石の湿り、魔物の足跡。それらを覚え、危険な道を安全な道へ読み替える力だ。
「第七坑道はここで水没しています。でも、旧排気路がまだ息をしています。勇者様の足跡はこっち。魔物の群れは水を避けて北へ逃げた。だから救助隊は戦わず、南の低い通路を腹ばいで抜ければ近づけます」
受付長は黙って地図を見た。
やがて、壁に掛けていた救助隊の腕章を一つ取り、ノアへ放る。
「案内だけだ。前に出るな」
「はい」
ノアは腕章を胸に結んだ。
戦えない。大声も出せない。けれど、誰よりも道具の重さと帰り道の怖さを知っている。
迷宮の入口で、救助隊の男が小声で言った。
「本当に勇者を助けるのか。お前を捨てたんだろ」
ノアは地図を握り直す。
「勇者を助けるんじゃありません。帰れなくなった人を、帰すんです」
旧排気路の奥から、かすかな叫び声が響いた。
その声に重なるように、ノアの地図の端へ新しい赤線が浮かび上がる。
赤線の先には、破られた地図の欠片が落ちていた。
そしてそのさらに奥で、カイルだけが、他の仲間とは逆方向へ進んでいる。




