第7話 休息②
「ジャン、どこへ行くの?」
「うーん、特に決めてないな。どこか行きたいところはあるか?」
逆に問われて奏は辺りを見渡す。
そもそも彼女が貴族街を歩くのは、逃げて来た日以来だ。行きたいところと言われても奏は困ってしまう。
「ジャンに任せるよ。」
「そうだなぁ…じゃあ、公園に行ってみるか。」
そう言ってジャンが向かったのは、公園というより庭園に近い憩いの場。舗装された道の両脇には手入れされた季節の花が綺麗に並んでおり、蝶も花の蜜に誘われて集まっている。真っ直ぐな道の終わりは広場になっていて、アート作品のように色をそろえた花が咲き乱れていた。
「わぁ、綺麗ね。お花がたくさん。」
「ここは国が管轄している所で、手入れが行き届いているんだ。だから、時期ごとに違った花が植えられているんだと。」
「すごいのね…というか、なんでそんなに詳しいの?」
「あ、ああ、それはちょくちょくここに来てるからな。今日みたいに服集めしたりするからよ。」
なるほどね、と奏が納得すればジャンは静かにホッと息を吐いた。そんなことには気付かず、奏は花が咲き乱れる花壇を見つけて「あ…」と、声をあげた。
「ビオラ…」
「どうした?」
「ううん、何でもない。」
“今度、見に行こうか?”
そう言ってくれたクリストフォロの笑顔が頭に思い浮かんでくるが、奏はそっと心の奥に感情をし舞い込む。もう、忘れなきゃいけないことだと、手に力を込めればジャンに顔を覗き込まれてドキリと心臓が跳ねた。
「おい、大丈夫か?」
「え、ええ。ごめんなさい。」
「気分悪いなら…」
「ううん、平気。…少し前にね、一緒に花を見に行こうって約束してた人がいたの。それをちょっと思い出しただけ。」
「ふうん。」
ジャンの気のない返しに、奏はぷくっと頬を膨らまして彼をめねつける。
「いくら興味ないからって、その返事は酷いんじゃない?」
「えっ?あ、ああ…わりぃな。そう言うつもりじゃなかったんだが…」
「じゃあ、どういうつもりよ。」
「いや…そいつ勿体ないことしたな。って思ってさ。こんな可愛い子とのデートすっぽかすなんてよ。」
「ちょ、なに言って…」
ボッと顔に火が付いたように赤くなる奏は頬に手を当てて隠し、顔を反対側に背けた。
「へぇ、あんたでもいっちょ前に照れるんだなぁ…可愛いところあんじゃん。」
「なっ、からかったわね!」
わなわなと身を震わせる奏にジャンは慌てて逃げ出し、それを奏が追いかける。2人は公園の端まで走って、ジャンは降参だと立ち止まり膝に手をついて肩で息をした。
追いついた奏はジャンの背中を軽く叩く。
「なんで、こんなところ…で、走るのよっ…はぁはぁ…」
「追ってくるのが悪いんだろっ。」
ジャンの抗議に息が上がってしまった奏は何も答えられず、それが余計に腹立たしくってジャンの背中を叩き続ける。
「痛っ、痛いって」
「からかったこと謝りますか?」
「分かった!分かった!謝るよ。悪かったって!」
降参とばかりに声を上げるジャンを見て、奏は腰に手を当てて勝ち誇ったように「なら良し!」と言えば、2人とも可笑しくなって声を出して大笑いした。
それは周りから奇異な視線を向けられるような行動だったが、貴族ではない2人は関係ないとばかりに、周りを気にせずに笑いあった。
2人は足が疲れたのとお腹が空いたのとで、街に戻って遅めの昼食をとった。
その食事もこれまた豪華で、鳥の焼いたのやら、魚の蒸したものやらがテーブルに並び、奏は食べ方に戸惑ってしまう。
「作法なんて気にすんな。好きに食べたら良い。」
「で、でも…」
さすがにこういう場所は周りの目が気になると視線を巡らせれば、ジャンは徐に目の前に置かれていた骨付きの肉を手で取り齧りついた。周りの客が驚く中、気にした様子などなくどんどんと食べ進めていく。
それを見て、奏も思い切って肉を手にして齧りついた。やわらかく焼き上げられた肉は、肉汁が口の中にじゅわっと広がる。あまりのおいしさに奏は顔を綻ばせた。
「旨いか?」
「ええ、とても。マナーを気にしないで、こういった食事をするのは久しぶり。」
「緊張してたら味なんてしねぇだろ。」
ジャンに言われて思い出すのは城での食事。正直、何を食べていたのか、全く思い出せない。覚えているのは、重鎮たちが奏に取り入ろうと世辞を並べていたということ。
それも、奏には意味がないと判断すると、全員が愛美にターゲットを切り替えた。だから奏はただ黙々とマナーにだけ気を付けて食べていた。
「美味しいなら何よりだ。」
そう言われてふと、ここ数日はジャンと食事をすることが多かったなと奏は思った。他愛のない会話。日々の出来事を面白おかしくジャンは話してくれる。
それが何よりも楽しいと感じていたことに、彼女は今更ながら気が付いた。
「うん、ありがとう。」
ふふ、とほほ笑めばジャンは目を開き少しだけ驚いているようだった。でも、すぐ後に彼も楽しそうに笑ってくれる。奏はそんな時間がとても大切に思えたのだ。
食事のあと、奏はせっかく来たのだから店を見てみたいとジャンに言って、今は商店街のような場所へと来ていた。もちろん並んでいる品は高級すぎて、とてもじゃないが買えるような物ではなかったが、見ているだけでも楽しいものだ。
ジャンをそれにつき合わせてしまうのは申し訳ないとも思ったが、存外、彼はウインドウショッピングが好きなのだろう。楽しそうにジャンの方が、あれこれと奏を引っ張りまわしていたくらいだ。
「おっ、この店良さそうだぞ。」
そんなことを言って入ってみればアクセサリーショップで、色々な宝石が輝きを放っていた。
奏が前に商品を売りに行った店とは違って、ゴテゴテしたアクセサリーは少なくシンプルなものが多い。一つ一つをよく見れば作りが凝っているようで、見ていて奏は楽しくなっていった。
しばらく色々なもの見ていたが、そのうちのひとつに奏は目を奪われる。
それは、グリーンの宝石が一粒だけのとても質素なネックレスだった。宝石の形が変わっているのか、光の加減でキラキラと輝いて見える。
“それ、本物の魔石だね。”
頭に声が直接流れてきたと思えば、奏の目の前にお尻を向けてセツが現れる。
“魔石って?”
「お客様はお目が高い。こちらをお選びになるとは」
奏の思考は店主の言葉によって遮られた。声に振り返れば、立派な髭を蓄えた壮年の男が、営業スマイルを向けて立っていた。
「た、確かに目にはとまりましたが、選んだわけでは」
「こちらは滅多に手に入らない等級の高い魔石を使用しております。この輝き、これは魔石だからこそ見せるものなのです。魔石は加工が難しくここまで美しさを表せるように加工できたものは世界でも数点あるかないかです。」
まくし立てる店主に奏は口をはさむ余裕がなく、聞いているしかできない。
「なんか、良いもんでも見つけたか?」
後ろから声をかけられて、奏は助かったとホッとした。
「魔石が使われているって、説明してもらっていたの。」
「是非ともお嬢様にと、お話ししておりました。」
店主の言葉に奏はブンブンと頭を左右に振って否定する。
「私にはとても…」
高価すぎて無理です。という言葉は飲み込む。
「似合うと思うけどな。」
ジャンがそんなことを言い出すので、店主も奏にと勧めだした。
「私には似合いませんっ。ほら、ジャン行くよ。」
そう言って奏は半ば強引に、ジャンの腕を引いて店の外に出た。
ずんずんと店から逃げるように歩いて奏が立ち止まったのは、噴水が綺麗な広場だった。そこは買い物に来た人たちが休憩するのにつくられたようで、ベンチがいくつかあったが今は全て埋まっていた。
「似合うと思ったのになぁ。」
ぶつぶつと不満をまだ言うジャンに奏は、はぁと大きなため息をついた。
「あんなのいくらすると思ってるのよ。」
「相当値が張るだろうな。」
「でしょ。そんなもの買えるお金はありません。」
「そう言う時は、ねだるもんだぜ。」
「え?」
「ねだられたら買っちまうのが男ってもんだろ。」
「それで無一文になったらどうするつもりよ?」
「そりゃあ稼ぐしかねぇな。それに、無一文ならまだ良いもんだろ。借金するかも知れねぇぞ。」
「なおのこと悪いわ。」
奏の言葉が意外だったのだろう。ジャンはクツクツと笑った。
「あんたは珍しいねぇ。ねだる女性の方が普通だぞ。」
「そうなの?」
「ああ…普通はな。」
「ふぅん。でも…私は嫌かなぁ。だって、それって相手のことを考えていないじゃない。もちろん、全てがダメって訳じゃないけど、無一文や借金までさせるの私は嫌。
プレゼントはお互いが幸せな気持ちにならなきゃ、もらっても嬉しくないかな。」
「俺は借金をしてでも、その人の喜ぶ顔を見られれば、そんな事どうでも良くなるくらい嬉しいけどな。」
「それは、そう思える人に渡してちょうだい。」
「………だな。」
ジャンはなにかを飲み込んで、笑顔を作った。
「なんか喉が渇かねぇか?買ってくっからその辺で待っててくれ。」
うん、と頷くとジャンは走って雑踏に消えていく。
奏は木陰を見つけて木を背もたれに、のんびりとした気持ちで広場を眺める。
広場は子供たちの遊び場になっているのか、元気に走り回る子供たちの楽しそうな声が響いていた。
公園にあった噴水とは違って縁が浅く造られていて、子供たちが遊べるようになっている。
「わぁ!すごく素敵なところねっ。」
どこからか聞き覚えのある声が耳に届く。
奏は驚き声の主を探せば、薄ピンク色のワンピースを着た女性が噴水に向かって駆けて行くのを見つけた。
「愛美…」と奏が小さく呟くと「ありゃーバットタイミング。」と呑気な声が頭上から返ってきた。
「楽しそうにしか聞こえないんだけど?」
「そりゃあ楽しいからね。」
これから何か起こるだろうなと思って、セツはニシシと愉快そうに笑っている。
「走ったら危ないよ。」
男性の声に反応して奏の心臓がドクンと強く鳴った。ドクドクと全身が脈打つような感覚に、胸を押さえる。そして、その声を探してしまう自分に、奏は呆れつつも結局は彼を探した。
愛美のあとを追いかけるのは、間違いなくクリスの姿だった。彼はいつもと違ってラフな格好をしていて、ネクタイは愛美のワンピースの色と同じ。誰がどう見てもデートをしているカップルにしか見えない。
「大丈夫よ。ほら」と、楽しそうにくるくると回って見せる愛美に、優しい眼差しを向けるクリス。
愛美は目を回したようで、足元がおぼつかない。そんな愛美の腰に手を当てて、クリスが支えてあげた。
そんな光景を見せられて奏は顔を背ける。忘れられそうだった思い出が溢れてきて、奏を惨めな気持ちにさせた。
見ているのが嫌になって噴水に背を向けたが、愛美の悲鳴に奏は動きを止めた。
気になってそちらの方を見直せば、愛美が噴水の中に尻餅をついていた。
「大丈夫!?」
「ええ、でも、これじゃあ」
「風邪を引いちゃうね。今、なにか拭くものを取って来るよ。」
そう言ってクリスは急いで、来た道を戻って行く。ぽつんと残された愛美は不満そうな顔を一瞬見せてから、辺りを見渡した。それは何かを探しているようにも見える。
そしてそれは奏の前で止まる。
目があった、と奏はそう思った。
すると、バッと愛美は立ち上がり、奏の方へと向かってくるので、奏は背を向けて逃げ出そうとするが、振り向いた瞬間に額を何かにぶつけた。
「いたた…」
「おい、大丈夫かよ。余所見してるとあぶねーよ。」
「ジャン…」
「見つけたわっ!」
奏が諦めの声をため息のように出したが、それは愛美の声によってかき消された。
「…なんだ、知り合いか…って、ずぶ濡れじゃないか。お嬢ちゃん、大丈夫かい?」
ジャンが心配そうに声をかけるが、愛美は静かに彼を見つめるだけ。しばらくシーンとした空気が流れたが、
「…イケメン」
ポツリと愛美の感想が耳に届いた。
-やっぱり。
「このお嬢ちゃんはどうしちまったんだ?」
「あー…」
肩越しに愛美を見て返答に困っていると、愛美がズイッと奏を押し退けてジャンの前に近づいた。
「あ、あの!で、できれば、何か羽織るものを貸していただけませんか?」
勢い込んだものの、徐々に恥ずかしくなってきたのか、おずおずと声をかける愛美は、それでも上目遣いをしてジャンを見つめている。そして手で自分の肩を抱いて寒そうに震えた。それはさながら寒さに震える、子犬のような愛らしさがある。
これが計算じゃなきゃ可愛いのかもしれないが、彼女の本性を知る奏には胡散臭くて仕方がなかった。
「ありゃ、これは災難だったね。」
「はい、噴水を見ていたら急に虫が飛んできて驚いてしまって…」
愛美の言葉にジャンは羽織っていた上着を脱いで、彼女にかけてあげた。
「服を乾かさないとなぁ…」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございます。」
ニコリと笑えば花が咲いたように可愛らしいのだろうなと想像したら、ジャンがボーッと愛美を見つめているように奏は見えてしまった。
そんなジャンを愛美はじっと見つめてから、羽織った彼の上着をギュッと引き寄せて少し頬を染めるだけで、ドキリとしない男はいないだろう。
「いや、助けになったなら良かったよ。あと、はいこれ。」
ジャンは手にしていた飲み物を愛美に渡す。カップからはホカホカと湯気が出ており、愛美は両手で包み込むとホッとため息をこぼす。
「さっきの人が戻るまでは大丈夫だろう。」
「ええ、そうですね。」と、同意してから愛美は辺りを不安そうに見渡した。
「あの、ご迷惑でなければ、彼が戻るまで側にいてもらえませんか?」
「え?」と、戸惑ったジャンを逃がすまいと、ずいっと彼との距離を縮め、片手をジャンの耳元に当てて、何かを囁いた。
するとジャンが驚きつつも、彼女の胸元に視線をチラリと動いたのを奏は見てしまう。
それで奏も気がついた。水で濡れたせいで、愛美の服は透けていて身体のラインが露になってしまっていた。特に胸元は下着が透けて見えてしまっている。
“やられたね。”
「え?」
そんな声は頭に響いた。声の主を探す気力もなく、でもジャンと愛美から目を離すこともできなかった。
このぐちゃぐちゃした感情はどうしようもなく、奏の心を抉っていく。それはなぜかクリスとのイチャイチャを見せられるよりも、鋭利なもので奏の心を突き刺していた。
“あれ、分かっててやってるよ。さすが悪魔憑きだ。”
「…もういい」
口ではそう言いつつも、ちらりとこちらを見て笑った愛美の顔を奏はしっかりと見ていた。勝ち誇ったような表情。
いつも奏が見てきた愛美の本性だ。いつも自分が上でないと許せない。愛美は奏の全てを奪った。
それは世界が変わっても変わらないものなのだと、この時奏は思い知らされたのだ。
「で、お嬢ちゃんはヴィオラの知り合いなのかい?」
「えっ?ヴィオラ…」
ジャンの言葉に戸惑いを隠せない愛美だが、今は彼にまだ正体を知られるのは良くない。そう思った奏は、ガシッと愛美の両肩を掴んだ。
「ヴィオラよ!忘れちゃったっっっ?」
慌てて声にすれば、愛美は納得したのか、はたまた自分も名乗れば異世界人…つまり聖女だと気づかれてしまうと分かったのか、愛美は「あっ、ああ!」と手をポンと叩いた。
「ヴィオラね。探したのよ。急にいなくなるから。」
「…そうなんだ。」
「せっかくの婚約パーティーに貴女がいなくて、私、寂しかったのだから。」
「…へぇ。」
「かな…ヴィオラ、冷たーい。」
「…」
「ただお祝いして欲しかっただけなのに。」
「本当に?」
「えっ?」
気付いたら思いが口から出てしまっていた。一度爆発した感情は止まることが出来ず、口からボロボロとこぼれた。
「貴女のそれは違うでしょ。惨めな私に来て欲しかっただけでしょ。」
「なんでそんなこと言うの?」
目に涙をためてうるうるした瞳で奏を見る愛美。怯えたようにジャンの腕をギュッと掴むことも忘れない。
それを見て奏は余計に腹立たしく感じて、目を吊り上げる。
「ああ、それとも仕事が終わらないから?でも、良いじゃない。お得意の可愛さを使ってお願いして回れば。皆手伝ってくれるんじゃない?」
「え、仕事?どうしてそうなるの?ね、ねぇ、どうしたの?かなで…」
「ヴィオラよ!相変わらず覚えの悪い子ね!いい加減にしてちょうだい。いつもいつも貴女の言いなりになるなんて思わないで欲しいわ!私はもう戻らない。分かった?貴女だけで何とかしなさいよ。」
息継ぎもせず声を張り上げれば、息が上がり肩も大きく上下する。酸欠で頭が痛くなってきて、額を手で押さえて深呼吸すれば、空気が取り込まれて少しだけ心が落ち着いた。
「うっ、うう…」
奏が少し冷静さを取り戻して視線を上げれば、愛美の目からポロポロと涙が溢れていた。
それが演技だと分かるのは、奏がそれだけ彼女との付き合いが長いから。だから、奏が愛美に冷たい視線を送ってしまうのも仕方ないことだ。
「大丈夫か?ほら、これで涙でも拭きな。」
ジャンはハンカチをポケットから取り出すと、愛美にスッと差し出す。さもそれが当然の行いのように自然な動きで、愛美は頬を赤く染めてぽっとジャンを見つめていた。
優しい言葉。そうやって男は皆、愛美(彼女)に落とされる。
ふと、ジャンと視線がかち合った。それは奏(自分)を責めるような視線に見えた。なぜ、愛美を泣かせたのか?なぜ、婚約パーティーに出席しなかったのか?
そう、責めているようにしか見えない冷たい視線。
またか…
奏の心が闇に落ちるようにズンと重くなる。ズキズキと痛む頭はもうなんの感情もなく、ただただ痛いだけ。
くらくらと眩暈すら感じ始めて、吐き気までするのだから最悪だ。
全ての時がゆっくりと動くような感覚に陥り、ジャンが何かを伝えようと口を開くのがスローモーションで見える。また非難されるのかと思えば、奏はくるりと後ろを向いて、脱兎のごとく駆け出した。




