第5話
島から出たことのないわたしにとって、舞踏会の華やかさは筆舌に尽くしがたいほどだった。
大広間の大きさと壮麗さに圧倒された。
天井までもが、イングランドの高度な建築様式で造られていた。
いつまでも上を向いていると田舎者と思われるので極力下を向いていた。
床も天井と同じぐらいピカピカに磨き上げられていて、うつむいて歩く自分の顔色まで映りこんでしまいそうだった。
美しい床にすべらないよう気をつけながら進んでいくと、バイオリンの四重奏が聞こえてきた。
大広間の中央で大勢の人々が踊っている。
オリバーがいた!
中央でクロエと踊っている。
四方の壁際で、大きな扇で顔を隠しながら口さがない連中が2人についてのうわさ話をしていた。
わたしの耳にも聞こえてきた。
「リード家の坊ちゃまはどうしてあんな太った女をおもらいになられるのかしら?」
「あれならうちの犬のほうがましよ!」
「島の女ならあのていどなんじゃない?」
「しかもオリバーさまの従弟のダニエルさまと遊びまわってるそうじゃないの!」
「リード家の格が落ちるわね!」
散々な言いようだ。
当事者でなくてほんとうによかったと心からそう思った。
なにも気づかず得意げにダンスを続けるクロエを少し気の毒に感じた。
だが、やはり2人が抱き合って踊る姿は見たくなかった。
痛む心を隠しながらリード家の席にむかった。
「まあ! エマ……とてもステキよ。わたしの若い頃より似合うわ!」
「奥さま……どうもありがとうございます」
「ほんとうだ! 妻の社交界デビューを思い出すよ! ファーストダンスはわたしと踊ったんだ。争奪戦でたいへんだったよ!」
「まあ! あなたったら!」
オリバーの両親はすてきな夫妻だ。
上品で決しておごるところがない。
オリバーが受け継いだたくさんの利点のひとつだ。
「エマ……本当に美しいわ。オリバーはどうしてあなたを選ばなかったのかしら? 彼もいまはとても後悔していると思うわ。いまからでも遅くは……」
「おい、やめないか! 今日はクロエのお披露目だ。たしかにダニエルとのよくない噂もあるが、もう正式に婚約をしたんだ。皆に示しがつかないだろう? わたしたちにいまできることは、エマに良いお婿さんを探してあげることだ。いまどきこんな良いお嬢さんがいるなんて信じられないよ!」
リード夫妻が包みこむようなやさしいまなざしをわたしにむけてくれた。
胸の奥がしめつけられるように苦しくなる。
わたしは嘘をついている。
本当の花嫁はわたしだ。
だが、その嘘は彼らを苦しめると同時に救っているのだ。
わたしはそう信じこんでいた。
ひとしきり皆が踊り終わると、パートナーのいない男性が壁の花を誘いはじめた。
わたしの周りにも遠巻きに人が集まりはじめた。
どうしよう。
今日は踊るつもりなどないのに。
そのとき人垣を掻き分けてオリバーがやってきた。
「エマ! ぼくと踊ろう! さあ!」
長い腕を伸ばしてわたしの前に手を差し出す。
大きくて美しいオリバーの手の平。
わたしはその手に自然に手の平を重ねこたえていた。
2人で中央に進み出る。
音楽に合わせステップを踏みはじめた。
2人の動きはピンク色の絹の靴を履いたときと同じく、あつらえたようにピタリと一致した。
驚いてオリバーと目を見交わしてしまった。
生まれた瞬間から、2人は出会う運命だったのだろうか。
でなければこんなにも自然にステップを刻むことができるはずがない。
ダンスなどするべきではなかった。
身体を密着することで更にオリバーと離れがたい心情に陥った。
オリバーの吐息を耳や後れ毛に感じるだけで、気持ちがすべて持っていかれてしまう。
彼の碧い瞳から、1秒たりとも目が離せない。
素晴らしいバイオリンの演奏も人々の好奇の視線も、豪華なシャンデリアの灯かりさえも目に入らない。
それらは遥か彼方に消え去り無色透明な背景となってしまう。
音も香り光さえも消え、わたしはオリバーとただ2人きり。
気がつくとオリバーとわたしだけがフロアの中央で踊っていた。
鳴り止まぬたくさんの拍手。
ふと視線を感じて振り返るとダニエルにもたれるクロエの姿があった。
目が語っている。
おまえを絶対に許さないと。
わたしは急に身震いがして、オリバーの腕の中からいそいで逃げだした。
「あっ! エマ!」
一気に中庭まで駆け抜けた!
「ハアハア……いけない、ぜんそくが……コホン、コホン……」
「エマ!」
「オリバーさま……」
うしろからオリバーがやってきた。
大広間からは再びバイオリンの演奏が聞こえてきた。
皆、オリバーとわたしのことなど忘れ、再びダンスに興じはじめたのだ。
「急に走るのは身体に悪い、そこのベンチに座ろう」
「はい……ハアハア」
しばらく座っていると落ち着いてきた。
いつの間にかオリバーに手を取られていた。
いそいで手を引っ込めようとしたが、わたしの両手はがっちりとオリバーに握られていた。
「あの……オリバーさま……」
「しー……黙って……月明かりに君の金髪が光ってとてもきれいだ」
「…………」
これ以上は危険だ。
わたしのなかで警鐘が打ち鳴らされる。
だが、その鐘の音を無視したいという欲望がフツフツと湧き起こってきた。
自分のなかに訪れた初めての衝動にわたしはとまどっていた。
オリバーの瞳に月が輝く。
魔法にかかったように彼の瞳から視線をそらせなくなる。
磁石のようにピタリと吸い寄せられたわたしの身体は、硬直し動けなくなってしまった。
オリバーの左手はわたしの肩に。
もう片方の手はわたしの頬をすべる。
すべての時が止まりすべての音が消え永遠が一瞬になる。
吸い寄せられるように2人は、キスを交わしていた。
そこには情熱と背徳とそして甘酸っぱい初恋の香りが漂っていた。
「オリバーさま……! いけません!」
――ドンッ!
わたしは正気に戻り、オリバーを突き飛ばし庭の奥へと駆けだした。
――リーン、リーン……。
虫の声が一斉に耳につきはじめる。
「ハアハア……わたしは……なんということを……!」
胸の動悸はおさまりそうになかった。
◇ ◇ ◇ ◇
夜中過ぎに降りはじめた雨は翌日まで続いた。
枕の下に忍ばせたデイジーの花冠は朝にはすっかり萎れていた。
良い夢を見るどころではない。
ドキドキして一睡もできなかった。
正午近くにセバスチャンと馬車で出掛けた。
海はひどくシケていたが船は定刻どおりに到着していた。
「エマ! ここだ!」
「ジャック!」
予想に反しジャックだけでメアリーはいなかった。
その代わり彼は見知らぬ男と一緒だった。
「エマさま! わたくしは橋が心配なので1度もどります。お気をつけて!」
「セバスチャン、どうもありがとう。では、あちらのコーヒー・ハウスで待っております」
港へ向かう途中で大きな河を渡った。。
その河は昨夜からの大雨で水かさがだいぶ増していた。
セバスチャンは大事をとって屋敷に戻った。
もしも河が氾濫し橋が渡れなくなったら、オリバーは山沿いの道を遠回りしてこなくてはならない。
どちらにしてもこの天気では観光は無理だ。
オリバーが到着するまで、ジャックとメアリーと一緒にコーヒー・ハウスでおしゃべりをするつもりでいた。
それにしても、昨日の今日でオリバーにどんな顔をして会えばいいのか。
今日は朝から彼に1度も会っていない。
「エマ! きれいになって! やっぱり都会はちがうな!」
「ジャック! 久しぶりね! なつかしいわ……今日はメアリーは?」
「すまない、メアリーは海の波に恐れをなして船に乗れなかったんだよ。あいつは船酔いするからね。本当は2人で観光するつもりだったんだ。残念だよ」
「わたしもメアリーにとても会いたかったわ……。あの……そちらの方は……?」
「ああ、すみません、カーライル家のお嬢さま。わたしは羊毛製品の輸出業をしているスミスという者です」
「エマ、彼はギルド組合に属していないうちの島と直接交渉してニットを高く買い取ってくれるそうなんだ。その交渉に今日は来たんだ」
「まあ、そうだったの? それはすてきなお話ね。わたしも常々そのように考えていたところです」
「ならばお嬢さま! よろしかったらうちの羊毛工場へ見学にいらっしゃいませんか? この雨です。行くところがないでしょう。あそこのコーヒー・ハウスで待ち合わせなのでしょう? ちょうど、うちの1番上の息子が働いております。待ち合わせの方がいらしたらうちへ呼びに来させますよ」
「羊毛の工場?」
「そうなんだエマ! うちの島の羊毛の糸つむぎをこちらにお願いしてはどうかと思ってね」
「工場で糸つむぎを? そうね。そうすればニット制作の時間が短縮できるわ。では、お願い致します!」
「どうぞどうぞ! カーライルのお嬢さまを案内できるだなんて光栄です! こちらです!」
わたしはジャックと共に羊毛工場の見学に行くことにした。
島の将来のためにとったこの行動が、のちの人生に暗い影を落とす要因になるなどとは、このときのわたしは思ってもみなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
「雨はひどくなる一方ですな……今夜はお嬢さま、うちにお泊りなってはいかがですか? 家内や子供たちも大歓迎ですよ。待ち合わせの方もお見えにならないようですし……」
「エマ、そうさせてもらえよ! おれは工場の従業員部屋に寝かせてもらうから!」
「どうしましょう……」
すっかり夕方になってしまった。
雨脚は強くなるばかりだ。
河が氾濫し橋が渡れなくなったそうだ。
この分では山沿いの道も通れるかどうかわかったものじゃない。
オリバーは港に来るのをあきらめたのだろうか。
やむをえず、工場主の家の来客部屋に泊めてもらうことにした。
◇ ◇ ◇ ◇
翌日は昨日のことがうそのように朝から快晴で、港では早くから船が出港していた。
「ジャック、せっかく来てもらったのにどこも案内できなかったわ。ごめんなさいね」
「なに、言ってんだ! こうして会えたのだから、それだけでいいじゃないか!」
「ジャック……来てくれて、どうもありがとう! とてもうれしかったわ!」
「次は絶対にメアリーを連れてくるからな! 羊毛工場の件も検討しておいてくれよ」
「わかったわ、気にとめておく! 気をつけてね! メアリーによろしく!」
なつかしい友。
辛い恋を忘れ、一緒に島に逃げ帰りたくなってしまった。
ジャックの船が見えなくなるまで手を振り続けた。
方向転換しコーヒー・ハウスに向かおうと歩き出したところで声を掛けられた。
「エマ! ジャックと会ってたんだね!」
驚いて振り向くと馬車から義母とクロエが顔を出した。
「お義母さま……クロエ……! どうしてここへ?」
「どうしたもこうしたもないよ! 昨日あんたに会おうと出掛けたオリバーさまが、雨に打たれて高熱を出しうなされてるよ! セバスチャンがつきっ切りで看病してるから、わたしたちが代わりにやってきてやったんだよ! サッサとお乗り!」
「そんな……! たいへんだわ!」
わたしはコーヒー・ハウスに駆け込み工場主の長男に事情を説明すると、継母たちの馬車に飛び乗った。
「オリバーさまは一昨日の晩、舞踏会を抜け出したまま朝まで雨に濡れていたそうだ。そのまま会議に出てエマに会うために港へ向かったんだが、途中で木の下敷きになっている男がいて雨のなか助けたそうなんだよ。男は無事に病院まで運ばれたそうだけど、オリバーさまが熱を出してしまわれたんだ。おまえのことをうわごとでまで気にしているそうだよ。なのにあんたは、呑気にジャックなんかと逢引きだ! ゆうべは、あの羊飼いと一緒だったのかい?」
「ちがうわ! 羊毛工場主のお宅に泊まらせていただいたの! 奥さまに聞いてくださればわかります!」
「ほんとうかい? あんたが生娘でないとこっちが困るんだよ! 誓ってそうだって言えるかい?」
「はい! 神に誓ってジャックとはなにもありません。彼も従業員と寝泊りしたのよ! なにかあれば従業員が証言してくれます!」
「従業員の証言なんてあてにならないが、まあ、あんたにそんな大胆なことはできるわけないか? アハハハハ……!」
「ウフフフ……エマが堅物でよかった!」
継母とクロエが変な目つきで笑いはじめた。
何かたくらんでいそうで気味が悪い。
「オリバーさまは? 熱はひどいのですか?」
「峠は越えたそうだよ。でも、意識はもうろうとしているそうだ。おあつらえむきだよ!」
「おあつらえむき?」
「なんでもないよ! こっちのことさ!」
「あの……お屋敷に行く道とちがわないですか?」
「豪雨であちこち冠水してんだ! 多少のちがいは気にしなくていいんだよ!」
継母にすごい目でにらまれたので、それ以上は聞くのをやめた。
オリバーが無事ならそれでいい。
彼にはとても悪いことをしてしまった。
舞踏会の夜、別れたあともオリバーはベンチに座り続けていたのかもしれない。
それで雨に濡れてしまったのだろう。
昨日も馬車で来る途中、人を助けるために雨に打たれたようだ。
わたしに関わると彼はいつも大変なことに巻き込まれてしまう。
一刻も早く彼から距離を置く努力をしなくてはいけない。
◇ ◇ ◇ ◇
――ガラガラガラガラッ……。
やはりおかしい。
馬車は街に近づいたが、リード家とは反対方向にむかっている。
継母とクロエがさっきからやたらと目配せをしている。
わたしをどこかに連れ去るつもりだろうか。
馬車はやがて寂れた場所に建つ1軒の宿屋の前にとまった。
下が酒場で上が宿泊所のようだ。
「あの……ここは?」
「オリバーさまがここで寝てらっしゃるんだ! セバスチャンが中にいるから呼んできておくれ!」
「でも……下は酒場ではないですか?」
「昼間だから誰もいないよ! 仕方がないだろ! こんなとこしか寝かせられなかったんだから!」
「わかりました……」
いぶかしく思いながらも馬車を降り、宿屋のドアをノックした。
「すみません! リード家の者がこちらにお世話になっていると……」
――キイッ。
中から派手な身なりのけばけばしい化粧をした女が顔を出した。
酒場の女主人だろう。
「お嬢さんかい? エマってのは?」
「はい、そうですが……」
「リードさまは2階にいるよ! 正面の階段を上がった突き当たりの部屋だ! 勝手に入っておくれ!」
「あの……いいのですか?」
「ああ! エマって令嬢がきたら入れてくれって言われてるんだ」
「それでは、失礼します……」
――キイッ、キイッ……。
恐る恐る階段を上り2階へあがった。
――コン、コン!
正面の部屋のドアをノックした。
返答はない。
だが、バタバタと人があわてふためくような音がしている。
セバスチャンだろうか。
しばらくするとコツコツと足音がして誰かが顔を出した。
派手な赤毛の女でどこかで見たような顔をしていた。
なんと下着姿だった!
「はい?」
「あの……リード家の者がここに……」
「あんたって、まさか……! リードさまのお屋敷にいる……! こいつー!」
「きゃあっ!」
女がいきなり飛びかかってきた!
わたしの髪をつかみひっぱりはじめる!
「リードさまの新しい女だね! この金髪! こうしてやる!」
「やめてください! なんなんですか!」
「わたしとリードさまは古くからの馴染みなんだ! あとからきたあんたなんかに、邪魔させやしないよ!」
暴力に必死であらがいながら女の顔を再度かくにんした。
そうだ!
わたしはこの人を知っている!




