第4話
リード家は我が家とは比べ物にならないほど大きなお屋敷だった。
先祖代々続いている立派な一族だから当然だろう。
何も知らずによく婚約などしたものだ。
オリバーの両親もとても立派な人たちだった。
リード伯爵はオリバーによく似た長身で金髪にやさしそうなブルーの瞳をしていた。
リード夫人も金髪碧眼でとても親切にしてくれた。
お屋敷にはわたし用にも部屋が用意されていた。
バルコニーからは裏庭が見え白いデイジーの花畑がひろがっていた。
オリバーが8年前に持ち帰ったものが増えていったものらしい。
わたしはこっそり裏庭に下りていきデイジーの花冠を作り枕の下に忍ばせて寝た。
誰かと同じ夢が見られたのかはわからないが、島の丘でオリバーと一緒にゾーイのお墓参りをする夢を見た。
翌朝、いつもの習慣で早起きしたわたしは庭を散歩していた。
昨日と同じ茶色の古びたワンピースドレスを着ていた。
亡くなった母の古い普段着でこんなものしか残されていなかった。
豪華なドレスや宝飾品はすべて継母に持っていかれてしまった。
生まれ育った小さな島にはこれといった産業はない。
土地は痩せているしあまり良い漁場もない。
牧畜や農作業、海で取れた魚で自給自足生活をしている。
家の中で手が空くとどこの家庭でも羊毛で編み物をする。
そのとき作られるニットがイングランドに売られていく。
独特の模様や編み方と上質な羊毛がよろこばれ大陸へも流通していくらしい。
なんとか特産品にできないかといつも考えていた。
「これは失礼!」
「まあ! すみません!」
考え事をして歩いていたせいで見知らぬ男性にぶつかりそうになってしまった。
とても背が高く金髪碧眼でオリバーによく似ているが目つきが鋭かった。
歳もオリバーと同じぐらいだろう。
朝だというのに乱れた服装をして酒臭く、身体全体から退廃的な雰囲気が漂っていた。
「あなたはもしやクロエ? オリバーの婚約者の?」
「いえ……わたくしはクロエの義理の姉のエマと申します」
「エマ? オリバーの最初の婚約者はエマではなかったかな?」
この男はなぜそんなことまで知っているのだろう。
どうこたえたらよいか戸惑っているとうしろから声が掛かった。
「ダニエル! また朝帰りか? エマと何してる!」
「おやおや? オリバーがそんなにご立腹とはめずらしいな。堅物のおまえも、いちど朝帰りしてみればわかるよ。背徳の香りが蜜の味だってことをさ!」
「また他の男の女を寝取ったのか? いい加減にしないといまにたいへんな目に遭うぞ! こんどこそ叔父上に勘当されるからな!」
「それだけはカンベンだ! 金が続かなくなったらおれも終わりだからな。女に食べさせてもらうのは主義に反するんでね」
「おまえの主義など女は気にしてないさ! はやく帰らないと家人に見つかるぞ!」
「わかった、わかった、大人しく寝に戻るよ! エマお嬢さん、また会いましょう!」
ダニエルはウインク1つ残して去っていった。
「まったく、あいつは……!」
いつの間にか隣りにオリバーが立っていた。
今日も白いオーバーブラウスにぴっちりとした黒いズボンを穿きとても爽やかな雰囲気だ。
「オリバーさま、おはようございます」
「エマ嬢、おはようございます。よく眠れましたか? いまのは従弟のダニエルです。放蕩者で皆が手を焼いています。関わらないほうがいいですよ。彼のいうことは気にしないでくださいね」
やさしく微笑むとわたしの手を取り庭を案内してくれた。
色とりどりの花々や木々が植えられていた。
オリバーはその1つ1つの名前と特徴をよく知っていた。
原産国や育て方、花や種子のことまで教えてくれた。
「オリバーさまはたいへん博識でいらっしゃるのですね」
「そんなことはないですよ。子供の頃、植物学者になりたかったのでいまでも勉強しているだけです」
そういえばそうだった。
オリバーはよく様々な植物の名前を教えてくれた。
本当は植物の研究者になりたいんだといっていた。
「なかでもいちばん好きな植物はやはりデイジーです。この花畑を見てください。あなたの島とは比べ物になりませんがね。ここにいるとあのデイジーの花畑にいるような気分になれるのです」
「そうですね……ここはあの丘によく似ています……」
オリバーと2人でデイジーの花のなかに埋もれていると、あの頃にもどったような気分になる。
8年経ったいまでは、2人を取り巻く環境はこんなにも変わってしまったというのに。
「朝食のあとで図書室にいらしてください。お約束した家庭教師を待機させておきますから! 期待してくださいね?」
オリバーがいたずらっこのような目でわたしを見た。
家庭教師とはいったいどのような人物なのだろう。
◇ ◇ ◇ ◇
「まあ……!」
朝食のあと図書室に向かうと、そこにいたのはなんとオリバー本人だった!
「驚いた? ぼくが教師なんておこがましいけど、あなたに教えられるぐらいの知識はあるつもりです。この街にはすばらしい博物館や図書館がたくさんあります。植物園や動物園にも行きましょう。そうだ! セバスチャンからあなたが船好きとお聞きしています。湖で船の漕ぎ方を教えてあげましょう! 乗馬はどうです?」
「8年前までは乗っておりましたが……」
「では、遠出ができますね? ぜんそくの件ですが……エマ嬢はどうも栄養状態が良くないようだ。あまり食べさせてもらってなかったでしょう? その割には労働がきつかったのではないですか? よく寝てよく食べて医者にも診せましょう! それと……」
「あの……お医者さまはお金が掛かるので……我が家は貧乏で……」
「リード家の侍医に見せますからお気遣いなく! まずは良質なハーブで喉を潤しましょうね」
「オリバーさま……」
オリバーは宣言どおりわたしにいろいろな知識を植え付けてくれた。
有名な歴史書や図鑑を紐解き解説するだけでなく、実際に博物館や美術館へ足を運んで説明してくれた。
もちろん2人だけではなく常に誰かお付きの者がいた。
「オリバーさま! くじらの骨ってこんなに大きいのですか?」
「くじらは様々な用途に使われます。ひげはペチコートの枠組みにも使われているんですよ」
「これほど巨大なものとは思っていませんでした」
「ハハハハ! 驚いたでしょう?」
オリバーはその他にもさまざまな遺跡や城跡などにも案内してくれた。
8年ぶりの乗馬の腕前は衰えていなかった。
オリバーとたびたび遠乗りに出かけた。
そのたびに山や湖を案内され舟遊びもした。
ぜんそくはだいぶよくなっていた。
医師の適切な指導により栄養のある食べ物をたくさん取り睡眠時間を増やした。
急にはあまり食べられなかったが、少しだけ体重も増えた。
それにより髪ツヤも甦り肌も白くなめらかになってきた。
「手の荒れもすっかりよくなったわ……」
庭を眺めながら医師に処方されたハーブティーを飲み、手を陽にかざした。
こんなに穏やかであたたかい日々がやってくるなんて。
だが、確実にオリバーとクロエの婚姻のときは迫っていた。
結婚式まであと1ヶ月を切ったころ舞踏会が開かれることになった。
オリバーの婚約者としてクロエが正式にお披露目されるのだ。
前日に継母とクロエの部屋に呼ばれた。
新調の衣装をわたしに見せつけるためだ。
その真っ赤なドレスは襟ぐりが大きく開いてまるで娼婦のように下品なデザインだった。
クロエの胸に輝く真珠のネックレスは亡き母の形見で、太い指にはめられたルビーの指輪は我が家に伝わる結婚指輪だった。
クロエは髪を高く結い上げ真っ赤なサテンのリボンを結び、これみよがしにわたしの前でまわってみせた。
「エマ、見てごらんよ、このドレス! 最新のデザインなのよ! 靴もお揃いよ! オリバーさまは反対してたけど、これぐらい斬新な作りでないと都会の令嬢たちには勝てないわ! ここはイングランドの中心よ! 誰よりも目立たないと!」
「クロエ、それでいいのよ! あなたは美しいわ。もっともっと目立たないと! 社交界の華になるのよ!」
「だけどお母さま! それにはもっと高価な衣装やアクセサリーが必要よ! リード家はどうしてこんなにお金を出し渋るの? 今回もドレスと靴代しか出してくれなかったのよ!」
「奥さまがしっかりしている方だからね……。あてがはずれたよ! 結婚しても財産はクロエの自由にはなりそうにないよ! もっといいパトロンを探さないとね!」
「そうね、お母さま。わたしはこのままでは終わらなくてよ! オリバーさまはケチだし、結婚前だからと絶対にわたしに手を出してこないのよ! 手ひとつ握らないの! どっかの誰かと勉強ばかり! たいくつな男! それに比べていとこのダニエルさまは……それはそれは羽振りがいいのよ? すごく女慣れしていらっしゃるし!」
クロエが、およそ嫁入り前の娘とは思えない内容の言葉を吐いた。
継母もそれに黙ってうなずきかえす。
恐ろしい母娘のたくらみに胸が痛んだ。
わたしのせいでオリバーにこのような人間との関わりをつくってしまった。
だが、いまからではもうどうしようもない。
クロエはリード邸に着いてすぐからダニエルと遊びまわるようになった。
昼間は寝てばかりでオリバーが誘っても応じず、夜になると遊びに出掛けていく。
「わたしには何も買ってくださらないのに、エマにはたくさんの衣装を与えているそうじゃない? どうしてなの?」
今度はこちらにお鉢がまわってきた。
たしかにオリバーはわたしに服やアクセサリー、生活必需品を買ってくれる。
だが、それはわたしが物をまったく持っていなかったからだ。
サイズが合うので奥さまの若い頃の衣装もたくさんいただいた。
高価なドレスや宝石は贈られていないが、わたしはそのことがとてもうれしく、それらの物をとても大切に扱っていた。
「それは……わからないわ」
「これじゃあ、どちらが婚約者かわかったもんじゃないわね! 明日の舞踏会だって、やっと開いてくださったのよ! 前々から公の場所に連れていってくれとせがんでいたのに、仕事がいそがしいと言ってまったく取り合ってくれなかったんだから!」
「あしたはエマも付き添いとして付いていくんだよ! ヘマして恥をかかせるんじゃないよ!」
「はい……」
できたら舞踏会にはいきたくなかった。
オリバーとクロエが正式な婚約者としてお披露目される場所になど立ち会いたくなかった。
いまから島へ逃げ帰ろうか。
それぐらい嫌で嫌でたまらなかった。
◇ ◇ ◇ ◇
部屋に戻ると思いがけずジャックから手紙がきていた。
明後日、用事でメアリーとイングランドにくるそうだ。
船は正午に着くらしい。
さっそくオリバーに許可を得ることにした。
セバスチャンを呼び彼の書斎を訪れた。
――トントンッ!
「オリバーさま、よろしいですか?」
「どうぞ! ああ、きみかエマ! セバスチャン、ドアは開け放しておいてくれ」
「はい、それでは失礼いたします」
「オリバーさま、おいそがしいところ失礼いたします」
「いいんだエマ、いつものことじゃないか! ハーブティーでも飲もう」
「はい、ではわたくしが」
いつものようにわたしがお茶をいれた。
オリバーとわたしはよくこうやってお茶を飲みながら遅くまでいろいろなことを議論する。
政治や経済、歴史や学問、ときにはわたしの髪型まで。
だから今夜もまたわたしが何か聞きにきたと思ったようだ。
「オリバーさま、明後日の正午にわたしの幼馴染のカップルがこちらに参ります。会って街を案内したいのですが、よろしいでしょうか?」
「おお、いいよ、行っておいで! 幼馴染か……いいな。ぼくもエマの友人に会ってみたい。その日は正午まで王城で会議なんだ。あとから合流してもいいかな?」
「まあ、よろしいんですの? メアリーがよろこびますわ!」
「ではセバスチャンと馬車で港へいき、幼馴染たちと駅前のコーヒー・ハウスで待っていてください。ぼくは1時間も待たずに着くはずです」
「はい。そうしていただければうれしいです。たのしみですわ」
「それと……明日の舞踏会ですが、よければ母の若い頃のドレスを着てください。クラシカルなデザインですが母の社交界デビューの記念すべきドレスなので、ぜひエマに着て欲しいそうなのです」
「それは……お断りするのは失礼かと思われますが……。なにぶんわたくしにはそのように高価なドレスは似つかわしくはないかと……。踊りにいくわけではございませんし……」
「でしたら! ぼくと1曲おどってはいただけませんか? あなたほどの美貌の持ち主が壁の花などもったいない!」
「そんなことは……」
オリバーがお世辞を言っているのは百も承知だが、わたしの容貌は最近とても変わった。
栄養がついて太りはじめたことで頬がふっくらとして身体全体の肉づきもよくなった。
日焼けもあせて肌は白くなり、髪も艶を取り戻し瞳も輝きはじめた。
乗馬や舟遊びなどをしたことで動作も快活になり表情も豊かになった。
暗い表情で眉ひとつ動かさずに牛や羊の世話をしていた頃とはぜんぜんちがうはずだ。
「でも、クロエを差し置いては……」
「彼女には母のドレスは入りませんよ! 彼女ときたら、まったく! 昔の面影はあのふっくらとした身体だけだ! どうしてもぼくは、クロエなんかではなくあなたと結婚の誓いを立てなかったのでしょう?」
オリバーが真剣な表情でわたしを見た。
わたしは思わず下を向いてしまった。
その反対の問いかけを、ずっと心のなかでオリバーにしていた。
どうしてオリバーあなたは、わたしと結婚の約束をしてしまったのでしょう。
わたしのような人間と関わらなければ、クロエのような女と婚姻するはめにはならなかったのに。
まるでカーライル家がオリバーを罠に嵌めているような錯覚に陥ってしまう。
真実を告げれば、クロエ母娘はオリバーとわたしに一生をかけて復讐するだろう。
結局オリバーに迷惑を掛けてしまう。
それに、ぜんそくは良くなってはいるが全快してはいない。
オリバーのために丈夫なこどもを産む自信がわたしにはない。
わたしはやはりオリバーと結ばれてはいけない運命なのだ。
あとに残された選択は、クロエ母娘ができるかぎりオリバーやリード家に迷惑をかけないように見守ることだけだ。
痛みはじめた心とオリバーの情熱的な視線を無視しながら、わたしは黙ってハーブティーを飲みつづけた。
◇ ◇ ◇ ◇
「すてき……!」
翌日の夜に届けられたドレスは、薄いピンクの上質なシフォンで仕立てられた夢のようなドレスだった。
全体に高度な刺繍がほどこされ小さな真珠が散りばめられていた。
胸元には高品質なレースがあしらわれ、晩夏にふさわしい装いになっていた。
ピンクの絹の靴もあつらえたように足にピタリとおさまった。
メイドがブラシで金髪を念入りに磨きあげ高く結い、ピンクのサテンのリボンを飾ってくれた。
化粧をするのも生まれて初めてだった。
ネックレスとイヤリングには大きな真珠がついていた。
これも奥さまからの贈り物だ。
これがわたし?
まるでおとぎの国のお姫さまになったような気分だ。
いつまでも鏡の中をのぞいていた。
「これはすてきだ!」
「えっ?」
鏡の中に王子さまがあらわれた!
オリバーだ!
「エマ……とてもきれいだ……これを……」
オリバーが情熱的な瞳でわたしを見つめながら、デイジーの小さな花冠を差し出した。
それを高く結い上げた髪のてっぺんに載せてくれた。
「エマ、たいへん美しいですよ。ぼくのデイジー……」
「え? いまなんて?」
「わたしはこれで……クロエが待っているので……」
オリバーが、名残おしげに立ち去っていく。
それを見送り、わたしはメイドたちと一緒に馬車に乗り込んだ。




