第36話 神の秘術を模る者
祝祭の戦場 36 神の秘術を模る者
天才を自称する男の傲慢な高笑いは、戦場の現実となってヴァルディアの歴史に刻まれることとなる。
数日後の戦場──。
轟音と硝煙が吹き荒れる最前線。ノクシアの精鋭部隊が圧倒的な武力でヴァルディアの防衛線を食い破ろうとした、まさにその瞬間だった。
戦場を切り裂くように、不気味なほど鮮烈な赤き閃光が走る。
ネージュが静かにスタッフを掲げ、ほんの一瞬、その瞳に深い魔力を集中させた。
本来、戦術級の大魔法は、前衛の護衛に守られながら十数秒の詠唱を重ねてようやく発動するものだ。
しかし、彼女はわずかな予備動作のみでそれを完了させていた。
前触れもなく、敵の精鋭部隊が密集する空間が内側から爆ぜる。
天を突くほどの熱量が爆音すら置き去りにして、巨大な炎柱へと変わる。ノクシアの精鋭たちは、悲鳴を上げる間もなく光の中に蒸発していった。
「馬鹿な……! 何者だあの女は!……いや、怯むな! 弓兵、放てッ!射殺せ!!」
敵の指揮官の怒号とともに、無数の矢の雨がネージュへと降り注ぐ。
しかし、戦場におけるネージュの心は、すでにすべての感情を削ぎ落とした冷徹な「魔導の機構」と化していた。
彼女が視線を向けた瞬間、自身の衣服をかすめる数ミリ手前の空間だけがガラスのように硬化。
局所展開された『エナジーシールド』が、硬質な金属音を響かせながら全ての矢を完璧に弾き返した。
「……これだけでは、まだ終わりません」
淡々と、冷たい声が響く。
スタッフを水平に構え直すと、彼女の足元の影が不自然に伸び、戦場全体へと瞬時に広がった。
一帯の空気が、一瞬で凍てつく。
逃げようとしたノクシアの兵たちが、自身の影を縫い止められたかのように動けなくなる。
次の瞬間、彼らの足元から蒼白い氷の楔が静かに生え渡った。
炎の直後に、氷。通常、これほどの大規模魔法を放てば、魔力は底を突き、再充填には長い時間を要する。
だが、ゼノが禁忌の秘術によってネージュに授けたのは、常人の数倍に及ぶ圧倒的な魔力「容量」と、異常なまでの回復速度だった。
大魔法の消費など、彼女の広大な魔力の底を揺らすことすらできない。
ノクシアの兵たちは氷の像へと変えられ、戦場に音のない絶望が満ちていく。
「ヒッ、バケモノめ……! 退け! 退却だ!!」
完全に戦意を喪失し、散り散りに逃げ惑い始める敵兵たち。
だが、ネージュは追撃の魔力を練り上げる。
「一人も、逃しません」
ネージュの姿が、陽炎のようにゆらりと歪んだ。
敵が瞬きをする一瞬の間、魔導的な力を用いて実体を捉えさせぬまま、静かに、そして高速で敵の「死角」へと移動する。
彼女が流れるような動作で手を振るうと、空中に数十という緻密な光の槍──『マジックスピア』が生成された。
それは彼女から放たれるのではなく、逃げる敵兵のすぐ背後の空間からいきなり出現する。
──バシュシュシュシュシュッ!!!
目にも留らぬ速さで突き刺さる光の槍。
常人なら数発で意識が朦朧とする精密制御を、彼女は数十発同時にコントロールしている。
乱戦の最中、味方の兵を一人として傷つけることなく、敵の急所だけを寸分の狂いもなく貫いていく。
ただ戦場を歩くように、陽炎の移動を繰り返し、指先を小さく操るだけ。その本人が一歩も走ることのない「静かなる無双」に、味方のヴァルディア兵たちさえも、息を呑んでただ立ち尽くすしかなかった。
後日、魔導記録を見たヴァルディアの上層部や貴族たちは、立ち上がって歓喜した。
「素晴らしい……! これぞ我が国が求めていた圧倒的な『個』だ!」
「タニアでさえ霞んで見える!これからはゼノ・エルザードの時代だぞ!」
前線で敵を圧倒するネージュを見下ろし、ゼノは傲慢の絶頂にいた。
「フハハハ! 見たか、アーク! 戦場を、我がネージュが蹂躙しているぞ! やはり私は天才だ。神の秘術すら、この私の前ではただの道具に過ぎんのだ!」
一方その頃、アークの屋敷・庭園
戦場からの勝報(ゼノの活躍)が街に響き渡る中、アークの屋敷の庭園は、いつも通り穏やかな時間が流れていた。
木陰のベンチで、アークはタニアが淹れてくれたハーブティーを眠そうにすすっている。
「……ん。外がやけに騒がしいな。何かあったのか?」
タニアは遠くの大神殿の方角を見つめ、その深い緑の瞳を微かに細めた。
「……マスターと同じく、禁忌の秘術を用いた者が現れたようです」
「禁忌……?」
アークはカップを置き、少しだけ真剣な目をタニアに向けた。
「『魂の同調』か。誰かが真似をしたんだな。……馬鹿なことをする」
アークの言葉には、ただ純粋な「哀れみ」が含まれていた。
タニアはアークの隣にそっと寄り添い、その大きな手を両手で包み込む。
「彼らは分かっていないのです。マスターが私との繋がりを維持するために、どれほどの『痛み』と『覚悟』を背負ってくださっているかを」
「戦場に立ち続けるタニアに比べれば俺の覚悟など大したことはないさ。共に戦えないならせめて命を賭ける、それだけだ。」
アークは優しく微笑み、タニアの頭を撫でた。
二人の間に流れるのは、互いを一人の存在として尊重し合う、本物の絆。
遠くで響くゼノの傲慢な高笑いが、まるで砂上の楼閣のように虚しく感じられるほど、二人の空間は完成されていた。




