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第37話 砂の楼閣

祝祭の戦場 37 砂の楼閣


前線での圧倒的な蹂躙劇から数日後。ヴァルディア軍の総司令部へと続く豪奢な廊下を、アークとタニアはいつもと変わらぬ自然体で歩いていた。


その静寂を破るように、前方から重々しい靴音が響く。


上層部からの過分な賛辞を浴び、傲慢の絶頂にある男──ゼノ・エルザードが、ネージュを引き連れて歩いてくるのが見えた。


アークたちの姿を認めた瞬間、ゼノの唇が醜く歪む。


「フハハ! 見たかアーク! 我がネージュの圧倒的な戦果を! 飛び級の天才とやらも、秘術を完璧に乗りこなしたこの私の前では、ただの過去の遺物だな!」


ゼノは勝ち誇った声を上げ、見せつけるようにネージュの肩を抱き寄せた。


まるで、手に入れた極上の名剣を誇示するコレクターのような手つきだった。アークの視線がネージュへと向く。


その気安さが気に入らないのか、ゼノの眉間が不快げにピクリと跳ねた。


アークはゼノの挑発を右から左へ受け流し、ただネージュの様子をじっと見つめた。その瞳には、純粋な懸念が灯っている。


「……ネージュ。無理をしていないか? その力は、お前の──」


「気安く私のネージュの名を呼ぶな、アーク」


ゼノが鋭く言葉を遮るが、ネージュはゼノの手を優しく包み込み、一歩前に出てアークの視線を冷たく突っぱねた。


しかしそれは、洗脳や脅迫によるものではない。彼女自身の、あまりにも健気で歪んだ意志だった。


「お気遣いは不要です、アーク様。私はゼノ様の最高の『道具』であり、ゼノ様を勝利に導く盾。ゼノ様が喜んでくださるなら、私はどんな力でも受け入れます」


「フハハ! 聞いたか! これこそが絶対の信頼、至高の絆というものだ!」


満足げに笑うゼノの後ろで、アークとタニアは、彼女がまとった魔力の異常なまでの危うさに、静かに胸を痛めていた。


「ゼノ様」


その時、一歩前に出たのはタニアだった。

いつも寡黙な彼女の口から放たれたのは、完璧な礼儀に基づいた敬語。


しかし、その声は戦場の吹雪よりも冷たく、ゼノの背筋を凍りつかせるほどの凄みを孕んでいた。


「貴方は『同調』の意味を分かっていない。……戦場に立つ彼女が傷ついた時、その痛みを、死の恐怖を、貴方は本当に背負う覚悟があるのですか?」


向けられたあまりの眼光に、ゼノは一瞬気圧されそうになる。だがすぐに、それを前線に立てない無能の嫉妬だと切り捨て、鼻で笑った。


「ふん、人形風情が生意気な。痛みを背負う? なぜ私がそんなことをせねばならんのだ。ネージュは私の完璧なキャパシティによって守られている。彼女が傷つくことなど万に一つもない。私はただ、後方から至高の魔力を供給してやるだけでいいのだ」


「……そうか」


アークが、深く、重い溜息をついた。その目には怒りすらなく、ただ底知れない「哀れみ」だけが満ちている。


「お前は最初から、何も背負う気がなかったんだな。タニアを前線に出す時、俺はいつだって自分の命を差し出す覚悟でいる。……ゼノ、その術の本当の恐ろしさは、繋がったパイプが『逆流』した時にある。お前には耐えられない」


「──チッ、大層な口を……! そもそもアーク、誰に向かってそんな口を利いている! 成り上がりの分際で、この私と対等に話せると思うなよ!」


ゼノは顔をしかめ、アークの無礼な態度(タメ口)に激昂しかける。だがすぐに、フッと鼻で笑って見下すような視線を向けた。


「……ククッ、まあいい。所詮はメッキの剥がれた無能の、哀れな負け惜しみ……お前たちの時代はもう終わりだ、アーク。私のネージュがすべてを蹂躙する様を、惨めに眺めているがいい。 行くぞ、ネージュ」


「はい、ゼノ様」


ゼノは吐き捨てるように踵を返し、不機嫌そうな足取りで去っていった。


◇

その夜。エルザード家の屋敷にある、静まり返った自室にて。

ネージュは月明かりだけが差し込む窓辺に立ち、自身の首元に手を伸ばした。


触れたのは、黒い魔獣の革に白銀のプレートが埋め込まれたチョーカー──自分とゼノの『絆』を証明する、大切なフェイトチャーム。


それを静かに外すと、彼女はベッドの端に腰掛け、白銀のプレートを両手で愛おしそうに包み込んだ。


『ゼノ、その術の本当の恐ろしさは、繋がったパイプが『逆流』した時にある。お前には耐えられない』


アークの言葉が、冷たい楔のように彼女の胸の奥深くに突き刺さって離れない。


なぜなら、ネージュ自身、誰よりも近くでゼノを見てきたからこそ、彼の精神の繊細さを──その「脆さ」を、痛いほど理解していたからだ。


もし自分が戦場で致命傷を負い、その地獄のような痛みがパイプを通じてゼノに逆流してしまったら。


プライドが高く、傷つくことを知らないあの主が、それに耐えられるはずがない。


「……大丈夫です、ゼノ様」


ネージュはフェイトチャームを祈るように強く、強く握りしめた。

その瞳には、主を想う純粋な、そしてひどく張り詰めた痛切な光が宿っていた。


「私が、絶対に傷つかなければいい。どのような戦場だろうと、完璧に勝ち続ければいいだけ。……あなたには、指一本触れさせはしません」


月明かりの下、少女の静かな決意だけが、誰もいない部屋に冷たく溶けていった。


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