第4話 闇との遭遇
祝祭の戦場 4:
闇との遭遇
雲海を割り、地上の喧騒を冷徹に見下ろすように浮かぶ、二つの巨大な『祝祭の器』。
だが、今夜の天空の情勢は、明らかに異様だった。
いつもなら一進一退の光景が広がるはずの『器』の舞台は、闇と狂気の国――ノクシア軍が異常なまでに圧倒していた。
ヴァルディア軍の器は今にも砕け散りそうなほどに輝きを失い、戦場にはヴァルディアの兵士たちが、文字通り死屍累々と転がっている。
誰もが抵抗すらできずに惨殺された、地獄のような光景。
「これは一体……どういうことなの……!?」
遅れて前線に到着したタニアは、その凄惨な戦跡に息を呑み、緑の瞳を驚愕に揺らした。
その時、死体の山を踏み越えて、一人の戦士が静かに姿を現した。
その姿は、女性と見間違うほどの美しい少年。
しなやかな肢体に、冷たい光を宿した瞳。手には禍々しい双剣が握られている。
名も知らぬその存在は、ただ静かに、タニアの前に立ちはだかった。
夜の戦場に、ぴりついた緊張が走る――。
タニアは巨大なハンマーを構え、迎撃の体勢をとった。
次の瞬間、美少年が恐ろしい速度で地を蹴った。
残像すら置き去りにする、尋常ではない踏み込み。
(速い……! でも、見える!)
並の兵士なら首を跳ねられている速度。だが、タニアの卓越した動体視力は、しっかりと彼の軌道を捉えていた。
「ハァッ!!」
タニアは眼前に迫る美少年の双剣を、巨大ハンマーの柄で強引に弾き返す。火花が激しく散り、弾かれた少年が僅かに体勢を崩した。
その隙を逃さず、タニアは質量兵器を真横へとフルスイングする。
ブンッ!!と大気を引き裂く暴風。
少年は紙一重で身を引いたが、ハンマーの先端が彼のまとった漆黒の衣服を鋭く掠め、衣服の端がハラリと夜空に舞った。
間一髪で直撃を避けた少年は、軽やかにバックステップで距離を取ると、自身の裂けた衣服を一瞥し、実に楽しそうに目を細めた。
「へえ、凄いねお姉さん。ボクのスピードに反応して、一撃を掠めさせるなんてやるね……。凛とした顔も素敵だし……うん、ボク、君のことが気に入っちゃったな」
少年の瞳に、狂気的な『興味』が灯る。
「……なら、次はこれならどう?」
少年がクスクスと不気味に笑った直後、彼の姿が風景に溶け込むように、忽然と消え去った。
周辺の木々が、不気味に風にざわつく。
「消えた……ハイド(隠密)か!」
タニアは気配を感じ取ろうと全神経を集中させる。だが、衣服の擦れる音すら、僅かな大気の揺らぎすら感じ取れない。気配が、完全に死んでいる。
(これじゃあ、狙いが絞れない……!)
タニアの背筋を、焦りと戦慄が駆け抜けた。
次の瞬間、完全な死角から少年の双剣が襲いかかる。
ザシュッ!と鋭い金属音が響き、タニアの肩から血が吹き出た。
だが、タニアはただ怯えるだけの戦士ではなかった。斬られた激痛を根性でねじ伏せ、振り返りざまにハンマーを叩きつける!
「姿を現しなさい!」
ーードゴォォォンッ!!
強烈な破壊音が響き渡る。ハンマーは少年の姿を捉えられなかったが、身の丈ほどもある巨大な岩を正面から木っ端微塵に粉砕し、地面を深く穿った。
「おっと、危ない危ない。まともに喰らったらボクでも一発でおしまいだね」
闇の向こうから、軽やかな声が響く。
タニアは必死に意地を見せ、襲いかかる奇襲に対して何度もハンマーを振るい、周囲の岩石を次々と粉砕していくが、少年の回避は異常なほど鋭く、攻撃は虚しく空を切り続ける。
焦りと、じわじわと体力を奪っていく毒。
姿がほとんど見えない上に、尋常ではないほど素早い。あまりの恐怖と絶望に、その美しい緑の瞳に、微かに涙が浮かぶ。
その隙を、敵は見逃さなかった。
不意に、彼女の顔面に粉末状の砂が詰まった小袋が叩きつけられる。
「クッ……あ、あぁ……ッ!?」
それは、容赦のない目潰しだった。視界を完全に奪われ、暗闇に取り残される。
目潰しが成功した瞬間、少年はハイドを解き、無防備なタニアの目の前に姿を現した。
手探りで必死に敵を探し、虚空を彷徨うタニア。その哀れな姿を、満足そうに見下ろしながら、少年は残酷に微笑む。
「ほら、もう隠れる必要もなくなったね」
彼は静かに笑い、掌の双剣をチラリと見た。
月光を浴びた刀身が、冷たく怪しい光を放つ。彼は実に名残惜しそうに、タニアの胸元へ向かって、容赦のない最後の一撃を突き立てた。
ドスッ、と重い音が響き、タニアの意識は深い闇へと墜ちていく。
「さようなら、お姉さん。楽しかったよ」
――タニアの身体が、ゆっくりと崩れ落ちる。
その瞬間、魂の光が彼女の胸元から抜け出し、淡く揺らめきながら天空へとしぼんでいった。
残された肉体は、光の粒子へと変わり、ジワジワと形を崩して消滅していく。
戦場には、彼女の存在した痕跡すら残らなかった。
◇
時を同じくして。
地上でタニアの無事を祈っていたアークの肉体に、突如として“それ”が襲いかかった。
肌を引き裂く斬撃の痛み。全身を巡る悍ましい毒の灼熱。
臨場感を持って脳内に直接流れ込んでくる、圧倒的な死の苦痛と恐怖の感覚。
「ガハッ……ッッ!? これ、は……っ!!」
アークは青ざめてその場に崩れ落ちた。
強烈な吐き気に襲われ、目の前がチカチカと暗転し、意識が飛びそうになる。
だが、彼はこの感覚の正体を知っていた。魂が繋がっているからこそ、分かってしまう。
「タニア……ッ、タニアァァァッ!!」
狂ったように叫ぶアークの声は、しかし、遥か上空の戦場には届かなかった。
◇
タニアの肉体が消滅したあと、器の舞台は静寂に包まれていた。
だが――完全な終わりではない。
戦場の最奥には、神々が定めた『復活の泉』が存在する。
澄んだ水面は淡く輝き、命を失った同調者を再び現世へと呼び戻す、神聖な力を秘めていた。
泉の水面が激しく揺らめくと、天空からタニアの魂の光が降り注ぎ、再び肉体を形成していく。
短い金髪が濡れたまま揺れ、緑の瞳がゆっくりと開かれた。
「はあっ、はあっ、はあ……っ!」
彼女は水辺に膝をつき、荒い息を吐きながらも、必死に立ち上がった。
死の恐怖に震える身体を、自身の両腕で抱きしめる。
「……マスター、すみません……っ」
結局、この戦争はノクシア国の勝利で幕を閉じた。
ヴァルディアの『祝祭の器』は粉々に砕け散り、美しい光の粒子となって夜空に舞い散る。その敗北の光景を見上げながら、タニアは静かに唇を噛んだ。
◇
ヴァルディア国、同調者帰還の間。
空間の揺らぎが収まり、タニアの姿が現れる。
「タニア……! 大張夫か!?」
アークは自分の体調の悪さも顧みず激しく駆け寄り、彼女の華奢な肩をがっしりと支えた。
タニアは、自身の胸元のネックレスに触れた。
アークから贈られた大切な宝物、フェイトチャーム。それは同調者の魂の残り火を映す器。
その緑の輝きは、以前よりも、わずかに弱まっていた。
光が強ければ、復活の余地はまだ多い。
だが、光が完全に弱まり、赤い光を纏った時、復活の回数はゼロになり――その状態で死ねば二度と目覚めることはない。
「すみません、マスター……。私自身の不徳のせいで、あなたにまで、あんな死の苦痛を……」
「気にするな、俺は大丈夫だ……! それよりお前こそ、どこか苦しいところはないか!? 魂は傷ついていないか!?」
アークは明らかに顔色を土気色にし、冷や汗を流しながらも、必死に彼女を気遣って微笑む。
タニアの瞳に、今度は恐怖ではなく、温かい涙が滲んだ。彼女は小さく首を振る。
「……マスターが、あなたがいてくれるから、私は何度でも立ち上がれるんです」
彼女は再び、重厚なハンマーを強く握りしめた。
命の限界(回数制限)を知りながらも、その瞳には、マスターのために戦い抜くという苛烈な決意が宿っていた。
◇
一方、闇と狂気の国――ノクシアの同調者帰還の間。
黒い不気味な旗が翻る広場に、勝者たちの野蛮な歓声が響き渡っていた。
その中心に、一人の小柄な女性が姿を現す。
艶やかな黒髪のロングヘアを揺らし、眼鏡の奥の瞳を、狂気的な悦びで爛々と輝かせている女性。
彼女の名はセレナ。ノクシアのマスターだ。
セレナは両腕を広げ、戦場から凱旋した美少年を迎えた。
「おかえりなさい、私の可愛いケイ……。今日も素晴らしい『作品』を私に見せてくれましたね。敵が絶望し、消える瞬間の、あの魂の光……。どれも本当に美しかったわ」
彼女の声は甘美で、背筋が凍るほどの溺愛に満ちていた。
しかし、迎えられたケイは、冷ややかに肩をすくめるだけだった。
「僕はただ、やりたいようにやっただけさ」
そのそっけない態度に、セレナはさらに陶酔したように頬を染め、微笑む。
「ええ、それでいいのよ。どんな思いであっても、あなたが動くたび、私の世界は完成していくのだから」
熱狂する歓声のなか、ふとした瞬間。
二人の右目が、同時に禍々しく赤く光った。
セレナの眼鏡の奥の右目が。ケイの冷徹な右目が。
その一瞬の不気味な輝きはすぐに消え去り、勝者たちの狂った大歓声の中に溶けていった。




