第5話 街の灯と赤い決意
祝祭の戦場 5:街の灯と赤い決意
屋敷の一室。重厚なビロードのカーテン越しに、柔らかな午後の光が静かに差し込んでいた。
アークは椅子に腰掛け、じっとタニアの様子を見つめていた。
「タニア、本当に大丈夫か? 復活したばかりだ。どこか痛んだり、身体が重かったりはしないか?」
タニアは静かに首を振る。
彼女の美しい金髪が、陽光を浴びてさらりと揺れた。
「私は大丈夫です、マスター。それより……あなたに、あんな凄惨な死の苦痛を共有させてしまったことが、何よりも悔しくて……」
アークは知っている。タニアは決して、恐怖を知らない無敵の戦士などではない。
むしろ人一倍繊細で、恐怖や苦痛をリアルに感じてしまう女なのだ。
あの冷徹なハイド(隠密)の奇襲と目潰し、そして心臓を貫かれた恐怖が、どれほど彼女の心を傷つけたか、アークには我がことのように分かっていた。
アークはそっと目を閉じ、絞り出すように答えた。
「俺のことはいい。それよりタニア、もうそんな危険な奴とは戦わないでくれ。……俺は、お前が心配なんだ。これ以上、お前が傷つくところを見たくない」
タニアは、自身の胸元に視線を落とした。
服の上からでも分かる。アークから贈られたフェイトチャームの緑の輝きは、昨日よりも明らかに弱まっていた。
「お気持ちは、痛いほど嬉しいです。でも……私は同調者。あなたに創造された身ですが、その根源は創造主たる神々。私たちは、あの戦場で戦うことでしか存在を許されないのです」
戦場でしか生きられない、戦うためだけに創られた哀しい宿命。
アークは拳を握りしめ、掠れた声で言った。
「分かっている。……でも、戦場へ行くだけでいい。もう無理な深追いはしないでくれ。生きて帰ってきてくれれば、それだけでいいんだ」
タニアは俯いたまま、アークの不器用な優しさを噛み締めるように、静かに頷いた。
◇
少しでもタニアの気分転換になればと、二人はヴァルディアの街へと繰り出した。
活気溢れる広場では、子供たちが無邪気な笑い声を上げて走り回っている。
中央の噴水が陽光を浴びてキラキラと輝き、見慣れた街の賑わいが、二人の重かった空気を少しだけ和らげてくれた。
「ほら、タニア。見てみろよ、子供が走り回ってるぞ。……いや、まぁ、珍しくもなんともない光景だけどさ。なんかこう……気楽そうで良いよな、子供は」
なんとかタニアを笑わせようと、必死に話題を探すアーク。そんな彼の「空回りする優しさ」を察知したかのように、子供たちがタダタダと駆け寄ってきた。
「あ、タニアお姉ちゃん!」「アークさんだー!」
「お、ようチビ助ども!相変わらず全力疾走だな!理由は知らんが、まぁ人生そんな時もあるよな!ははは!」
「ねえアークさん、お菓子持ってないの?」
「その質問、今週だけで何回目だ? 逆に聞くが、この俺が一度でもポッケからお菓子を出したことがあったか?」
「ケチ!アークさん金持ちのくせに!」
「大間違いだ、金持ち『だから』ケチなのさ!」
堂々と胸を張るアークのせこいセリフに、タニアの口元がフフッと綻ぶ。
たわいもないやり取りだったが、彼女の顔に、いつもの穏やかな微笑みが戻っていた。
「もういいや!バカアークさん!一生タニアお姉ちゃんの尻に敷かれてろー!」
「おいコラ待て!どこでそんな不穏な言葉を覚えた!……ったく、どこの大人が教えたんだか」
子供たちの去り際の特大のトドメに、アークは赤くなった顔をごまかすようにガシガシと頭を掻き、遠ざかる背中に手を振った。
平和そのものの光景。
だがその時――広場の隅から、胸を掻きむしるような、悲痛な慟哭が聞こえてきた。
「うう……っ、オエッ!ケホケホッ……!どうして、どうして俺を置いていってしまったんだ、エル……! 嘘だと言ってくれ、帰って来てくれよぉ……ッ!」
石畳に膝をつき、人目もはばからず泣き崩れる一人の男。
その服装から、彼が「マスター」であることは一目で分かった。そして彼の手元には、光を完全に失い、ドロドロのただの石ころに変貌した『フェイトチャーム』が転がっていた。
昨日の戦場で、彼の同調者は完全に消滅してしまったのだ。主を遺して。
タニアは、ぴたりと足を止め、沈黙した。
アークもまた、かける言葉を失い、その光景を凝視するしかなかった。
明日は我が身かもしれない、残酷な現実。
「戦場で生きる以上、私も……いつかは、あのように……」
タニアの細い肩が、微かに震える。
アークは一歩踏み出し、彼女の冷たくなった手を力強く握りしめた。
「大丈夫だ、タニア。絶対にそうはさせない。その前に、ロストしない方法を俺が必ず見つける。……それに、もし万が一、お前が完全に消滅する時が来たら……その時は、俺も一緒だ。俺の命はお前と共にある」
その言葉が、タニアの胸の奥底を激しく揺さぶった。
脳裏に、あの出会いの日、大神殿で行った『生命同調』の秘術の光景が、鮮烈な光を伴って浮かび上がる。
命のすべてを賭けて、魂を一つに繋ぎ合ってくれた、最愛のマスター。
あの時のアークの熱い誓いの声が、今も耳の奥で響いている。
「……そうでしたね。私たちは、一つ。……マスター」
緑の瞳に、今度は恐怖ではない、熱い涙を薄く浮かべながら、タニアは嬉しそうに、そして愛おしそうにアークを見つめ返した。
◇
夕闇が街を包み込み、家々の窓にオレンジ色の灯りが灯る頃。
二人は街の喧騒から隠れるように、古びた酒場へと向かった。
「まあ、今日はグイッとエールでも引っかけてスッキリしよう。な、タニア」
これに対しタニアは微笑んで頷いた。
扉を開けると、安酒と煙草の匂い、そして荒くれ者たちのざわめきが満ちている。二人は目立たないよう、店の一番隅の席に腰を下ろした。
果実酒で喉を潤していると、背後の席から、不意に物騒な単語が耳に飛び込んできた。
「おい知ってるか? ノクシアの連中のところに、とんでもねぇ化け物が現れたらしいぜ」
「あぁ、噂の『双剣のケイ』だろ? 聞いたぜ、昨日の戦いだけで尋常じゃねぇ数のキル数を叩き出したってな」
「どんな大男の肉体派かと思えば、実際は女と見間違うほどの細身の美少年だってんだから驚きだよ」
「何ぃっ? ……まぁ確かに同調者の見た目と戦闘能力は関係ねぇって言うが、いまいちイメージが狂うな。どうせ尾ひれのついたハッタリだろ?」
「いや、マジらしい。恐ろしく素早い身のこなしで、普通の奴じゃ目で追うことすらできねぇとよ。……だが、本当にヤバいのはそこからだ」
「何だよ? 勿体つけるなよ」
男が声を落とす。酒場の喧騒のなかで、その一角だけが急に冷え込んだように感じられた。
「奴は、恐ろしく冷徹で、その目は完全に狂気に満ちていたらしい。敵をいたぶり、消滅させる瞬間を……戦場そのものを、心底楽しんでいるサイコ野郎だって話だ」
「……そいつは、まともじゃねぇな。御免被りたいもんだ」
後ろの席の言葉を聞いた瞬間、タニアのグラスを持つ手が、ピクリと止まった。
脳裏をよぎる、風景に溶け込む圧倒的な速度、容赦のない目潰し、そして「楽しかったよ」と言い残した冷酷な笑顔。
自分を殺した相手――それが、あの美少年『ケイ』だと確信する。
タニアは、テーブルの下で、白くなるほど静かに拳を握りしめた。
恐怖に震えているのではない。アークから貰った命の重さを知り、男の言葉に、彼女の胸の奥の「戦士の血」が激しく滾り始めたのだ。
「マスター……」
タニアは、前を見据えたまま、静かに、しかし地響きのような決意を込めて呟いた。
「私、次は絶対に負けません」
ガヤガヤとした酒場の喧騒にかき消され、その声は誰の耳にも届かなかった。
だが、薄暗い酒場の席で、彼女の緑の瞳の奥には、宿敵を打ち倒すための、苛烈な『赤い決意』の炎が静かに、しかし確かに灯っていた。




