第33話 錆びた鉄、研ぎ澄まされぬ凶刃
祝祭の戦場 33 錆びた鉄、研ぎ澄まされぬ凶刃
「おいガラム、もう無理すんなって言っただろう!?」
古い石造りの屋敷。その薄暗い一室で、ザインは心底心配そうな声をあげた。
「うるせえな」
ガラムは懐から重みのある革袋を取り出すと、無造作に机へと放り投げた。中からジャラリと鈍い金属音が響く。
「ザイン、金がもう底を尽きかけてるだろうが。大金をせしめて来てやったんだ。ありがたいと思え」
椅子にもたれかかったザインは、机の上の革袋を一瞥し、小さく息を吐いた。
「もういい歳なんだ。戦場へは行くだけでいいって言ってんだよ」
「ケッ! 老いぼれはお前だけだ」
ガラムは鼻を鳴らし、自身の滑らかな頬を指先で小突いて見せた。
「俺は見ての通り若いままさ、お前に『創造』されてからずっとな」
「ふん……駆け出しの頃は同い年くらいだったか? 懐かしいな」
ザインは自嘲気味に微笑み、自身のしわの刻まれた手をじっと凝視した。
主従の残酷な現実。マスターである人間の老いは、同調者であるガラムの衰えに直結する。
「おいおい、しわくちゃ顔でしんみりしてんじゃねえよ」
ガラムはザインの肩を後ろから軽く小突き、不敵に笑う。
「せっかく大金が入ったんだ。今日は飲みに行こうぜ」
「野郎二人で飲みに行くなんざ寂しいねえ……」
ザインは肩をすくめ、ふっと目元を和らげた。
「まあガラム……ありがとよ」
「けえっ! お前ヤキが回ったんじゃねえか?」
ガラムは気恥ずかしそうに顔をしかめ、わざとらしく手を振った。
「やけに弱気じゃねーか、ええっ!? ……まあ、ぶらついてくらあ」
そう言うとガラムはぶっきらぼうに背を向け、部屋を出て行った。
ノクシアの昼は短い。
街の広場へと向かう足に、じわじわと冷たい影が這い寄ってくる。
薄汚れた噴水の周囲には、退廃に蝕まれた「芸術家ルシアン」が遺した、歪んだオブジェが乱立していた。
「へっ、相変わらず意味不明なオブジェだぜ。気持ち悪い。それにめちゃくちゃ邪魔だ」
数がやたらと多い。その異常なまでの「しつこさ」から、作者の病んだ執念が透けて見えるようだった。
ガラムは懐から『あの草』を原料とした煙草を取り出し、火をつけた。紫煙が紫がかった薄闇に溶けていく。
ガラムは20年以上、この狂ったノクシアを支え続けた歴戦の英雄だ。
「まっ、腐れ縁だわな……ザイン……長生きしろよ」
初めは、どうせマスターが死ねば自分も消える、ただそれだけの命だと思って従い、戦ってきた。
だが、いつからだろうか。悪友のように接してくるザインを、自然と気遣うようになっている自分に気づいたのは。
「ヤキが回ったのは俺の方か? けえっ! 嫌だねえ……」
自嘲の笑みを浮かべたガラムの視界に、ふと、見慣れた影が映り込んだ。
白銀の髪、そして手持ち無沙汰に揺れる双剣。
──双剣のケイ。
現在のノクシアの切り札。同時に、好き勝手に暴れ回るだけの制御不能のジョーカーだ。
「よう、ケイじゃねーか! 珍しくしけたツラしてんな、何があった?」
気さくに声をかけたガラムを、ケイは泥でも見るような冷徹な瞳で見つめ返した。
「お爺さん誰?」
「はあっ!? こいつ俺を記憶してねえ! それに俺は若いだろうが!」
「あんたから発せられる魔力が錆びついてる。やっぱりあんたはお爺さんだよ」
「ああそうかい。百歩譲っておじさんと言え。ザインはまだ49だぞ?」
その時、ケイの周囲の空気が一変した。
「僕は今機嫌が悪いよ? 放っておいてくれないかな?」
「けっ! 相変わらず可愛げのねえガキだ! いつもの余裕はどうした? ああ? 『作品』だったか?」
『作品』──その言葉が地雷だった。
先の戦いで、肉体的には勝ったはずの男『ダン』を精神的に崩せず、完璧な作品に仕立て上げられなかった不完全燃焼の敗北感。ケイの瞳の奥に、明確な苛立ちの炎が灯る。
「最終警告だよ? お爺さん。消え失せて」
「ハッ! 反抗期のガキか? なんかお前負けたツラしてんな。ははっ! 無敵の死神さんがどうしたい!?」
ガラムの嘲笑が終わるより早く、ケイの姿が掻き消えた。
「──ッ!?」
──ガキィィィン!!
空気を引き裂く甲高い金属音が広場に轟く。ケイの目にも留まらぬ双剣の一撃を、ガラムは長年愛用してきた短刀で寸前で受け止めていた。
「ああ!? 図星だったか? こいつは悪い事をしたなあ!?」
ガラムはニヤリと笑うと、衰えを補うような泥臭い踏み込みでケイを押し返した。
新旧のノクシアのエースが、薄暗い街頭の下で交戦を始める。
二人とも、速度とトリッキーな機動を信条とする同タイプ。
──ギィン! ギィィィン!
凄まじい斬撃音が鳴り響き、ルシアンの悪趣味なオブジェに火花が散る。
本来なら、マスターの衰えが始まっているガラムが、当代最強の死神と長くやり合えるはずがなかった。
だが、ケイの凶刃は、いつもなら一瞬で四肢をバラバラにするはずの鋭さを欠き、ガラムの防御に阻まれ続けている。
(……やっぱりな)
ガラムは刃を交えながら、確信していた。今日のケイの刃には、かつての覇気がまるでない。酷く鈍い。
ケイの深層心理にある「ダンを崩せなかった」という動揺と迷い。
プライドの塊であるケイ自身すら気づいていないその精神のブレが、無意識に手元を狂わせているのだ。
ガラムはケイを実は気に入っている。だからこそ、その腑抜けた刃が気に食わなかった。
「どうした死神、随分と軽い刃じゃねえか! ほら、溜まってるもんがあるなら全部吐き出しちまいな!」
ガラムはあえて煽った。自分がボロボロになるのを覚悟の上で、このガキの腹に溜まったノイズを暴れさせて、スッキリさせてやろうという老兵の男気だった。
「うるさい、うるさい、うるさい……!」
ケイの攻撃が激化する。だが、その激しさは乱暴な感情の昂ぶりに過ぎず、精密さを欠いていた。
──ガキィィンッ!ギャリッ!ギィィィンッ!
激しい戦闘の音を聞きつけ、治安の悪いスラムや酒場から、目の色を変えた荒くれ者たちが次々と集まってくる。
「見ろよ!ガラムとケイがやり合ってんぞ!」
「こりゃあすげえ! おい、飲んでる場合か!すげーもんが見れるぞ!」
神を捨て、退廃した娯楽を求めるノクシアの民にとって、死神たちの殺し合いは最高の『祝祭(見せ物)』だった。
「貴様ら! 市街地で何をやっている!」
人だかりを掻き分け、錆びついた甲冑を鳴らして衛兵たちが駆け込んでくる。
しかし、対峙する二人の顔ぶれを見た瞬間、衛兵たちの足がすくんだ。
「うっ……ケ、ケイ……」
一歩間違えれば、自分たちが一瞬で肉塊(作品)にされる。引きつった顔で、おそるおそる武器を構える衛兵たち。
治安の悪いこの国で、最低限の職務を果たそうとする中間管理職の悲哀がそこにあった。
「……チッ」
集まった野次馬の視線と、怯える衛兵たち。ケイは、これ以上暴れるのは無理そうだと判断した。
スッと、それまでの狂気が嘘のようにケイが双剣を引く。
本人は無自覚だが、ガラムの肉体を激しく叩いたことで、苛立ちのガスはいくらか抜け始めていた。
「へっ……ケイ、何を迷ってるか知らねえが。今のお前じゃ、俺すら仕留めれねえって事だ」
ガラムはゼェゼェと激しく肩で息を切り、身体の芯を走る痛みに耐えながら、不敵に笑って格好をつけた。心の中では冷や汗が止まらない。
(タニアといいこいつといい、どうしてこうバケモノかねえ……!)
ケイはガラムの言葉の意味──自身の迷い──には全く気づいていない。
しかし、その顔からは先ほどの刺々しさが消え、憑き物が落ちたように少しスッキリとした表情を浮かべていた。
「……フン」
ケイはそれ以上何も言わず、気まぐれに背を向けると、闇の彼方へと去っていった。
静まり返る広場で、ガラムは首を鳴らし、短刀を腰に収めた。
「さて……ザインと飲みに行くかねえ……いてて……余計な事してあちこちガタガタだぜ」
短い昼が完全に終わり、永い夜の帳がノクシアを包み込む。
妖しい月光を浴びて、不気味な黒い草が脈打つように揺れていた。
傷だらけの老兵は、悪友の待つ退廃した街へと、痛む身体を引きずりながら消えていった。




