第20話 幻ですら美しい
祝祭の戦場 20 | 幻ですら美しい
絶望の病床
白く無機質な病室。
戦場で負った重傷を癒すため、ダンはベッドの上に横たわっていた。
超常の力を持つ「同調者」であれば、戦闘が終われば傷などたちまち癒える。だが、ただの「人間」は違う。鈍い痛みは肉体に刻まれ続け、流した血の分だけ確実に擦り切れていく。
「もっと強い火器を仕入れるか……。閃光玉の量も、今の倍は必要だ……」
天井を睨みつけ、脳内で幾度もケイとの戦闘をシミュレートする。幸いにも実家から勘当されてはいない。金ならある。湯水のように武器へ投資することは可能だ。
だが――そんな小細工や工夫では決して埋まらない「圧倒的な次元の差」を、彼の本能が理解していた。
「どうすれば……ッ! どうすれば、あの化け物を……ククッ、ゲホッ!」
ベッドを血がにじむほど強く叩きつけ、ダンはひび割れた声で叫んだ。
網膜に焼き付いたケイの強さは、人間の想像を遥かに超越していた。
喪失の街角
退院後。かつて愛した街の広場に佇むダンを、遠巻きに子供たちが見つける。
「ねえ、あれって……ダンさん?」
「傷だらけだ……。それに、あの眼……すごく怖いよ」
「優しかったダンさんは、どこへ行っちゃったの……?」
ひそひそと囁き合い、怯えて去っていく子供たちの背中を見送りながら、ダンは顔を歪めて笑った。
「ククッ……。俺はただ、ティレナの仇を討ちたいだけだ。他人の憐れみなど、何の役にも立ちはしない……。必ず、俺がやる……」
子供たちを愛し、歌を愛した青年の面影は、もうその背中には一欠片も残っていなかった。
執念の変貌
それからのダンは、憑りつかれたように己の肉体を鍛え上げた。
元は文学を嗜み、楽器を奏でていた華奢な青年だ。そんな彼を支えたのは、ただ一つ――どす黒い復讐心と執念のみ。
常人であれば悲鳴を上げて逃げ出すような、筋肉が裂け骨がきしむ過酷なトレーニング。しかし、ダンが躊躇することは一度としてなかった。
地獄のような鍛錬の末、彼の動きは人間離れした鋭さを帯び、戦闘技術は確実に跳ね上がっていった。
「待っていろ、ケイ……! 俺は必ず、お前の喉元を噛み千切ってやる……ククッ」
ある日のこと。限界まで身体を追い込み、疲弊しきったダンは、トレーニング場の冷たい床の上でそのまま深い眠りに落ちてしまった。
「ふふっ。マスター、そんなところで寝ていると風邪をひきますよ?」
耳を疑った。
よく知っている声だった。世界の何よりも、誰よりも愛した、優しく鈴を転がすような響き。
「……ティレナ……っ!?」
弾かれたように跳ね起きる。
陽だまりのような光の中に、あの美しい緑の髪をなびかせたティレナが、昔と変わらぬ微笑みを浮かべて立っていた。
「ああ、ああ……! ティレナ! 生きて……生きていてくれたのか……!? なんということだ、本当に……お前なんだな……っ!」
胸を締め付ける愛おしさと、堰を切ったような激情がダンの心を激しく揺さぶる。
「オォ、オォオオオオオオ……ッ!!」
潰れた喉から、獣のような、あるいは地獄の底から響くような慟哭が漏れ出す。声帯の痛みを忘れたかのように、彼は叫び、むせび泣き、彼女の元へ駆け寄ろうと手を伸ばした。
だが、ダンの指先がその身体に触れる直前。
ティレナはひどく悲しげな哀切の表情を浮かべると、――融けるように、スッと闇の彼方へと消え去った。
ハッと我に返る。
そこにあるのは、静まり返った無機質な訓練場だけ。
呆然と立ち尽くし、伸ばした手を血が出るほど握りしめ、ダンは言葉を失う。
「ククッ……幻か……」
長い静寂の後、ダンの口元にぽっかりと歪んだ笑みが浮かんだ。その目から流れていた涙は、すでに冷たく乾ききっている。
「ティレナ……幻ですら美しい……ククッ!!」
壊れゆく作品
その後、ダンは幾度となく工夫を重ねてケイに戦いを挑み続けた。
閃光玉、特製の塗料、周到に張り巡らせた罠――ありとあらゆる死線と策略を尽くした。
だが、その度に赤子の手をひねるようにあしらわれ、玩具のように痛めつけられ、そして不気味に「生かされる」。
肉体も精神もズタズタになり、今のダンは、客観的に見てもすでに完全に「壊れる寸前」の領域に達していた。
血塗れのダンを見下ろし、ケイは狂気と恍惚に満ちた顔で赤い眼を細める。
「すごいな。お兄さんの憎悪が、どんどん肥大化して最高のスパイスになっているよ。……うん、次で決まりだ。次でお兄さんは、僕の素晴らしい『最高傑作』になる。……ふふ、長かったなぁ」
ケイの唇が、吊り上がった三日月のように歪む。
彼には確信があった。ダンという存在を精神の底から完全に破壊しつくすための、絶対的な「切り札」を、すでに握っているのだから。




