第2話 業の神殿に咲く理想
祝祭の戦場 2 業の神殿に咲く理想
1. アーク、想う
戦場からの転送が始まる。
柔らかな光に包まれたタニアが次に目を開けたとき、視界に広がっていたのは見慣れた景色だった。
ヴァルディア国の前線兵士たちが戻る場所、「帰還の間」。
「タニア……! 無事か!? どこか痛むところは? 傷はないか!?」
転送の残光が消え去るのと同時に、一人の男が猛然と、それこそ滑り込むような勢いで駆け寄ってくる。
彼女のマスターである、アークだ。
普段の理知的な魔道士の面影はどこへやら、相変わらずタニアのことになると完全に余裕を失って取り乱してしまう。
タニアは短い金髪を揺らし、その深い緑の瞳を和らげると、そっと微笑んでみせる。
「大丈夫です、マスター。私はこうして、あなたの元に帰ってきました。……ですから、そんなに私の顔を至近距離で覗き込まなくても大丈夫ですよ」
「あ、す、すまん……無事ならいいんだ、無事なら……」
凛々しくも少し呆れたようなその言葉に、アークは真っ赤になりながらようやくホッと胸を撫で下ろす。
だが、彼女が戦場へ赴くたび、彼の心配が尽きることは決してないのだった。
アークは愛おしそうに、けれど少し照れくさそうにタニアの手を取り、はるか上空を見上げた。
「ここからずっと上空……いや、時空そのものが異なるのか。俺たちの目には見えないが……タニア、お前が戦うあの『浮遊大陸』は、確かにこの国に莫大な富をもたらしている」
天空の大陸には、地上とは比較にならないほどの豊富な資源が永続的に存在している。常駐こそできないものの、タニアの目覚ましい活躍によって、ヴァルディアには今も莫大な資源が転送され続けていた。
それなのに、アークの表情はどこか晴れない。
「……神々にとっては、ただの『祝祭』だというのにな」
ぽつりと、アークは苦い呟きを漏らした。
古来より、天空に浮かぶ神々は人の命を弄ぶように争わせ、それを娯楽として歓喜を求めてきた。
人間が国家の存亡を賭けて奪い合うあの凄惨な戦場を、神々は「祝祭」と呼び、笑い、歌い、観戦しているのだ。
――アークの脳裏に、あの始まりの日の記憶が鮮烈に蘇る。
場所は、荘厳なるヴァルディアの大神殿。
『彼がアーク殿か……並々ならぬ魔道の資質を持つと聞くが、まさかあほどの若さとは』
『噂では平民の出でありながら、既に多くの有力者を後ろ盾に付けているそうだ』
『ふん、ただの成り上がり者か』
『静かにせよ。神聖なる儀式の場で、なんと俗な会話をしているのだ』
周囲の貴族や祭司たちが耳打ちし合い、不躾な視線を寄越す中、一人の若きアークはただ静かに祭壇へと進み、儀式に臨んでいた。
見上げるほどに巨大な石柱が並ぶ大神殿。その最奥には、かつて神々が人間を強制的に戦わせるために作ったとされる、古びた碑文が鎮座している。
(最初は、神々のおぞましい強制から始まった戦争だったというのに……)
アークは冷ややかな目でその碑文を見つめた。
今や人間は、神に言われるまでもなく、自発的に「これに勝てば莫大な富が手に入る」と目を血走らせ、資源を貪り合っている。
逆らえない絶対の掟だったはずの「祝祭」は、いつしか人間の底なしの欲望――業の深さによって、自ら進んで飛び込む血の池へと変貌を遂げていた。
そして、その利権を巡り、あの浮遊大陸という唯一の戦場で刃を交え、殺し合うのが世界のすべて。
秩序を重んじる我が国「ヴァルディア」。
闇と狂気を孕む「ノクシア」。
祝祭と幻想の国「エリュシオン」。
互いに干渉できない隔離された空間に生きる3つの国家が、地上のすべてを賭けて、あの天空の戦場でしか互いを認識できないまま争い続けている。
その欲望の最前線に、生身の人間ではなく、死してもなお復活を繰り返す身代わり――『同調者』を送り出す世界。
アークは、大神殿の広大な空間の先、遠巻きにこちらを凝視している貴族たちを一瞥した。その目はどれも露骨な欲望に満ちており、これから誕生するはずの「富をもたらす兵器」を、今か今かと待ち侘びて焦れているようだった。
「……まったく、反吐が出るな」
誰の耳にも届かないほど小さな声で、アークはボソリと呟く。神の掟すら欲望で塗り潰す人間の業が、心底うっとうしかった。
(生憎だが、俺は……あいつらのために祈る気なんてサラサラない)
天井の隙間から降り注ぐ淡い神光を浴びながら、アークは胸の内で己の理想を強く祈り、それを形にしようとしていた。
国を勝たせるためではない。
ましてや、あの欲深い貴族どもに富を与えるためでもない。
この狂った世界の仕組みの中で、ただ一人、己の半身となる存在を求めて。
(俺に絶対の勝利をもたらす存在を……。神や国のためじゃない、この命を賭けてもいいと、俺と同じ目線で共に歩みたいと思える者を……!)
その強すぎる祈りは秘術の儀式と共鳴し、大神殿の床を、大気を、激しく震わせるほどの莫大な魔力を呼び起こした。
空間に現れた眩い光の球体が、まるで生き物のようにドクン、ドクンと脈打つ。
そして――弾ける光の粒子の中から、彼女が現れた。
輝くような短い金髪。そして、真っ直ぐに自分だけを見つめる、深い緑の瞳。
「おお……」
あまりの衝撃に、アークはかすれた声を漏らすのが精一杯だった。
そこにいたのは、彼が心に描き、切望した理想そのものの女性だったからだ。
やがて、測定器の数値を確かめた祭司たちが、驚愕のあまり声を震わせた。
『な、なんだこの数値は……!? これほど高い同調率……まるで、魂そのものが重なり合っているようではないか……!』
通常、マスターと同調者の結びつきは不安定な状態から始まり、時間をかけて深めていくものだ。しかし、アークとタニアは、最初から奇跡を超えた異常な数値を叩き出していた。
『まさか、こんなことが……! ええい、何かの間違いではッ!?』
先ほどまで平民と見下していた祭司たちが、動揺のあまり体裁も忘れて間抜けた声を上げる。
だが、そんな雑音はアークの耳には届いていなかった。その瞬間、彼は目の前の少女――タニアに、完全に心を奪われていたのだ。
2. フェイトチャーム
賑やかな街並みが、夜の静寂へと移り変わり始める頃。
夕暮れに染まる街路を歩きながら、二人は他愛のない雑談を交わしていた。
ふと、タニアが自身の胸元に手をあてる。指先が触れたのは、静かに気品ある輝きを放つ緑のネックレスだった。
同調者としてこの世界に創造された時、アークから贈られた大切な宝物。
そのネックレスを見つめる彼女の瞳には、アークとはまた別の、あの日の記憶が映り込んでいた。
――それは、あの劇的な出会いの、すぐ後のこと。
静まり返った大神殿の片隅で、アークはタニアに向かって、掌の中の小さな光を差し出した。
『フェイトチャーム』。マスターと同調者の結びつきを安定させるための大切な媒体。
彼が彼女のために選び、用意していたのは、彼女の瞳と同じ、美しい緑の輝きを宿したネックレスだった。
「これを受け取ってくれ……。きっとこれが、お前をあらゆる脅威から守ってくれるお守りになる」
タニアはその言葉を、生涯忘れない誓いとして深く胸に刻み込み、ネックレスを受け取った。
冷たい金属のなかに宿る、アークの温かな魔力。
その瞬間、彼女の緑の瞳はさらに強く輝き、彼のためにすべての戦場を駆け抜けるという、確供たる覚悟をその身に宿したのだった。




