第15話 夜明けの鉄塊と、血溜まりの画布
祝祭の戦場 15 夜明けの鉄塊と、血溜まりの画布
アークの屋敷の一室。
タニアは静かに目を閉じ、先日のマグナスとの戦いを脳裏に再生していた。
一見すれば互角の応酬。しかし、一手進むごとに、技の精度も重さも、すべてにおいて上を行かれていた。
何より致命的なのは、彼にはまだ底知れない「余裕」があったということだ。
その冷徹な事実が、彼女の胸に鉛のように重くのしかかる。
「……今のままでは、到底届かない」
夜が明けると同時に、彼女は張り詰めた空気の満ちる鍛錬場へ向かった。
愛用のハンマーに油を差し、微かな傷を指先で確かめる。メンテナンスの手つきに迷いはない。
「戦場では、この子が私の生死を分ける唯一の相棒」
ずしりと重い金属の塊を愛おしげに撫でた後、タニアはそれを軽々と振り抜いた。
基本のフォームを一つずつ確認するように、朝の冷たい空気を切り裂く轟音が、何度も鍛錬場に響き渡る。
「おはようございます。朝早くから精が出ますね、タニア様」
屋敷の使用人が気遣わしげに声をかける。タニアは荒い呼吸を整え、軽く頷いて額の汗を拭った。
「おはようございます。マスターはやはりまだまだ起きませんか?」
「はい、いつも通り寝息を立てておられます」
「ふふ、相変わらず朝に弱いですね」
タニアは苦笑し、再びハンマーを構えた。
一方、血煙の上がるノクシアの戦場。
ケイは無表情のまま、襲い来る敵を淡々と駆逐していた。
無駄のない洗練された身のこなしの前には、敵の決死の攻撃も虚しく空を切るばかり。
得意の『ハイド』で姿を隠すまでもない。彼の歩んだ足跡の後ろには、ただ静かに、物言わぬ亡骸の山が築かれていく。
「おい、あいつがケイだ……。味方にいてくれて、本当につくづく良かったよ」
「ああ、もし敵に回していたらと想像するだけで、背筋が凍る」
「……でも私、あの子の目が怖いの。本当に私たちの仲間なのか、疑いたくなる時があるわ」
「静かにしろ! 聞こえたら首が飛ぶぞ!」
味方兵たちから注がれるのは、信頼ではなく純然たる畏怖。
窮地を救う英雄というよりは、気まぐれに戦場を彷徨い、敵の命を刈り取る死神の影そのものだった。
返り血を浴びた外套を翻し、ケイは冷淡に吐き捨てた。
「ふん……つまらない戦場だな」
彼の肥えた眼を満足させるような、この場に「作品」と呼べるに値する者は存在しなかった。
ひとしきり蹂躙を終えると、彼は未練も無く死地を後にする。
不気味なほど静まり返った屋敷に戻ると、セレナが至極穏やかな笑みで彼を迎えた。
「お帰りなさい、私の可愛いケイ。あなたの戦い、見ていましたよ」
ケイは退屈そうに肩をすくめ、血の匂いを纏ったまま椅子に腰掛ける。
「期待外れだったよ、セレナ姉さん。こないだの『お姉さん』みたいな奴は、一人もいなかった」
セレナは慈愛に満ちた微笑みを浮かべ、言葉を紡ぐ。
「ふふっ……。この『眼』を通じて、私もあなたと同じ景色を共有していましたからね。ケイ、たとえ転がる死体が凡庸な作品であったとしても、私はあなたと同じ視点で世界を見つめる。それだけで、私の世界はどこまでも広がっていくのですよ」
ケイはわずかに眉をひそめ、怪訝そうな視線を向けた。
「相変わらず、セレナ姉さんの言うことは難しくてよく分からないな」
それでも、セレナの微笑みが揺らぐことはない。
常人には理解し得ないケイの狂気と、その眼に映る異様な世界。
それを否定せず、ただ隣で共に狂おうとする彼女の歪んだ包容力は、ケイの胸の奥にある底無しの孤独を、ほんの少しだけ融かしているようだった。




