第14話 誓いのドレスと錆びた泉
祝祭の戦場14 誓いのドレスと錆びた泉
街の店先に飾られた純白のウェディングドレス。
ティレナはその前に立ち、幸せそうに微笑んでいた。緑の髪が陽光を受けて柔らかく揺れる。
隣にはダンの姿。
「もうすぐ結婚式だな。ティレナに似合うドレスも買ったし、式が待ち遠しい。ああ…もう待ちきれないぞ。」
彼の声は弾んでいた。
ティレナは少し不安げに瞳を伏せる。
「同調者の私が、こんな幸せになっても良いのでしょうか?」
ダンはこれを力強く満面の笑みで肯定する。
「もちろん良いのさ!何も心配はいらない。どんなことだって二人で乗り越えよう。」
ダンは迷いなく答えた。
高らかに幸せを表現する歌を歌いながら、自らの胸をドン!と叩いてティレナに「大丈夫!」をアピールしようとしてダンはむせてしまう。
「ウェッ!ゲホッゲホッ!」
その背中をティレナが優しくさする。
世間知らずで少し頼りなく、けれど真っ直ぐで優しいダンをティレナは愛していた。
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式を目前に控えた頃、無情にも「祝祭」が始まる。
転送装置の前に立つティレナを、ダンは見送る。
「ティレナ、今日の護衛は二人だ。念には念を。絶対に無理をするんじゃないぞ。」
「分かっています。私は生きて帰ってきます。あなたが私の帰りを待っていてくれるのだから。」
光に包まれ、ティレナは戦場へと転送された。
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ノクシアとエリュシオンの戦い。
草原に降り立ったティレナは、指輪を見つめる。光りを放つフェイトチャーム――命の光。
まだ大丈夫……だが赤くなればもう後がない。
「まだ……大丈夫だよね。」
彼女は護衛二人と共に後方支援に従事していた。
勇ましい女戦士は大斧を握り、筋骨隆々の男は重鎧に身を包む。
ティレナは草原でマナを集め、拠点へと運ぶ。戦況を支える地味な役割だが、彼女にとっては生き残るための選択でもあった。
しかし戦場は不穏な空気に包まれていた。
天空に浮かぶノクシアの器に突然凄まじい勢いで光が集まり、エリュシオン陣営はどよめく。
「はあっ!?何が起きた!?」
「1人や2人やられた程度ではあれほど急激に動くはずがない!」
この戦場はいつもと何かが違う……
ティレナの胸にざわめきが走る。
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不安を抱えつつも、後方で役割をこなすティレナ。
その時、異変は突然訪れた。
静寂を破るかのように
「ぐあッ!?何だッ!?」
女戦士が苦痛の声を上げて仰け反る。何者かに攻撃を受けたのだ。
すぐに体勢を立て直し斬りかかるが、相手の姿は朧げで当たらない。
ティレナも重鎧の男も目を凝らすが、敵の輪郭は霞んでいた。
「ハイドかい?卑怯者め!堂々と姿を見せてみな!!」
女戦士は勘を頼りに大斧を振り回す。
だがかすりもしない
ーーーズバッ!!
次の瞬間、女戦士は脚を深く斬りつけられ、動けなくなる。
「クッ、まだだっ!」
必死に斧を投げるが、虚空を裂くだけ。
朧げな存在が姿を現す。
黒い舞踏風の衣を纏い、銀の短髪を揺らす美少年。女と見間違うほどの容姿だが、その眼は冷酷で、右目は赤く光っていた。
ティレナは息を呑む。
この容姿の特徴に彼女は覚えがあった。
「ひっ……双剣のケイ!?」
最近、戦場に突如として現れた絶望の象徴。その名は既に噂となっていた。
ケイはティレナを見て微笑む。
「やあ、お姉さん、はじめまして。この戦場に来てからずっと見ていたよ。お姉さんならきっと良い作品になってくれるってね。」
ティレナにはその言葉の意味が理解できなかった。
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「下がってろ。ふざけた奴だ。」
ティレナを制して、重鎧の男が前に出る。臆することなくケイへと突撃するが、攻撃はことごとく空を切る。まるで予知されているかのように。
彼も熟練の兵士だ。盾も織り交ぜた読みづらい攻撃を必死に繰り出すが、ケイには全く通用しない。
ケイの双剣が閃き、男の鎧を打ち据える。怯んだ隙を突いて目潰しの粉を投げつけた。
「ぐおっ!眼が!」
視界を奪われた男は闇雲に武器を振り回すが、もはや無力だった。
ティレナはその光景に違和感を覚える。
(こいつ……殺せるのに、わざと生かして無力化している?どうして?)
ケイはニヤリと笑い、狂気を孕んだ瞳をティレナへと向けた。
ティレナは必死に逃げた。
声を上げて助けを求めるが、後方に留まる戦士は少なく、視界には人影がない。孤独な草原に響くのは彼女の荒い息だけだった。
そして――目の前がぐにゃりと歪む。
実体は見えないが、そこに奴は居た。
「お姉さん、どこへ行くんだい?お姉さんは強くはないけれど、何か強い意志を感じるよ。」
歪みから姿を現すケイ。
ーーードシュッ!!
月光を浴びた双剣が強い光を放ち、次の瞬間ティレナの意識は断ち切られた。
血の匂いと共に地面へ崩れ落ちる。
亡骸を見下ろしながら、ケイは言い知れぬ喜びに打ち震えていた。
ティレナの亡骸は光の粒子となり、ジワジワと静かに消滅していく。
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数分後、ティレナは復活の泉で意識を取り戻す。
全身を引き裂かれるような恐怖に支配され、しばらく身動きができない。
だが考えなければならなかった。
(震えている場合じゃない……マスターの元へ帰るんだから!)
耳の奥で、ダンの声が響く。
「ティレナ、ずっと一緒に居てくれ!」
戦場において、泉には強力なバリアが張られ、いかなる攻撃も侵入できない。
しかしティレナは知っていた。泉に留まれる時間は限りがある。
「三分だよね。」
イタズラっぽい声が響く。だがその本質は狂気に満ちていた。
ティレナはケイの狙いを悟る。護衛を殺さず無力化したのは、自分だけを殺し続けるため。
更に言うなら、前線で死んだ同調者達は最寄りの「復活の泉」にて復活する。
後方のこの泉で復活する者はほぼ居ないだろう……
やがて泉の力が尽き、ティレナは外へ転送される。
走る彼女を双剣の光が切り裂き、意識を根こそぎ刈り取った。
草木がざわつく中、ケイは狂気の笑みを浮かべた。
復活の泉で意識を取り戻したティレナは、震える体を必死に抑えながら周囲を見渡した。
泉の周りには天界の兵が立っているはず――彼らは心を持たず、敵陣営の兵を排除する絶対の存在。
だが、ケイはそこに居るのに、天兵は彼を認識していなかった。
「そんな……どうして!」
ティレナの声は震え、絶望が胸を締め付ける。
「お姉さんからは、どうしても死ねないって強い意志が感じられるよ。」
ケイの声が泉の外から響く。
泉はもはや死刑執行の待合室。
転送の光に包まれた瞬間、ティレナは涙を流しながら一歩も動けずに散った。
再び泉で復活する。
指輪は赤く光り、彼女はもう後がないことを瞬時に理解する。
ティレナは涙を拭い、震える手で弓を握りしめた。
「マスター……私は生きて帰りたい!こんな所で消えたくない!」
ティレナの瞳に明確な覚悟の光が宿る。死の恐怖を、ダンへの愛と生への執念が完全に凌駕した瞬間だった。
彼女は自ら泉から駆け出ると、震える手を必死に抑えて、歪みに向かって弓を構える。
その表情には、これまでの彼女からは想像もつかないほどに鋭く、硬い決意が宿っていた。
「私は生きて、大切な人の元へ帰ります!!」
限界を超えて引き絞られた弦が鳴り響く。
放たれた矢は、空気を爆裂させるほどの凄まじい神速の一撃だった。
ーーースパァンッ!!!
「っ……!!」
初めてケイの顔から余裕の笑みが消えた。
空間を歪めてハイドしていたはずの彼の頬を、鋭い風切り音とともに放たれた矢が掠める。
一筋の鮮血がケイの頬を伝い、彼の銀髪が数本、宙に舞った。
あと数センチ内側を射抜いていれば、ケイの脳天を正確に貫いていただろう。それほどまでに、ティレナの放った一矢は奇跡的な鋭さを見せていた。
しかし、捉えたのはそこまでだった。
一瞬だけ驚愕に目を見開いたケイだったが、すぐにその冷酷な右目が、今まで以上の狂気で爛々と輝きだす。
「あは……あはははは! 凄い、凄いよお姉さん! 最後の最後に、そんな輝きを見せてくれるなんて……!」
ケイは頬の血をペろりと舐め、歓喜に身体を震わせながら目の前に現れる。
「ああ……最高だ。その表情、その一撃。やっぱりお姉さんは、僕のこれまでの人生で最高の作品になったよ。」
ティレナは、全力を尽くした弓を握りしめたまま、絶望に目を見開いた。
双剣の光が彼女を呑み込み、ティレナは散った。
指輪は最後に赤く輝き、愛の証を残すように消えていった。
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エリュシオンの帰還の間にて、ダンは床に這いつくばっていた。
「ティレナ……? なあ、ティレナ……?」
彼の視線の先には、何もなかった。
「嘘だろ……おい、冗談はやめてくれ……ッ!!」
ダンは狂ったように床を掻きむしる。
理解したくなかった。脳が現実の拒絶を叫んでいた。
胸を叩いて「大丈夫!」と笑ってみせた、あの頼もしいダンの面影はどこにもない。
「う、あ、あああああああーーーーーッッ!!!」
喉が裂けるような悲鳴が、無機質な広間に反響する。
それは人間の声というよりも、致命傷を負った獣の断末魔に近かった。
膝から崩れ落ちるだけでは足りず、ダンは床に額を何度も打ち付けた。鈍い音が響くが、痛みなど感じない。
ただ、胸の奥からせり上がってくる圧倒的な喪失感と吐き気に、全身を激しく痙攣させていた。
「守ると誓ったのに……君を、ドレスを着せて、幸せにするって……ッ、ゲホッ、う、ぷ……ッ!」
過呼吸で酸素が足りず、涙と涎で顔をぐしゃぐしゃに濡らしながら、ダンは胃の中のものをぶちまけるように激しく嘔吐いた。
だが、何も出てこない。胃の腑を雑巾のように絞られる苦痛だけが、彼を現実へと繋ぎ止める。
さすってくれる、あの優しい手は、もうどこにもない。
「どうして……どうして俺を置いていったんだよぉ!! ティレナぁ!!」
声はかすれ、血の混じった唾液が床に垂れる。
握りしめた拳からは爪が手のひらに食い込み、赤黒い血が滲んでいたが、今の彼にはその感覚すら麻痺していた。
外では、夕陽が街を残酷なまでに美しく、純白のウェディングドレスと同じ茜色に染め上げていく。
幸せになるはずだった男の、魂の底からの慟哭だけが、いつまでも、いつまでも冷え切った広間に響き渡っていた。




