第13話 ダンの願い
祝祭の戦場13 ダンの願い
豊かな緑と神聖な空気に満ちたエリュシオン国。その名家に生まれたダンは、何不自由ない暮らしの中で二十歳を迎えた。
彼に「マスターの資質」が発現したのは、まさにその誕生日のことだった。
エリュシオンの大神殿
同調者を創造する儀式の最中、歌を愛する彼は心地よい美声で歌いつつ祈った。司祭たちは呆れつつも名家の彼に強く意義を唱える者はいなかった。
彼が高い素養をもって創造した「同調者」――それは、透き通るような肌に、美しい新緑の長い髪、そしてどこまでも優しい瞳を持つ女性だった。
「ハッ!?そんな……まさか!? エエッ!?」
動揺のあまり、ダンの情けない声が盛大に裏返る。
だが、次の瞬間には、彼の心はその美しさに完全に奪われていた。
彼女の力を象徴するフェイトチャームは、指輪。
ダンはすぐに執事に指輪を用意させると、それをティレナに捧げて言う。
「ティレナ! 私と結婚しよう!」
「えっ……? ま、マスター……?」
生まれたばかりの同調者、ティレナはあまりの急展開に困惑し、眉を下げた。
「同調者と人は、結ばれないのです……。私たちは戦うための存在ですから」
「関係ない! そんな法律は私が変えてみせる!」
世間知らずで、どこか危なっかしいダンの熱烈なアプローチ。それが二人の始まりだった。
最初は戸惑っていたティレナも、ダンの裏表のない優しさや、泥臭いほどの真っ直ぐさに、いつしか深く惹かれていくことになる。
◇
しかし、戦場において、ダンのその「愛」は歪な形で現れた。
ティレナの武器は弓。本来ならダンの高い素養を受け、強き戦士となるはずだった。だが、彼女の放つ矢に鋭さはない。
同調者の強さは、その意志や、命を懸ける覚悟に比例する。しかし、いまの彼女にあるのは「迷い」だった。原因は、背後にいるマスターの過保護ぶりにあった。
「ティレナ、前線に行っちゃダメだ!君は戦わなくていいんだ!、私にもっと力があれば君を守れるのに……。私は、君を失うことが何より怖い!」
ダンの放つ強烈な不安が、ティレナにも影響を及ぼす。ダンはハッと気づくと、それを振り払うように、得意の美声で歌を歌い始めた。
『怖いことなんて、乗り越えなくてもいい!嫌なら逃げちゃったっていいのさ!』
冗談めかした明るい歌声。しかし、その瞳は不安を隠し切れていない。
そのうちダンは私財を投げ打ち、ティレナを護衛するためだけの同調者まで雇い始めた。
「ハッ、護衛される同調者だってよ。お熱いこったな、名家のお坊ちゃんは」
最前線の兵士たちはそう陰口を叩いたが、ダンは鼻で笑った。
「ふん、言わせておけばいい。ティレナを戦わせるなんて冗談じゃない。本当は、戦場に一歩だって出させたくないんだからな!」
街の広場では、ダンは子供たちに囲まれ、せがまれるままに優しい声で歌を歌うような男だ。誰も傷つけたくない、誰も失いたくない。
その純粋すぎる優しさが、戦場という歪な空間で、彼を頑なにさせていた。
◇
だが、残酷な現実は二人の逃避行を許さなかった。
ある大規模な撤退戦。エリュシオン軍は圧倒的な大差で敗北を喫した。
後方支援に徹していたはずのティレナたちの元にも、敵のどす黒い大群が押し寄せる。
雇った護衛たちも、押し寄せる暴力の嵐の前には無力だった。
鋭い刃が、魔法の奔流が、ティレナの華奢な身体を容赦なく引き裂く。
同調者は死んでも復活ができる。
だが、死の瞬間の苦痛と恐怖は、消えることはない。
その戦いで幾度も命を落とし、ティレナは戦いが終わって帰還した後も、ガタガタと身体を震わせていた。
「どうして……!ティレナ!護衛は一体何をしていた。ああ……なんと言う事だ。怖かっただろう?どこか痛むかい?苦しいなら言ってくれ!」
ダンは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら、彼女を抱きしめる。
ティレナは死の恐怖以上に、自分の死でこれほどダンを悲しませ狼狽させてしまったことが、何よりも辛かった。
「……ごめんなさい、マスター。私が、弱くて……」
「謝らないでくれ、ティレナ……!」
ダンは震えるティレナの頭を抱き込み、歌い出した。
その歌声はひどく掠れ、憂いを帯び、隠しきれない悲しみと恐怖に濡れていた。
激しい敗戦から数日後。
二人はエリュシオンの街を一望できる、切り立った高台に立っていた。
ここは、国中の人々が迷いや悩みを抱えたときに訪れるという、静かなパワースポットだった。
西の空を燃やすような夕陽が、二人の影を長く、赤く染めていく。
心地よい風が、ティレナの美しい緑の髪を優しく揺らした。
ダンは、いつもより少し静かで穏やかな旋律を、持参した竪琴で奏でていた。
その歌声には、先日の戦場での張り詰めた恐怖はもうない。ただ、目の前の愛しい存在へと捧げる、ひたむきな調べだけが響いていた。
ポロン、と最後に一音、竪琴の弦を鳴らし終えると、ダンは意を決したように楽器を置いた。
そして、ティレナの正面に立ち、彼女の細い両手をぎゅっと握りしめた。
「ティレナ。近いうちに式を挙げよう。私の、妻になってくれ」
ダンの声は、いつになく真剣だった。その瞳には、ヘタレと言われるいつもの彼からは想像もつかないほどの、強い決意の光が宿っている。
ティレナは、胸を突かれたように目を見張ったが、すぐに悲しげに長い睫毛を伏せた。
「マスター……そのお気持ちだけで、私は十分に幸せです。私も、もし許されるなら、どんなに嬉しいか……。でも、私は同調者なのです。戦場に縛られ、戦うために生み出された刃。人と結ばれる運命にはありません」
「運命なんて関係ないさ! 戦場に縛られているというなら、私がそこから君を引っ張り出す。護衛を増やし、私が盾になってでも、君には二度と戦場で怖い思いなんてさせない!」
「ですが、護衛を雇い続けるには多額の報酬が必要でしょう? これ以上それが続けば、マスターは……あなたの大切な名家の資産を失って、困窮してしまいます」
ティレナは、ダンのために自分の存在が重荷になることを恐れていた。
しかし、ダンは迷いなく、むしろどこか誇らしげに胸を張った。
「お金のことなら心配いらないさ! 実はこの前、父親から『これ以上同調者に現金を貢ぐなら勘当だ!』ってものすごい剣幕で怒鳴られてね。私も『望むところだ!』って啖呵を切って家を飛び出してきたんだ。……そしたら、次の日には母親が泣きながら『これで新しい護衛を雇いなさい』って特大の宝石箱を持ってきたし、父親も裏で『あいつに恥をかかせるな』って口座にお金を振り込んできてね。結局、私はどうしても勘当されないみたいなんだ!」
「えっ……?」
ティレナは思わず呆気に取られた。深刻な話かと思いきや、実家が彼を甘やかし、どうしても見捨てられないという、名家ならではの斜め上の事実が飛び出したのだ。
だが、ダンはすぐに真面目な顔になり、彼女の手をさらに強く握りしめた。
「でもね、ティレナ。私は実家の資産をあてにして言っているんじゃない。例え本当に明日、すべてを失って無一文になったとしても、私は君のそばにいる。君のいない名家の豊かな暮らしより、君と過ごす貧しい日々の方が、私にとってはよほど価値があるんだ。私は、自分の歌とプライドのすべてをかけて、君を一生守るよ」
世間知らずで甘やかされているのは事実だけれど、彼のティレナを想う「覚悟」だけは本物だった。
それでも、彼女の心にはまだ、同調者としての暗い影が残っていた。
「……私のせいで、街でマスターの悪い噂が立っているのも知っています。名家の若様が、同調者に狂って道楽者になったと……」
「言いたい奴には言わせておけばいいさ! 彼らは君の本当の美しさを知らない哀れな連中だ。私の愛の深さに嫉妬しているだけだよ」
ダンはあっけらかんと笑い飛ばす。
ティレナは、最後にずっと胸に秘めていた、最も残酷な現実を絞り出した。
「でも……人と同調者は、子を成せません。私はあなたに、血の繋がった家族を遺してあげられない……!」
涙が彼女の透き通るような頬を伝い、夕陽にきらめいた。
それに対し、ダンは優しく微笑み、彼女の涙を親指でそっと拭った。
「落ち着いたら、養子を迎えよう。身寄りのない子を私たちが引き取るんだ。実家の両親も、孫の顔が見られるならきっと大喜びさ。街の子供たちは、私の歌が大好きだからね、私はきっと良い父親になれる。君という優しい母親と、私と、その子と……3人で温かい家庭を作ろう。きっと、うまくいくさ」
ティレナは息を呑んだ。
彼女が「同調者だから」と諦め、胸の奥底に閉じ込めていた不安、迷い、そして未来への怯え。
ダンはそのすべてを、彼の世間知らずなまでの純粋さと、圧倒的な肯定感で、一つずつ丁寧に、優しく取り除いていく。
「ティレナ。まだ、私との間に、何か隔たりはあるかい?」
ダンの真摯な問いかけに、ティレナの瞳から今度は溢れるほどの嬉し涙がこぼれ落ちた。彼女の口元に、心からの幸福な微笑みが咲く。
「マスター……あなたは本当に、私の不安をすべて消し去ってくださるのですね」
「ティレナのためなら、私はどんなことだってやる。神にだって、この国の法律にだって逆らってみせるさ。ここに誓うよ」
「私……同調者なのに、こんなに幸せになってしまって、本当に良いのでしょうか……?」
「誰にも異論は挟ませない!神様がダメだって言っても、私が君を幸せにするんだ。だから、ずっと一緒に居てくれ!」
ダンの必死で、どこか不器用なプロポーズ。
ティレナは涙を流しながら、強く、彼の手を握り返した。
「……マスター。ありがとうございます。私のようなもので良ければ……はい、喜んで。あなたの妻として、生涯をかけてずっと添い遂げます」
「本当かい!? あ、あああ……やった、やったぞおぉぉーーーっ!!」
それまで格好をつけていたダンの緊張の糸が、一気に切れた。
「ウェエエエッ!」と子供のように大声を上げて泣き出し、今度はダンの方が涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにする番だった。
「ひぐっ、う、嬉しい……!今日はなんて素晴らしい日なんだ!ティレナが私の奥さんに! ああ、神様ありがとう!あ、あとお父様とお母様もありがとう、勘当しないでいてくれて!よし、すぐに式の手配だ!実家のコネと財力をフル活用して、一番豪華な結婚式を挙げよう!ドレスも国で一番の職人を雇って、あっ、招待状もお父様の名前で出せばみんな断れないぞ、いや待てよ、まずは……!」
大興奮でパニックになりながら、涙目で最高に世間知らずな(しかし頼もしい)計画をまくし立てるダン。その様子は相変わらずヘタレで、お坊ちゃんで、最高に愛おしかった。
「マスター、ふふっ、落ち着いてください……」
ティレナは愛おしさに胸をいっぱいにしながら、彼の手をもう一度きゅっと握る。
「豪華な式もドレスも要りません。私はここに居ます。ずっと、あなたのそばに居ますから」
「ティレナぁ……!」
ダンは再び彼女を強く抱きしめ、今度は嬉しさに満ちた、大音量の愛の歌を高台の空へと響かせた。
赤く染まる夕陽の中、しっかりと寄り添い合う二人の影は、どこまでも長く、温かく伸びていった。




