第12話 二つの愛情の形
祝祭の戦場 12:二つの愛情の形
ヴァルディアの街にて
活気あふれるヴァルディアの街。石畳の通りには人々の賑やかな声が響き渡り、行き交う馬車の音や露店の威勢のいい掛け声が、昼下がりの空気を満たしている。
その雑踏の中を、アークとタニアは並んで歩いていた。
今日は週に一度、タニアが手料理を振る舞ってくれる特別な日だ。
屋敷には優秀な使用人たちが揃っているが、彼女はこの日だけは自ら台所に立つ。
アークにとって、その買い出しに付き合うこの時間は、何よりも心躍るひとときだった。
賑わう市場を通り抜ける途中、馴染みの八百屋の店主が二人を見つけて気さくに声をかけてくる。
「よっ、アークさん!今日もタニアさんと一緒かい。熱いねぇ、まるで街でも評判の恋人同士だぜ?」
「えっ……!?」
不意の言葉に、二人は同時に足を止め、思わず顔を見合わせて照れ笑いを浮かべた。
そんな初々しい二人のもとへ、今度は街の子供たちがドタドタと足音を立てて駆け寄ってくる。
「タニアお姉ちゃん!タニアお姉ちゃん!街の中ではあのデカいハンマー持ってないの?ブンッ!ブンッ!」
子供たちは、戦場で大活躍するタニアの雄姿を知っているのだ。小さな手を握りしめ、必死にハンマーを振り回す真似をしてみせる。
タニアは子供たちの目線に合わせて少し腰を落とすと、穏やかに微笑んだ。
「街の中では危ないですから、携帯しないのですよ」
(タニアは、こんな小さな子供に対しても絶対に敬語を崩さないんだよな……)
その生真面目さと誠実さに、アークは改めて感心してしまう。
「ちぇーっ!ハンマー、見たかったなぁ……」
一人の少年がつまらなそうに唇を尖らせたが、すぐに悪知恵を思いついたようにアークを指差した。
「じゃあ、アークさんでいいや!お菓子ちょうだい、お菓子!」
「こら、チビ助。お前は口を開けばお菓子お菓子と、そればっかりだな」
アークは苦笑しながらも、懐に手を伸ばした。
「だが、俺も鬼じゃない。たまにはこれでもくれてやろう」
差し出された小粒の飴玉を見て、子供たちは「わーい!」と大喜びで飛びつき、早速口に放り込む。
しかし、アークはニヤリと不敵な笑みを浮かべた。
「……ちなみに、ちょっと苦いがな?」
「うげぇっ!まっず!!!……でも、食べ物を粗末にしたらバチが当たるんだ!」
顔をしかめ、涙目になりながらも、少年は吐き出さずにしっかりと飴を噛み砕いて飲み込んだ。
アークは思わず声を立てて笑う。
「ははっ、チビ助は変なところで律儀だな」
「次はもっと美味いお菓子くれよな!バカアークさん!」
少年はあっかんべーをすると、仲間たちを連れて風のように走り去っていった。
「おい、バカは余計だ!まったく、あいつらは……」
遠ざかる背中に向かって文句を言うアークの横で、タニアはそっと口元を綻ばせる。
「ふふ、マスターは本当に子供たちから慕われていますね」
「慕われてるっていうか、完全に舐められてるだけだと思うがな……」
帰り道
買い出しを終えた帰り道。荷物を抱えて歩きながら、アークの頭には先ほどの店主の言葉がリフレインしていた。
『街でも評判の恋人同士』
胸の奥が少しくすぐったくなるような感覚に耐えかね、アークは意を決して、隣を歩く彼女に問いかけた。
「……恋人、か。俺はそう言われて嬉しかった。タニア、お前はどうだ?」
タニアは一瞬だけ歩調を緩め、どこか遠くを見るような、少し寂しげな瞳で俯いた。
「私は……同調者ですので……」
「そんなの関係ないさ!」
アークは思わず強い調子で遮った。タニアが驚いたように目を見開く。
「俺は、マスターだからとかじゃなく、タニアにずっと俺のそばにいてほしいんだ。祝祭の戦場がどうあろうと、神々が何を決めようと関係ない。俺はタニア、お前と一緒にこれからの道を歩んでいきたいんだ」
真っ直ぐな、一点の曇りもないアークの告白。
タニアは困ったように眉を下げ、それでも、胸の奥から溢れ出る喜びを隠しきれないといった様子で、愛おしそうに微笑んだ。
「……ありがとうございます、マスター。私も、もし本当にそうなったら……どんなに良いかと思います」
約束
アークはさらに表情を引き締め、真摯な眼差しで言葉を重ねる。
「前にも言ったが、敢えてもう一度言わせてくれ。いつか、お前を必ずあの残酷な戦場から解き放つ方法を見つけ出す。これは約束だ。ただ――」
そこでアークの顔に、暗い影が落ちる。
急速に感情の勢いがしなびていくのが目に見えるようだ。
「マスター?」
「……ただ、お前と同じ戦線に立って戦えないことが……俺は情けなく思う」
地上でタニアの無事を祈るだけの自分に対する不甲斐なさ。それを吐露したアークを、タニアはじっと見つめ、遮るように、しかしどこまでも優しく、はっきりとした声で告げた。
「それは違います。私も、何度だって言います。マスターは私に命を預けてくれています。私たちはもう、十分に一緒に戦っているのです」
突然の強い口調に、アークは一瞬戸惑う。だが、タニアの言葉は止まらない。
「マスターのその覚悟こそが、私に特別な強さを与えてくれているのです。あの時、マスターが『俺の命を賭ける』と言ってくれたあの言葉が、今も私の心を震わせ、戦う勇気をくれるのですよ」
「……本当に、そうかな?」
アークが自信なさげに呟くと、タニアは胸を張って言い切ってみせた。
「そうなんです!戦っている私が言うのですから、間違いありません!」
凛とした表情から、いつもの柔らかな笑顔へと戻り、タニアは歩みを一歩進める。
「さあ、帰りましょう。今日の手料理、楽しみに待っていてくださいね、マスター」
「ああ、格別に楽しみにしているよ」
二人は再び歩調を合わせ、夕暮れに染まり始めた道を並んで歩き出した。
セレナとケイ ― 生意気な弟と受け入れる姉
ノクシアの屋敷の一室。薄暗い部屋の中で、ケイは窓辺にもたれかかり、そっけなく言い放った。
「セレナ姉さん。勘違いしないでくれよ、別に僕はあんたに従ってるわけじゃない」
その視線の先には、優雅に椅子に腰かけるセレナがいる。ケイはそっけない態度を崩さない。
「ただ……なんて言うか。何故だか分からないけど、あんたのことが気になるだけだ」
セレナは、まるで幼い子供の我が儘を慈しむように、深く静かな微笑を浮かべた。
「それでいいのよ、ケイ。あなたがあなたらしく、振る舞ってくれることこそが、私には何よりの喜びなのだから」
その底知れない肯定感に、ケイは一瞬気圧されたように目を見張るが、すぐにふんっと鼻を鳴らす。
「僕はただ、僕の好きにやるだけさ。これからも姉さんに合わせるつもりなんて毛頭ないからね」
「ええ、分かっているわ。だからこそ、あなたのその全ての躍動が私の愛おしい喜びになるのよ」
ケイは完全に調子を狂わされ、気まずそうに、むっとした顔で視線を逸らした。
「……本当に変な人だな、セレナ姉さんは」
「そうかしら?でも、あなたがそうして私のことを考えて言ってくれるなら、どんな言葉でも嬉しいわ」
素直になれず、鋭い言葉で武装するケイ。だがセレナは、その刃すらも抱き留め、自身の喜びに変えてしまう。
二人の間に横たわるのは、主従や契約といった、既存の言葉で片付けられる関係ではない。
理屈を超えた絶対的な引力のようなものが、二人を深く結びつけていた。
ケイの記憶:右目の感覚共有
「ケイ、こちらへ来なさい」
過去の記憶。ケイが、セレナに呼ばれて歩み寄る。
「何だい?セレナ姉さん」
セレナは不気味なほど美しい笑みを湛えながら、ケイの顔を覗き込んだ。
「今から、あなたに私の『感覚』を譲渡します。これによってね、ケイ。あなたは私と視界を、痛みを、そして恐怖さえも共有するのですよ。ふふっ……素晴らしいことだと思わない?」
「よく分からないや」
ケイは小首を傾げた。
「それをしたら、僕は強くなれるの?」
「ええ、もちろん。今よりもずっと、誰よりも強くなれますよ」
「じゃあ、やってよ」
迷いのないケイの返事を聞くと、セレナは細い指先を自身の右眼へと当てた。
周囲の空気が一気に張り詰める。
今から行う儀式は気軽にできるような生易しい物ではない。
セレナは僅かに表情が固くなる。だが躊躇はなかった。
次の瞬間――。
ーーーバチバチバチッ……!!!
部屋の中に、禍々しい漆黒の魔力がスパークした。空気が一瞬でひび割れ、肉が焦げるような、鉄錆びた嫌な匂いが立ち込める。
普段、いかなる過酷な状況でも恐怖や苦痛を表に出さないセレナが、その瞬間、激痛に喉を詰まらせ、思わず声を漏らす。
「うぐっ!……クッ……!はあっ、はあっ……!」
肩を激しく震わせ、呼吸が過呼吸気味に乱れる。魔力が眼球から直接抽出されるたび、脳髄を直に炙られるような、筆舌に尽くしがたい激痛が彼女を襲う。
指先が激痛に震えながらも、セレナは決して右眼から手を離さない。
一方のケイは、目の前で行われている凄惨な儀式を、ただじっと無表情で見つめていた。
その異様なまでの静寂が、かえってこの儀式の狂気を際立たせていた。
通常、フェイトチャームは、指輪や首飾りといった装飾品に宿されるものだ。
しかし、「生身の眼球の感覚そのもの」をフェイトチャームへと変造する事例など、魔術の歴史において一例たりとも存在しない。
やがて、セレナの右眼から放たれた光がケイの右眼へと転移するように収束し、二人の右眼が禍々しい深紅に発光した。
視界が重なり、相手の痛みが己の痛みとなり、恐怖の波形が同調する。その瞬間、二人の魂は不可逆の鎖で繋がれた。
現在:屋敷の一室にて
追憶から醒め、現在――。
静まり返った屋敷の一室で、セレナは独り、窓外の闇を見つめて佇んでいた。
「……あのフェイトチャーム生成は、理を外れた禁忌の秘術。今や私とケイは、一つの命を共有しています」
彼女は自身の右眼にそっと触れ、恍惚とした歪んだ笑みを口元に浮かべた。
――ケイが死ねば、自分も死ぬ。
「ふふっ……あの子が消えた後の生になど、私は興味がないのです……」
その揺るぎない瞳の奥には、底知れない純粋な狂気が宿っていた。
月光に照らされたセレナの影は、まるで命を蝕む不気味な炎のように、妖しく壁に揺らめいていた。




