第10話 盾との邂逅
祝祭の戦場10:盾との邂逅
1. 澱んだ作戦会議と「盾」の噂
ヴァルディアが、エリュシオン領土の要衝たる「ルミナシア」へ宣戦布告した。
ギルドの一室は、澱んだ熱気と重苦しい沈黙に包まれていた。卓上に広げられた地図を囲み、作戦会議が進められている。
上座にふんぞり返る総司令は、豪奢な軍服に身を包み、自らは戦場にに出る気など微塵もない高慢な態度で指図を飛ばしていた。
「けっ、戦場にも立たねえ貴族様が偉そうに……」
最前線で命を張る若き兵士が、忌々しげに吐き捨てる。
「オッ、オイ! 聞こえるぞ……やべーからよせ!」
隣の戦友が慌ててその口を塞ぎ、周囲の顔色を窺った。幸い、総司令の耳には届いていないようだった。
ルミナシアの戦場は、底の見えない巨大な渓谷である。断崖絶壁に架けられた一本の巨大な橋。
それを挟んだ両端の拠点は、明らかにエリュシオン側が広大であり、防衛に有利な構造だった。
攻め手であるヴァルディアが勝つための理屈は、至ってシンプルだった。
『橋を制す者が、戦場を制す』
その言葉が幾度も繰り返され、兵たちの胸に重く刻まれていく。今回の戦場には、エリュシオンも本気で防衛にやってくる。誰もがそう予感していた。
エリュシオンが10年以上もの間、このルミナシアを堅守し続けているという重い事実を、今あえて口にする者は誰もいなかった。
戦争開始を数時間後に控え、
「――この戦場には“エリュシオンの盾”が来る可能性が非常に高い」
という噂が、兵たちの間を疾風のように駆け巡った。
『エリュシオンの盾マグナス』。その名が出た瞬間、宿舎の空気が目に見えて凍りつく。
「ここは資源も他のエリアより抜きん出て良いらしいからな。連中もここはガチで防衛するだろうよ」
「けっ! 資源の分け前なんざ、俺たち下っ端には関係ない話だっての」
「まあ、向こうの『英雄』が出張って来るのはほぼ確定だろうな」
タニアもまた、その名に深い聞き覚えがあった。高潔なる武人。エリュシオンの象徴たる英雄。一度も戦場で死んだことがないという、不死身の噂。
(マグナス……一体、どれほどの相手なのだろうか)
愛用のハンマーを入念に手入れしながら、タニアの瞳に鋭い決意の光が宿る。
2. 開戦、そして突撃する女戦士タニア
その時、周辺の空気が一変した。ルミナシア全域を包み込むように、戦場を仕切る巨大な結界が立ち昇る。
上空には両国の象徴たる「器」が出現し、眩い光が世界を白く染め上げた。遅れて、空間を震わせる神聖な鐘の音が数回、厳かに鳴り響く。
戦場で生きる者たちにとって、それは見慣れた、しかし何度迎えても血の沸き立つ開戦の合図だった。
轟音と共に、中央の巨大な橋で激戦の火蓋が切って落とされた。谷の上に渡された巨大な橋を前に、兵士の一人が声を荒らげる。
「なんて橋だよ……向こう岸が霞んでよく見えねえ!」
神々が造りしと謳われるその橋は、人間の常識を超えたスケールで架けられていた。そびえ立つ主塔の威容は、見る者を圧倒するほど神々しい。
完璧に整った石畳の床面には、一面に緻密な紋様が彫刻のように刻まれている。
渓谷の底から吹き上がる激しい突風が、容泄なく兵たちの身体を叩いた。
外套を激しくなびかせ、巻き上がる風塵のなか、両軍は真正面から激突する。
ヴァルディア側が繰り出したのは、幾多の死線を潜り抜けてきた歴戦の猛者たちだ。その面構えには、死への恐怖をねじ伏せた獰猛な笑みが浮かんでいる。
対するエリュシオンの兵たちも、一糸乱れぬ強固な陣形で迎え撃つ。まさに、敵味方ともに精鋭と精鋭のぶつかり合いだった。
だが、風をもものともしないヴァルディアの猛攻が、徐々に敵の防衛線を押し込んでいく。兵たちが歓喜の声を上げた。
「おい! 行けるぞこれ! 渡り切れぇ!!」
「けっ!なぁにが10年不敗だ!俺と戦わなかっただけだろうが!今日でそれも終わりだ!」
「軽口はいいから押せ!マジで行けるぞ!これ!」
橋を渡り切りさえすれば、勝ったも同然。永きにわたるエリュシオンの不敗神話を、自分たちの手で打ち破れるのだ。戦場は熱気に包まれていく。
「たあああーーッ!道を開けなさい!」
その勢いの中心にいたのは、タニアだった。彼女は巨大なハンマーを軽々と振るい、立ち塞がる敵兵を次々と打ち砕いていく。
戦況を冷徹に見極める彼女の目が、窮地に陥った味方を捉えた。
「そこっ! 危ない!!」
鋭い一喝と共に地を蹴り、敵を剛腕一閃、味方を救う。
「すまねぇタニア!恩に着るぜ。俺もうかうかしてられねえ!」
男は立ち上がると戦場の熱気の中に再び飛び込んで行った。
「タニアを止めろ!」と色めき立つ敵兵の集団が殺到するが、彼女は身を翻しながらハンマーを横一線に薙ぎ払った。
風を切り裂く一撃で、軽々と数人の兵がまとめて吹き飛ぶ。
直後、無数の矢が雨あられと彼女に降り注いだ。しかし、タニアはハンマーの柄を軸に、その肉厚な打撃面ですべての矢を防いでしまう。
さらに放たれた容赦ない攻撃魔法にいたっては、ハンマーを風車のように高速回転させ、強引にその魔力を散らしてみせた。
「さすがタニアだ! 何という戦いぶりだ!」
味方の兵たちが歓声を上げ、ヴァルディアの士気は最高潮に達する。
3. 現れた英雄と『ウォールストライク』
その時、地鳴りのような足音が敵陣の後方から響き渡り、戦場の熱気が爆ぜた。
防戦一方だったエリュシオン陣営の士気が、一瞬にして跳ね上がる。天を衝くような歓声が渓谷に木霊した。
「マグナスだ! 我らの盾が来たぞ!!」
突如として前線に現れた一団。その中心から放たれるただならぬ気配を、タニアが敏感に察知する。
味方を讃え、中にはまるで勝利を確信したかのように叫び声を上げる者すらいるエリュシオン軍とは対照的に、ヴァルディアの兵たちは目に見えて動揺し、どよめき始めた。
「エリュシオンの盾だ……!」
「マグナスが来ちまった……っ」
強烈な突風に見舞われたかのように、彼らの進撃がピタリと止まる。恐怖の重圧に、彼らの足は止まってしまっていた。
土塵の向こうから歩み出てきたのは、圧倒的な威厳を放つ歴戦の勇姿だった。
年齢は35歳ほどだろうか。筋骨隆々の巨体に、野性味のある茶色い短髪と立派な髭を蓄えている。決意を固めたその目は、戦場の喧騒をも静めるほどの苛烈な威圧感を放っていた。
彼の身を包むのは、深い緑の重装鎧。その背には、一際目を引く巨大な盾が鎮座している。そして右手には、通常ならば両手で扱うべき重量の槌が握られていた。
その佇まいは、神々しさすら感じさせる。
タニアは遠くからじっとその姿を見つめ、思わず小さく息を呑む。ただならぬ迫力に気圧されてはならないと、必死に身構えていた。
マグナスが最前列へとゆっくり歩み出る。その瞬間、戦場が嘘のように静まり返った。あまりの静けさに、橋の上を吹き抜ける風の音だけが、やけに鮮明に聞こえるほどだった。
「けっ!名前にビビってんじゃねえ!押し切るんだッ!」
ヴァルディアの兵士の一人が声を張り上げて突撃した。それに続けと数人が同時にマグナスへと襲いかかる。
――ギィンッ! ガッ! ガキィィィン!!
激しい金属音が響く。しかし、マグナスは大盾でこれらを軽々といなしてみせた。多人数で囲んでいるにも関わらず、マグナスの強固な守りはまったく崩せない。
――ドゴォ! ゲシッ! ガゴッ!
流れるような逆襲。ヴァルディア兵たちは、マグナスの槌、あるいは振り回された盾の質量に軽々と弾かれ、次々と倒れていった。
「――使うか」
地を遍うような低い声。マグナスがゆっくりと大盾を正面に構え直す。重心を低く保ち、身構える。
(……来るっ!)
タニアは、彼を中心に周囲の大気がわずかに震えたのを確かに感じ取った。
次の瞬間――大盾が赤く光を放ち、マグナスの巨躯が凄まじい勢いで突進した。大地を抉り、火花を散らしながら一直線に走るその姿は、もはや人の動きではなかった。
エリュシオンの盾が誇る奥義――『ウォールストライク』。
激しい衝撃音と共に、ヴァルディア兵はまるで木の葉のように蹴散らされ、激しい粉塵が巻き起こる。生臭い血と土埃の匂いが辺りに広がった。
土埃がゆっくりと晴れていく。視界に飛び込んできたのは、凄惨な光景だった。
神々が造りしあの頑強な石畳が、まるで巨大な怪物の爪で抉り取られたかのように、深く無残に引き裂かれていた。
「なんて威力だ……!」
「この橋、とんでもなく頑丈だってのに……嘘だろ!?」
戦慄するヴァルディア陣営。驚きの余り立ち尽くす者さえいるなか、タニアも緊張した表情で呟いた。
「あれが……“エリュシオンの盾”……」
彼女の手は、目の前の光景に少し震えていた。そこには、これほどの武人がいたのかという、静かな驚愕と興奮が入り混じっていた。
4. 不退転の誓い、激突する二つの意思
「エリュシオンの兵よ! 私に続け!」
マグナスの咆哮が戦場の静寂を打ち破る。直後、地鳴りのような歓声が爆発した。
「押し戻せ! マグナス殿が居れば俺達に敗北はない!」
「ルミナシアは俺たちの物だ! ヴァルディアの侵攻を許すな!」
「エリュシオンの盾に加勢しろ!!」
まるでエリュシオン軍の背に、強力な追い風が吹き荒れたかのようだった。
圧倒的な劣勢のなか、タニアは戦慄の表情を浮かべながらも、どこか高揚感を覚えていた。
(凄い……一瞬で戦場の空気すら変えてしまうなんて。あの男、まさに英雄、噂は偽りなしね……)
彼女が熱い闘志の中でマグナスを見見据えながら、脳裏にふと、主であるアークの言葉を思い出す。
『……無理はするんじゃないぞ?』
その優しい声が胸に響き、タニアの足が一瞬だけ止まりかける。彼女はそっと、胸元に光るネックレスを見つめた。
(そう……私は無理をしてはいけない。マスターは、私を守ろうとしてくれている……)
だが、視線を上げ、緑の重装鎧を纏い、赤く光る盾を構えるマグナスの巨躯を見た瞬間、心の奥底から別の声が激しく湧き上がる。
(でも……私は戦士だ。戦場で立ち止まることなんてできない。あいつを止められるのは、私しかいない!)
タニアは深く息を吸い、決意を固める。
「マスター……すみません。でも私は、戦士として挑みます!」
その言葉は誰に向けたものでもなく、自らの心に刻む不退転の誓いだった。使命感に燃える瞳で、タニアは一直線にマグナスへと向かって駆け出した。
(あいつは私が食い止める!)
「タニアが行ったぞ! 援護しろ!」
崩壊しかけていたヴァルディアの士気が、一人の背中によって繋ぎ止められる。戦場の熱気がさらに高まった。
両軍の壮壮たる意地がぶつかり合い、その凄まじさに神の橋さえもが軋んでいるかのようだった。
「どきなさい! 私が用があるのは、あの男だけです!」
行く手を阻もうと襲いかかる二人の兵を、タニアはハンマーで剛腕一閃。軽々と弾き飛ばす。
「やはりタニアは凄い! 俺達にはタニアが付いている!」
味方の歓声を背に受け、ついにタニアとマグナスが対峙した。
タニアとマグナスの一騎打ち。その絶対的な聖域を守るように、兵たちは円陣を組み、周囲を封鎖した。
戦場の激しい熱気の中にあって、まるで二人の周りの空間だけが切り取られたかのように、不思議と静まり返る。
5. 互角の死闘、そして刻まれた英雄の名
「強いな、女戦士……名を何と言う?」
マグナスの地を這うような声が響く。
「私の名はタニア! ヴァルディアの女戦士タニアだ。ここからは、私がお前を抑える!」
マグナスはその問いに答えず、ただ静かに盾を構え、槌を握り直した。だがその顔には、どこか強者と巡り会えたことを喜ぶような、嬉しそうな色が浮かんでいた。
次の瞬間、耳をつんざくような凄まじい衝撃音と共に、タニアとマグナスの戦いが始まった。
盾と槌が幾度も激しく打ち合い、火花が散る。
(防御に優れた重戦士……そう思っていたけれど……!)
かすめる槌の凄まじい風圧に、タニアは何度も肝を冷やす。マグナスの剛腕から繰り出される攻撃は、そのすべてが計り知れない殺傷力を秘めていた。
しかし、腕力ならばタニアも引けは取らない。振り下ろし、薙ぎ、タニアはまるで一片の羽根であるかのように、巨大なハンマーを縦横無尽に振り回す。
マグナスの動きは、それほど速くはない。重装鎧の宿命か、その一歩一歩は重厚だ。
だが、どんなにタニアが左右に鋭く身を振り、時には背後に回り込もうとも、そのすべてが確実に盾によっていなされてしまう。
打てども打てども、鉄壁の盾に阻まれる。数えきれないほどの激しい交錯が繰り返されるが、それでも決着は付かず、両者の力は完全に拮抗していた。
――フォン、と空間を震わせる、戦争終了のサイレンが厳かに響き渡った。
橋での攻防は、まさに互角。両軍ともに譲らぬ大激闘だったが、マグナスという柱を得たエリュシオンの気迫が、ほんの僅かに勝っていた。
天空に、光を失ったヴァルディアの器が砕け散る。大きく肩を上下させ、息を切らして消耗しているタニアと、まだ底知れぬ余裕を残して佇むマグナスの対比が、夕闇の迫る戦場に鮮烈だった。
「また会おう、ヴァルディアの強き女戦士よ」
そう言い残し、マグナスはエリュシオンの帰還の光に包まれ、転送されていく。
戦いに敗れ、全身を襲う激しい疲弊。しかし、タニアの胸の奥には、どこか充実感が満ちていた。
「……エリュシオンの盾、マグナスか」
去っていった英雄の残光を見つめながら、タニアはその名をもう一度、深く心に刻みつけるのだった。




