ヴィンセント王子殿下
「まずいです、お嬢様。この先の街道の関門で、衛兵が検問を敷いているようです」
「なんですって!」
私は慌てて馬車の窓からそっと外を覗く。すると確かに、少し先にある関門のところで、衛兵が数人集まって、通行する馬車を一台ずつ検めていた。
「ど、どうしましょう……。別の道に迂回することはできないのかしら」
「北部の国境までは、この一本道を通る以外に道はありません。それに、今から引き返したら、それこそ怪しまれてしまいます」
「そんな……」
私は青ざめた。
もちろん、私はここへ来る前に、庶民風の服装に着替えて変装している。けれど、自慢の珊瑚色の髪や、目立つ赤い瞳はそうそう隠せるものでもない。
この派手な容姿は国内でも非常に珍しく、そうそう見間違えるものではなかった。本来であれば由緒ある貴族家が、その血統を誇示するために受け継いで来たものだったはずだけれど、それが仇となってしまった形だ。
関門で検問が敷かれているということは、既に手配書がこの北部地方にも回っているということ。人相から正体がバレてしまうのは、火を見るより明らかだった。
そうしている間にも、馬車はどんどんと関門の方へ進んでいってしまう。
「お嬢様、隙を見て馬車をお降りください。私が先に検問を抜け、様子を見てからお嬢様を迎えに参ります」
「えっ、そんな、大丈夫なの? 見つかってしまわないかしら……」
私はためらったが、悠長なことを言っている場合でもない。アルバスが馬車の戸をわずかに開けて急かした。
「早く。このままでは二人とも捕まってしまいます」
「わ、分かったわよ……」
そう言って、私が意を決して馬車から転がり出た、その時だった。
「おい、そこのお前、何をしている!」
(ば、バレてしまったわ……)
私の渾身の脱出は、すぐさま衛兵達の目に止まってしまった。
それもそのはず。列に並んだ馬車は、既に関門のすぐ手前まで進んでいて、私が降りた場所は、衛兵たちの目と鼻の先だったのだ。
すかさず、数人の衛兵がこちらへ馬を走らせてくる。
(流石に馬相手では逃げ切れない。お、おしまいだわ……)
私は、降りた場所にへたり込んだまま、眼の前が真っ暗になった。――その時。
「一体、何の騒ぎだ」
衛兵が駆けてくるのとは別の方向から、聞き覚えのない声がした。
恐る恐る目を開けると、見知らぬ人物がこちらに近づいて来ているのが見えた。
その人物も馬に乗っていた。けれども彼は、衛兵の装いをしていない。ラフなシャツにピタッとしたベストを合わせた、まるで格式高い家柄の貴公子みたいな出で立ちだった。
白銀の髪が淡く光り、澄んだコバルトブルーの青い瞳が印象的だった。
「殿下、こちらにおいででしたか。怪しい娘が、馬車から逃げ出そうとしたもので、確かめに参ったのです」
馬で駆けてきた衛兵の一人が、その人物を“殿下”と呼称した。
「この娘が」
「はい。検問を受けずに逃げ出そうとしました。詳しく身柄を検めた方がよろしいかと」
言われて、殿下と呼ばれた人物が、私の方を見下ろした。冴えた青い瞳が、こちらを射抜く。
慌てて、私は被っていたフードを深く被り直した。
「見たところ、なんということもない娘だろう。お前たちの検問の手際が悪いから、待ちくたびれて降りただけなのでは?」
彼はどうしてだか、私のことを庇っているような素振りを見せる。私はすかさず調子を合わせた。
「は、はい。家に忘れ物をしてしまったので、私だけ引き返そうとしたのです。慌てていたので、馬車から落ちてしまいました。お騒がせをしてしまい、すみません」
咄嗟に思いついた苦しい言い訳を口にした。
衛兵達は訝しんだが、殿下と呼ばれた人物は表情を崩さない。
「そういうことだ。ここは良いから、お前たちは検問に戻れ」
「で、ですが。よろしいのですか」
「私が良いと言ったのだから良いのだ。このままでは検問が終わるまでに日が暮れてしまう。通行人をあまり待たせるな」
語気を強めて睨みつければ、それきり衛兵達は黙って引き下がっていった。
後には私と、謎の青年だけが取り残される。
「すごい勢いで馬車から転がり落ちたみたいだけれど、大丈夫?」
そう言って、彼は私に手を差し出した。
「あ、ありがとうございます。この通り大丈夫で……痛いっ!」
私がその手を取って立ち上がろうとした時。不意に足首に激痛が走る。
私はそのまましゃがみ込んでしまった。
「ほら、やっぱり。さっきの衝撃で挫いているようだ。掴まって。私の屋敷で手当てをしよう」
そう言うが早いか、彼は有無を言わさず私を抱え上げ、ひょいと馬上へ引き上げてしまった。
そして、呆然とする私を乗せたまま、白銀の髪の青年は馬を駆けさせたのだった。




