十五年前の事件について
それからしばらくして、私はおかゆを載せたトレイを抱えて廊下を歩いていた。
思い出されるのは、昨日ヴィンセント殿下が話してくれた、国王陛下の毒殺未遂に使われた毒のことだ。
押収されたワインからは、最初は毒が検出されたのに、翌日になるとそれがきれいさっぱり消えてしまったという。毒の正体はつかめず、その出所もわからないままだった。
そして殿下いわく、その毒は、殿下が追っている十五年前のある事件と関わりがあるのだという。
(昨日は事件のことを聞きそびれてしまったけれど……今度こそ、旦那様にお聞きしてみよう)
私は気を引き締めて、ヴィンセント殿下が休んでいる寝室の扉をノックした。
「旦那様、お夕食をお持ちしました」
部屋に入ると、ヴィンセント殿下は寝台のヘッドボードに背を預けて、本を読んでいた。
私に気づくと、手にしていた本を閉じる。
「ああ、ありがとう」
そう言ってから、殿下は不思議そうにお皿の中身を覗き込んだ。
「――これは、何だい?」
「ええと、これは“おかゆ”というものです」
この世界で、おかゆが一般的な料理なのかはわからない。
ソフィアは食べたことがないと言っていたし、料理長もパエリアくらいしかお米の調理法を知らなかった。
おそらく、ヴィンセント殿下も初めて目にするのだろう。
「お米をブイヨンで煮込んだものです」
「ああ、昨日君が手に入れてきた、あれか」
ヴィンセント殿下は思い出したようにつぶやくと、スプーンでおかゆをひとさじすくって、口に運んだ。
「なんだか……不思議な味がするね」
「お口に合いますでしょうか。だしが利いているので、とても美味しいと思うのですが」
「だし? 確かに、なんだか優しい味がするけれど」
港で獲れた新鮮な魚介からとったブイヨンに、料理長秘伝のスパイスや香味野菜を合わせてある。とても上品な味で、そのままスープとして飲んでも美味しいのだけれど、こうしておかゆにしても絶品だった。
はじめは不思議そうにしていたヴィンセント殿下も、案外このおかゆが気に入った様子だった。
食後にお茶をお出しして一息ついたところで、私はあの話題を切り出した。
「旦那様、お聞きしてもよろしいでしょうか。十五年前に起こったという、事件のことです」
「事件のこと?」
「旦那様は以前、私が冤罪をかけられている件は、十五年前の事件と関わりがあるとおっしゃっていましたよね。私も、自分の身の潔白を証明するために、その事件のことを知っておきたいのです」
「……確かに、君の耳にも入れておくべきだろうね」
そうつぶやくと、殿下は寝台を降りて窓辺のテーブルにつき、向かいの席を私に勧めた。
そして、あの事件の全容について語り始めた。
「私の母上は、十五年前に亡くなった。君も知っていると思うが、私とランスロットは母親の違う兄弟だ。ランスロットの母は、もとは父上の側妃でね。母上が亡くなったあと、王妃に立てられた。それが今の王妃だ」
「はい。存じ上げております」
私はアーチャー家のお屋敷にいた頃、この国の歴史を含めて、ひととおりの教養を叩き込まれていた。
先の王妃様のことも、王室の系譜を学ぶ中で、家庭教師から聞かされている。けれど、亡くなった時の詳しい事情までは知らなかった。確か、急な病で亡くなられたと習ったはずだ。
「先の王妃様に、一体何があったのですか」
「――母上は、暗殺されたんだ」
「やはり……」
これまでの話の流れから、なんとなく想像はついていた。
けれど、一国の王妃が暗殺されたとなれば、当時は大騒動になったはずだ。そんな大事件を、私は今まで社交界で一度も耳にしたことがない。
「表向き、母上の死の真相は伏せられている。これは王家の威信に関わることなので、社交界でこの話題を持ち出す者はない。だが、これは紛れもない事実だ」
言葉を失う私の向かいで、ヴィンセント殿下は当時を思い出すように語り始めた。
「当時、私はまだ母上とともに王宮で暮らしていた。五つになったばかりの頃だ。ある日、母上が主催する茶会が王宮で開かれた。招かれたのは、母上の親類や、日頃から親しくしている貴族たちだった。
その席で、招待客の一人であるアールズ伯爵夫人が、手土産を母上に差し出した。夫人は母上が特に目をかけていた方で、私的な茶会にもたびたび招かれるほどの間柄だった。差し出されたのは、一本の蒸留酒だ。夫人の話では、母上の親類であるレギアス公爵が営む農園で造られたものだという。公爵邸に招かれた際、ぜひ王妃殿下に差し上げてほしいと、公爵から託されたそうだ。
母上は、紅茶に蒸留酒を数滴垂らして飲むのがお好きでね。その場で封を開けて、自分の紅茶に垂らした」
殿下は、そこで一度言葉を切った。
「――その蒸留酒に、毒が仕込まれていた。母上はその日のうちに息を引き取った」
「そんな……」
私は息を呑んだ。
ロイドが殿下を見る時の、あの過剰なまでの警戒心。その理由が、少しだけわかった気がした。
話の流れからすると、その時使われた毒こそが、今回私が巻き込まれた事件に使われた、あの時間とともに毒性を失う毒なのだろう。
「捜査にあたった王室近衛騎士団は、まず、蒸留酒を差し出したアールズ伯爵夫人と、蒸留酒を造ったレギアス公爵に疑いを向けた。状況からすれば、そのどちらかが毒を仕込んだと考えるのが自然だ。しかし当然ながら、取り調べを受けた二人はどちらも関与を否定した」
殿下は、苦々しげに続ける。
「そもそも、あの茶会に招かれていたのは、母上と親しい者たちばかりだった。アールズ伯爵夫人もレギアス公爵も、母上に取り立てられて社交界での影響力を増し、母上を後ろ盾としていた立場だ。二人には、母上を暗殺する動機がない」
「確かに……」
「さらに、使われた毒そのものが捜査を難航させた。蒸留酒に含まれていた毒は、今回の事件と同じく、翌朝には跡形もなく消えてしまった。毒の正体を特定できなかったことで、犯人へつながる手がかりも失われてしまったんだ」
毒の正体さえわかれば、入手経路などから犯人を割り出せたかもしれない。容疑者はいても、決め手となる証拠がないのは痛手だっただろう。




