ヴィンセント殿下の持病
「旦那様、しっかりなさってください……!」
お城に到着するなり、使用人たちがヴィンセント殿下のもとへ駆け寄り、周囲は一気に慌ただしくなる。
その様子を横で見つめながら、私は放心状態だった。
(も、もしかして、私が何かしてしまったのかしら……)
確か、殿下は病弱で、そのためにこの北部で療養しているという話だった。
けれど、具体的にどんな病なのかは、城の誰からも知らされていなかった。
(でも、これじゃまるで、私が殿下に毒を盛ったみたいに見えなくもない……)
――一抹の不安が頭をよぎる。
何を隠そう、私は全国指名手配中のお尋ね者なのだ。
ロイドとヴィンセント殿下は私の正体を知っている。もしこの騒ぎで周囲が私の身元を詳しく調べたら、国王陛下を暗殺しようとした罪で指名手配されていることがばれてしまう。
すうっと、血の気が引いていく。
一瞬、このまま逃げてしまおうかと良からぬ考えが頭をよぎったけれど、一方で殿下の容体が気にかかった。
周囲が慌ただしくヴィンセント殿下の救護にあたる中、私は遠巻きにそれを見守るしかなかった。
***
夜になって、ヴィンセント殿下の容体が落ち着いたという知らせが入った。
いつ誰が私を問い詰めに来るかわからないまま、城の片隅で気配を消して空気になっていた私。けれど、今のところ私に疑いの目が向けられることはなかった。
知らせを聞くなり、私はヴィンセント殿下の寝室へこっそり駆け込んだ。
「旦那様、お加減はいかがですか」
「うん、どうやらもう落ち着いたみたいだよ」
ヴィンセント殿下は穏やかな様子で、ベッドのヘッドボードに背を預けている。
私は彼に駆け寄ると、こうまくしたてた。
「旦那様、信じてください。私は、決してあなたを傷つけるようなことはしておりません。確かに、旦那様は私が差し上げたお菓子を召し上がったあとに、体調を崩されました。けれど、私は――」
「ああ、そのことなら君のせいじゃない」
「えっ……」
先日の事件であらぬ疑いをかけられ、命の危険にまでさらされて神経質になっていた私は、必死に弁解しようとする。けれど、ベッドの上のヴィンセント殿下は冷静だった。
「――実は私は、少し珍しい体質なんだ」
「珍しい体質?」
「生まれつき、ある特定の食材を受け付けない体質でね。口にすると発疹や息苦しさに襲われて、ひどい時にはこうして意識を失うこともある。私の場合、それがピーナッツなんだけど、どうやらあの焼き菓子に入っていたようだ」
「ああ、言われてみれば確かに……」
言われて思い出した。あの焼き菓子は見た目こそプレーンっぽかったけれど、どことなくピーナッツの風味があった。
「あれは、あの町の名物なんだ。ケークといって、生地にピーナッツの粉末を練り込んである。久しぶりに訪れたから、すっかり忘れていたよ。気づかずに食べて、発作を起こしてしまったんだ」
要するに、殿下は一種のアレルギーを持っているらしい。この世界でそれをアレルギーと呼ぶのかは知らないけれど。
前世でもたまに聞く話だ。ピーナッツなど特定の食材を食べると体調を崩したり、ひどい場合には触れただけでも異常をきたしたりするという。
「そうだったのですね……。それを聞いて安心しました。私、てっきり何か旦那様に害になるようなことをしてしまったのかと」
思わずほっと安堵の息をつくと、ヴィンセント殿下が目を細める。
「せっかく外出に付き合ってもらったのに、君にもいらぬ心配をかけてしまったね。すまなかった」
「いえ、とんでもない。もう症状は治まったのですか」
「ああ。城に戻ってすぐ、主治医が常備している薬を飲ませてくれたから、大事には至らなかった」
「よかった……」
私は、心の底から安堵した。
「私のほうこそ、旦那様のお体のことを把握しておくべきでした」
ここで働いている間、私は殿下の体質について、特に知らされていなかった。
でも確かに以前、料理長と話していた時に、「旦那様にはピーナッツをお出しできない」と小耳に挟んだことがあったかもしれない。戻ったら、ソフィアたちにもあらためて確認しておこうと思った。
「せっかくの休日が台無しになってしまったね。この埋め合わせは、またいつかさせてほしい」
「もったいないお言葉です。それに、私は目当てのパエリアを堪能できましたし、大満足です」
安堵とともに、私はすっかり元気を取り戻していた。
「城のみんなにもよろしく伝えておいて。私のせいで、皆に心配をかけてしまったから」
「承知しました」
そう言って、私は部屋を下がった。
廊下に出るなり、肩の荷が下りたように、ほっと全身の力が抜けていく。
(旦那様が無事で、本当によかった……)
あのまま大事になっていたら、私は王都を追われた挙げ句、このお城からも出ていかなければならなくなる。
いや、それどころか、正体が明るみに出れば王都に身柄を引き渡されて、その先は想像もしたくない。
いまだに、王室近衛騎士団は私の行方を追っているという。
執事のアルバスとは、あの再会以来、連絡が途絶えている。居場所が漏れることを恐れて、私のほうからも連絡は控えているから、アルバスや家族が今どうしているのか確かめることもできないでいた。
(けれど、いつまでもこうして潜伏生活を送っていていいものかしら……)
と、時々思い悩むことがある。
今は鳴りを潜めておとなしくしているべきなのかもしれない。けれど一方で、事件の真相を明らかにするために、自分にも何かできることはないのか――と、葛藤してしまうのだ。
煮え切らない思いを抱えながら、私は業務に戻っていった。
***
「リア、旦那様のご様子はどうだった?」
メイドの控室に戻ると、ソフィアが心配そうな顔で私を出迎えた。
「だいぶ落ち着かれたみたいです。意識もはっきりしていて、お元気そうでした」
「それはよかったわ。旦那様は、時折ああして体調を崩されるの。ピーナッツや、それに類する食材を口にすると、お体が過剰に反応してしまうのよ。でも、旦那様のお体のことは、城内でも限られた者にしか伝えないことになっていて。普段のお食事は料理長が管理しているから、あなたには伝えていなかったの」
ソフィアはそう弁解した。
内心では、主人の体質のことくらいあらかじめ教えておいてほしい、と抗議したかった。とはいえ、この世界に現代のような安全意識は浸透していないだろうし、このお城にも事情があるのだろう。結局、私は何も言わないでおいた。
「旦那様がご病弱だという噂は、このことだったんですね」
ヴィンセント殿下は病弱だという噂があった。
けれど、見たところは健康そうだし、普段の生活に特段の不都合はなさそうだ。それでも、こうして時に重篤な事態に陥る危険を秘めていることを、私は初めて知った。
「ええ、そうよ。でも、それ以外は健康そのものだから、お食事にさえ気をつければ問題ないわ。療養のためにこのお城に滞在されているといっても、王宮にいらした頃と変わらない生活をなさっているのよ」
ソフィアの口ぶりからは、殿下がこのお城に長く留め置かれる理由など本当はないのではないか――そんな含みが読み取れた。
けれど、これ以上は無駄話が過ぎる。私たちは身支度を整えると、再び業務に戻っていった。




