港町のパエリア②
食後のデザートまで味わって一息ついていると、不意にヴィンセント殿下が改まった様子で、私のほうに向き直った。
「そういえば、国王陛下の暗殺未遂の事件件だが、調査に少し進展があったらしい」
「本当ですか」
「暗殺事件」という言葉を聞いて、背筋に緊張が走るのを感じた。私が無実の罪で指名手配されることになった元凶であり、今もこうして潜伏を続けているのは、すべてあの事件のせいだ。
私は真剣な顔で、ヴィンセント殿下に向き直る。
「君がシャーロットに渡したワインなんだが、詳しく調べたところ、ある奇妙なことがわかった」
「奇妙なこと?」
「事件があった日、押収したワインを調べたところ、致死量の毒が検出された。
ところが翌日になって、調査員が毒の成分を詳しく調べようとしたら、ワインに含まれていた毒は跡形もなく消えてしまっていたそうなんだ」
「――消えてしまった? 一体どういうことなのですか?」
「通常、毒は飲食物に混ぜて口にさせるものだ。その場合、毒を混ぜた飲食物からは当然、毒物が検出される。だが、どうやらその毒は、時間が経つにつれて毒性を失う性質があるようなんだ」
「毒性を失う性質……」
聞き慣れない言葉に、私は首を傾げる。
そんな性質を持つ毒なんて、前世でもこの世界でも聞いたことがない。
「そのようなことが、起こり得るのでしょうか?」
「普通はありえない。だから、実際にどんな毒が使われたのか、誰がどのタイミングで混入させたのかが、今もわかっていないんだ」
「そうだったのですね」
あのワインを私がシャーロットに手渡したことは間違いない。けれど、そこにどんな毒が使われ、いつ仕込まれたのかは、まだ誰にもわからないのだ。
「まずは、その毒の正体を突き止めることが急務だ。混入してからどれくらいの時間で効力を失うのか。それがわかれば、ワインに毒を盛ることができた人物や、時間帯を絞り込めるかもしれない」
「なるほど」
つまり、毒が限られた時間内でしか効力を保てないのであれば、逆算して、いつごろ混入されたのかがわかる。もしそれが、私がワインを手放したあとの時間帯であれば、私の無実の証明になるかもしれない。
「確かに、使われた毒の正体が鍵になりそうですね。過去に同じような事件が起こったことはないのですか。前例のない毒物ということなのでしょうか」
考えながら私がつぶやくと、ヴィンセント殿下は表情を曇らせた。
「――いいや。実は、私が追っている十五年前の事件で、同じ毒が使われている」
「……まさか」
ヴィンセント殿下が、今回の事件と十五年前の事件には共通点があると言っていたのは、このことだったのか。
「あの時も、暗殺に使用された飲料物の毒素が消えてしまう事象がおこった。調べた時には毒はすでに消えていて、正体を特定することはできなかったんだ。おそらく、今回も同じ毒物を使用したのだと思う」
「そうでしたか」
言いながら、私は再び考え込む。
この事件が、自分の予想よりもずっと根の深いものだとは、正直思ってもいなかった。
「せめて、毒の正体だけでも何か手がかりがつかめればと思ったんだけど。君は、なにか心当たりはない?」
ヴィンセント殿下は、どこか探りを入れるような目で、私の様子を窺った。
「――そうですね」
言われて、私は考え込んでしまった。
前世の私は、それなりにミステリーやサスペンスにも触れてきた。
テレビのワイドショーに、有名な推理小説、はたまたサスペンス映画。殺人事件のトリックに触れる機会がなかったわけではない。けれど、そんな不思議な性質を持つ毒物なんて聞いたことがない。
(こういう時、小説の主人公なら、現代知識で華麗に解決してみせるところなんだけど……)
残念ながら、私の浅い知識の中に、今回の事件に当てはまるような毒物の知識はまったくなかった。そもそもここは異世界で、この世界の常識が現代と同じかどうかもわからないのだけれど。
「すみません。そのようなものは聞いたことがありません……」
ややあって、私はそう答えるしかなかった。
「そうか。気にしないで。念のために聞いてみただけだから」
ヴィンセント殿下も、大して期待していなかった様子ではあった。
けれど、彼にしてみれば、いまだに私が犯人である可能性は捨てきれていないだろう。それがわかっているからこそ、自分の無実を証明する手立てがないのが歯がゆかった。
(――ところで、殿下が追っている十五年前の事件って、具体的に何が起こったのだろう)
そういえば、その事件の詳細については、まだ殿下の口からはっきりと聞いていなかった。
そもそも聞いていいものなのかわからず、そのままになってしまっていたのだ。
二つの事件に関連がありそうだとわかった今、今度は十五年前の事件のことが気になり始める。
思い切って尋ねてみようと口を開きかけたところで、ウェイターが食べ終えたお皿を下げにやってきたので、私は口をつぐんだ。
考えてみれば、ヴィンセント殿下の運命を左右したかもしれない重大事件の話を、こんなにぎやかなレストランで持ち出すのも気が引ける。ウェイターが去ったあとも、私はその話を切り出すことができなかった。
***
お店を出たあと、ヴィンセント殿下と私は、帰りがけに町の大通りを散策していた。
外には、すがすがしい海風が吹いている。
にぎわう通りを二人で並んで歩いていると、私は通りの一角であるものを見つけた。
「なんだか、いい匂いがしますね。……あれは何でしょう」
私が指さした先には、小さな露店があった。台の上には、小さな焼き菓子が袋に詰められて並んでいる。あたりには、クッキーに似た香ばしい匂いが漂っていた。
「少し立ち寄ってもよろしいでしょうか。お城のみんなへのお土産に、買って帰りたいんです」
そう言って、私はその露店で袋入りの焼き菓子をいくつか買い求めた。
「焼き立てで美味しそうです。旦那様もおひとついかがですか」
「ああ、ありがとう」
ヴィンセント殿下が、私の差し出した焼き菓子をひとつつまんで、口に入れた――その時だった。
「……っ」
「だ、旦那様、どうなさったのですか!?」
突然、目の前でヴィンセント殿下が身をかがめ、地面に膝をついてうずくまった。
気が動転したまま慌てて駆け寄ると、殿下はゼイゼイと荒い息をして、うめき声をあげていた。
「殿下! いかがなさいましたか!」
すかさず、馬車のところで待たせていた従者が駆けつけてくる。
何が起こったのかもわからないうちに、ヴィンセント殿下は馬車に運び込まれ、私も慌てて同乗して、お城へと引き返した。




