4.月明かりの下で
きっとアヤカはこの部屋を気に入るだろうとそう思っていたのだけれど、案の定、部屋に入るなり、本棚を見つめていた。
「…すごいですね、本」
アヤカが言うのも当然のことで、なにせ本棚は部屋の壁一面。そしてそこに収まらない物が、部屋の真ん中に置かれているカラーボックスくらいの本棚に入れられている。
更に、テーブルや机の上にまで置かれているもんだから、初めて入った人には本だらけの部屋に見えるだろう。
「ここにどうぞ」
置いてあった椅子。乗っている本を片付けると、私はそれを机の上に置き、アヤカの方へ持って行ってあげた。
「あ、はい。ありがとうございます」
そう返事はしたものの、椅子には座らず、そのまま彼は本棚の前に立ち尽くしていた。何か気になるモノでもあるのだろうか。
「…気になるのがあるなら、読んでもいいよ。全部私のだから」
そう言うとアヤカは少し頷き、本棚の方に体を向けて椅子に座った。私は立ち上がると、直感で本棚から本を一冊選び、アヤカに手渡す。
「これ…?」
「それが多分きっと分かりやすいと思う。私のやっている事」
その言葉にまた少し頷くと、アヤカは本の表紙を見て、そして開いた。そこには私が過去にやった仕事の1つが描かれている。
「…写真が1枚、風景。その下に文章…これは物語?」
「そう。そういう写真とかがここに持ち込まれて、そこに私が物語を付ける。そうするとそういう本って形に成るの」
「…見たことないです。こんな本は」
「そうだと思うよ」
アヤカが見ている写真を持ってきたのは、女子中学生だった。もうあれから何年か立っているから、今は素敵な女性になって、きっと社会人として働いているのだろうけど。そんな彼女の思い出の写真。そこに物語を付けて欲しいと依頼があった。
「…でも、ミカさんはその子の事、知らないですよね?」
「うん、もちろん初対面。写真を持ってきたときに初めてお話した」
写真の風景はどこにでもあるような感じの物。けれど、この風景は当時の彼女がやっていた部活動の帰り道。ふと気になって、スマホのカメラで撮ったのだという。…普通の人なら何も感じないのだろうけど、彼女にとってはたいせつな風景だったのかもしれない。
「この写真を撮った時、彼女は小学生の時から吹奏楽をやっていて、中学に入って、大きな演奏会に初めて参加した日なのか、それとも、3年生になって、引退した日のことなのか…。人の記憶っていうのは時間が経つと曖昧になりやすいから、だから書き留めておかなければならない」
アヤカは私の方を向いた。
「でも、…それって本人がやれば…」
「そう、そこもポイント。彼女とは知り合いじゃない。だからこそ私がやる意味が出てくる。知っている人ではなく、知らない人。私じゃない、本人ではない誰かに物語を作ってもらうこと」
アヤカは私の言葉を聞きながら本に目をやった。見つめるその視点の先に、写真と物語がある。そして、その2つが添えられて、緩やかに重なりを求める。
「…これって、そういうことですか?」
「…さすがはアヤカ。すごいね」
私も感じた。きっと、アヤカは、彼らにしか見ることのできない景色がある。写真と物語が重なり合った時、それは確かな風を吹かせた。
写真から、物語から。まるでページの面から直接吹いてくる。そんな風。私にまで伝わってくる。…きっとアヤカの目の前には、私以上にあるのだろう、その鮮明な過去が。
「…この人の過去」
「そう。過去。私は物語を通してその過去を鮮明に思い起こさせることが出来る。…このペンとアヤカ達が教えてくれた力で」
本当にその場に居るのかと思ってしまうくらい、鮮明な過去の再生。それが私の持っている、…私を通すことで、アヤカ達が気づかせてくれた力。私が持つ銀細工のペンが描くものは、ただの文字ではない。文脈でもない。
過去に重みを付けた輝きを書き留める。
そうすることによって、見た人の放つ思いを重ねることが出来る。
「あんなことがあった、こんなことがあった。じゃない。ああ、あの時、私はこう感じて、こう思っていたんだ。が鮮明に思い出される」
私はポケットから煙草を取り出した。
「まあでも、それ本当は本人にしか見えないはずなのよ。私が本人と重なるように描いているから」
「…じゃあ、僕が見れたのって」
「それはほら、あなたがアヤカだからでしょう。きっと多分。だって、この力はアヤカ達から…まあ、アヤカの先輩達から教えて貰ったのかな。そういう感じだから」
アヤカは私の言葉に納得すると、また本に目をやった。




