8.オシャレカフェにて
「そしたら、この生ハムと卵のガレット。あと、アイスティーをお願いします。あ、ガムシロって二つ貰えますか? ありがとうございます! 弋さんは?」
「それじゃあ、アイスコーヒーをください」
「あ、じゃあすみません。ガムシロはやっぱり一つでいいです」
「かしこまりました。ドリンクは先にお持ちしますか?」
「料理と一緒でお願いします」
「かしこまりました」
小さく礼をして、店員は離れていった。
さて。無事に『イセカイ運輸』での面接を終えた俺はというと、会社を出た所で偶然の再会を果たした目の前に座る彼女――更科さんに半ば強引に連れられて、会社の近くにあったおしゃれなカフェに来ている。更科さん曰く、ネットの評価がいいお店らしい。ただ平日の、やや遅い時間ということもあってか他にお客さんはあまり入っていなかった。
「弋さんは、もうお昼は済ませてたんですか?」
「いえ。ちょうど用事が済んだところだったので、これからのつもりでした。更科さんこそ、遅い時間ですけどまだだったんですか?」
「はい。私もちょうどバイト終わりで。
それより、お昼まだなら何か頼んでくださいよ。ここはご馳走しますから!」
「いやいや、そんな初対面の人にご馳走だなんて――」
「初対面じゃないですよ! あの時のお礼なんですから、せめてそのくらいさせてください。私がそうしたいんです」
「そういうことなら……」
そう。ここへ来たのは、更科さんにあの時のお礼を、と誘われたから。お礼なんか別にいいですよ、と断ったけど、結局はこうして座っている。断るのってそれはそれで難しいよね。わかる。
俺は少しためらいを感じつつメニューに視線を落とす。うーん。名前だけだとよくわからない料理も点々とある。これ適当に頼むと変なの来たりするかな。店員さんに聞いてみるか。
俺は店員さんを呼ぼうと顔を上げたけど、見当たらない。注文をとったから裏に入ってしまったんだろう。
「あ、店員さんなら私が呼びますよ。すみませーん、注文お願いしまーす」
「あっ」
更科さん! 実は注文はまだ決まってないんです! あと、そうだなあ。二十分もらえれば決められる自信があるんだけどなあ!
「お待たせしました」
ああ、あっという間にさっきまで尻尾も見えなかったはずの店員さんがお越しに! こういう手際の良さがお店の評価の良さに繋がってるんだろうとか思ってみる。しかし今だけは、もっとゆっくりしてても良かったんだよとかも思ってみる。帰ったら口コミサイトで接客点に満点評価をしておこう。
「弋さん、何にするんですか?」
「……じゃあ、更科さんと同じものにします。どれでしたっけ?」
「これですね。生ハムと卵のガレット。えっと、先に注文してたガレットをもう一つお願いします」
「かしこまりました」
店員さんは再び戻って行った。結局、メニューに載っているけど俺の辞書には載っていない料理たちは、吾輩の辞書に新たに掲載されることはなかった。またこのお店に来たら今度こそ聞こうかな……次があればだけど。というわけで、ガレットって何?
「それじゃあ弋さん、ちゃんと自己紹介くらいはしておきますか」
その言葉に、まだ視線を泳がせていたメニューをぱたりと閉じる。
「私、更科寧々香といいます。改めて、あの時はありがとうございました。
たまにああいう人に話しかけられることはあったので、いつもみたいに無視してたんですけど、あの時は初めて腕を掴まれて、びっくりして。いざって時は自分でなんとかできるって思ってたんですけど、ダメでしたね。あはは」
たまにあるのか、とまずそこに驚いた。
確かに更科さんは、控えめに言ってもキレイな方だとは思う。黒く長い髪に……なんて言うんだっけ? 髪の内側だけ染めるやつ。髪が揺れる度に、その赤色が顔を覗かせる。服装こそ至ってシンプルだけど、モデルのような雰囲気を醸している。
この人に限らず、世の女性たちはああいう輩に絡まれるのは珍しくないんだろうか。いや、少なくともそんなわけはないよな。きっと、そうであってほしい。
「……俺が言うことでもないですけど、誰でも急にあんなことされたら何もできないと思いますよ。俺だって同じような状況に遭えば、きっと更科さんと同じようになりますし。
あ、自己紹介でしたね。名前は弋灯哉です」
「これはこれは、ご丁寧にどうも。でも、実際にあの時は弋さんが助けてくれました」
「助けたって、たまたまあの男が逃げてくれたからよかったですけど、今思えばあの男に逆上でもされてたら俺が逃げる側になってました」
「あはは! でも、もしそうなっても弋さん、『俺を置いて先に行け!』みたいに私を逃がしてくれましたよね?」
「はは。どうでしょうかね。でもあんまり買い被られても俺が困りますよ? 本当にたまたま、あの時は身体が動いただけですから」
「ふふ。どうですかね」
実際のところ、本当にそんな場面になってみないと自分がどう考えてどう動いてどうなるかなんてわからない。たまたま、そう考えてこう動いてああなった、なんてものの積み重ねが今になっているだけ。それは今回に限らず、普段から。
ま、偉そうに語れるほど俺は人生経験がないけど。社会経験なんてちっともないし。
「そういえば弋さんも、アレ、やってたんですか?」
突然更科さんが声を潜める。
「アレ? 何のことですか」
「ほら、あの建物の前に立ってたから、行ってきてたんじゃないかって。……ぶつかったりとか?」
「……ああ、そういうことですか」
なるほど。更科さんは、知ってる側だったというわけか。それなら今日あそこで出会ったのも、ただの偶然という訳ではなかったということか。
「ということは、やっぱり行ってたんですね?」
更科さんが言ってるのは、つまりは俺が「異世界」に行ってたんじゃないの? ってこと。ただしもちろんそれは、客として、という意味だ。でも今日に限って言えば、客だろうとなんだろうと答えは変わらない。
「いや、それがあっちに行ってたわけじゃないんです」
「……ん? でも、なんのことかは知ってるんですよね?」
この、お互いに核心を突かないような、牽制し合ったような話し方には理由がある。
あの会社、『イセカイ運輸』がやっている「異世界転移」は、山田さんが言っていたように色々と問題がある。会社の職員はもちろん、『イセカイ運輸』で異世界転移を楽しむお客さん全員――総じて、『転移者』と呼ぶそうだ――も、最低限そのことは理解している。さらに言えば、「異世界転移」を事業にしてしまっているのも『イセカイ運輸』だけだろう。いわば専売特許というやつ。
だから俺も山田さんに会った日、別れる時に言われた。「このことは他の人には絶対に、絶絶対に教えちゃダメだし、例えば会話を聞かれて誰かに伝わってしまってもダメ。もし破った時には――」……さて、なんて言ってたかなあ?
とにかく、例えばここみたいに他人に聞かれる可能性のある場所だと話してはいけない。聞かれてはいけない。
だから俺たちはこうして、無理やり回りくどい話し方をしている。何せちょこっと聞こえたくらいじゃ、何のことかさっぱり分からない話だからね。一方で、こうして俺たちのように話が上手く伝わらなかったりもする。
「確かに、あの会社のことは知ってます。というか今日、あそこの社員になりまして……」
「え? 今日が合否発表だったってことですか?」
「実は今日は面接のつもりで来てたんですけど、まさかその場で採用が決まりました」
「そうなんですか! てことは、これは就職祝いも兼ねてってことになりますかね。おめでとうございます!」
「ありがとうございます」
ほぼ今日が初めましての人が相手でも、おめでとうと言われれば嬉しいもの。俺は恥ずかしさも交えつつ返す。
「弋さんがその会社を選んだ決め手ってなんだったんですか? やっぱり異世界転移が楽しかったからですか?」
「それが、俺の場合は更科さんみたいに異世界に楽しいイメージがなくてですね」
「そうなんですか? あんなに楽しいのに!」
「まあその……そもそも俺、異世界に行ったのも一回だけなんです。それも、たまたま事故みたいのでひとりで行かされて、そこでただ危険な目に遭って帰ってきたもので」
「ああなるほど。色々と危ない生き物ばっかですもんね」
「そうですね」
一番危ないのはドラゴンよりも、異世界転移を商売にしているあの会社そのものではないか。そんなことを思ったけど、そこの社員になった手前、口にはできなかった。
「そういえば、更科さんは時間とか大丈夫です? 何か予定があったりとかしませんでした?」
「確かに用事もありましたが、このお礼の方が重要なので気にしないでください。なんと言っても、用事は弋さんの勤め先にあったので。もちろん、異世界転移のことです!」
「うちの会社にですか? ええと、それはご利用、ありがとうございます」
「ふふ、苦しゅうないわ!」
姫様がおる。
「よく来てるんですか?」
「そうですね。私、普段はバイトとかしながら生活してるんです。フリーターってやつですね。働く時間がちょっとバラバラなので、空いてる時間によく行ってるんです。
最初はいいストレス発散になるなーってくらいにやってたんですけど、あっという間にハマっちゃって。今じゃ時間を見つけては、しょっちゅう行ってます!」
「そうなんですか。それはなんというか、俺としても嬉しいです」
にしてもバイト生活か。俺も就活中は気晴らしも兼ねて短期バイトをよくやってたなあ。これを懐かしいと思える日が来て良かった。
それに親近感を感じたこともあって、余計なこととは思いつつ、なんとなく気になったことを聞いてみた。
「……ちなみに、答えたくなければもちろんいいんですけど、更科さんって就活中なんですか?」
「私ですか? いえ、特にそういうわけじゃなくてですね……」
そこまで言うと、更科さんは徐に小さな鞄からスマホを取り出す。何か写真でも見せてくれるのかと思ったら、俺に動画配信アプリを開いて見せた。
「私、こういうことやってるんです」
そのまま更科さんが画面を動かすと、そこには更科さんと、曲のタイトルの書かれたサムネイルがいくつも並んでいた。間違いなく、更科さん自身の動画チャンネルだった。
「これって更科さんの、ですよね。歌ってみた動画ってやつですか?」
「そうなんです。『NENE』って名前で数年前からやってるんで、よかったら聴いてみてください!まだ知名度とかはサッパリですけど」
「へえ。帰ったら聴きますね! でもなんというか、自分で自分を表現しようっていうのがすごいですね」
「あはは。今更ですけど、なんだか恥ずかしいですね……」
本当に今更ながら、更科さんは照れた顔になった。
でもお世辞とかじゃなく、本当にすごいと思う。少なくとも俺には到底真似できない。
歌が上手い下手とかじゃなくて、更科さんは自分の強みをちゃんと考えて、それを他人に伝わるように工夫してるんだと思う。更科さんがやりたいことなんだろうけど、それは簡単な事じゃないと思うし、俺はきっと苦手なことだ。
「――お待たせしました」
そこに、店員さんが料理を運んできた。ドリンクと共に現れたのが噂のガレットとやらだ。
「こちら、先におひとり様分です」
「ありがとうございます。――弋さん、お先にどうぞ?」
「いえいえ、俺は後で注文したんですから、お先にどうぞ」
「いやいや、今日は弋さんへのお礼なんですから。先に食べてもらわないと!」
「いやいや、そういう訳には――」
「――お待たせしました」
確かに「先におひとり様分」ではあった。先があれば後があると、そういうだけのことだった。まさかここまで間髪入れずに運ばれようとはね。
しかし店員さんも俺たちのやり取りは見ていたし聞いていただろう。それなのに何も見ていない、聞いていないという風に、コトン、ともうひとプレートを机に置き、優しげな面持ちを崩すことなく戻っていった。
「……じゃあ、いただきましょうか!」
このなんとも言い表せない空気感は更科さんの合図で、とりあえずは飛び散った。
「うん、美味しそう!」
「なるほど、これが……」
なんとも言い難い、見たことの無い形をしている。なんかこう、薄いピザ? それよりクレープって感じか?
「弋さん、ガムシロ使いませんよね?」
ガレット観察に没入し始めた俺に、更科さんがそんなことを聞く。
「え? 使います」
「え?」
え? ってこともないだろう。そう思ったら、既に更科さんが俺のコーヒーの為のガムシロを手にしていた。え?
「……弋さん、コーヒーはブラック派かと勝手に思ってました」
「ちなみにどの辺から?」
「……雰囲気?」
「……あー」
そう言われるとなんとなく、わからないでもない。しかし残念、俺はどちらかというと甘党である。
「そしたら、えっと……すみませーん……!」
更科さんは小声めに店員さんを呼ぶと、ガムシロを追加でもう一個頼んでいた。思い返すと、そういえば俺の注文聞いてガムシロの数減らしてたな。俺ってそんなに「コーヒーはブラック派顔」してる?
相変わらず自然な笑顔の店員さんからガムシロを追加入手した更科さんは、既にあったもう一つも一緒にカップに注ぐ。だいたいどんな紅茶でも同じような味になりそうな、そんな風に出来上がった飲み物を更科さんは満足そうに飲む。
そんな彼女の姿を内心微笑ましく思いながら、自分のコーヒーを口に運んだ。
「……っ!」
「えっ、大丈夫ですか!? 熱かったです?」
「……いえ、ガムシロを入れ忘れて苦かっただけです。というか更科さん。アイスコーヒーです、これ」
更科さんのも同じグラスのアイスティーだなと思いながら、俺はガムシロを一つだけ注いだ。




