24.浮かぶ眼球
それは突然だった。
「私たちを操って、それを魔王の力とするということです」
ヤウルさんの言葉に、俺は思わず身を乗り出した。
「そ、その魔族は魔王の手先だと、そう言っていたんですか!?」
驚くヤウルさんとカフィさん。それは山田さんも同じだった。
その様子を見て、俺はすぐに我に返った。しかし時すでに遅し。そうだった。魔王の真実を知っているのは、ここでは俺と更科さんだけ。山田さんにも秘密にしている重要事項なんだった。
——魔王。魔王アヴィステラ。人間とはおよそ敵対関係にあると言える魔族や魔物、その王。しかしこの魔王は魔族に誘拐された俺を助け、あまつさえシェナさんたちと一緒に俺と更科さんの手助けもしてくれている。だがそれを知るのはごく一部のみ。ましてや魔族にこのことを知る者はいないらしかった。
「——ああ、いや、そこまでは。ただ魔族にはそういう理由で動く者が一定数いるというだけです。まさかイグルミさんは、マスヴァラを知っているんですか?」
「いや、その魔族は――全く知りませんが、魔王なんて聞こえたのでつい気になって……すみません」
おずおずと前のめりだった体を戻す。
「びっくりした。弋くんがそんなに大きな声出すのも初めて聞いた気がするな」
「あはは……すみません」
「別に謝らなくてもいいけど……しかしなあ、魔王なんて――」
「は、はい! はいはい! 私、そのマスヴァラって魔族についてもっと聞きたいんですけど!」
更科さんが山田さんの話を遮る。
このまま魔王の話が盛り上がって山田さんに色々突っ込まれるのは良くないと、この流れを察した更科さんが素早く軌道修正した。俺は更科さんに心の中で感謝する。
「ええ、もちろんです。ですが、私たちも詳しくはわかっていないんです。具体的にどんな魔法を使って、どんな能力があるのかも定かでなく、本当のところはわかりません。ただ見た目についてでよければもう少し説明できます。さっきは浮遊する目玉、とだけ言いましたが、ただの剥き出しの目玉ではなくて、その全体を青黒い毛で覆われています。目として見える部分はちょうど私たちの目と同じくらいでした。大きさで言うとちょうどこれくらい、だったと思います。いや、もうちょっと大きかったかもしれません」
ヤウルさんはそう言いながら両腕を左右に少し開く。だいたい一メートル弱くらいに見える。ただその大きさの目玉と思うと当然かなり大きい。小さく「気持ち悪……」とは更科さんの言葉。
「その目玉から、かなり硬い鱗のようなものに覆われた、先が鋭利になった触手が十本くらい伸びていました」
「………………」
なるほど、触手は一本二本どころではなかったらしい。俺たちは頭でその姿を想像して、せーので嫌な顔になった。
「ただ触手も強力でしたが、やっぱり脅威は魔法の方ですね。まだ子どもとはいえアリスに通用する魔法を使えることを考えれば、魔法はそれなりに使えるんだと思います。私たちほどではないにしても、アリスもそういった魔法への抵抗はある程度あるはずですので」
「その辺りはあんまし詳しくないんですけど……簡単に言うと、なかなかに強い魔族ということでいいんですかね?」
「その認識でもいいと思います」
「そうですか……」
山田さんは難しい顔をする。ただでさえ人間種は魔族や魔物よりも弱い、というこの世界。その中でも強い魔族だとヤウルさんが言うのなら、常識的に考えれば俺たちには手に負えない相手に違いない。
「……ちなみに、その魔族を倒すのにはどうすればいいとかあります?」
「そうですね……もしマスヴァラを倒すだけなら、希望的観測もありますが私たち二人でもなんとかなると思ってます。確かにあの触手は厄介ですが、魔法で完全に防げないというわけでもありません。攻撃魔法も、よっぽど強力なものでなければ対応もできます。そして洗脳の魔法が効かないとなれば、そこまで効果的な攻撃手段も無いんじゃないでしょうか。それに洗脳の魔法を得意とする奴が、自分自身の戦闘力を伸ばそうとは思わないでしょうから」
「つまり、問題はアリスさんということですね」
「その通りです」
もちろん、アリスの攻撃が強力だから、ということではないだろう。
目玉魔族を倒すのには、そいつに操られているアリスと戦わないといけない。しかしヤウルさんとカフィさんは戦いたくなんてないはずだ。加えて洗脳している魔法のこともわからない。もしアリスを怪我させずに助けることができないなんて時には——。
「そこで皆さんにお願いがあります」
強い目で、ヤウルさんは俺たちに強く訴える。
俺はこの時、二人が俺たちに力を貸してほしいという流れだと咄嗟に思った。だけど俺たちが敵う相手なのか? かえって魔法で俺たちも洗脳された日には——。
が、ヤウルさんの言葉は想像とは全く違うものだった。
「勇者に手を貸してもらいたいのです」
……ん?
聞き間違いかな? いま、勇者って言った?
まあでも、そうか。魔王もいるんだから確かに勇者もいて当然か。でもアーウェズトに何度も来てるけど、これまで聞いたこともなかったな。
そんなことを思っていると、山田さんが俺をじっと見ていることに気が付いた。
………………はっ。俺が魔王という言葉にあれだけ反応したから、勇者という言葉にも俺が同じ反応をすると予想していたという訳か!
そうだとすれば魔王にだけ反応していた俺は変に映るかもしれない……とはいえ今さらさっきと同じ反応するのもおかしい。ここは控えめに、「えええ! ゆ、ゆゆゆ勇者ですかあ!」と驚いたような顔だけしておいた。
それで納得したのかはわからないけど、山田さんはヤウルさんに向き直った。
「勇者を紹介してほしいと言われても、別に私たちも勇者に会ったことなんてないですよ?」
「ああ、そうなんですか……」
「ご存知かもしれませんが、勇者は必ずケツァメア王国という国で誕生するんです。私たちはアーウェズトという国から来たんですが、勇者がアーウェズトを訪れたなんて話は聞いたことがないんですよね。ただ、どうして勇者なんですか?」
「勇者は――私たちも聞いたことがある程度ですが、魔族や魔物に対して特別な力が発揮できると、そう言われているそうです。さらに人間種が普通はできない、魔力を体内に取り込むことができるとも」
へえ。それはさすが勇者というべきか。特に魔族、魔物の天敵なんて、まさしく勇者ってもんじゃないか。さらには魔族ができて俺たち人間種ができない、魔力を取り込むことまでできるときた。
前にシェナさんに教えてもらった。特に魔族は人間種よりも強力で多種多様な魔法を使えるが、それは魔力を体内に取り込むことで可能となっていると。
つまりは勇者は、人間種でありながら魔族と同じことができて、強力な魔法も使える……すごいな勇者。拍手喝采。なんなら魔族に足突っ込んでるまである。
「つまり、勇者であれば魔族に勝てるだろうってことですよね。でもそれじゃあ、勇者がアリスさんと戦うことになりませんか? いくらお二人が戦うことができないからって、それはさすがに……危ないんじゃ……」
山田さんが心配しているのは、勇者のことではなくアリスのこと。どうにも二人のやり取りを聞く限り、勇者はよっぽど強いらしい。でも、だからこそ、その勇者と戦えばアリスが怪我をしたりだとかの可能性は低くない。ましてや魔族に操られている状態では、勇者がどこまで加減できるか。ただ、そんなことはヤウルさんだって百も承知だろう。
「……こればかりは仕方がないんです。いずれこのままでは、アリスはあの魔族の、ひいては魔王の手先も同然です。荒っぽい方法でも、どうにか少しでも早く手を打たないといけないんです……。……あ、そうでした! 先代の勇者は、魔族や魔物にとても友好的だったと聞きます。だからきっと、なんとかしてくれます」
「………………」
ヤウルさんは無理やり笑顔を作るが、声からも苦しそうなのが伝わってくる。
俺も少しだけど、ヤウルさんの気持ちはわかる。勇者がアリスと戦えば、マスヴァラは倒せる。しかしそれはアリスの無事を保証するものではない。ましてやアリスがマスヴァラに操られている以上、生かすも殺すもその魔族次第。たとえ勇者が魔族に友好的だろうと、いくら上手いことアリスを傷つけずに戦ったとしても、そんなことは関係ない。マスヴァラが自分が倒されるその最後にアリスを――ということだって否定できないということだからだ。
それら全てを踏まえた上で、ヤウルさんは勇者に任せるのが最も娘が無事に助かる可能性が高いと、そう判断したということだ。
その事実を考えれば考えるほど、俺自身もヤウルさんとカフィさんと似た気持ちになっていく。
すると、更科さんから小さく声がかかった。
「……ねえ、灯哉くん。その魔族、灯哉くんならなんとかならない?」
「無茶言わないでくださいよ。勇者がどうのって言われてるのに、俺なんて短剣振り回したって当たりさえしないですよ」
「そうじゃなくて、――」
更科さんが耳元で囁く。その時だった。
ガガガガ……。
鈍い音を立てながら、近くの木が倒れた。
——嫌な予感は、当然のように当たる。
「ミィ……ツ……ケタ……」
声がした方に一斉に振り向く。そこにいたのはアリスだった。その目は今も、虚ろなままだ。
「――ナンダ、コイツ、オヤ、イッショ」
電波が乱れた放送のような、聞いた人を不安にさせる声。アリスの後ろからその声と一緒に、そいつは姿を現した。
聞いていたとおりではあった。浮遊する大きな目玉、それから伸びる手足なんだか触手なんだか。まさしく、その特徴は聞いていたとおり。強いていえば、肉感というかが当然ながらリアルで想像してたよりも余計に――。
「キモ……」
更科さんが代わりに言ってくれた。いずれアリスと一緒にいるそいつこそ、マスヴァラそのもので間違いなかった。
ただ、今はそいつの見た目についてどうこう言っている場合じゃない。
「皆さん、下がって!」
ヤウルさんとカフィさんが俺たちの前に立つ。そして素早く、手をアリスとマスヴァラに向け――そのまま動かない。いや、動けない。きっとそれは攻撃魔法を放つための動作だった。ただマスヴァラはぴったりアリスの後ろから動かず、二人とも同じように動けないでいる。
「ナンダ、?」
じっと動けないでいる二人に、今度はアリスが手を向ける。その動きに躊躇いは全く見られない。
「――――――」
それはあの時にアリスが使った風魔法。咄嗟にヤウルさんが防御魔法を張る。魔法の壁には少し傷がついたように見えたけど、それでも問題なく攻撃を全て防ぎきった。
しかしアリスは繰り返し、何度も魔法を放つ。それを全て防ぐヤウルさんの魔法。ヤウルさんの魔法のほうが、攻撃魔法よりも数段上に見える。このまま耐え続けることは難しくないように思えた。
「オマエ、ジャマ」
するとマスヴァラのさらに後ろから、いくつも黒い影が湧いて出てくる。獣の形をしたその魔物たちは、間違いなくその全てがマスヴァラによって操られていた。
そしてその内の何匹かが飛びかかる。
「カフィ!」
「うん!」
今も止まない風魔法をヤウルさんが防ぎながら、カフィさんが後ろから魔法を放った。炎魔法だ。
魔法は魔物に直撃し、高温の炎に包まれる。しかし魔物は苦しみながらも、それでも最後にはその全てが起き上がる。それはマスヴァラによって無理やり動かされているように見えた。そして再び火だるまになることがわかりきっているその状況でも、加えて自らの後方からアリスの魔法が飛び続ける中を猛然と飛びかかってくる。
「なんなんだよあいつら! これじゃキリがない――でも俺にできることなんてなあ……!」
結局この戦いを終わらせるには、アリスとマスヴァラ、その両方に勝つしか方法はない。しかもアリスを傷つけずに。これだけは妥協できない。考えても打開策はなく、ただヤウルさんとカフィさんに守られているだけの現状に山田さんはもどかしさを隠せない。それは俺も、更科さんだって同じだった。
「ねえ、灯哉くん……!」
俺は言葉に詰まる。更科さんの視線が痛い。
わかっている。ヤウルさんとカフィさんは、きっと最後までアリスに向けて魔法を放つなんてことはできない。最後にアリスの魔法がヤウルさんの魔法を破ることになったとしても。じゃあ今ここで守らていれるばかりの山田さんと更科さん、そして俺も、たぶん純粋にアリスに勝てるほどの力があるかといえば、そんなことはないはずだ。それをわかっているから、こうして縮こまることしかできていない。加えてマスヴァラの背後から湧き出る魔物――。
どうやったってこのままでは、この先に事態の好転は見込めない。
――ただしそれは、このままじっとしていたならの話だ。俺たちはどうにかして、マスヴァラとかいう魔族に本当の意味で勝利しなくてはいけない。
「……やるしかないか」
別に俺が何かやったって、結果は変わらないかもしれない。でも、このまま何もしない俺のまま死ぬのは自分自身に納得がいかない。
俺は更科さんに耳打ちして——覚悟を決める。
「やってみます! ……死なない程度に!」
俺はそう叫んで、ヤウルさんの魔法の外に飛び出した。




