25.本当の勝利
ヤウルさんの防御魔法に絶えず降り注ぐアリスの魔法の刃。そしてカフィさんの炎魔法を喰らってもなお襲いかかってくる魔物たち。
この状況を打破するにはアリスや魔物を魔法によって操るマスヴァラを倒す他ないのに、それができない。
俺たちがこの戦いに勝つにはどうしたらいいか——そして、俺は覚悟を決めた。
「やってみます! ……死なない程度に!」
自分に言い聞かせるように、背中を押すように。俺はヤウルさんの防御魔法の、その外へと飛び出した。
「——ちょ、ちょっと弋くん! 何してんの!」
「危ないですイグルミさん! 戻って、早く!」
山田さんとヤウルさんの言葉には聞こえないふりをしながら、俺は目元を覆っていた布を外した。
——ここからはあっという間だった。
俺は露わになった両の目を見開いて、アリスのその背後にいるマスヴァラへ視線を向ける。そしてそのまま、飛び交う魔法を潜り抜けながら魔族に向かって一直線に走り出した。
後ろからは今も山田さんの叫び声が聞こえる。そして突然「自分を狙え」と言わんばかりに現れた標的にマスヴァラも驚き、ぎょろりとその大きな目玉がこちらを向いた。
飛び交う魔法の中で重なる視線。大丈夫。魔法はヤウルさんに向かって飛び続けていて、俺でも避けるのは難しくない。だけどこれも今だけのこと。
「……そろそろかな?」
なんとか相手との距離を詰めた俺はその場に立ち止まり、後ろの更科さんに叫ぶ。
「更科さん! お願いします!」
「わかった! カフィさん、お手伝いします! ――炎よ!」
視界の端で魔物の集団に炎が飛び込んだのが見えた。カフィさんの魔法に負けず劣らずの威力に思えた。
更科さんの加勢を受け、さすがの魔物たちもこれまでのような攻撃は続けられなくなったらしい。急に俺が止まったのに、まだ自らの距離はまだ十分にあって、武器に手さえ伸ばさない俺は危険でないと判断したのだろう。第一、今も俺とマスヴァラの間にはアリスがいる。この状態で武器でも魔法でも攻撃されることがないと理解しているマスヴァラは俺を無視して、魔物たちのいる方に向き直る。洗脳を強めるためだとか、そんなところだろう。
しかしそこへ注力しだしたのに、この間もアリスの魔法が止まることはない。
……距離か? 時間が足りない? ——あと少しか?
「炎よ!」
再び魔法が放たれる。呻き声をまた大きくして強まった炎に繰り返し苦しむ魔物。しかし炎の中にいてもなお、魔物たちは無理やりマスヴァラによって何度でも立ち上がる――はずだった。
「……?」
さっきまではゾンビのように何度も起き上がっては襲いかかっていた魔物たち。それが今度は、一瞬起き上がるような動きを見せたあと、その場に倒れるとやがて動かなくなる。マスヴァラもその事態に困惑しているように見えた。
「ナン、ダ?」
マスヴァラはやたらと触手をうねうねと動かし出した。魔法でも使っているのだろうか。しかし一向に魔物が動き出す気配はない。
「ァ……ウぅ……」
様子が変わったのはアリスもだった。明らかに放たれる魔法の数が減っていっている。
「オマエ、ナニヲ、シタ……!」
大きなひとつの目玉が再び俺の方に向く。……さすがに自分のことともなれば、何が原因かくらいはわかるらしい。
まあ、気づいたとしても今更だけどね。
そしてついに、ずっと魔法を放ち続けていたアリスが大きくふらついたのが見えた。
「更科さん! 今です!」
更科さんにそう叫ぶのと同時に、マスヴァラから視線を逸らさないまま、アリスに向かって一直線に走り出す。
それを見たマスヴァラの触手の全てが、俺に向かってすごい勢いで伸びてくる。
——が、そのスピードは俺の想像を遥かに超えていた。これはまずい。間に合うのか!?
「――麻痺!」
刹那、更科さんが放ったその魔法は一筋の光となって、見事にマスヴァラに命中する。それと同時に、俺に今にも辿り着きそうだった触手の先まで、全ての動きが完全に止まった。マスヴァラの注意が俺だけに向いている間に、魔法を当てられる位置に動いてくれていたらしい。しかし本当に危なかった。間一髪というやつだ。
——麻痺。雷系魔法の応用で、痺れる程度の威力で狭い範囲にのみ放たれる、相手の動きを僅かな時間だが大きく制限する魔法。更科さんの技術に、杖の効果もあったかもしれない。自らを守るものもいなくなった、それなりの大きさの的に当てるのは難しくなかったようだ。
わずかに触手が届かずに動けなくなったマスヴァラを横目に、その場に倒れ込むアリスをなんとか腕の中で受け止めた。
「うおおおおお!」
この様子を見たヤウルさんは防御魔法を解くと、マスヴァラとの距離を一気に詰める。そして腰から引き抜いた剣で斬りかかった――のだが、麻痺を受けてなお、マスヴァラは全身を回転するようにして直撃を避けた。しかし完全には避けられず、触手の四、五本が切断された。
「グアアアアア!」
とどめを刺せなかったヤウルさんは、しかしそれよりもとアリスを抱いたままの俺に駆け寄って、俺を守りながら元の場所に戻った。
そうして無事に帰ってこられた俺は、アリスをカフィさんに引き渡す。
「……、――」
途中、薄らと瞼の開いたアリスが俺を見て何か言いかけたようだったけれど、そのまま眠ってしまった。
「オノレ、ユル、セナイ!」
マスヴァラは残った触手を動かし、今度は俺たちに向かって魔法を使った、ように見えた。アリスに使ったものと同じ魔法でも使ったんだろうか。しかしまだ効いているんだろう。ヤウルさんとカフィさんだけでなく、俺や山田さん、更科さんにも何も起こらない。
「オオ……!」
得意の魔法が効かず、勝ち目のないことを悟ったマスヴァラ。麻痺の効果も切れたことで、身を翻すと森の奥へ逃げようとした。
「待て!」
ヤウルさんは咄嗟に叫ぶが、待てと言われて待つ奴がいないのはどこの世界も同じこと。改めて戦うにしても、こちらも間違いなく消耗しているうえ、触手が数本無くなったのが果たしてどれくらいのアドバンテージになったのかはわからない。何より、今はアリスの方が心配だった。
俺たちはお互いに確認することなく、全員が逃げていくその目玉を見送ろうとしていた。
――その時だった。
「――お前か」
どこからともなく声がした。その声に反応したのか、マスヴァラの動きが一瞬止まった。
「――消えろ」
声が再び聞こえたかと思うと、森の中へ消えようとしていたマスヴァラの頭上から、ひとつの影が突き刺さった。
「ゥグアアッ……!!」
断末魔とともに地面に押し潰されるマスヴァラ。そして触手の一本までぴくりともしなくなった。
突然の出来事に唖然とする俺たち。そして影は、立ち上がると人間の姿だった。性別は男、歳は俺と同じくらい――いや、それよりも下か?︎︎二十歳前くらいに見える。
「勇者……?」
カフィさんは確かに、そう呟いた。
勇者? あれが例の?
影はこちらにゆっくり近づくと、マスヴァラの血であろう青い液体に塗れた剣を、そのままこちらに向ける。
「!」
俺たちは自然と、一斉に各々の武器を構えた。するとその少年は、不思議そうな顔をする。
「? どうした。君たちは人間種だろう」
「な、何を言ってるんだ? こっちに剣を向けておきながら人間種だとか、何を言って――」
山田さんが言い返すと、少年はますます不思議そうな顔をする。
「別に君たちに用はない。俺が用があるのは、そこにいる魔族たちだけだ」
「……は?」
次の瞬間。俺の横を、影が一瞬で通り過ぎた。
――キィィィン!
金属音が響く。ばっと後ろを見ると、そこにはヤウルさんの防御魔法。そして少年の剣は、その強固な壁に突き立てられていた。
「へえ。やるじゃないか」
「……ぐっ!」
「なっ、おい何してんだ! やめろ!」
俺はすぐに少年の腕を掴む。
「――――――!」
確かに俺が掴んだのは、自分よりも若い少年の腕。それなのに、なんだこのおぞましさは! 体験したことのない恐怖に駆られ、掴んでいた手を思わず離す。
「なんだ? 君も敵だったのか?」
「て、敵?」
「魔物や魔族に味方する者など、敵に決まっているだろう?」
少年はさも当然という風に言いながら、防御魔法に突き刺さる剣を引き抜くとそのまま俺に向ける。
「君は人間種の敵か?」
「ち、違うに決まっているだろ!」
たじろぎながら、それでもはっきりと答える。
「そうか……なら聞くが、この魔族たちは君たちにとってなんだ? 仲間か?」
「仲間……そう、仲間! 仲間だ!」
「そうか」
少年はそう言ってからヤウルさんたちをまじまじと見つめると、急に驚いたように俺に視線を移す。
「君は――いや、違うか――」
そんなことを少年は呟き、再び、今度はアリスを抱えたヤウルさんたちに尋ねる。
「……この幼い魔族は、さっきの魔族にやられたのか?」
「あ、ああ。そうだ」
「そうか――確かにそのようだ」
少年は少し間を置いてから、剣から僅かに残っていた血を振り払ってから鞘に収める。
そして少年は、まっすぐに俺を、俺だけを見つめて言う。
「……仕方ない。いいだろう。君たちの言葉を信じて、この魔族たちも今回は見逃すとしよう。――だが忘れるな。人間種にとって魔族は敵だ。もし君たちが人間種の敵となれば、俺は君たちを必ず排除する」
そう言い残すと、少年は森の中に消えていった。
「な、何だったんだ今の……」
山田さんは愕然とした様子で零す。
「――あれが勇者です」
ヤウルさんが言い、カフィさんも静かに頷いて同意する。
「見た目だけでは判断がつきませんが、あの魔力の雰囲気は勇者です。間違いありません」
「勇者には人間種と違って魔力が流れていると言ってましたが、それですか?」
「はい。それでも魔族かの判断はつかないものと思っていましたが……初めて見て確信しました。あれは普通の魔族ではありえない魔力です。そのうえ、魔力の動きも異常に――はっきりと言えませんが、鋭いというか、とにかく見たことがないものでした」
「そうですか。ヤウルさんが言うんなら、そうなんでしょうね。でも、勇者は魔族にも友好的なんじゃなかったでしたっけ」
山田さんが聞くと、ヤウルさんはゆっくりと答える。
「魔王や、その下につく魔物や魔族は、その在り方からして人間種の敵であるように。本来の勇者は魔族や魔物の絶対的な敵なんです。私たちのように、魔族全員が人間種を敵視しているわけではないですし、例外もあります。確かに過去、魔族や魔物に友好的だった勇者がいると話しましたが、それは本当に珍しいケースです。それだって事実かどうかも実際のところ怪しいです。……少なくとも魔王や勇者とは元々、そう在る者だと聞きます」
「ヤウルさんたちを庇った弋くんまで敵だなんて言ってたのは、そういうことなんですかね」
「それも、勇者はイグルミさんが人間種であることは理解した上で、です。勇者は魔族や魔物の敵であると同時に、人間種の希望、絶対的な協力者であると、そう聞きます。今回のことは、それほど勇者としての在り方というのが強いという証左なんでしょう」
そこまで言ってヤウルさんは言葉を切ると、俺を見て続ける。
「まあ、最後に私たちを見逃してくれたのは、理由はわかりませんが幸いでした。たぶんイグルミさんの言葉を信じてくれたんだと、そう思います」
ヤウルさんは「ありがとう」と、穏やかな笑顔で言う。
真実が何なのかは俺にはわからないけど、とにかく全員が無事でいられたことだけは紛れもない事実。俺も静かに、ぎこちなくなった笑顔で返す。
……そう。俺たちは助かったのだ。
カフィさんに頭を撫でられながら、静かに息をするアリス。その姿を囲む俺たちは、自分たちが本当の勝利を掴み取った証を、ただ見つめていた。
今はただ落ち着いて流れる時間を、俺たちは全身で確かに感じていた。




