21.その頃、新人たちは
俺、弋灯哉がキテレツ運輸というイセカイ企業――いや逆か……いや、別に間違ってもないか――に就職してから、早くも三ヶ月が経とうとしていた。
「――え? もしかして本当に入社から三ヶ月が経とうとしている?」
「いやいやーおかしな事言わないでよ灯哉くん! そんな三ヶ月なんて……って嘘! 本当に三ヶ月も経つの!?」
俺は更科さんより一つ年下。それが彼女に判明した途端に敬語の「け」の字も無くなり、人生の後輩で職場では先輩の俺とそんな彼女が、二人して脳内で驚いている。
あれから――具体的に言うと三ヶ月前、俺が初めてアーウェズトに転移をした日、そして更科さんが同僚になったあの日を思うと、それ以降の何十と数えた日々も、もちろん異世界の刺激の強い日々だったけど、実は大したことのない毎日だったのではと今は思えてしまう。それくらいあの日のことは鮮明に覚えているし、今後も忘れることはできない。
アーウェズトに来るようになってから一週間くらいは更科さんとともに山田さんにアーウェズトを案内してもらい、何度かシェナさんとダロさんの、ギルド所属の二人と話をした。山田さんからすれば俺に早くアーウェズトと、この仕事に慣れて欲しいという思いがあったんだろう。更科さんもアーウェズトには何度も来ていたけど、やっぱりお客さんでいる時には訪れることのない場所も多くて、見学の最中は俺と似たような気持ちでいたらしい。
そんな期間も終わると、今度は「スリロス」について考える時間が多くなった。
スリロス。それは俺が山田さんに初めて会ったあの日、トラックに轢かれて初めて転移した、アーウェズトとは別の世界。しかしアーウェズトと決定的に違うのは、スリロスという世界は完全なる人工の世界であるということ。
山田さんに言わせれば、「スリロスのことはアーウェズトみたいに異世界と思うよか、ゲームの世界と思っといた方がわかりやすいぞ」とのこと。アーウェズトと現実世界との転移の原理をそのまま転用して、転移先をこの「スリロス」にする。そんな事業を、イセカイ運輸では現在進行形で進めている。ちなみに誰がこんなことを可能にしたのか? というと、これまでにも何度か山田さんとの話の中で登場していた「佐藤さん」なる人物のお陰だそう。それって科学とかでどうにかなるもの? どんな特殊能力者? と思ったけど、あんまり山田さんも話したことは無いらしい。しかしそんな中でさらに彼のことを話したがらないあたりは、何かある、特別人物ということのようだ。少なくとも俺はそう捉えている。
スリロスは、このようにイチから創った世界。地面から空、森の木々やそこに生きる動物というか魔物から、立ち並ぶ建物類、果ては転移先の自分自身の委細まで完全なる作り物で創り物、作り者で創り者だ。つまり、スリロスという世界の作成にかかる各リソースは果てしないというわけだ。だからこれまで常態的に人が不足していた(というか実質山田さんひとりの)探索部ではスリロスの作成には全くと言っていいほど手が回っていなかった。そりゃあ世界を創るなんて神様でさえ七日間かかったんだ。それだって成功例なんだから、たぶん何度も失敗したことだろう。それをただの人間が一人でやろうなんて、そりゃあ神様も鼻で笑ってしまうというもの。ま、完成した暁には山田さんがスリロスの神様なんだけどね。
そんな中、急遽新たに神様候補が二人も追加されたので、さてこれは好機といよいよ本格的に進められようかと、そんな雰囲気になっていた。
そんなわけで、我らが探索部は新たな段階へと歩み始めたのだった――のだが……。
――さて。
ここはアーウェズトギルド。現実世界ではけたたましく蝉たちがカルテットだかクインテットだかメニメニテット(要はたくさんということ)している八月を迎えている。アーウェズトには季節の概念がないから、なんだかちょっと涼しく感じる。
「今日もヤマダさんは来てないんだね?」
「はい。今日も山田さんは来てないんです」
シェナさんの言葉を、同じ言葉しか話さないエヌピーシーのように更科さんが淡白に繰り返す。俺と更科さんはアーウェズトにはほぼ毎日顔を出しているけど、ここ最近は毎日同じやり取りをしている気がする。
更科さんが探索部のメンバーになった後のこと。山田さんによるアーウェズト観光ツアーを終えた俺たちは、じゃあスリロスを作り出そうと動き出そうとした——そんな日を境に、山田さんは別の用事でアーウェズトに来られない日が続くようになった。職場では毎日顔は合わせているし、どうも社長に呼ばれているようだけど、俺たちが理由を聞いても言葉を濁すばかりで何も教えてはくれなかった。何か秘密裏にやっているようだけど、この会社にいると秘密なんてのは慣れっこで俺も更科さんもあまり気にもしていなかった——のだが。
「さすがに何も山田さんから教えてもらっていないので、私たちもだいぶ気にはなってるんです。シェナさんとダロさんは何か聞いてないですか?」
「うん? そうだね。私たちも何も聞いていないよ。まあでも、何かを隠してるものを無理やり暴こうというのもあまりいいことでは無いからね。このまま放っておくのがいいんじゃないかな」
「そうですよね……」
シェナさんの言う通りかもしれない。わざわざ秘密裏にやっているということには、それなりの理由があるはずだ。まあしかし、秘密にしていることが秘密になっていないがために、返ってこんな風に俺たちが気にすることになっているのはどうかとは思う。
「それで今日はどうする? いつものやるかい?」
「シェナさんたちさえ良ければ、ぜひお願いします。更科さんは何かやることがありました?」
「ううん、何も無いよ。灯哉くんがやるなら私もご一緒させてもらおうかな! シェナさん、今日もいいですか?」
「もちろん構わないよ。じゃあ準備して。ダロもよろしくね」
「わかった」
俺たちはギルドを、そしてアーウェズトを北側の出口から出る。アーウェズトは東西南北その全方位に森がある、つまりは森の真ん中にある都市国家だ。
イセカイ運輸で働き始めてからアーウェズトについては山田さんやシェナさんたちからたくさんのことを教えてもらった。
この世界はひとつの大陸でできていて、周りが海に囲まれている。海と言っても水には塩じゃなくて魔力が充満していて、魔物の住処にしかなっていないようだけど。そしておよそ大陸の六割程度は魔物が暮らす森で、その他は人間種が暮らす各都市や大小さまざまな町、そして大陸の南西部には、魔王率いる魔族領が広がっているという。
このように言葉にすると実かなりわかりやすい構図になっているようだけれど、魔族や魔物によって人間種が住む土地を追われることもあれば、それを後になって魔物から取り返すこともあれば、人間種が森を新たに開拓することもある。大陸全体での大まかな図は容易に描けるが、細部は日々変化しているということだった。なお、土地の割合では人間種が劣勢だけど、魔物は住む場所を広げたいとかもそこまでではないらしい。
そしてアーウェズトは大陸全体で見ればだいぶ北東の端に位置している。魔族領から見ればだいぶ遠くにあるわけだ。
「では始めるとしよう」
魔族領から遠いということは、つまりは魔族が少ないということ。そして魔族が少ないということは、人間種に強い敵対意識を持つ魔物もその分少ないことでもあるらしい。実際に俺たちはアーウェズトで魔族の襲来を目の当たりにしたし、襲ってくる魔物くらいはここであっても普通にいるから、あくまで比較的、ということに過ぎないけど。
「イグルミさん。さあ、いつもの着けて」
「はい」
俺はポケットから長い布を取り出す。そしていつものように、それで目を覆うようにして顔に巻き付けて端と端を結ぶと、当然視界は布で真っ暗になる。
俺は左手のひらで目元を覆い、教えてもらった言葉をそのまま呟く。
「暗きを照らす光よ」
それに応えるようにして、何も見えていないはずの目が、まさしく目の前にあるはずの布を忘れたように周りを見渡せるようになる。
ただ、せっかく合言葉が選べたんだったらもっと魔法の詠唱ぽいのにしてもらえばよかったと、今さら思わないでもない。クリアライト! とか、スーパーアイ! とか。……うん、どう考えてもそっちの方が恥ずかしいわ。
「よし。準備できたね。ダロ、今日はどうする?」
「そうだな。そろそろちょっと西の方面に行ってみるか」
「危なくない?」
「なんとかなるだろ」
「でもそうか。なんとかするのはダロの役目だからね」
「なんとかならなかったら頼んだぞ」
「はいはい――じゃあ行こうか二人とも」
「はい!」
いくらか安心感が削がれながらも、こうして俺たち四人は今日も森へ入っていった。




