16.魔王と呼ばれる者
ぼんやりとした気持ちで、ゆっくりと両目が開く。どうやら自分は座り込んだまま眠っていたらしい。そこは、どこかで見たような暗い森の中だった。
「おい、生きてるか?」
「……っ!」
聞き覚えのある声に全身が固まる。声のした方に目を向けると、そこにいたのはさっきの魔族だった。すると一気にはっきりとした記憶が呼び起こされる。
「ハッ! 人間種が耐えられるかわからなかったけど、なんとかなったみたいだな!」
耐えられる、とは地面に沈められたことに対してに違いない。
もちろん俺もあんな経験はこれまでになかったけど、とりあえず命は助かったらしい。ただ自分の体を見ると、泥のひとつも付いていない。それを見るとまるで、自分の記憶が嘘だったかのように思えてくる——が、俺の視線の先にいる魔族という存在がそれを否定する。
俺はさっきの出来事を思い出しながら、自分の足元を見る。どう見ても普通の地面だ。まあ地面が急に人が沈むくらいに柔らかくなることなんてありえないんだから、つまりさっきのは魔法ということでいいんだろう。ダメ元で、というか単純な興味本位で、こいつがやったみたいにタタンと、しかしこっそりと、つま先で地面を叩いてみる。が、当然のように何も起きやしなかった。
「無駄だ。魔物にだってこんなのはできねーんだ。人間種如きが出来るわけがねーだろ。――さあて、そしたら魔王に会いに行くとすっかなあ。おい人間種、変な真似するんじゃねーぞ? どうせお前には何もできねーんだからよ!」
「………………」
俺を無力な存在と理解している魔族は、こちらを見ることもなく辺りをゆっくり歩くだけ。
正直こいつが魔族だろうが魔物だろうが知らないけど、俺がこいつに何かしてやれるなんてことは微塵も思っていないから、言われずとも変な真似なんてのをするとは別に考えてない。もしこいつが俺をこの場で殺そうっていうのなら話は違うけど、どうやらそんな風にも聞こえないし。
さて。
今日は知らない森に独りで転移して、魔物に追いかけられて命からがら街に着き、そして魔族に誘拐されて森に連れられて、まあなんと忙しいことか。
心のうちで今日を振り返り、まあなんともツイてないなあと思いながら周りを見渡す。俺が転移してきた時の森に似てるようにも見えるけど、まあ森なんてどこも大差ないだろうし、ここがどこかを知る術は俺にはない。そもそも場所がわかったとして、ここから逃げるとか、そんな俺ができることは別に増えやしない。
どうであれ、今の俺にできるのは大人しくこのまま捕まっているだけなことに変わりない。
ならどうしようか。この魔族はさっき、俺を捕まえて土産だと言っていた。魔王に会いに行くとか言っているし、どうやら俺はその土産として献上されるようだ。このまま魔王の元に行ったらどうなるんだろう。貰った土産を丁寧に歓待してくれるのなら喜んでこいつの元を離れるんだけど、さすがにそんなことはないんだろう。
ふむ、困ったな……。
「さてと、魔王に会うにはどこに行けばいいんだっけか? ……思い出した! 西だ。西に行けばいいんだったな! で、西ってどっちだ? なー、知ってるかよ人間種」
「いえ、ここが何処かもわからないので……」
「だよなー。いっそ魔王の方から来てくれれば楽なんだが――」
「――ほう。それならちょうどよかった」
「「!」」
暗い森の奥のほうから聞こえた、地を這うような声。俺と魔族がその方向を見つめていると、やがて声の主が姿を現した。
「君か? アーウェズトの街中で騒ぎを起こしていたというのは」
闇の中からゆっくりと現れた二メートル近い体。頭全体を包み隠す漆黒の兜と、同じく全身を覆う漆黒の鎧に所々施された赤いデザインは、さながら斬った敵の返り血を想起させる。
その装備からは一見すると剣士や冒険者のよう。なのにこの男から感じるのは、この魔族とは別次元の『恐怖』。少なくとも、自分がこれまで対峙したことの無い『何か』を目の前にしていることはわかった。
そしてそれは、この魔族にとっても同じようだった。
「な、なんだお前は! 随分と大層な装備だが、俺を倒しに来たってのか? 人間種如きが魔族に勝てるわけねーだろ!」
「……ふん。やはりわからぬか。所詮魔族の成り立てなぞ、その程度か」
「あ?」
「控えろ。いち魔族如きが。不敬であるぞ」
そう言うと同時に、巨大な何か――それが何なのか俺にはわからなかったが――が自分の全身を駆け抜けていったような感覚があった。そしてその瞬間、自分の身体が誰かのもののように全く動かなくなった。
ざっ。
俺が目玉だけ動かすと、そこには俺の首元に爪を伸ばしていた魔物が足元で片膝をついていた。目に見えてそいつは、正面に立つ存在に怯えていた。
「ど……どうしてここに……こんなところに……」
「どうして、か。答えるとすれば……そうだな。お前に会いに来たと言えばよいのかな」
「そ、ん……そんなはずが、無い! たかだか魔族の成り立て一体のために、魔王様が顔を見せに来るなど!!」
……魔王?
今こいつ、魔王と言ったか? この目の前の男を?
「まあ、そんなことは些細なこと。なんであれ、今の我はただお前に忠告に来ただけの、通りすがりよ」
「忠告?」
「その通り。なに、至って簡単なことだ。今後一切、お前はこの街に関わらないようにすること。以上だ」
「この街って、この人間種の街のことか?」
「ああ」
「何故だ? どうしてそんなことを? それでは人間種の手助けをしているようじゃないか! 魔王ともあろう者が何を言う!」
「手助けか。そのつもりは無いのだが、そう聞こえたならそれでも構わん。いずれ我の忠告は変わらぬ……直ちにここから去れ。それだけだ」
「くそっ……」
何がどうなっているんだ? 目の前にいるのは……魔王? どうにもこの魔族の様子とやり取りからして事実に思える。
だけど、だとしたら魔族の言うように魔王は人間の住むこの街を、アーウェズトを守ろうとしているのか?
……駄目だ、考えれば考えるほど意味がわからなくなってくる。
「さて、名も無き者よ。我の忠告を聞く気はあるか?」
「…………ッ!」
魔族に投げかけられる質問。しかしこの魔族に選択肢なんてものは用意されていない。
答えに詰まる魔族。その様子を、しかし固まったままの姿勢で俺は見つめていた。
そんな俺に魔王と呼ばれる男が顔を向ける。初めてお互いの視線が交わると、少しだけ、男がこちらを見ながら静止した。
「ふむ、そういうことか。そこの君、少しだけ目をつむってくれないか」
そうは言われたものの、さっきから体も口も動かない。
「……む。そうか。魔力を出し続けていたな……」
「……あ。体が動く……」
男の言葉で、さっきまで身を包んでいた見えない何かが急にどこかへ消えていった。それと同時に体の自由がきくようになる。
俺は再びその男に促され、慌てて目をつむる。
「さて、それでお前はどうするんだ? もし今もあの街で体を動かし足りないと言うのなら、我がこの場で相手をするのもやぶさかでは無いのだが」
「わ、わかった! わかりました! 俺は言われたようにここを去ります。あの街にも手出しはしない!
しかし、この人間種はどうするんです? こいつは元々、魔王……様への献上品とするはずだった人間種。このまま返す訳にもいかないでしょう!」
「元より我は献上品なぞ欲してこそいないが、このままでいかないというのは何故だ?」
「何故って、そう易々と人間種に魔王様の姿をお見せするものではないはずです! 魔王様の姿を見た人間種は尽く死ななくてはならない! ……そうだ、それではこうしましょう!」
魔族がそう言い終えた、次の瞬間だった。
ぐずあ。
「——え?」
経験のない衝撃に目が開くと、すぐ目の前にはうっすらと笑みを浮かべた魔族が立っていた。
そしてそのまま、衝撃を感じた自分の胸の辺りに顔を下げる。そこには、肘くらいまでだけ、魔物の腕が見えていた。
瞬時にそれが自分の体を貫いているものだと悟った。
「アヴィステラ!」
急に女性の声がしたのとほぼ同時に魔物の首が落ち、体から腕から、全身は砂のように流れ落ちて消えていく。魔王が薙いだ手によるものだった。
俺は自身を支える足に力が入らず、一方で体を支えていた魔物の腕が消えたことで俺はその場に顔から倒れ込む。
熱い。暑い。あつい。アツイ熱いあついあつい――。
「イグルミさん! イグルミさん!!」
シェナ、さん?
声は出ない。ただ誰かが仰向けに起こしてくれて見上げたそこには、シェナさんの顔があった。
「イグルミさん! しっかり! 気を確かに! いま助けるから!」
瞼が落ちてくる。眠いのかな。確かに、ああ、いい日差しだ。眠い。眠いよ。眠い……。




