14.シェンガ・ルビニーア
「シェナ、お客様だ」
階段を上がった先、ドアを開きながら彼はさっきの名前を口にする。
「ん? ダロじゃないか。休憩入ったんじゃなかったかい?」
「店出た途端に、門兵からお客様を押し付けられた」
「よくわからないことを言うね。――それで、その随分血塗れに見えるのがお客様? とりあえず、人間のものではなさそうだね」
「ああ」
シェナと呼ばれたその女性は、その身体に見合わない大きな机で何か作業をしていた。
長い銀色の髪は窓から射す光を反射させ、肌は透き通るように白い。そしてそれとは対称的に、眼は深く青く、見るものの内面を暴くような、俺のとは違った鋭さを持っている。
……そして、何故か軍服みたいのを着ていた。
彼女は立ち上がり俺たちに近づく。身長は俺よりも二十センチほど低く、見た目だけで言えば若いとも幼いとも見える。しかし目の前に立って俺をやや見上げる彼女からは、その小柄な体とは裏腹に大きな圧を感じた。
笑みをたたえる彼女に俺は、自分見えないところまで見透かすような目をもって声をかけられる。
「こんにちは。一応確認だけど、ニホンの人だね?名前を聞いても?」
「シェナ。こういう時は自分から名乗るのがマナーってもんだ」
「ふむ。それもそうだ。じゃあ先に自己紹介といこう」
そう言うとシェナさんは、小さく礼をする。
「はじめまして、ニホンの人。
私はシェンガ・ルビニーア。ニホンではこういう文化もないと聞いたけど、通名で呼ぶのがアーウェズトでは一般的でね。シェナと呼んでくれ。
そして、私はここ、アーウェズトギルド異世界部門の代表を務めている」
「俺はダロイヤ・ガラサッレ。ダロ、でいい。同じく異世界部門で、仕事の殆どは俺がやっている」
「おや、聞き捨てならないね。それじゃあまるで私が何もしていないみたいじゃないか」
「違うのか?」
「もちろん違うともさ。ただまあ、今は掘り下げないことにしようかな……それよりも、ダロも名乗ってなかったのか? マナーはどうしたんだい?」
「俺は別に、こいつに名前を聞くようなことはしなかったからな」
「そういう問題じゃないとは思うが……今は名乗るんだね」
「これも仕事の一部だと割り切ることにしたところだからな。つまり今は時間外労働だ。もちろん午後は遅れて戻るからよろしく」
「……いいだろう」
見た目ではダロさんが上司、というかシェナさんが部下というふうにしか見えない。しかしそう単純なものではなかったらしい。というかシェナさんは背格好からすれば日本だと高校生くらいが妥当に見える。服装には違和感しかないけどね。
ただ、忘れてはならないがここは異世界。元の世界とこの世界とで基準が違うものなんてそれはもうたくさんあるんだろう。人の年齢を見た目で判断するなんて今の俺には無理なのかもしれない。……いや待て、そういえば異世界に軍服なんてあるか? 逆に異世界の割には違和感もないような? だめだ、色々と突っかかることが多すぎて頭の整理がつかない。
「さて、では改めて。名前を聞いてもいいかな?」
「あ、はい。弋灯哉といいます。
イセカイ運輸……って言って伝わりますか? そこに勤めることになって、今日初めてこの世界に来ました。所属は探索部です。ええと、弋と呼んでもらえればいいかなと思います」
「と、自分はイセカイ運輸の人間だと言ってる」
「そうか。でもまあどんな人であれ、今朝の犯人じゃないならいいんじゃないかい? けど、まずはそうだね……」
シェナさんはそして、少し困ったような表情を見せる。
「別に転移者の人達にこっちの文化を強要するつもりは無いけど……まあ変にそちらのルールを押し通されるよりもいいか。
それじゃあイグルミさん、その服の血はどうしたんだい? アーウェズトで今朝何があったかは聞いてる?」
「さっき門番――門兵の人達に捕まった時、殺人があったと話しているのは聞きました。ですが、詳しいことは何も。それでこの血はですね――」
幸いさっきの門兵とは違い、目の前の二人は既に俺のことをその事件の犯人だとは思っていないらしい。イセカイ運輸の社員であることは疑われてるようだけど、今は別にいい。とりあえず更なる誤解だけは生まないようにと注意しながら、この世界に来てからのことを話した。二人は最後まで口を挟むこともなく聞いていた。
「――というわけです。一緒に転移したはずの山田さんという方がいれば矛盾がないかという証明はできると思うんですが、こっちに来た時にはぐれてしまったみたいで……」
「……なるほどね。おおよそわかった。聞く限り、話の辻褄は合ってるみたいだ。少なくともヤマダさんのことは知ってるから、ある程度信じても良さそうかな」
「別にアーウェズトに来てるんなら、ヤマダさんを知っててもおかしくないんじゃないか?」
「いや、ヤマダさんはウチとのやり取りを担当してるから、転移そのものの窓口はやってないと聞いている。だから普通の転移者はヤマダさんのことは知らないと思うね。あと普通の転移者がイセカイ運輸の部署の名前まで知ってるとも思えないから、それも証拠になるのかな。
でも信じるのに最も値するのは――」
そこまでシェナさんが言いかけて、後ろからドタドタ階段を駆け上がる音が聞こえた。そしてその勢いそのままドアが開けられた。現れたのは、俺もよく知る人だった。
「す、すみません! こっちに弋ってやつが……」
「――ヤマダさん本人に聞くことだね」
息を切らしていた山田さんは、俺を見つけると飛びついた。
「い、弋くんーーー!!」
「――う゛っ!」
自分よりも体格のいい成人男性から勢いよく体当たりを喰らえば、さすがにこんな声も出るというもの。こっち来て俺も身体強化されていたはずなのに、と思ったけどそれは山田さんも同じだと気がついた。
「――ダロ、そういう訳だ。もはやイグルミさんを疑う必要も無いだろう。さて、感動の再会のところ悪いんだけど、ヤマダさんから説明していただいても?」
「ああ、すみません! だいぶ俺も焦ってて」
シェナさんに声をかけられ、山田さんはやっと俺を離す。本当に焦ってたんだろうな。それだけはわかる。
「弋くんも、悪かった。完全に俺が色々と忘れてた。……それで、説明ですね。先に彼の紹介からさせてください――」
山田さんはそう言って俺の紹介をする。内容はさっき俺が話したことと齟齬はなかったから、聞いていた二人も納得してくれた様子だった。そして二人に、そして俺にも向けて、山田さんと俺に何があったのかを話してくれた。
山田さんの話によると、こっちの世界ではアーウェズト周辺にスポットと呼ばれる箇所がいくつか点在しており、アーウェズトへの二回目以降の転移では、直近で現実世界へ戻った時の場所から最も近くにあったスポットに転移されるらしい。スポットの場所が判明しているので、その全てに小屋みたいなのが建てられていて、だいたい転移すると用意されているベッドの上とかで目が覚めるらしい。
ただ、俺みたいに初めてアーウェズトに来た時はスポットには転移されない。ではどこに転移するのかというと、俺が目覚めた森の、山田さん曰く「あの辺」というそこそこな範囲のどこかに転移するらしい。でもそこは、俺が身をもって経験したように凶暴な熊っぽいの(ああいうのは総称して『魔物』と呼ぶらしい)とかが生息している。異世界初心者が独りで放り出されればあまりに危険なため、初めて異世界に転移するときにはそこにほど近いスポットにイセカイ運輸の職員が護衛のため転移するようにし、すぐに合流して安全を確保している。しかし今回は、山田さんが間違って遠くの転移先のスポットに転移してしまったとのことだった。さらに普段なら魔法で周辺を探知して合流できるけど、それも遠くて魔法の範囲外だったそう。
で、急いで向かった森で探知魔法を使ったが俺はそこにいなくて、何やかんやでやっとアーウェズトのギルドに俺がいることを見つけて急いでやってきたという話だった。
「だけど、イグルミさんがギルドにいるって気がついていたのなら、そんなに焦ることもなかっただろう?」
「いや、探知魔法が生きてる人間だけに反応するのかわからなかったので……」
「ああそういうことか。一応言っておくと、その魔法では死んだ人間は探せないよ。あくまで魔法の使用者がイメージできるのは生きてる相手だけだからね。それに生きた人間と死体では魔力のまとわり方が違うから、そもそもその魔法の仕組みからしても探すことはできないよ」
魔法に魔力! 現地の人の口から聞けた、しっくりくる異世界感。死んだ人間だとかなかなか恐ろしいことを二人が話してるようだけど、やっぱここは普通の世界じゃないんだとちょっと感動している。
「それに転移者は、死んでも死体は残らないだろ?」
「……あ」
「そういうことだ。まあそれが頭から抜けるくらいヤマダさんも焦っていたということだね」
「すみません……」
「それもイグルミさんを心配してのことだろう? それでヤマダさん、事情は私もわかった。今日はどんな用事で……って、それがイグルミさんの紹介だったのかな?」
シュンとしていた山田さんはシェナさんの言葉に背筋を伸ばす。
「はい、それがメインです。弋くんは今日から私と同じく、イセカイ運輸の人間としてお世話になることになります」
「よ、よろしくお願いします」
「ああ。こちらこそよろしくね。それで今日は、これからどうするんだい? ほかに仕事の話は?」
「いえ、今日は特には。紹介が終わった後は弋くんにアーウェズトを案内しようかとは思ってました」
「そうか。ならゆっくり見て回るといい。だけどその前に、その血だらけの服くらいは着替えた方がいいね。ダロ、替えの服を用意してくれるかい?」
シェナさんに言われ、ダロさんが隣の部屋から上下の服を用意してくれた。
「すみません。ありがとうございます」
「気にするな。むしろその格好で出歩かれて騒がれても困る」
「こら、ダロ。もうちょっと言い方ってものがあるだろ。……ところで出かける前に、ヤマダさんに一つ聞きたいことがあるんだが」
「はい、何でしょう?」
「今朝――こっちで言うところの今朝だね。イセカイ運輸の職員か、お客の誰かでこっちに転移していた人がいるかわかるかい?」
「今朝ってことは、たぶん私たちが転移する前ですね。であれば、少なくとも職員にはいないはずです。お客さんについても聞いてないですね。何かあったんですか?」
山田さんの問いに、シェナさんは小さくため息をつく。
「今朝、街の中で殺人事件があった。事件が起こったのが朝早くであったこと、場所も人通りのない路地裏だったこともあって死体が見つかるのが遅くなったらしい。事件については憲兵団が調べてるけど、現時点では何も詳しい情報は出回ってなくてね。むしろ意図的に隠してるみたいだ」
「そんなことが……」
「ちなみにイグルミさんも、最初は門兵がその犯人じゃないかって言って連れてきたよ」
「え」
シェナさんと、俺も頷く。再び申し訳なさそうな顔をする山田さん。
「その……犯人の情報はシェナさんにも届いてないんですか?」
「それが、今のところは何もでね。本当にまだ何もわかっていないのか、もしくは……」
「うちの会社の人間、特にお客さんが犯人だと疑われているということですね」
「たぶんね。殺された方法が刃物でも、一般的な魔法でもない。そんな殺され方でもしていたんだろう。可能性の話だけどね。
だったとして、それじゃあ魔物の仕業って線の方が普通は強いんだけど、如何せん事件があったのは街の中だからさ。まだ情報を出し渋ってでもいるんだろう」
それから俺たちは、やっとのお昼休憩となったダロさんに連れられて建物を出た。ダロさんとシェナさんの所属しているここは、正式には『アーウェズトギルド 異世界部門』というらしかった。ギルドというのは各国にあり、日本でいうところの役所のような役割を担っているらしい。そしてここは、世にも珍しい異世界関係を専門とした部署だという。「まあ、部署といっても私とダロの二人しか正式な職員はいないんだけどね!」とはシェナさんの言葉。
「ほんとごめんな、弋くん。入社初日からこんなことやらかしちまって……」
ダロさんと別れてから、まず山田さんがそんなことを言う。かなり反省しているようで、表情からよくそれが伝わってくる。
「いえ、結果として僕も無事でしたし、本来の目的だったシェナさんたちにもお会いできたのでよかったです。それに二人とも、ダロさんも無愛想だとは思いましたが、なんだかんだいい人みたいで。これから仕事の関わりも多いでしょうし、ひとまず安心しました」
「いい人……まあそうだな。俺が見知っている限りでは、確かにいい人たちだな」
「?」
随分と含みのある言い方だ。やっぱりダロさんは顔や口調の通りに本当に怖い人ということなんだろうか? まあ一概に「いい人」といっても、色んな意味があるだろう。異世界なんだからそれこそ色々あるだろうし、やっぱり考えても仕方がないよな。そう思うことにしよう。
「――さてと。じゃあ二人に挨拶も済んだことだし、アーウェズトを見て回るか!」
「よろしくお願いします」
……まあいいか。シェナさんたちのことはまだ何もわかってはいないけど、これも時間が解決してくれるはず。仕事初日からさっそくのドタバタスタートなのは幸先が心配ではあるけど、最終的には無事に終わったわけだし、まずはこれを喜んでおくとしよう。きっとこれからはうまくいくさ——。
◇
「――なんだ、また来たのか。上に立つ者っていうのは案外ヒマなのかい?」
椅子に座る自分以外には誰もいないはずの部屋。陽の届かない仕事場の隅、そこに向かってシェナが声をかけると、誰かの声が返る。
「――ヒマ、といえばヒマだな。第一、戦争でもなければ我の出番など無いに等しいよ」
その闇の中――比喩でもなく闇の中から、一人の人物が現れる。顔の全てまでが漆黒の鎧に包まれたその人物は、その言葉通りというか、戦場の真っ只中にいるのが至当であるようである。しかしその姿は騎士などではなく、むしろ戦場で敗れた者たちを迎えに来た死神のようでもある。
「ところで君が来たら聞くつもりだったんだが、今朝の事件については知っているかい? ——それならあれは魔族、あるいは魔物の仕業なのか?」
「買い被らないでくれ。我とて全てを把握しているわけではない。むしろ自由な奴らばかりで困っているくらいだ」
「そんなことを言っても、どこの世界でも種族でも、部下の指導は上司の仕事と決まっているものだよ。さっきまでイセカイ運輸の人たちが来ていてね、新人さんが入ったから紹介に、ってさ」
「ほう。どんな奴だった?」
「やけに緊張していて、その辺が新人らしかったかな。あとは、失礼なのは承知しているのだが、目がこう、魔物のようだった」
「それを貴殿が言うのか」
「ん? なんだ喧嘩かい? それなら私は確実に負けるわけだが、しかし受けて立つのが人間種としての矜恃ってやつだよ」
「待て。悪かった。冗談だ。我にその気はない」
二人がそんな話をしていると、影がもう一つ、音もなく突然シェナの隣に現れる。
「――シェナ様、ただいま戻りました」
長めの黒髪を高い位置でポニーテールにした、黒服の女性。見た目は人間そのものだが、漂わせる雰囲気が実際にはそうでないことを表している。
「おかえり、ゼタク」
「はい。……そして、お久しぶりです。いらっしゃっていたのですね」
黒服の女性は、鎧の人物にもそう挨拶をする。
「ああ。お前も元気そうだな」
「はい。――それでシェナ様。承っていた件ですが」
「ああ。どうだった? 転移者の可能性は?」
「ほぼ間違いなく魔物か魔族でしょうが、断定できるまでの証拠は見つかりませんでした。よい報告ができず申し訳ございません」
「謝る必要はないよ。しかし起きたのが国の中で、今も正体がわかっていないのだから魔族と考えた方がいいだろうな。そうなると憲兵団にどうやって伝えたものか……」
「待て。やったのが魔族というのであれば、我の領分でもあるというもの。ここは我に任せてもらいたい」
それを聞いたシェナが苦々しい顔になる。
「それはつまり、国の中を君が探し回るとかそういうことだろう? 君にそんな自由に国内を動かれるなんて知ったら、国民が、何より前の勇者がいたらなんて思うか……」
「シェナ様。仮に今回の件が魔族の仕業なら、既に国への侵入を許していたということです。お気持ちはわかりますがその対応は任せて、どこかにあるはずの結界の穴を探すことこそ私たちが優先すべきことかと」
「……そうだな。わかった。この件は任せるとしよう。必要ならゼタクを行かせるかい?」
「いや、いい。言ったように我もヒマをしている身だ。だが次の被害が出る前には必ず片を付けよう」
「そうか。よろしく頼んだよ」
その言葉を聞くと、答えることなく漆黒の鎧は周囲の闇に同化するようにして姿を消した。
「任せるとは言ったけど、さすがに私も動かない訳にはいかないか……。ゼタク、私としては有難いことでもあるのだけど、君の上司、あれでいいのかい?」
「上司ではなく、元、上司です。……が、歴代あのお立場の方には色んな方がいたと聞き及んでいますが、さすがにあれほどらしくない方はいなかったでしょう。が、私としてはシェナ様に危害を及ぼさない限りはどうでもいいですね」
「……そうか」
シェナは椅子の背もたれに体を預け、独り言のように言葉を零す。
「数年前に勇者が誕生したというし、嘘偽りはないのだろうが。
しかしまあ、もしもこの世界の常識を変えることができる者がいるとすれば、過去にも未来にもあの者の他には現れないだろうな。さらには同時期に現れた転移者という存在……。何か神の意図を感じずにはいられないよ」
シェナの言葉に、ゼタクと呼ばれる女性はただ黙って耳を傾けている。
「ゼタク。私はね、怖いんだ。人間が築き、歴史こそ浅かれ積み上げてきたこの国、さらにはこの世界の一部が、もしかするとそれら全てが、たった一人によって崩される。その先にあるのは、私たちにとってよりよい世界かもしれない。少なくとも今の私はそう信じているし、信じたい。だが、そんなのはたった一人の人間の希望でしかない」
「……シェナ様」
ゼタクはシェナを、ただ静かに抱きしめた。自分が力を込めたら小枝のように折れてしまう彼女を。
「私に教えてくれ……お前は何者なんだ? 魔王、アヴィステラ――」




