11.神様の贈りもの
「………………んん」
静かな空間に降り注ぐ穏やかな光。両の目がそれを迎え入れるように自然と開いた。朝目覚めた時のような眠気は全く無く、ただそうあるべきというように。
俺は硬い地面を押すようにして起き上がると、そこは――デジャブ、というんだろうか。
「……初めて異世界に来た時も、こんな所だったな」
目の前の、いつか見た風景にも似た場所に思わず呟く。
それは、そう前でもない話。とはいえ初めての転移先がどんな所だったのか、正直なところ、ああ確かに森の中だったな、くらいしかはっきりとした記憶に基づいて言えることは無い。それでもどこか見た事があると思うのは、この森の醸す独特の空気感や何かしらがあるからなんだろう。
「よいしょ、っと」
声に出しながら勢いをつけて上体を起こす。
「ええと……山田さんは?」
ぐるり、首を回して辺りを見回す。しかし一緒に転移したはずの山田さんの姿が見えない。
とりあえず立ち上がって、服についた汚れをはたいて落とす。ちゃんと現実世界で着替えた、一見するとこのままジャングルにでも飛び込めそうな服装になっていた。すごいな。
それから俺は、転移する前に交わした山田さんとの会話を思い返す。
俺は山田さんと一緒に転移できるように、できるだけ同じタイミングでトラックにぶつかることになっていた。
俺自身の感覚でしかないけど、その課題は無事に達成できたように思う。
ともすれば考えられるのは、逆に山田さんが転移が上手くできなかったか。ただ、これは何度も転移をしてきた山田さんであれば考えにくいか。
であれば、何か予期せぬことが起きているのか。もしそうなら何が起きているかなんて想像するだけ無駄なんだろう。
――とにかく今の俺にとって最も重要なのは、山田さんと合流すること。でもここに山田さんがいないのも事実。
もしかすると本当に俺のほうが先に来てしまったのかもしれない。そうだとすれば、ちょっと待てば山田さんもここに姿を現す、かもしれない。いずれ他にできることもないなと、そう思って木の陰に隠れるようにしながらしばらく待つことにした。
「……おかしいな。あれからだいぶ経ってると思うけど……」
しかし、待てど暮らせど一向に山田さんは現れない。一方でツノの生えたウサギとかも見かけることもなかったのは、身の安全という意味では幸せだったのかもしれない。
岩にでもなったつもりでじっと山田さんの登場を待つ間、自然と思い出されたのは最初に転移した時のことだった。
山田さんの話では、俺はあの異世界ではちゃんと死んでいたらしい。あの世界における生物、ドラゴンは言うまでもなく、あのツノの生えたウサギのたった一匹でも俺を殺すこともできたに違いない。そんなことを不意に考えては、山田さんを目で探しながらも、静かに山田さん以外に何かが現れないかと警戒を強めていた。
どれだけそのまま待っていたか、時計もないから正確にはわからない。あの世界だとステータス画面みたいなのがぱっと現れたけど、いくら手を空中で動かしてみても何も起きやしない。ゲームのような感じもしなく、ただ知らない森の中に放り出されただけのようにさえ思えた。
……というか、実際にここはゲームの世界じゃないし、紛れもなく知らない世界のどこかの森なんだったっけ。見えるものや肌で感じるものはリアルそのものなのに、どこか違和感みたいなものがそれをどこか否定する。
さてと。事実として、これだけ待っても山田さんは現れなかった。このまま待ち続けても山田さんがここに現れる可能性はどれくらいあるだろうか。そう考えると、この前みたいにドラゴンだとかに遭遇する怖さは決して拭えなかった。
「仕方ないよな、このまま待ってても」
俺は意を決して、この場を離れることにした。
そう決めて辺りをこそこそと歩き回ってみると、最初に俺が寝転がっていた場所の近くには、整備もそこそこだが一本伸びている道が見つかった。きっとこれを辿っていけばその先には町や施設がある可能性が高い。いや。逆に転移した先が何もない森のド真ん中なんてのは、もしもこれがゲームならあまりにも優しさが足りていないんじゃないか? そう、つまり最初に行くべき目的地は近くにある可能性が高い。むしろそうであるのが普通! 勝手にそう解釈し、とはいえびくびくしながら道の端を歩きながら進んでいった。
もちろん、向かうべきが右か左か、前か後ろかなんてのは適当に。
その道中、茂みの中に短剣が落ちているのを見つけた。辺りを警戒しながら慎重に歩いていた成果と言える。
拾った短剣はというと、鞘のだいぶ汚れている様子から誰かに捨てられてしばらくそのままだったように見えた。そして、やっぱり中身を出すといくらか刃こぼれしていた。たぶんだけど、鶏肉とか切るのもかなり力を入れないと切れないくらい。
これなら捨てた人がいるのも納得だった。ただ、いつ前みたいな危険生物が現れるかわからないのが異世界だと俺は知っている。手ぶらでそんなところを彷徨うのはあまりに心細かったので、例え刃こぼれしていようが錆び付いていようが、この短剣はいただくことにした。いや、ちょっとの間だけ借りることにした。
そんな訳で、一時的な仮入手であったとしても、それが「こんなの買い取れねえよ!」と売ろうとしたら武器屋の店主に言われてしまうような性能のものであったとしても、俺は武器を手に入れた。
ただし俺は、もちろん剣なんて使ったことは無い、ただの一般人の弋灯哉その人。手にしているのが武器だといってもまともに扱える訳は無い。せいぜい牽制に使えたらいいなと、そんな気持ちだった。そうだなあ、もしも敵対生物に出くわす時にはこの武器であってもちゃんと恐れてくれる奴にしてほしい。
――さて。ここで今回俺が転移した異世界についてほんの少しだけ振り返ってみる。
社長の話では、この世界には神様がいるらしい。唯一神ナントカって神様。まあ名前は後で合流する(予定の)山田さんに聞くとして。
たいてい異世界転生っていえば死んだ後に目が覚めると不思議空間にいて、そこに現れた神様がざっくりと事情を説明しながら最後には「あなたには素晴らしい能力を与えましょう!」とか言って異世界に送り出す。そしてそれが転生先の世界では規格外の、いわゆるチート能力だっていうのが鉄板の流れだと思う。
少なくとも俺が知ってるのはほぼそんな感じ。
しかし今回俺がこの世界にやって来たのは異世界転生ではなく、異世界転移。神様に会うための不思議空間をすっ飛ばして見知らぬ森の中で目覚めたからか、そんなチート能力は与えられることもなく――と淡い期待感も消え去るところだった……のだが。なんとここの唯一神サマ、実はその辺の空気が読めるタイプの神様だったのだ。
めっちゃ強い! この能力さえあれば最強! とはいかないものの、強さ至上主義の時代からはあまりに長い月日が流れた現代の日本という国に生まれた、なんとも弱々っちい俺に施しをくれていた。単純な話、身体能力の向上であった。
確かに、なんかこの世界に来た時から身体が軽いかな? くらいは感じてはいた。しかし例の剣をぶんぶんと試しに振り回してみると、動かしているのが自分の体じゃないみたいに、まさにぶんぶんと音を立てながら空気を裂いてみせた。
ジャンプをすれば普段の体感二倍くらい高さが出るし、シャドーボクシングさながら空気を思い切り殴ると、むしろ伸ばした腕の勢いで身体が持ってかれそうになるくらい。そして極めつけは――。
「はあ、はあ、なんで、こんな目に……!」
俺の二倍はありそうなほどの、大きな熊に似た獣に猛然と追いかけられても今みたいになんとか距離を保てている。ありがとう神様! 走る速さも現実と比べれば二倍くらいな気がする! お陰でまだ俺は生きています! でもできればこの状況を根本的に何とかできる能力が欲しいかな!
「あっ」
しかしそんな素晴らしい神様も、あんなに上から見てるから地上に転がってる石なんて気づくはずなんてなかったようだ。
幸いにも超強化されていた身体能力でやったこともない受け身(自称)を成功させ、しかし地面に座り込むことになってしまった。急いで立ち上がろうとしたけど、もちろんその間にも追ってくる巨体との距離は縮まるばかり。そのまま迫ってくる熊を見上げるようにして対峙した。
そいつを改めて真正面からまじまじ見ると、それはまったくもって『怪物』の顔をしていた。相手を威嚇し恐れさせる、そんな顔。きっとこれまでも、相対した者にはそんな風に見えていたんだろう。
――だけど不思議と、俺はそこまで怖さを感じなかった。今の今まで、ただすぐそばに迫る危険から逃げることしかできなかったのに。でも今は、少なくとも冷静に自分がいま置かれている状況を整理できるくらいには落ち着いている自分がいる。身体能力同様、精神面でも何か補強がされているのか何なのか、そんなことはわからない。
ただ俺は、静かに唯一の武器を引き抜いた。




