第98話 白狐神と週休二日制
翌朝。目が覚めるより先に、妙な声が聞こえた。
「……こいつ……動くぞ……」
「ん?」
薄暗い部屋の中で目だけを開ける。右腕には、いつものようにユキが抱きついている。大きな白い尻尾も、腹から左脚へ斜めに乗っていた。
問題は籐カゴの方だった。
「むにゃ……すごい……五倍以上のエネルギーゲインがあるのじゃ……」
「何の夢見てるんだ、お前」
こびゃっこは籐カゴの中で丸くなったまま、前足だけをもぞもぞ動かしている。
「……びゃっこ、行きまーす……」
「とうとう来たな、このネタ」
いつかはやると思っていた。昭和後期から平成初期まで日本にいた白狐神使である。歌番組、ドラマ、暴走族と来て、あのアニメ作品だけ素通りするはずがない。
俺は枕に顔を半分埋めた。
「頼むから朝っぱらから宇宙世紀を始めるなよ……」
「……見せてもらおうか……連邦の……グイグイの性能とやらを……」
「モ○ルスーツじゃなくてブルドーザーになってるぞ」
「……通常の三倍で……整地するのじゃ……」
「危ないから通常速度でやれ!」
寝言へ本気で突っ込んでしまった。ユキの狐耳がぴくっと動く。
「むにゃ……おっちゃん……うるさい……」
「ごめん。原因はそっち」
「……ザ○とは違うのじゃ……グイグイとは……」
「混ざってる、混ざってる」
しかも微妙に改変されている。こびゃっこの前足が、何かのレバーを握るように動いた。
「……右よし……左よし……規制線よし……」
「そこだけ妙に現場が現実的だな」
「……戦いとは……常に二手三手先を読んで……段取りするものじゃ……」
「名台詞を工事計画に変えるな」
だが、ちょっと感心した。夢の中でも安全確認をしているらしい。
「……アークが当たらなければ……どうということは……」
「あるよ! 溶接は当てろ!」
「……認めたくないものじゃな……自分自身の……棒を固着させたゆえの過ちというものを……」
「それドランだろ」
溶接まで夢に混ざっている。籐カゴの中で、こびゃっこがむにゃむにゃと身体を丸め直した。
「……足なんて飾りじゃ……偉いヒカルには……」
「待て」
俺は上半身を起こした。
「俺をあの『偉い人』側にするな」
「……むにゃ……保証が切れるから……分解できぬのじゃ……」
「急に現実へ戻った!」
そして最後に、こびゃっこは妙に渋い声を作った。
「……ヒカル……なぜ分解させぬ……」
「保証があるからだ!」
「……坊やだからさ……」
「誰が40歳の坊やだ!」
そこでユキがとうとう目を覚ました。
「おっちゃん……」
「はい」
「こびゃっこ、へんなゆめ?」
「たぶんな」
ユキは籐カゴを見る。
「こびゃっこ、たたかってる?」
「いや」
俺は少し考えた。
「たぶん、ブルドーザーに乗ってる」
「グイグイ?」
「グイグイ」
「なら、あんぜん?」
「夢の中ならな」
すると籐カゴから、
「……まだじゃ……たかがメインカメラをやられただけじゃ……」
と聞こえてきた。俺は天井を見上げた。
「お前そのサイズでメインカメラ壊れたら、ほぼ全損だろ……」
◇
数分後。朝食へ行く支度をしていると、こびゃっこが何事もなかったように籐カゴから出てきた。
「おはようなのじゃ」
「おはよう、赤い彗――」
「知らぬ」
「まだ最後まで言ってないぞ」
「何も知らぬ」
「グイグイの性能を見せてもらうんじゃなかったのか?」
「……」
「通常の三倍で整地するんだろ?」
「……夢とは、人の心が生み出す幻影じゃ」
「毛玉が急に哲学で逃げるな」
ユキが俺の服の裾を引く。
「おっちゃん」
「ん?」
「こびゃっこ、はずかしい?」
「たぶんな」
ユキがこびゃっこを見る。
「はずかしがってる、においする」
「ユキ! 神力をそういう使い方するでない!」
「確定したな」
「認めたくないものじゃな……」
「そこだけ元ネタに戻すな!」
◇
朝食を終えた俺は、いつものようにユキと工事事務所へ向かった。今日は仮設厩舎の続きだ。昨日までに表土を剥ぎ、地盤を均し、砕石を入れて転圧してある。側溝と排水桝を入れる場所も、ツチノコで掘削済み。
次は、その上に何をどう組むか。
職人たちが来た以上、俺の頭の中だけに完成形を置いておくのは駄目だ。
「まず図面を見せる」
工事事務所へ入ると、グレゴールたちも後から入ってきた。長机の上にはノートパソコン。俺が椅子に座り、電源を入れる。
「それが例の薄い箱か」
グレゴールが言った。
「箱じゃない。パソコン」
「昨日の映像を映していた物とは違うのか?」
「テレビとは別物だ。こっちは計算したり、文字を書いたり、図面を描いたりできる」
「全部?」
エリオットが眉を上げる。
「全部」
「何でも箱じゃないか」
「俺まで何でも係だからな」
「おっちゃん、なんでも」
俺の隣でユキが頷いた。
「そこは否定してくれ」
◇
CADを立ち上げ、パソコンとテレビをケーブルで繋ぎ、42インチのモニター画面へ仮設厩舎の平面図を表示した。
23頭以上を入れる馬房に、中央通路。給水位置。餌置き。掃除道具置き場。排水溝。排水桝。単管柱。筋交い。屋根勾配。さらに完成状態の立体図へ切り替える。
「……」
全員が黙った。
「どうした?」
レイルが画面へ顔を近づける。
「これ、まだ建ってないよな?」
「建ってない」
「なのに、建った姿が見える」
「そういう図面だからな」
マウスを動かし、視点を回転させる。厩舎が画面の中でぐるりと回る。
「うおっ!」
レイルが一歩引いた。
「建物が回った!」
「建物じゃなくて画面の中の図だ」
「分かってるけど!」
カイルはもっと実務的だった。
「上から見せて」
「はい」
「ここの排水方向」
「南西へ流す。主勾配はこっち」
「寸法は?」
俺が数値を表示する。
「ここからここまで――」
「待て」
グレゴールが遮った。
「数字を変えたら?」
「図も変わる」
「柱を一本動かしたら?」
「それも変わる」
「屋根の高さを変えたら?」
「立面も変わる」
マウスで柱位置を少し動かして見せた。
画面上の線が更新される。
「……卑怯だな」
「何が?」
「職人が頭の中で何度も組んでは壊していたものを、そいつは目の前でやる」
「その代わり、間違った数字を入れれば間違った図面が正確に出るぞ」
「道具は結局、使う人間次第か」
「そういうこと」
ボルガがパソコンの横へ回り込んだ。
「この中、どうなって――」
「分解したら保証が切れる」
「まだ触ってない!」
「顔がドランだった」
「誰の顔がワシじゃ!」
後ろからドランの声がした。
「すまん、その方がなんか説明し易くて」
◇
図面は紙にも出した。プリンターが動き始める。ウィーン、ガッ、ガッ。白い紙へ、寸法線と柱位置が少しずつ現れる。グレゴールの眉間の皺が深くなった。
「今度は何だ」
「印刷」
「同じ図を描いているのか?」
「機械がな」
「何枚作れる」
「紙とインクがあれば必要なだけ」
「同じものを?」
「同じものを」
グレゴールが出てきた一枚を受け取った。カイルとレイルにも渡す。施工用には平面、排水、骨組み、完成イメージを分けて出した。
「王都でドランから聞いた時は、半分くらい盛ってると思っていた」
「失礼じゃな」
「お前は普段から盛るだろ」
「酒が入った時だけじゃ!」
「そこは否定しろ」
ミネットが完成図を見て、猫耳を動かした。
「屋根は、私の仕事にゃ」
「まだ先だぞ。今日と明日は下を作る」
「分かっているにゃ。上を見るには下からにゃ」
「珍しくまともなこと言ったな」
「にゃ。いつもまともにゃ」
◇
現場に移動して作業に入る。最初の工程はU字溝だ。カイルとレイルが中心となり、掘削済みの溝底を確認、必要な箇所へ砕石を足す。高さを揃え、地面ぶるぶるで締める。
「ここから先、1センチ下げる」
カイル。
「了解」
レイルがレーキで調整する。俺は購入した、小さめのU字溝を必要位置へ順番に出した。バドルが一つを叩いて音を聞く。
「これが人工の石か」
「コンクリートな」
「割れ方は石と違う」
「サイズが大きいと、中に鉄筋が入ってる物もある」
「あとで端材を見せてくれ」
「分かった」
職人の興味は本当に専門ごとに違う。U字溝の方は一気に並べずに、一個ずつ据える。高さを見て、方向を見る。次を入れ、接続を見る。また高さを測る。途中に排水桝を設置。その上にはグレーチング蓋を載せる。
「これは何だ?」
グレゴールが格子状の金属蓋を見る。
「グレーチング。水は落ちるが、人や道具は落ちにくい」
ボルガが持ち上げる。
「結構重いね。だが綺麗に格子の寸法が揃ってる……こんなの見た事ないよ」
「重さがあるから勝手に動きにくい。馬が近くを通る場所だから、がたつきも確認する」
エリオットが足で軽く踏む。
「蓋の間に隙間が出たら?」
「蹄が入らない場所へ配置する。馬房の真下には持ってこない」
「なるほど」
排水設備は便利でも、新しい危険を作ったら意味がない。
◇
「水、ながす?」
規制線の外から、監督ヘルメットを被ったユキが聞いた。
「試験で流す」
「ユキ、ぱちってする?」
「今日はまだしない」
「とりいのしるしは?」
「鳥居紋の浄化は厩舎が全部完成して、排水経路も確定してからだ」
「さいご?」
「最後の確認の一つだな」
ユキの横でふわふわ浮いてるこびゃっこが、隣で前足を上げる。
「その際は、神事主任として――」
「今日は撮影見習いな」
「最後まで言わせるのじゃ!」
「排水枡で浄化される前に、まず人間が固形物を取る。糞も敷料も流さない。それから洗浄水を外部へ排水させようと思う」
「それで問題無かろう。神力は下水処理場ではないからの」
その辺は、こびゃっこも真面目だ。
◇
午後には実際に水を流した。少量ずつ。カイルとレイルがグレーチング越しに流れを見る。
「ここ、少し溜まるな」
「少し上げたい」
「やり直す?」
「今なら簡単だ」
一度外し、下を調整。また据えて水を流す。
「今度はいい」
「よし」
ニナがメモに記録する。
【ハイスイ、カクニン。ミズ、ノコラナイ」】
「その感じで記録してくれ」
「うん」
図面通りに作っても、最後は現物だ。水はCADを信用しない。低い方へ流れるだけである。
◇
翌日。六の月6日。次は床へ進んだ。滑り止め付き大型鉄板を設置する。重量物なので、全員を退避させ、配置展開を使って大まかな位置へ出す。
「また消えたところから鉄が出た……」
グレゴール。
「そろそろ慣れろ」
「無理だ」
「ワシは慣れたぞ」
ドランが得意そうに言う。
「お前は慣れたんじゃなくて諦めただけだろ」
「それを世間では適応と言うのじゃ」
「言うか!」
配置後は職人の出番だ。鉄板の継ぎ目。段差。がたつき。排水方向。清掃時の取り外し。エリオットが特に継ぎ目を気にする。
「馬がここで足を滑らせない?」
「馬房部分には最終的にゴムマットを敷く」
「通路は?」
「鉄板の滑り止めを生かす。ただし水が溜まらないようにする」
「掃除で外す可能性は?」
「ある」
「なら固定しすぎない方がいい」
「俺もそのつもりだ」
こういう相談ができるのが、職人が来た最大の利点だった。
◇
午後から単管。柱位置を墨とマーキングで出し、ベースを置く。まず低い位置の横材、次に柱。まだ高所作業へは入らない。
「ニナ。地上部分だけ頼めるか」
「うん」
黄色いヘルメットが動く。ニナはクランプを掛け、ラチェットを回す。カチ、カチ、カチ。
「ここ?」
「そこでいい」
「固定」
グレゴールが柱を支え、ボルガが反対側を見る。カイルとレイルが通り芯を確認する。バドルはベース周り。エリオットは馬房通路幅。
ミネットは早く上へ行きたそうな顔をしている。
「まだ登るなよ」
「何も言ってないにゃ」
「耳が登りたがってる」
「猫耳を読むなにゃ」
「分かりやすいんだよ」
◇
二日目の夕方。柱と下周りの横材まで組み上がった。まだ屋根はなく、筋交いも途中。馬房の間仕切りもない。
それでも、昨日まで平らな鉄板だけだった場所に、建物の輪郭が立ち始めている。ユキが規制線の外から見上げた。
「おうまの、おうち、ほね?」
「そう。骨組み」
「まだ、すかすか」
「これから埋まる」
「いつ?」
「その前に休む」
「……やすむ?」
「ああ」
ユキの耳がぴくっと動いた。
「おっちゃんも?」
「俺も」
「ほんと?」
「そんなに信用ない?」
「ちょっと」
「五歳児の信用査定が厳しい」
◇
その日の夕食後。俺は職人、東風の牙、蒼岩の盾、リリア、マルタたちを集めた。
「明日と明後日、工事は休みにする」
一瞬、静かになった。最初に反応したのはグレゴールだった。
「二日ともか?」
「ああ」
「何か資材が足りないのか?」
「違う。休むために休む」
今度はドランが首を傾げる。
「まだ働けるぞ」
「お前は健康診断で酒以外にも休養を言われただろ」
「酒以外は問題ないと言われた!」
「そういう意味じゃない」
俺はホワイトボードへ書いた。
【週2日 休み】
「今まで、人が少なかったから、その日の体調や仕事に合わせて適当に休んでた。でも人数も仕事も増えた。このままだと『誰かが働いてるから自分も働く』になる」
グレゴールが腕を組む。
「まあ、職人はそれをやりがちだな」
「だから今後は、原則として週に2日は休みを入れたい」
マリベルがすぐに頷いた。
「賛成です」
「即答だな」
「健康診断をした直後ですから。疲労は病気になる前に休ませる方がいいです」
ボルガが言う。
「二日休んだら手が鈍らない?」
「最低三か月働くんだぞ。二日で鈍るなら、その方が問題だ」
「それもそうか」
グレゴールは少し考えた後、頷いた。
「俺も賛成だ。事故を起こして一週間寝るより、一日休んだ方が安い」
「それ」
さすが棟梁。話が早い。
◇
問題は警備だ。
「俺たちは全員同時には休めない」
ガランが言う。
「だよな」
「東風の牙と蒼岩の盾は交代制にしよう。巡回人数を落とさず、順番に休む」
「その表を作る」
「またパソコンか?」
「またパソコン」
翌月まで使えるカレンダーを作る。この世界は1か月30日。そこへ工事休業日、作業日、巡回警備担当の休みを割り振る。
ガラン、ロク、リーファ、ドラン、マリベル。そしてオルフェン、セルド、ナージャ、フィン。全員が同じ日に休まないよう調整。早番、通常巡回、夕方巡回も簡単に分ける。
プリンターから表が出てくると、フィンが感心したように見た。
「人の予定まで図面のように作るんですね」
「建物より面倒な時もあるぞ」
「人は寸法通りに動きませんからね」
「その通り」
ガランがシフト表を確認する。
「これなら回せる」
「変更はその都度書き直す」
「便利だな」
「便利だけど、表のために人を無理に動かすのは無しだ。体調不良や緊急時は変える」
「了解した」
◇
炊事側も相談した。今の中心は俺、リリア、マルタ。ミーシャも本人が好きだから手伝うが、8歳児を労働力として数えるつもりはない。
「近衛騎士団が来たら炊事担当が2人いるんだよな」
ガランが頷く。
「男1人、女1人だ」
「そこまで揃ったら、厨房も正式にシフト制を考えよう」
マルタが腕を組む。
「いいね。毎日同じ人間が朝から晩まで厨房じゃ、せっかく休みを決めても意味がない」
リリアも頷く。
「私も賛成です」
「ミーシャはどうだ?」
「やりたい時にやるのは?」
「それでいい」
「え、いいの?」
「ミーシャは料理の仕事を覚えてる途中だ。担当人数には入れない。やりたい日に手伝ってくれるか?」
「うん!」
リリアが少し笑った。
「それが一番ですね」
「おっちゃんは?」
ユキが横から入る。
「俺?」
「おっちゃんも、やすむ?」
「だから休むって」
「ごはん、つくらない?」
「明日は作らない」
ユキが目を丸くした。
「だれが、つくるの?」
「店」
「みせ?」
「日本の店だ」
「……おっちゃんのむかしの?」
「そう」
こびゃっこの耳が、ものすごい勢いで立った。
「ヒカル」
「何だ」
「詳しく聞こうではないか」
「食い物に関してだけ、感知能力が高いな」
俺は新しい趣味スキルの取得を考えていた。
◇
【第98話・収支報告】
異世界生活76〜77日目
日付:六の月5日6日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,133,594pt
今回の購入:
・仮設厩舎用U字溝、排水桝、グレーチング蓋、据付・接続資材一式
1,180pt(約118,000円)
・滑り止め付き大型工事用鉄板、床接続・段差調整部材一式
1,760pt(約176,000円)
・仮設厩舎用単管パイプ、ベース金具、クランプ、筋交い用部材第一期分
830pt(約83,000円)
今回支出合計:3,770pt(約377,000円)
現在残高:
3,133,594pt − 3,770pt = 3,129,824pt
円換算目安:
3,129,824pt × 100円 = 約312,982,400円相当
続く




