第94話 白狐神と誘惑の香り
昼が近づくにつれて、新厨房の中が妙に落ち着かなくなってきた。
原因は、こびゃっこである。
「……焼きそばが食いたいのう」
調理台の端にちょこんと座った白い毛玉が、遠い目をして呟いた。
「急にどうした」
「いやのう。湖畔が賑やかになって、なんとなく思い出したのじゃ」
「何を?」
「祭りじゃ」
「祭り?」
こびゃっこは胸の前で前足を組んだ。
「夏祭り。提灯が並んで、境内に屋台がずらーっと出てのう。綿あめ、たこ焼き、りんご飴、金魚すくい――」
「そう言えば、巫女やってた頃の話で出てたな」
「それもある。原宿にいた頃も、都内の祭りに行ったぞ。特に祭りの焼きそばというものは特別なのじゃ」
「普通の焼きそばと違うのか」
「違う!」
急に前足の先をワキワキさせて、こびゃっこの力が入った。
「鉄板の上で麺をじゅうじゅう焼いて、ソースをぶわっと掛けるじゃろ。キャベツと肉。青のり。紅生姜。そして、あの煙とソースの匂い!」
「急に力説し出したな」
「匂いまで含めて祭りなのじゃ!」
「まあ、それは分からんでもない」
言われてしまうと、俺まで思い出した。会社帰りに寄った祭りや商店街のイベント。紙の容器に盛られた、ちょっと麺が柔らかくて、ソースが妙に濃い焼きそば。
店で食べるなら、もっと美味いものはいくらでもある。でも、屋台の焼きそばには屋台の焼きそばにしかない妙な魅力がある。
「……食いたくなったな」
「じゃろ?」
「おっちゃん」
いつの間にか、ユキが俺の横にいた。
「やきそば、なに?」
「麺を焼いて、野菜と肉を入れて、ソースで味付けした料理だ」
「にく?」
「入る」
「えらい?」
「かなり」
ユキの尻尾が持ち上がった。
「ユキ、やきそば、たべる」
「まだ作るとは――」
「決まりじゃな!」
「二対一にするな」
「ニナも」
さらに後ろから声がした。振り向くと、ニナがいた。
「聞いてたのか」
「麺、カップ麺、おいしかった」
「カップ麺とは違うけどな」
「作る?」
無表情なのに期待だけは分かる。そこへマルタが大鍋を抱えて入ってきた。
「何だい。昼飯の相談なら私も混ぜな!」
「ちょうどよかった。今日は焼きそばにしようと思ってな」
「ヤキソバ?」
「俺の国の麺料理だ」
マルタの目が光った。
「麺料理!」
この人は本当に料理の話になると反応が早い。
「どんな麺だい?」
「細めの小麦麺を、野菜と肉と一緒に鉄板で炒める。味付けはソース」
「スープじゃない?」
「汁なしだな」
「焼く?」
「焼く」
「面白いねえ!」
即決だった。というわけで、昼食はソース焼きそばに決定した。人数が増えたので、家庭用のフライパンで一人前ずつなんてやっていられない。新厨房には、大量調理を想定して大型の鉄板を入れてある。
俺はショップから焼きそば用蒸し麺、豚肉、キャベツ、もやし、ニンジン、ソース、青のり、紅生姜を追加購入した。マルタが横で、一つずつ確認していく。
「この麺はもう火が通ってるのかい?」
「蒸してある。だから炒めながらほぐして、味を入れる」
「なるほどねえ。王国の平打ち麺とはずいぶん違う」
「この世界の麺は、やっぱり平打ちが普通なのか?」
「ああ。ただし、肉料理や煮込みの横に添えるもんさ」
「付け合わせ?」
「そう。薄い塩味か、煮汁をちょっと絡めるくらいだね」
「麺が主役じゃないのか」
「少なくとも、あたしの知ってる料理じゃね」
マルタは、俺が出した袋の中の細い麺を見る。
「こんなに細くて、しかもこれだけで一皿になる麺料理は初めてだよ」
「湖畔のみんなも、焼きそばは初めてだ」
「前に、ユキもかっぷめん、たべた」
ユキが言う。
「ああ。そうだったな」
湖畔へ戻ったばかりの頃に、皆で塩味のカップラーメンを食べた。あの時は皆、箸もまだ使えなかった。
「かたいめん。おゆで、ふっかつした」
「インスタントだからな」
こびゃっこが腕を組む。
「焼きそばは蘇生せぬぞ。鉄板で焼かれるのじゃ」
「物騒な言い方をやめろ」
マルタが笑った。
「よし。ヒカル、やって見せておくれ。あたしも覚えるよ」
「じゃあ最初の一回は俺。次から一緒にやろう」
「任せな!」
まず豚肉。鉄板へ油を引き、肉を広げる。ジュウッ!音がした瞬間、厨房の外から複数の気配がした。
「……来たな」
「何がだい?」
「匂いに釣られた人たち」
受け渡し口を見ると、ユキ、ミーシャ、トト、ニナ、こびゃっこが集まっている。更にその後ろにロク。
「ロクまで何してる」
「いや、巡回終わって戻ったら、すげえ匂いがしたっす」
「まだ肉を焼いただけだ」
「それでも分かるっす」
「鼻がいいな」
「狼族っすから」
さらに、その後ろからナージャの猫耳が出た。
「何これ、すっごくいい匂いする!」
セルドもいる。
「昼飯か?」
フィンまで覗いていた。
「こちらで待っていてよいのでしょうか」
「全員、食堂で待っててくれ!」
俺が追い払う。
「できたら順番に出す!」
「おっちゃん」
「何だ」
「ユキ、いちばん?」
「子供からな」
「ユキ、こども」
「こういう時だけ自覚が早い」
受け渡し口から顔が消え、調理に集中する。豚肉へ火が通ったところでキャベツ、ニンジン、もやし。マルタが木べらで混ぜる。
「野菜は炒めすぎない?」
「そう。少し食感を残す」
「こっちは?」
「麺」
袋を開けて鉄板へ広げる。
「先に少し蒸す感じでほぐす。水をほんの少し入れる」
「なるほど、水の蒸気で蒸し焼きする訳だね」
麺がほどけ、油と肉の脂をまとっていく。そして最後。
「これがソースだ」
「結構入れるね」
「人数分だからな」
鉄板へ回しかけた。じゅわああっ。ソースが熱い鉄板へ触れた瞬間、香りが一気に立った。
「おおっ!」
マルタが声を上げる。厨房の外からも声がした。
「うんみゃあ!」
「まだ食べてないぞ!」
「匂いが、うんみゃあ!」
こびゃっこの声まで聞こえる。
「これじゃ! これなのじゃ! 祭りの匂いじゃ!」
「厨房で祭りを始めるなよ!」
俺自身、ヘラを動かしながら腹が鳴りそうだった。分かる。焼けたソースの匂いは反則だ。
「これは強いねえ」
マルタも笑っている。
「肉の匂い、野菜の甘み、それにこのソース。厨房から客を捕まえる料理だ」
「屋台では、それが重要なんだろうな」
「匂いで買わせるわけか」
「身も蓋もないが、たぶんそうだ」
仕上げに青のり。紅生姜は好みがあるので別添え。最初の皿が完成した。
「ミーシャ!」
「はい!」
「受け渡し頼む」
「うん!」
トレイへ焼きそばを載せる。その横には、リリアが朝から準備していたポテトサラダ。ジャガイモ、ニンジン、キュウリ、ゆで卵。こちらはリリアが中心となり、ミーシャも一部を手伝っている。
「まずユキ、ニナ、トト、ミーシャ」
「はい!」
子供たちから出す。次の鉄板へ取り掛かる。
「マルタ、今度は肉を頼む」
「任せな!」
「一度に詰め込みすぎない。水分が出て焼くというより煮る感じになる」
「ああ、それは肉でも同じだね」
「野菜も分ける」
「この麺、結構扱いやすいねえ」
「大量調理向きだと思う」
マルタの習得は早かった。料理人として積み上げてきた基礎があるから、俺が一度説明すれば次から自分で調整する。
「ヒカル。ソースを入れたら、少し鉄板へ当てる方がいいね?」
「そう。香ばしくなる」
「焦がしすぎると苦い」
「そのへんは任せる。俺より本職だ」
「ははっ。異界料理はまだあんたが親方さ!」
次々と出来上がる焼きそばを、厨房の受け渡し口から出していく。
食堂の長机には、冷たい麦茶を入れた大型のプッシュ式魔法瓶と、温かい緑茶を入れた別の魔法瓶を置いてある。
新しく来た職人たちと《蒼岩の盾》は、その魔法瓶でも止まっていた。
「これは何だ?」
グレゴールが見ている。
「飲み物を温かいまま、あるいは冷たいまま保つ容器だ」
「魔道具か?」
「魔法は使ってない」
「では、なぜ冷たい?」
「中が二重構造になってて、熱が移りにくい」
カイルが興味深そうに見る。
「プレハブ壁の断熱と同じ考えか?」
「考え方は近い」
俺は上のボタンを押すと、麦茶が注がれる。ミネットの猫耳がぴんと立った。
「押しただけで出たにゃ!」
「傾けなくていいから、大人数で使いやすい」
「熱い方も?」
「こっちは緑茶。火傷するから、子供は大人に頼むこと」
「ユキ、むぎちゃ」
「はいはい」
ユキのコップへ冷たい麦茶を入れる。マルタがそれを見ながら感心した。
「厨房でも使えるねえ。湯を何度も沸かさなくていい」
「保温だから、最初には沸かす必要があるけどな」
「それでも十分だよ」
全員へ料理が行き渡り、俺とマルタも最後に席へついた。
「いただきます」
「いただきます!」
ユキが聞く。
「これ、はし?」
「箸でもいいぞ」
「ユキ、はし」
ユキは箸がだいぶ使える様になったが、まだ練習用の子供用箸を使っている。ユキは慎重に麺をつまんだ。
持ち上げると、一本落ちる。
「にげた」
「全部逃げたわけじゃない」
ふーふーして口へ入れる。
「……うんみゃあ!」
尻尾が大きく揺れた。
「あじ、こい!」
「ソース味だからな」
「おにく、いる!」
「ちゃんと入ってる」
「きゃべつも、えらい」
「野菜まで褒めるとは珍しい」
「ソース、ついてる」
「なるほど」
ニナは無言で二口食べた。
「濃い」
「嫌か?」
「好き」
「即答だな」
ミーシャも目を丸くしている。
「麺なのに、おかずみたいな味」
「それだけで一皿になる料理だからな」
「これ、私も作りたい」
「マルタと一緒に覚えればいい。ただし大きい鉄板は大人が担当な」
「うん」
トトは麺を見て、それから色鉛筆を置いてある自分の袋へ一瞬目を向けた。
「食べてから描け」
「うん。匂い、茶色」
「今日は分かりやすい色だな」
向かい側では、マルタが職人仲間に囲まれていた。
「マルタ、これはお前が作ったのか?」
ボルガが聞く。
「ヒカルに教わった!」
「王都で出せるか?」
「出せるように覚えるんだよ!」
グレゴールが麺を持ち上げる。
「確かに、これだけで食事になるな」
エリオットも頷く。
「皿一枚でまとまるのは、工房の昼食に向いているな」
「職人目線だな」
「仕事の途中は、食事に時間をかけられないこともあるからね」
マルタはソースの付いた麺を噛みながら、腕を組んだ。
「それにしても驚いたよ。あたしが知ってる麺は平たくて、肉料理の横にちょいと添えてある程度だ。塩か、煮汁を絡めるくらい。こんな細い麺に、こんな濃い味をつけて、麺そのものを主役にするなんてね」
「他にいろいろあるぞ」
「まだあるのかい?」
「例えばスパゲッティ」
「それは?」
「それも小麦の麺だが、トマトソースや肉のソース、クリーム系とか色々ある」
「ふむ」
「ラーメン」
「前に食べたやつ?」
ミーシャが聞く。
「そう。スープと一緒に食べる中華麺」
「めん、ふっかつ」
ユキが言った。
「その説明は忘れてくれ」
マルタが笑う。
「他は?」
「日本蕎麦。そば粉で作る」
「小麦じゃない?」
「主にそば粉だな。温かい汁でも、冷たくしても食べる」
「冷たい麺?」
「ある」
マルタの目がさらに大きくなる。
「うどんは小麦。焼きそばよりずっと太い」
「太い麺まであるのかい」
「地方によってさらに色々ある」
しばらくマルタは黙っていた。
「……三か月じゃ足りないね」
「全部覚える気か?」
「料理人が聞いて、覚えないと思うかい?」
「思わない」
「なら決まりだ!」
こびゃっこは焼きそばを取り皿へ山盛りにし、満足そうに食べていた。
「はあ……焼きそば。祭りの屋台。赤い提灯。遠くで盆踊りの曲が聴こえてくるのじゃ……」
「また昔へ行ってるぞ」
「たまにはよいではないか」
「別に止めないが」
「ヒカル」
「何だ」
「今度、祭りをやらぬか?」
「祭り?」
「この湖畔で」
「急だな」
「焼きそばもある。鳥居もある。子供もおる。提灯を下げれば形になる」
「目的が焼きそばから祭りへ拡大したぞ」
「盆踊り指導主任もびゃっこが――」
「悪くはないが、役職を作った時点で却下」
「まだ何もしておらぬ!」
◇
昼食後。新しく来た職人7人と《蒼岩の盾》4人、それにマルタを工事事務所へ集めた。
午後は安全教育と装備の支給。
「じゃあ、最初に言っておく」
俺はホワイトボードの前に立った。
「ここでは、腕がいいから安全確認を省いていい、という扱いはしない」
グレゴールが腕を組んで頷く。
「当然だ」
「屋根職人でも?」
ミネットが手を上げる。
「特に屋根職人」
「にゃ」
「その反応は何だ」
「信用されてないにゃ」
「高所を怖がらない人間ほど、こちらが怖い」
職人たちから笑いが起きる。
「この湖畔では、工事区域を明確に分ける。子供が入る場所、見学できる場所、大人しか入れない場所、資格や指示が必要な場所を分ける」
安全表示を見せる。
【サギョウチュウ タチイリ キンシ】
【アツイ サワルナ】
【テンケンチュウ】
「文字、綺麗だな」
エリオットが言う。
「こびゃっこが書いた」
「神使様が?」
フィンが姿勢を正した。机の端でこびゃっこが胸を張る。
「文字監修主任として当然じゃ」
「そこは否定しにくいんだよな」
「ほれ見よ」
「主任を認めたわけではない」
「認めればよいのに」
話を戻す。
「重機が動いている時は誘導者の指示に従う。機械の後ろへ勝手に入らない。エンジンが止まっていても、キーが刺さっているものへ触らない」
カイルとレイルが真剣に聞いている。
「足場、高所、溶接、ガス、電気はさらに別ルールを作る」
「溶接?」
ボルガが反応した。
「あとで見せる」
「あとで?」
「今は安全教育」
「少しだけでも――」
「あとで」
ドランが横で笑った。
「諦めろ。ワシも同じことを言われた」
「ドラン、お前まで?」
「しかも中を見ようとしたら保証が切れると言われた」
ボルガが真顔になった。
「保証とは?」
「壊れても直してもらえる約束じゃ。ただし勝手に分解すると駄目らしい」
「……なるほど。それでは分解できない」
「そうじゃ」
「つらいな」
「分かる」
「そこで意気投合するな」
俺はため息をついた。
「次。現場ではヘルメットを使う」
作業用ヘルメットを机に並べた。
「上から物が落ちる場所、高所作業の下、資材運搬時、重機周辺。頭を守る」
グレゴールが手に取る。
「軽いな」
「内部に衝撃を逃がす構造がある。強くぶつけたものは見た目が無事でも交換」
ミネットが被ってみる。
「耳は?」
「獣人用は位置を調整して加工する」
「おお。耳が潰れないにゃ」
「そこは重要だろ」
「かなり重要にゃ」
次に腰道具。
「高所へ上がる人間には、安全帯を使う」
ミネットの表情が変わった。今まで使っていた自分の腰ベルトを外し、俺が出した墜落制止用器具付きの腰道具と見比べる。
「これ、紐だけじゃないにゃ」
「フックを掛けて、落ちた時に地面まで行かないようにする。ただし、どこへ掛けてもいいわけじゃない」
「支える側が弱かったら一緒に落ちるにゃ」
「そう。だから固定先まで含めて安全設備」
ミネットはベルトの縫製、金具、フックを確認した。
「私のより太い。重いけど……こっちの方が安心にゃ」
「慣れるまでは地上で装着練習してからだ」
「分かったにゃ」
そして装備品の支給をした。まず護衛チーム。
「《蒼岩の盾》には、共同警備に必要なものを貸与する」
机へ並べる。携帯無線機。予備バッテリー。防水双眼鏡。方位磁針。小型LEDライト。ホイッスル。メモ帳とボールペン。そしてマルチツール式のアーミーナイフ。
ナージャが最初に無線機へ手を伸ばした。
「これ、ガランさんたちが持ってるやつ?」
「ああ。離れた場所と声で連絡できる」
「魔道具じゃないんだよね?」
「電気で動く」
「触っていい?」
「今から説明する」
「やった」
猫耳が完全に前を向いている。セルドは双眼鏡を覗き込む。
「遠くが近い……!」
「双眼鏡を覗いたまま歩くなよ」
「分かってる」
「その返事をする人間ほど歩く」
「俺はやらん」
「ユキにも同じことを言ってる」
ユキが椅子から顔を上げた。
「ユキ、あるかない」
「偉い」
「かんとくさま、あんぜん」
「そうだな」
フィンは方位磁針を手にしていた。
「常に同じ方向を示している」
「磁気で北を示す」
「じき?森の中でも?」
「周囲に強い磁性体がなければな」
オルフェンは派手な反応こそしないが、一つずつ確認している。
「夜間巡回で役に立ちそうですね」
「ああ。ただし双眼鏡もライトも、道具だけに頼らない。今までの警戒方法と併用してくれ」
「分かりました」
そしてアーミーナイフ。ナイフ、小型ノコギリ、缶切り、栓抜き、ドライバーと簡易ペンチ。その他いくつかの機能が一つに収まっている。セルドが眉を上げた。
「これ全部、これ一個に?」
「ああ」
レイルが立ち上がった。
「ちょっと見せてくれ」
「護衛用だぞ」
「見るだけだ」
カイルも寄ってくる。グレゴールも。ボルガも。バドルまで静かに近づいてきた。
「職人が食いついたな」
エリオットが苦笑する。
「いや、これは仕方ないだろ」
グレゴールがノコギリを開いた。
「小さいが精巧だ、細い木なら十分切れる」
カイルはドライバーを見る。
「現場でちょっとした締め直しに使えるな」
バドルが短く言った。
「欲しい」
寡黙な人が一番直接的だった。
「分かった。職人用にも追加する。ただし本職の工具の代わりじゃないぞ」
「分かっている」
「非常用、移動中、ちょっとした修理用」
「十分だ」
人数分を追加購入して渡すと、ニナがじっと見ている。
「ニナは?」
「お前には専用工具が山ほどあるだろ」
「ある」
「そっちの方が便利だろ」
「…専用の方がべんり」
魔法のキーワードで納得するニナ。
「ならよし」
◇
「それと、この後はガランがマウンテンバイクの乗り方を教える」
俺が言った瞬間。ナージャが両手を握った。
「よし!」
小さくガッツポーズ。
「そこまで乗りたかったのか」
「ガランさんとドランさんが王都へ来た時に乗ってたじゃない!その時から気になってた」
「ああ、そうだったな」
「馬じゃないのに速い。音が小さい。餌が要らない。絶対、斥候向き」
「その評価は正しい」
ミネットが羨ましそうに猫耳を伏せた。
「護衛だけずるいにゃ」
「職人にも教える予定だよ」
「本当かにゃ!」
「移動用の三輪自転車と、使える人にはマウンテンバイク」
「三輪?」
「荷物を載せて転びにくいやつ。工具を運ぶならそっちの方が便利な場合もある」
「荷物が載る……」
職人たちの目が変わった。
「だから、まず仕事と移動経路を見てから決める。全員に同じ物を渡す気はない」
ユキが頷いた。
「むれ、おなじ。でも、おしごと、ちがう」
「そういうことだ」
グレゴールが笑った。
「また白狐神様にまとめられたな」
ユキがむっとする。
「ユキはユキ」
「ああ、これはすまん」
「かんとくさまは、いい」
「そこはいいんだな」
◇
装備品の話をしている途中、ナージャが俺の服を見た。
「そういえば、来た時から気になってたけど、ヒカルたちの服って全部変わってるよね」
「変わってるか……まあ、俺の居た世界の服だからな」
「王国じゃ見ない布と形」
今日の俺は工事作業用のデニム上下だ。厚手の長袖に丈夫な作業ズボン。安全靴に腰には必要最低限の工具。
ユキも白いトップスにデニムサロペット。ミーシャ、トト、ニナ、他のメンバーもここに来て以来、俺が用意した服を日常的に使っている。
「これも俺の世界の服だよ」
「その青い布、丈夫そうだな」
オルフェンが俺の袖を見る。
「デニムと言う生地だ。もともと作業着として使われてきた丈夫な布だ」
ニナが自分のサロペットを摘まむ。
「丈夫。べんり」
「お前は最初からそこを評価してたな」
「工具、引っかけても破れにくい」
「引っかけないのが一番だけどな」
職人たちも興味を示したので、スキルショップのカタログを何冊か出した。
「好きなのを選んでくれ。ただし仕事に合うもの」
皆がカラー写真の印刷物に驚く。
「こんな精巧な絵の本、それにこんな紙、見た事がない」
ミネットが真っ先に見る。
「屋根用あるにゃ?」
「ストレッチ性のある作業ズボン。膝を曲げやすいもの。上は引っ掛かりの少ないタイプ」
「色も選べる?」
「多少は」
「これがいいにゃ!」
「早いな」
グレゴールは厚手のデニム。エリオットはポケット配置と膝の動きやすさを重視。カイルとレイルは泥汚れに強く、乾きやすいタイプ。
バドルは厚手で膝当てを入れられるもの。ボルガは火花対策も考えて、綿主体の作業着を選んだ。
「化学繊維は溶ける場合があるから、鍛冶場は別装備だ」
「かがく…?防炎の服があるのかい?」
「ある」
「見る」
「あとで鍛冶場でな」
「あとでが多いな」
「順番だ」
「段取りか」
「そう」
やっと理解された。護衛チームにも、普段の巡回用としてデニム系やアウトドア系の衣類を見せる。
そしてガランたち《東風の牙》には、今回は初めてサバイバルゲーム用品の戦闘服カタログを出した。
「……何だ、この模様は」
ガランが迷彩柄を見て眉を寄せた。
「迷彩だ」
「葉と土を混ぜたような色だな」
「森で人の形を分かりにくくする」
ガランはもう一度紙を見る。
「なるほど」
リーファも横から見る。
「確かに森では輪郭が崩れるわね」
「色が一色じゃないから、人間の形として見つけにくい」
ロクが迷彩シャツを身体へ当てる。
「これ、巡回にはかなりいいっすね」
「ただし味方からも見つけにくくなる。工事現場では逆に目立つベストを着る」
「警備と工事で逆なんすね」
「目的が違うからな」
ユキがまた頷く。
「おしごと、ちがう」
「今日はまとめ役だな、お前」
「かんとくさま」
「はいはい」
ガランは迷彩服をしばらく見ていた。
「戦場で目立たない服を意図的に作る、か」
「そうだ」
「王国の騎士装備は、所属を示す意味も強い。これは逆の思想だな」
「隠れることを重視してる」
「斥候には有用だ」
ナージャが横から割り込む。
「私もこれ欲しい!」
「お前はまず自転車を覚えろ」
「両方!」
「欲張るな」
◇
一通り支給と説明が終わったところで、俺はテレビモニターの電源を入れた。
「最後に、工事記録を見てもらう」
「映像か?」
グレゴールが画面を見る。
「道路を作った時の記録だ」
ニナが撮影台帳を持ってきた。
「五の月19日と20日にさつえい」
ビデオを再生すると、画面へ南側道路工事の映像が映った。初めてのモニター映像に、職人たちと護衛チームがどよめく。
「絵が動いている?窓の外を見ている見たいだ」
施工前の映像から始まる。杭。測量。表土剥ぎ。グイグイが土を押す。
「なっ……」
グレゴールが身を乗り出した。重機は今のところ俺が収納しているので、彼らが目にするのは、これが初めになる。
「これが、重機と言うやつか?」
「ブルドーザー。愛称グイグイ」
「愛称が必要なのか?」
「子供が覚えやすい」
「ユキ、つけた」
「大体ユキだ」
次の映像。ツチノコが軟弱地盤を掘削すると、カイルとレイルが同時に前へ出た。
「これがツチノコか。掘るのが速い」
「しかも一定の深さで掘ってる」
「そこは操縦次第」
バドルは画面の地盤へ注目している。
「黒い土を捨てたのか」
「軟弱だったから良質土に置換した」
「何層?」
「10センチずつ。締固めを繰り返した」
「……丁寧だ」
「沈んでから直す方が面倒だからな」
「石は、人より長く覚えている」
「道路も覚えてそうだな」
「雑に作った場所ほど長く覚える」
「怖い言い方だが正しい」
画面が切り替わる。ゴロゴロこと振動マカダムローラが砕石を転圧すると、職人全員が黙った。どどどどど、と画面から低い音が響く。
「どんな方法であの道路を締めていたのかと思ってたら、これで締めてたのか……納得だ」
レイルが呟く。
「ああ」
「人が何十人も槌で叩くより速い」
「比較にならない」
そして、空撮映像。道路の上空を、ゆっくりカメラが移動する。
「空から?」
フィンが立ち上がった。
「飛行魔法で撮影したのですか?」
「撮ったのは、こびゃっこだ」
一斉に視線が机の端へ向くと、こびゃっこは胸を張った。
「空撮担当じゃ。主任だったが、現在は見習いに降格し信用回復中じゃ」
「降格って、何をしたんだ?」
「無断で寝起きを撮影した」
「ヒカル! 説明が雑じゃ!」
「事実だろ」
「……反省しておる!」
「と言うわけで、こびゃっこにはルールを守って工事撮影をしてもらっている」
映像の中では、完成した幅6メートルの道路が橋まで延びている。
畑から橋。そして生活区画。上空から見ると位置関係が一目で分かる。
「これは……」
ガランが画面を見つめていた。
「俺とドランが王都へ行っている間に、これを作ったのか」
「そう」
「帰ってきた時も驚いたが、工程を見ると余計に分からなくなるな」
「分からなくなるのかよ」
「たった20日だぞ」
「まあな」
ドランも腕を組む。
「ワシも完成した道路だけ見た時は、ヒカルがまた何か出したのかと思った」
「道路自体は配置展開できないぞ」
「だから驚いておる」
「褒められてる気がしない」
「褒めておるぞ」
画面にはニナが測量している姿も映る。ニナ本人は無表情で画面を見ていた。
「これ、残る」
「ああ」
「お父さん、見たら分かる」
一瞬だけ、事務所が静かになった。
「そうだな」
俺は答えた。
「どこを測って、何を記録して、どう作ったか。映像も台帳も残してある」
ニナは小さく頷いた。
「うん」
それ以上は言わない。ボルガがニナを見る。何か聞きたそうだったが、聞かなかった。その距離感はありがたかった。
そして道路工事の映像が終わると、グレゴールが椅子へ深く座り直した。
「なるほどな」
「何が?」
「王都でドランが『見れば分かる。ただし見ても分からん』と言っていた意味だ」
「そんな説明したのか」
「ワシは正直者じゃ」
「説明を放棄しただけだろ」
ミネットが立ち上がった。
「次は何を見るにゃ?」
「今日は見学」
「どこを?」
俺は窓の外を指した。
「まず、むれの鍛冶場」
ボルガが立ち上がる。速い。
「行こう」
「まだ電源切ってない」
「切ってから行こう」
「一秒くらい待て」
ドランも立ち上がる。
「ようやくじゃな」
「お前、朝も入ってただろ」
「新しい職人へ説明する役目がある」
「誰が決めた」
「ワシ」
「勝手に役職を作る奴が増えた」
「技術顧問ならびゃっこが――」
「お前まで乗るな!」
ユキが椅子から降りる。
「むれの、かじば」
「ああ」
「ニナの、ひばな」
「今日は説明と実技を見せる」
ニナが自分の黄色いヘルメットを持った。
「ニナ、説明?」
「危険なところは俺とドランが説明する。ニナは道具掛けと記録担当。それから…」
「それから?」
「皆んなに実際の溶接を見てもらう」
「!…ニナも?」
「ああ。いつも通り俺とドランがサポートしながらな」
「分かった」
ニナの三つ編みの毛先が揺れた。そしてボルガが、俺たちを見回した。
「ヒカル」
「何だ」
「その鍛冶場には、本当にアーク溶接というものがあるのか?」
「ある」
「金属を電気の火花で溶かす?」
「正確にはアーク熱だが、まあそうだ」
「ガスで鉄を切る道具も?」
「ある」
「発電機も?」
「ある」
「見てもいい?」
「見るだけなら」
「触っていい?」
「説明してから」
「分解……」
「駄目」
「……分かった」
明らかに分かっていない顔だった。
俺はドランを見る。
「監視役、任せたぞ」
「なぜワシが」
「同類だからだ」
「失礼な!」
「昨日まで溶接機の蓋を開けようとしてただろ」
「構造を見るだけじゃ!」
「保証」
「……開けぬ」
「ほらな」
マリベルが入口で腕を組んでいた。
「ドラン」
「何じゃ」
「ボルガさんと一緒になって、余計なことをしないでね」
「ワシは信用がないのう」
「積み重ねの結果よ」
「ぐう」
見事に黙った。新しく来た職人たち、《蒼岩の盾》、マルタまで、ぞろぞろと事務所を出る。俺は最後にテレビの電源を切り、撮影台帳を棚へ戻した。
昼には焼きそばのソースの香りで騒ぎ、午後には安全教育や工事ビデオ。無線、双眼鏡、自転車、作業服、安全帯に一喜一憂する。
今度は鍛冶場。新しい人間が増えれば、説明することも増える。だが、それでいい。便利な道具だけ渡して終わりにはしない。
使い方や戻す場所。充電と点検。壊れた時や事故が起きた時。誰が使って、誰が止めるか。そこまで決めて、ようやく道具になる。
「おっちゃん」
外からユキが呼んでいる。
「はやく」
「今行く」
「ボルガ、もう、かじば、みてる」
「え?」
事務所の裏窓を見るとボルガが鍛冶場の遮光防火カーテンの前で、食い入るように中を覗いていた。その横にはドラン。二人とも同じ顔をしている。
「……嫌な予感しかしない」
こびゃっこが俺の肩へ浮かんできた。
「職人とは、未知の道具を見ると目が輝くものじゃ」
「お前が言うと説得力あるな」
「びゃっこは文化人じゃ」
「お前専用のカメラを見せた時、同じ顔してたぞ」
「げ、芸術への情熱じゃ」
「物は言いようだな」
ユキが俺の手を引く。
「おっちゃん」
「何だ?」
「ひと、ふえた」
「ああ」
「おしごとも、ふえる?」
「増えるな」
「おっちゃん、また、ひとりでする?」
足が止まった。ユキは、ただ俺を見上げている。別に説教しているわけじゃなく、責めてもいない。ただ聞いただけだ。
「……しないよ」
「ほんと?」
「ああ。だから職人に来てもらったんだ」
「なら、よし!」
ユキは俺の手を離し、鍛冶場へ走ろうとする。
「ユキ、走るなよー」
ぴたりと止まった。
「あるく」
「よし」
俺はその小さな背中を追う。新しい仲間へ、仕事を渡し、新しい道具を教える。そして俺も、一人でやらないことを覚える。
たぶん、それも段取りの一つだ。
むれの鍛冶場の前では、ボルガとドランが、すでにアーク溶接機を見ながら何やら小声で相談していた。
俺は歩みを速める。
「おい。二人とも」
ボルガとドランが同時に振り向く。
「まだ何も触っておらんぞ」
「まだ、って言ったな?」
ボルガが真顔で答えた。
「触る前にヒカルを待っていた」
「それならいい」
「でも、あの箱の中はどうなっている?」
「開けない」
「一回だけ」
「開けない」
「見るだけ」
「開けない」
ドランが大きく頷いた。
「な? こうなるじゃろ?」
「お前が言うな!」
新しい職人が湖畔へ来て、まだ半日。どうやら俺のツッコミ相手まで、一気に増えたらしい。
そして午後の見学は、ここからが本番だった。
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【第94話・収支報告】
異世界生活74日目
日付:六の月3日
オリエント王国歴952年
開始残高:3,136,804pt
今回の購入:
・昼食用焼きそば蒸し麺、豚肉、キャベツ、もやし、ニンジン、焼きそばソース、青のり、紅生姜等
165pt(約16,500円)
・新メンバー用食器、トレイ、麦茶・緑茶追加分
65pt(約6,500円)
・《蒼岩の盾》4人用携帯無線機、予備バッテリー、充電器
240pt(約24,000円)
・《蒼岩の盾》4人用防水双眼鏡
160pt(約16,000円)
・方位磁針、LEDライト、ホイッスル、メモ帳等巡回装備一式
92pt(約9,200円)
・《蒼岩の盾》4人用アーミーナイフ
72pt(約7,200円)
・職人7人用アーミーナイフ追加分
126pt(約12,600円)
・職人用作業ヘルメット、安全帯付き腰道具、安全用品一式
385pt(約38,500円)
・職人7人用作業着、安全靴、手袋等初期支給分
560pt(約56,000円)
・《蒼岩の盾》および《東風の牙》用デニム系・アウトドア系・迷彩戦闘服試用分
420pt(約42,000円)
今回支出合計:2,285pt(約228,500円)
現在残高:
3,136,804pt − 2,285pt = 3,134,519pt
円換算目安:
3,134,519pt × 100円 = 約313,451,900円相当
続く




