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スキル四十(しじゅう)の手習いで神獣幼女を養います  作者: ELWOOD CRAFTWORKS


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第91話 白狐神と職人たちの新しい宿


 職人たちが湖畔へ到着してから、まだ2時間も経っていない。時計を見ると、午後3時を少し回ったところだった。


 普通なら、2週間近い旅を終えたばかりの客へは「今日は休んでくれ」で済ませるところだ。


 だが、その前に最低限やっておかなければならないことがある。寝床。トイレ。風呂。水。灯り。そして、明日の朝になってから「どう使うんだ」と困らないための生活説明だ。


 宿舎そのものは用意してある。

 問題は、中身と使い方だった。

 そして厨房には――。


「ヒカル! これは何だい!」


 もう新厨房からマルタの声が飛んでいた。


「休む気、完全にないな」


「料理人へ新しい厨房を見せて、休んでろって方が無理だよ!」


「到着早々、職場復帰か?」


「有給出張だから仕事だよ!」


「理由が強いな!」


 俺は苦笑しながら厨房へ入った。


     ◇


 今日の夕食は歓迎会。中心になるのは、先日作って好評だったカレーだ。ただし、今日は人数が違う。今までの湖畔メンバーに、職人7人、護衛チーム《蒼岩の盾》4人、料理人マルタが加わった。


 俺、リリア、ミーシャ、マルタが厨房にいた。トトとアルノは外の野菜洗い場で、今日初収穫したトマトとナスを洗っている。


「トト。ナスは強くこすらなくていいぞ」


「うん」


「ヘタのところに棘が残ってる物もあるから、そこだけ気をつけてな」


「わかった」


 アルノが洗い終えた野菜を水切り籠へ移す。


「ヒカルさん、少し傷のあるものはこちらへ分けておきます」


「頼む。今夜使うなら多少の傷は問題ない。傷んでる部分があれば切り落とそう」


「はい」


 厨房の中では、マルタが完全に料理人の顔になっていた。


「まず、これが冷蔵庫」


「さっき言ってた冷たい箱だね」


「ああ」


 扉を開けると中には、野菜、乳製品、調味料、保存容器。冷気が流れ出した瞬間、マルタの犬耳がぴくりと動く。


「……本当に冷たい」


「こっちは冷凍庫」


「もっと冷たい?」


「中の物を凍らせて、長期保存が出来る」


「肉も?」


「凍る」


「魚も?」


「凍る」


「一年中?」


「電気があればな」


 マルタは無言で扉を閉めた。


「異界って、料理人を甘やかしすぎじゃないかい?」


「俺もこっちへ来るまで、冷蔵庫のありがたみなんて考えたことなかったよ」


 次はシンク。混合水栓のレバーを上げる。


 ざあっ。水が出る。


「ここから水?」


「ああ。で、こっちへ回すと――」


 温水が出る。マルタの耳が完全に立った。


「湯まで出るのかい!?」


「給湯器につながってる」


「鍋へ水を入れるたび、水瓶から汲まなくていい?」


「いらない」


「冬でも?」


「設備が正常なら出る」


「……」


 マルタが蛇口を見つめる。


「これだけでも、王都の料理人を10人くらい連れて来られるよ」


「連れてくるな。寝床が足りなくなる」


「冗談だよ」


「耳が本気だったぞ」


「犬族の耳を見るんじゃないよ!」


 続いて調理台。ステンレス製で掃除しやすく、生肉や魚を扱った後も洗浄しやすい。包丁は肉、魚、野菜で分けてある。まな板も色分けだ。


「赤が生肉。青が魚。緑が野菜」


「生肉を切った板を、そのまま野菜へ使わない」


「そこはこっちでも同じだよ」


「なら話が早い」


 マルタが3枚を並べて見る。


「でも、色で分けるのはいいね」


「文字を読めない人でも見分けやすい」


「新人へ教える時にも使える」


「そういうこと」


「これ、店へ持ち帰っていい考えかい?」


「好きに使ってくれ」


「今のも記録する」


「まだ料理を始めてないぞ」


「もう始まってるよ」


 完全に職業病だった。俺はメモ帳とボールペンを一冊ずつ渡した。


「これは?」


「書く道具と紙」


「羽根ペンじゃない?それにこんな綺麗で整った紙束なんて…」


「インク壺もいらないし、板に書かなくてもいい」


 マルタが試しに線を引く。


「……これも欲しい」


「そのつもりで渡した。今のマルタに必要だからな」


     ◇


 ミーシャは玉ねぎの皮を剥いている。


「今日は目が痛くなる前に言うんだぞ」


「うん。前みたいになる前にやめる」


「それでいい」


 マルタがミーシャを見る。


「あんた、料理が好きなのかい?」


「うん! お菓子作るのも好き!」


「包丁は?」


「少し使える」


「火は?」


「大人が一緒の時だけ」


 マルタが俺を見る。


「ちゃんとしてるじゃないか」


「子供だからな」


「できるから任せる、じゃないんだね」


「好きなことは覚えてほしい。でも、事故まで本人の責任にはできない」


 マルタは短く頷いた。


「そういう考えなら安心だ」


 リリアは牛肉を切り分けている。


「ヒカルさん、この間と同じくらいの大きさでしょうか?」


「ああ。ただ今日は人数が多いから少し小さめでもいい。火の通りが早くなる」


「分かりました」


 その横で俺は、マルタへ調味料を順番に並べた。


「これが醤油」


「ドランから聞いた」


「味噌」


「それも」


「みりん」


「甘い匂いと、酒の匂いがするね」


「やっぱり鼻がいいな。これは料理酒だ。他にも酢。砂糖。塩。胡椒。コンソメ。ウスターソース。ケチャップ――」


「待ちな」


「ん?」


「一気に増やすな」


「あ、すまん」


「知らない物を7つも8つも並べられたら、料理人だって混乱するよ!」


「料理人なら全部覚えるかと思った」


「料理人を何だと思ってるんだい!」


 受け渡し窓の向こうでは、こびゃっこがふわふわ浮いていた。


「そこで重要なのがカレー粉じゃ」


「お前、いつから説明係になった」


「食文化監修じゃ」


「厨房へ入るなよ」


「入っておらぬ。窓の外じゃ」


 確かに。以前なら勝手に中へ飛び込んでいても不思議ではなかった。少しは信用回復を意識しているらしい。マルタが小瓶を手に取る。


「これがカレー粉?」


「ああ」


 蓋を開け、鼻へ近づける。マルタの目が変わった。


「……香辛料、何種類入ってる?」


「かなり多い。ターメリック、コリアンダー、クミン、フェヌグリーク、胡椒、唐辛子とか」


「これを全部?」


「家庭で一種類ずつ調合するより、俺は市販品を使ってる」


「この状態で売ってる?」


「ああ」


 マルタは小瓶を見つめた。


「ヒカル」


「ん?」


「これ、王都へ持って帰れるかい?」


     ◇


「マルタ」


「何だい」


「ちょうどいい。その話を俺からもしておきたかった」


 俺は一度手を洗ってから、調理台の端へ寄る。


「料理人として3か月手伝ってもらえるのは、本当にありがたい」


「うん」


「ただ、問題がある」


「王国の金を持ってないんだろ」


「知ってたのか」


「職人達から聞いたよ」


「まあ、そうだよな」


 マルタが口元を上げる。


「その話なら、こっちも考えて来てるよ」


「考えて来た?」


 待ってましたと言わんばかりに、犬耳が前を向く。


「報酬は金じゃなくてもいい」


「何が欲しい?」


「まず料理」


「料理?」


「ヒカルが知ってる料理の作り方。全部とは言わない。ここで実際に作って、私が覚えた料理の中で、外へ出していい物を教えてほしい」


「それは構わない」


「次に米」


「やっぱり米か」


「当然だろ」


 さらに指が並んだ調味料へ向く。


「醤油。味噌。酢。それから、このカレー粉」


「報酬を食材で?」


「料理人には金と同じくらい価値がある」


「でも《槌と麦酒亭》から有給で来てるんだろ?」


「ああ」


「店から給料を受け取って、こっちからも報酬を取る形になるぞ」


「店主も了承済みだよ」


「そこまで話してたのか」


「この3か月は出張扱い。店へ戻る時、新しい料理と新しい食材を持ち帰れるなら、それも店の利益になる」


「なるほど。マルタへの報酬と言うより、店の料理人の出張派遣に対する料金代わりと言う訳か」


「ただし、勝手に持って帰るつもりはないよ」


 表情が真面目になる。


「ヒカルと契約して、働いた分だけ受け取る」


 そこは俺も同意だ。


「ただ、俺には王国の料理人の給与水準が分からない」


「なら相場から決めればいい」


「相場?」


「ヒカルも知ってる物の値段を比較するんだよ」


 ちょうど外を通ったリーファへ声を掛ける。


「リーファ、ちょっといいか?」


「何?」


「王都の普通の丸パン一個って、だいたいいくらくらいだ?」


 リーファとマルタに確認してもらう。丸パン。麦酒一杯。肉1キログラム。卵。薪。安宿1泊。一般的な日雇い仕事の日当。


 そして《槌と麦酒亭》のような繁盛店で、経験のある料理人が受け取る月給。俺の日本円感覚を無理やり当てるのではなく、この世界で「何がどれくらい買えるのか」で比べる。


「これなら大体の価値は分かるな」


「だろ?」


「じゃあ、《槌と麦酒亭》での通常給与を基準にする」


「ああ」


「月ごとに台帳へ残す。3か月終わる時、米を中心に醤油、味噌、酢、カレー粉。持ち帰れる重量も見ながら調整する」


「それでいい」


「料理の手順は報酬とは別だ」


「本当に?」


「俺が考案した料理じゃないからな。技術交流でいい」


 俺は手を差し出した。


「じゃあ契約成立」


 マルタが握り返す。


「よろしく、雇い主」


「その呼び方は責任が急に重く感じるから、普段はヒカルで頼む」


「人を働かせるなら責任は重いよ」


「正論なんだよなあ」


 窓の外で、こびゃっこが腕を組んで頷いた。


「商談成立じゃ。びゃっこも仲介手数料として稲荷寿司を――」


「お前何も仲介してないだろ」


「見届け人じゃ」


「窓から見てただけだろ」


     ◇


 厨房でそんな話をしている頃、湖岸では全く別の意味で騒がしかった。


「ユキー! そっち行ったっす!」


「わかった!」


 ロクがフリスビーを投げる。ユキが大きな白い尻尾を揺らして追いかけたが、少し届かない。そこへリーファが横から拾い、ユキへ投げ返す。


「もう一回よ」


「うん!」


 ユキがロクへ投げる。今度は横からミミが飛び込んだ。


 ぱくっ。


「あっ!」


「ミミ!」


 灰色の魔犬はフリスビーを咥えたまま逃げる。


「ミミー! かえしてー!」


「持って来るっす! 逃げる遊びじゃないっす!」


 ミミは嬉しそうにさらに走った。クロメまで追い始める。もはやフリスビーではない。


「遊びが別の競技になってるわね」


 リーファが笑っていた。


     ◇


 一方。洗面所では、マリベルが職人と《蒼岩の盾》へ生活設備を説明している。


「こちらが洗面所です」


「にゃ」


「蛇口の中央付近で水。こちらへ回すと温水です」


「にゃ」


「ミネットさん」


「聞いてるにゃ」


「顔は完全に湖岸を見ています」


「猫族は耳でも聞けるにゃ」


「目も使ってください」


「はいにゃ」


 湖岸から、


「とったー!」


 とユキの声。ミネットの猫耳が、完全にそちらへ向く。


「ミネットさん」


「はいにゃ!」


「説明が終わったら遊びに行って構いませんから」


「!! 本当に?」


「今は説明を聞いてください」


「分かったにゃ!」


 急に姿勢が良くなった。


「子供かお前は」


 エリオットが呟く。


「高い所と遊びは別腹にゃ」


「別腹の使い方が違うだろ」


 マリベルは歯磨き粉を示す。


「これは歯を磨くための物です。歯ブラシへ少量つけます」


 フィンが白いペーストを見る。


「口の中へ入れるのですか?」


「はい。ただし飲み込まないでください」


「口へ入れるのに?」


「最後に吐き出して、水ですすぎます」


「変わった薬ですね」


「薬というより衛生用品です」


 次に手洗い。


「食事前。調理前。トイレのあと。外から戻った時。石鹸で指の間と爪の周囲も洗ってください」


 オルフェンが頷く。


「感染症対策ですね」


「そうです。病気は魔法だけでどうにかなるものではありませんから」


 この世界にも病気が人から人へうつること、汚れた水や不衛生な環境で病気が増えることは知られている。


 おそらく、過去にこの世界へ来た異界人達の知識もかなり混ざっているのだろう。


     ◇


 休憩を終えた一行の荷馬車3台は、職人宿東側、湖寄りの草地へ移動した。馬は3頭。食堂で皆が休憩している間に、ロクが世話をしてくれていた。


 俺が用意した大きな容器へ浄化済みの水。持参した飼料を基本に、追加でニンジン、大根、リンゴを少量。


「リンゴ、かなり喜んでたっす」


「食わせすぎてない?」


「三頭で適量に分けたっす。さすがに主食にはしないっすよ」


「ならいいけど」


「馬まで食事管理するんすね」


「腹壊して馬車を引けなくなったら困るだろ」


「ヒカルらしいっす」


 馬にも仕事がある。なら休息も管理が必要だ。


     ◇


 職人宿は一階を男性、二階を女性に分けることにした。


 一階には、グレゴール、エリオット、カイルとレイル兄弟、そしてバドル。更に《蒼岩の盾》のオルフェン、セルド、フィンの合計8人。


 二階はミネット、ボルガ、ナージャ、マルタの合計4人。


 俺は調理の火加減をリリアとマルタへ任せ、一度厨房から宿へ移動した。


「煮込みは弱めで頼む」


「任せな!」


「ミーシャ、大鍋を一人で動かすなよ」


「うん!」


 宿の前では、職人たちが二階建てプレハブを見上げていた。


「……本当に、俺たちの宿を用意していたのか」


 グレゴールが呟く。


「ああ。ただ、中身がまだ足りない」


「中身?」


「ベッドと収納」


「今から運び込むのか?」


「いや」


 俺はショップを開く。シングルベッド12台。マットレス。枕。掛け布団。シーツ。鍵付きスチールロッカー12台。収納ボックス。


「全員、少し離れてくれ」


 まず一階。半透明のベッドの輪郭を表示する。扉。窓。コンセント。通路。外への経路。それぞれを塞がないよう位置を調整する。


 位置を確定し、配置する。スッと、ベッドが実体化した。


「……」


 全員が黙った。次はロッカーだ。


「配置」


 ロッカーが実体化する。収納ボックスと二階も同様に行う。ボルガがロッカーへ近づき、側面を指でコンコンと叩く。


「薄い鋼板だね。全部同じ寸法なんて」


「分解するなよ」


「まだ触っただけだろ!」


「一応、言っとかないとな」


 グレゴールがベッドの脚へ触れる。


「今のは建築じゃない」


「まあな」


「運搬でもない」


「ああ」


「どこから持ってきた」


「スキルショップ」


「説明になってない」


「俺もそれ以上説明できない」


 ナージャがマットレスを押す。


「これ、ふかふか!寝こごち良さそう」


「今寝るなよ」


 ミネットも手を置いた。


「普通の宿屋より、全然良いにゃ」


「3か月使ってもらう場所だからな」


 グレゴールが俺を見る。


「宿代は?」


「取らない」


「本当に?」


「ああ。報酬込みと思ってくれ。その代わり、自分たちの部屋は自分たちで掃除してくれ」


「当然だ。皆、その辺は弁えている」


「共有部分も当番制。ゴミは決めた場所へ。設備を壊したら隠さず言ってくれ」


「ヒカル。俺たち子供じゃないぞ」


「大人の方が隠すことあるからな」


 俺は何となくドランを見る。


「なぜわしを見る!」


「何となく」


「信用がないのう!」


「実績の問題だ」


     ◇


 次はトイレと風呂。ここはガラン、ドラン、マリベルに説明を任せる。


「まずトイレだ」


 ガランが扉を開けた。


「男女別。表示を確認して使ってくれ」


「水洗じゃ」


 なぜかドランが胸を張る。


「お前が作ったみたいな顔するんじゃないよ」


 ボルガが即座に突っ込んだ。


「施工を見ておったからの」


「見るだけなら私も明日からできるよ」


「ぬう」


 ナージャが便器を見る。


「これ、水で流すの?」


「ああ。このレバーだ」


 ガランが操作すると、ジャー!と水が流れる


「うわっ!」


 ナージャが一歩下がる。


「勝手に水が!」


「操作したからだ」


「でも汚物を水で流す?」


「外の汚水タンクへ送る仕組みじゃ」


 マリベルがトイレットペーパーを持つ。


「紙はこちらを使ってください。指定した紙以外の物は流さないでください」


「紙まで流れるにゃ?」


「これだけです」


「詰まったら?」


「自分で棒を突っ込んだり、分解しないでください。ヒカルさんか設備を分かる人へ知らせてください」


 そこで全員の視線が、またボルガへ向いた。


「何で私を見るんだい!」


「分解しそうだからじゃないか?」


 エリオットが冷静に答えた。


「信用ないねえ!」


     ◇


「次は風呂です」


 マリベルが洗い場へ案内する。脱衣所。シャワー。混合水栓。浴槽。


「この蛇口から湯が出る」


 ドランが説明すると、セルドが目を丸くした。


「ここも?」


「ここもじゃ」


「湯を沸かして運ばなくていい?」


「必要ない」


「毎日?」


「設備が動いておればな」


 マリベルが続ける。


「浴槽へ入る前に、まず身体を洗ってください。特に今日は長旅のあとですから、そのまま入らないでくださいね」


「了解」


 そこへ外から声がした。


「風呂の説明を始めたのかい?」


 マルタだった。エプロン姿のままこちらへ歩いてくる。


「マルタ、鍋は?」


「リリアに火加減を頼んできたよ。説明だけ聞いたら戻る」


 さらに向こうから、白い尻尾が見えた。


「おっちゃーん」


「ユキ?」


 ユキが走ってくる。その後ろをリーファが歩いてる。


「ユキもきた」


「フリスビーは?」


「おわった」


「ミミは?」


「かえした」


「やっとか」


 ロクはまだ湖岸でミミとクロメを落ち着かせているらしい。


「一緒に遊びたかったにゃー」


 ミネットが残念がる。ユキはその姿を見て言った。


「あしたまた、あそぶ、ミネットもいっしょ」


「ありがとにゃ、ユキ! 明日いっしょに遊ぶにゃ!」


 ミネットは、しゃがんでユキにハグをする。子供好きなのか今のところ、職人の中で一番ユキに自然に接している。


     ◇


 マリベルは洗い場へ置いてある3種類のボトルを示した。


「身体はこちら」


 ポンプを押す。プシュ!


「ボディソープです」


 マルタがすぐ覗き込む。


「液体の石鹸?」


「はい。身体を洗うための物です」


 スポンジへ少量出し、湯を含ませて揉むと、白い泡が増える。


「うわ」


 ナージャが目を見開いた。


「少ししか出してないのに?」


「十分泡立ちます」


 ミネットが鼻を近づける。


「いい匂いにゃ」


 マルタも匂いを確かめる。


「薬草石鹸より香りが柔らかいね」


「肌へ使う前提で作られています」


 続けてマリベルが説明する。


「髪は、このシャンプーで洗います」


「髪専用?」


 ボルガが反応した。


「はい」


「頭を石鹸で洗うんじゃなく?」


「これを使います。髪と頭皮を濡らして、爪を立てず、指の腹で――」


「待ちな」


 マルタが言った。


「こっちのもう一本は?」


「コンディショナーです」


「こ、こんでぃしょ…?」


「シャンプー後の髪へなじませます。絡みにくくなりますし、乾いたあとの手触りも違います」


 急に静かになる、ミネット。ナージャ。ボルガ。マルタ。全員の視線が、マリベルの髪へ向く。


「……何です?」


 ミネットがじりっと近づいた。


「マリベル」


「はい」


「髪、触っていいにゃ?」


「なぜです?」


「確認にゃ」


「何の?」


「私も前から気になってた」


 ナージャも近寄る。マルタまで腕を組んだ。


「私もだよ」


「何がです?」


 ボルガが言った。


「ここの連中、みんな髪が妙に綺麗で、いい香りがするんだよ」


「え?」


「来た時から思ってたにゃ」


 ミネットが俺たちを順番に見る。


「リリアも、リーファも、マリベルも髪がつやつやにゃ」


「ニナも」


 ナージャが言う。


「ミーシャとトトも。男の人まで、仕事をしてる人みたいな匂いじゃないし」


「ヒカルまで妙にいい匂いするよ」


 ボルガが付け足す。


「そこまで観察しなくていい」


 俺は思わず声を上げると、マルタが笑う。


「そういう意味じゃないよ!」


「まあ、分かってるけど」


 マリベルが、自分の髪を肩の前へ流した。


「確かに、私も湖畔へ来る前は今ほど髪の状態は良くありませんでした」


 指を通すと、するり。途中でほとんど引っ掛からない。


「シャンプーとコンディショナーを使い始めてから、かなり変わりましたね」


「触っていい?」


 ナージャ。


「どうぞ」


 毛先を触る。


「……柔らかい」


 ミネットも。


「つるつるにゃ!」


 ボルガも指先で確かめる。


「鍛冶場の煤がついた髪でも?」


「きちんと洗えばかなり違うと思います」


「欲しい」


「まだ使ってませんよ」


「必要なのは分かった」


「鍛冶師は結論が早いですね」


 マルタがボトルを見る。


「香りはこれだけ?」


 俺は嫌な予感がした。


「……いろいろある」


 全員の顔が向いた。


「いろいろ?」


「花系、柑橘系、ハーブ系、石鹸系、無香料とか」


「選べるにゃ!?」


 ミネットの尻尾がぴんと立った。


「そこか!」


「髪の匂いまで選べるのにゃ?」


「まあ……」


「私は花系にゃ」


 ナージャがすぐ言う。


「じゃあ私は柑橘」


「もう支給が決まった前提で話すな!」


 マルタも参加する。


「厨房にいると髪に煙や油の匂いがつくからね。これは必要だよ」


「それはかなり正当な理由だな」


「だろう?」


 勝ち誇るな。


     ◇


「でも」


 ナージャが周囲を見る。


「髪を洗ったあと、乾くまで結構かかるよね?」


「ああ、それなら」


 マリベルが俺を見る。


「ヒカルさん、ドライヤーを」


「ああ。ここ専用の持ってきた」


「どらいやー?」


 ミネットが首を傾げる。俺は脱衣所側の棚からヘアドライヤーを出した。


「髪を乾かす道具だ」


「これで?」


「ああ」


 コンセントへ差し込む。


「音がするから驚くなよ」


 スイッチを入れる。

 ブオオオオオオ。


「にゃっ!」


 ミネットが飛び退いた。ナージャの猫耳が一瞬ぺたんとなる。マルタの犬耳も後ろへ倒れた。


「何だいそれ!」


「温かい風が出る」


「魔法?」


 フィンが覗く。


「電気」


「また電気ですか……」


「そう。また電気だ」


 俺は風量を弱め、掌へ向ける。


「ほら」


 マルタが恐る恐る手を出す。


「……温かい」


「髪へ風を当てて乾かす」


「髪を乾かすためだけの道具?」


 ボルガが聞く。


「そう」


「異界人は髪にどれだけ本気なんだい」


「俺の世界じゃ普通だったんだよ」


「それが普通なのがおかしいにゃ!」


 今度は四人から総ツッコミを受けた。ユキが嬉しそうに俺の横へ来る。


「ユキも、ぶおー、する」


「するな」


「しっぽも」


「尻尾は時間かかるんだよなあ」


 その一言で、女性陣の視線がユキの尻尾へ集まった。


 真っ白で大きく、ふわふわだ。

 ユキが自分の尻尾を前へ抱える。


「しゃんぷーして、こんでぃしょなーして、ぶおーすると、ふわふわ」


「……触っていい?」


 ミネットが聞いた。ユキが少し考える。


「やさしくなら、いい」


 ミネットがそっと触れる。


「……ふわっ」


 目が見開かれた。


「これ、反則にゃ」


「何がだよ」


 ナージャも触れる。


「すごい……」


「ユキの、しっぽ、えらい」


「これは確かに偉い」


「その評価方法まで感染したか」


 すると横でドランが、むっとした顔をした。


「ふわふわなら、わしの髭も負けておらんぞ」


 一瞬、全員が止まった。


「何で張り合うんだよ」


「見よ!」


 ドランが立派な髭を両手で広げる。


「毎日きちんと洗っておる。以前よりふわふわじゃ!」


 ユキがドランの髭を見る。

 自分の尻尾を見る。

 もう一度、髭を見る。


「……」


「どうじゃ、ユキ」


 ユキがそっと髭に触れた。


「ドラン」


「うむ」


「かたい」


「なにぃ!?」


 全員が吹き出した。


「ユキ! これはドワーフの由緒ある髭じゃぞ!」


「でも、しっぽのほうが、ふわふわ」


「ぐぬぬ……!」


 ボルガが腹を抱えて笑う。


「ドラン! 五歳児と毛の柔らかさで勝負するな!」


「髭は男の誇りじゃ!」


「カテゴリーが違い過ぎだろ!」


 こびゃっこが、いつの間にか窓の外ではなく風呂場入口へ浮いていた。


「ドランよ。毛並み勝負で白狐神へ挑むとは無謀じゃ」


「こびゃっこ殿まで!」


「びゃっこの毛並みも極上じゃぞ」


「お前まで参戦するな!」


 ユキがこびゃっこを抱き寄せる。


「こびゃっこも、ふわふわ」


「当然じゃ」


「なんだよ。この毛並み品評会」


     ◇


 ひとしきり笑ったあと、マリベルが手を叩いた。


「では、説明へ戻ります」


「はいにゃ!」


 ミネットの姿勢が妙に良い。


「急に真面目になったな」


「重要設備にゃ」


「さっきまでフリスビーしか見てなかっただろ」


「過去は振り返らないにゃ」


「切り替えが早い」


 マリベルはシャンプーの量を説明する。


「大量に使えば良いわけではありません。髪の長さに合わせて少量で十分です」


「これくらい?」


「その半分くらいから試してください」


「少ないにゃ」


「十分泡立ちます」


「コンディショナーは?」


「頭皮へ大量につけず、主に髪へ。特に毛先へなじませます」


「すぐ流す?」


 マルタ。


「少しなじませてからで構いません。ただ、長時間放置する必要はありません」


「毎日?」


「人によります。汗や汚れ、髪質、頭皮の状態次第です。洗いすぎて乾燥する場合もありますから」


 マリベルは、もう完全に説明する側だ。以前は、シャワーから湯が出るだけで驚いていた女性が今では、新しく来た人へシャンプーとコンディショナーの使い分けまで説明している。


 生活というものは慣れるのが早い。


「マリベル」


 ボルガが真剣な顔で言う。


「今日、洗い方を見ててくれるかい?」


「髪の?」


「ああ」


「構いませんよ」


「私もにゃ!」


「私もお願い」


 ナージャ。


「私も頼むよ」


 マルタ。


「全員ですか?」


 マリベルが苦笑する。


「風呂の実技講習会だな」


 俺が言う。


「ヒカルさん」


「何?」


「シャンプーとコンディショナーの予備は?」


「ある。種類も追加する」


 女性陣が一斉に頷く。


「「「よし」」」


「何で士気が上がるんだよ!」


 セルドが自分の髪を触った。


「あの……男も使っていいんですよね?」


「もちろん」


「俺も実は気になってました」


「お前もか!」


 フィンまで静かに手を挙げる。


「私も、以前よりリーファさんの髪が随分綺麗だとは思っていました」


「全員気づいてたのかよ!」


 マリベルが笑った。


「ヒカルさん。湖畔にずっといると、これが普通になっていますけど」


「ああ」


「外から見ると、結構目立つみたいですね」


 確かに。毎日の風呂やシャワー。ボディソープやシャンプー。コンディショナー。清潔なタオルにドライヤー。香り付き柔軟剤が効いた着替え。


 俺の世界では、普通の生活用品だった物が、この世界では生活の質そのものを変えている。


「こういう物も異文化交流なんだな」


     ◇


 最後は電気関係。ここはニナに説明してもらう。もちろん、7歳のニナへ職人宿の設備責任を負わせるわけではない。


 普段から本人が扱っている充電式LEDランタンと充電棚、その範囲だけだ。


「これ、LEDランタン」


 ニナが手に持つ。


「ここ、押す」


 ぱっ。


「おお!」


 フィンが声を上げた。


「もう一回」


 ぱっ。少し暗くなる。


「もう一回」


 ぱっ。消灯。


「火じゃない?」


 セルド。


「電気」


「魔力でもない?」


「ちがう」


「じゃあ中で何が光ってるの?」


 ニナが俺を見る。


「そこまで説明する?」


「…今日はいい」


「分かった」


 七歳に発光ダイオード講義をさせるところだった。ニナは充電ケーブルを示す。


「朝、減ったら、ここ差す」


 次に充電棚。


「番号ある。自分のランタン、同じ場所へ戻す」


 ミネットが聞く。


「ニナが充電するの?」


「最初は見る。でも、これからは自分で」


「自分でにゃ?」


「うん。使う人が戻す」


 グレゴールが頷いた。


「それがいい。子供に12人分の灯りを毎日管理させる話じゃない」


「そういうことだ」


 俺も補足する。


「ニナは使い方を教えるだけ。明日以降は各自管理」


「壊れたら?」


 エリオット。


「無理に直さない。変な匂いがする。異常に熱い。電池が膨らむ。充電できない。そういう時は使用中止して報告」


 ニナが付け加える。


「勝手に、開けない」


 全員の視線が、ボルガとドランへ向く。


「またかい!」


「なぜわしまで!」


「お二人が一番危険だからでしょうね」


 マリベルがさらっと言った。


「マリベルまで!」


     ◇


 説明が終わる頃には、空が赤く染まり始めていた。


「今日はここまでだな」


 俺は時計を見る。その時だった。

 ポッ。職人区画の外周で、一基目のソーラーポールライトが点いた。


「ん?」


 セルドが振り向くと、二基目が点いた。ポッ。続けて三基目。ポッ。少しずつ暗くなる草地に、柔らかな灯りが並んでいく。


「……誰が火を点けた?」


「誰も」


「でも、点いたぞ」


「暗くなったら自動で点灯する」


 沈黙。全員が外周を見た。


「自動……」


 グレゴールが呟く。


「昼間に太陽の光で電気を溜めて、暗くなったら点く」


「魔法陣もない?」


 フィンが近づいて見る。


「ない」


「魔石も?」


「ない」


「……」


 魔術師が黙った。そこへミネットが外階段へ足を掛ける。


 ぱっ!


「にゃっ!」


 頭上のセンサーライトが突然点いた。ミネットが飛び退く。少し待つと消える。


「……」


 一歩出ると、パッ。ライトが点灯する。


「にゃっ!」


「遊ぶなよ」


「アタシが近づくと点くにゃ!」


「人を感知してる」


「私を選んだんじゃないにゃ?」


「誰でも点く」


 エリオットが横を通る。パッ。ライトが点灯する。


「……」


 ミネットの猫耳が少し下がった。


「本当だにゃ」


「何で残念そうなんだよ」


 ナージャが試す。パッ。ライトが点灯する。


「面白い」


「お前も遊ぶな」


 セルドまで通る。パッ。ライトが点灯する。


「おお」


「一人ずつ実験しなくていい!」


 グレゴールだけは、灯りではなく階段と周囲を見ていた。


「なるほどな」


「何か分かったのか?」


「夜間に階段へ人が来た時だけ点けば、常に明るくしておく必要がない」


「ああ」


「転倒防止にもなるな」


「そのためだ」


「外周の灯りは?」


「夜の移動と警備。宿の方へ光が漏れすぎないよう、向きも調整してある」


 グレゴールが腕を組む。


「ここは、何でも勝手に仕事をするんだな」


「勝手じゃない。設計どおりだ」


「俺たちの国では、それを『ずいぶん勝手に仕事してくれる』と言う」


「……確かに。そうかもな」


     ◇


 空が群青色へ変わっていくと、職人宿の窓にも灯りが入った。昨日までは空だった建物だ。今夜から、あそこへ12人が帰る。


 ベッドがあり、風呂がある。

 トイレがあって、洗面所がある。


 夜道には灯りがあり、荷馬車の馬も近くで休んでいる。最低限だが、生活を始める準備はできた。


「おっちゃん」


 いつの間にか俺の横へ戻ってきたユキが、職人宿を見ていた。


「ん?」


「あそこ、ひと、いる?」


「今夜からな」


「しょくにんの、おうち?」


「3か月くらいは、そうなる」


「かえる、ばしょ?」


「ああ」


 ユキが外周の灯りを見る。


「まってる、あかり、ふえた」


「そうだな」


「でも」


「ん?」


「ごはん、まだ」


「いいところで現実へ戻したな」


「おなか、へった」


 その時。風に乗って匂いが来た。玉ねぎ。牛肉。香辛料。煮込んだカレーの匂い。ドランの鼻が動く。


「……ヒカル」


「何だ?」


「説明は終わったな?」


「終わった」


「なら行こう」


「急に動きが速くなったな」


 マルタも犬耳を立てる。


「鍋を見に戻るよ!」


「本当に料理人なんだな」


「当たり前だろ!」


 職人たちも食堂の方を見る。昨日まで知らなかった設備を一気に見せられ、頭の中はもういっぱいのはずだ。


 それでも、腹が減れば、最後は飯だ。ユキが俺の手を掴む。


「おっちゃん」


「ん?」


「おうちカレー」


「ああ」


「いっぱい?」


「今日は大鍋だ」


「おにく?」


「入ってる」


「えらい」


「最後はやっぱりそこなんだな」


 俺たちは、灯りの点いた職人宿を背にして食堂へ向かった。新しく来た12人との最初のまず生活する場所を覚えてもらった。


 次は――。


 一緒に飯を食う番だった。


     ◇


【第91話・収支報告】


異世界生活73日目

日付:六の月2日

オリエント王国歴952年


開始残高:3,145,241pt


今回の購入:


・職人宿用シングルベッド12台

 1,680pt(約168,000円)


・マットレス、枕、掛け布団、シーツ等12人分

 1,440pt(約144,000円)


・鍵付きスチールロッカー12台

 1,920pt(約192,000円)


・衣類・小物用収納ボックス12個

 240pt(約24,000円)


今回支出合計:5,280pt(約528,000円)


現在残高:


3,145,241pt − 5,280pt = 3,139,961pt


円換算目安:


3,139,961pt × 100円 = 約313,996,100円相当



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